コミュニケーションとレモン
世の中には沢山の人がいます。我々は、その世の中で沢山の人と出会い、コミュニケーションをする機会を多くもちます。
しかし、たとえば渋谷のスクランブル交差点を歩いているとき、あるいは、大学のキャンパス内を歩いているとき、たまたますれ違った誰かさんに、突然声をかけられたとき、あなたはどうおもうでしょうか? 知り合いならまだしも、まったく見ず知らずの人だったら……。ちょっと怪訝な心持ちになりませんか?
――それは我々が、誰かさんに対する情報を何ら得ていないからです。
世の中にはどんな人がいるかわからない、と我々が思うなら、世の中は、人間の「レモン市場」に似ているといえるでしょう。
「アカロフのレモン市場」
http://note.masm.jp/%A5%A2%A5%AB%A5%ED%A5%D5%A4%CE%A5%EC%A5%E2%A5%F3%BB%D4%BE%EC/
(※注:ここでのレモンとは、果物のLemonではありません)
世の中は、必ずしも自分に優しい人ばかりでありません。自身に危害を加えてくる誰かさんもいれば、批判したり非難してくる誰かさんもいるでしょう。
でも一方で、一緒にいて楽しい誰かさんや、尊敬できる誰かさんやよくわからないけれど一緒にいても平気だとかんじる誰かさんが世の中にはいます。少なくとも、我々はそういう誰かさんがいるはずだとおもっています。
そこで、我々は、レモン市場のなかから、一緒にいてもよい、関わりをもちたい、とおもう誰かさんを選び出さなければなりません。
先の、突然話しかけられた例でいえば、あなたも誰かさんも、互いに情報の非対称性に直面しています。
「情報の非対称性」
http://www.exbuzzwords.com/static/keyword_2271.html
ただし、誰かさんは、その非対称性を解消しようと会話をしかけてくるのです。たとえば、以下の2つのように。
1.「道を教えてくれませんか?」
2.「サークルやってみませんか?」
などなど。
1の裏には「困っているんです…」や「不慣れなもので…」という含みがあるはずです。よっぽどのことがない限り、(たとえば相手が高圧的だとか、不遜な態度でなければ)あなたは誰かさんに道を教えてあげるでしょう。
2のあとには、「楽しいよ!」「興味ありませんか?」という言葉が続くでしょう。これでもう心揺らぐひとであれば、この言葉だけで十分でしょうがたいていのひとは、もっと情報を欲しがるでしょう。
「たとえば、どんなふうに楽しいんですか?」
「興味ありますが、どんなサークルなのですか?」
これは、2の会話を仕掛けてきた誰かさんに対して情報を要求していると共に、「レモン市場」にあるサークルに対して選別をかけている、ともみえます。
他方、あなたが誰かさんの問いかけに対して何も応えないのであれば2の会話を仕掛けていた誰かさんは、それ以上の追及をやめるでしょう。なぜならば、2の会話を仕掛けた誰かさんは、2の話題について、あなたが興味関心を抱いていない、と判断したからです。
言葉で何かを表現し、その何かを誰かに伝える、ということは誰かに対して「シグナル」を発しているものだと考えます。
「シグナリング理論」
http://note.masm.jp/%A5%B7%A5%B0%A5%CA%A5%EA%A5%F3%A5%B0%CD%FD%CF%C0/
レモン市場の状態から、円滑なコミュニケーションを図るシグナルがたとえば、「会話」なのだと考えられます。
誰かに声をかけるのは、その「誰か」に興味関心があるからとか、何かしらの影響力(たとえば要望を言うなど)を及ぼしたいから。
だとすれば、声をかけることは、声をかけた対象に対して自身が興味関心を抱いている、というシグナルととらえてさしつかえないはずです。
◇ ◇ ◇ ◇
ここまでは、先の例の通り、相手からコミュニケーションをされる場合についてかいてきました。では逆に、こちらからコミュニケーションをする場合はどうでしょうか?
あなたは、相手との情報の非対称性を解消するために以下のような選択肢をもつはずです。
1)自分のことを話す
2)相手のことをきく
1)は、自分の所属団体についての話でもよいでしょう。これは、自分が信じるに足りる者である、と相手におもわせるために有効な手段かもしれません。
2)は、自分が相手にたいして興味をもっているということを示すために有効な手段かもしれません。
しかし注意しなければならないことは、1)、2)のいずれも欠けてならない、ということです。1)ばかりしていると、相手は自分に興味がないのかな、とおもってしまったり、あるいは「ジブンガタリ」にうんざりします。2)ばかりしていると、相手は「そもそもあんただれ?」とおもうこととなり、あなたにたいする不信感を深めるでしょう。
さらにいえば、相手も同様に、1)、2)の選択肢をもちますので我々は、第三、第四の選択肢をもたねばなりません。すなわち、
3)相手の話をきく
4)相手の話にこたえる
適度なバランスが必要、ということでしょう。
したがって今回の含意は以下の通りです。会話は、情報の非対称性を解消する手段であり、相手へ興味関心を抱いているというシグナル発信であり、相手からすれば「逆選択」をしないようにするための予防手段である、と。
2009.06.21作
現実でのコミュニケーションはむずかしいですが、話してみないとわからないことって結構多いとおもいます。わたしなどいつも四苦八苦しておりますので、日々成長されている方や、うまくこなす方が羨ましいです。これを書いた裏話。「コミュニケーション」の重要性について相談されたばかりだったわけであります。その方は「話ベタ」で、自分の話ばかりしてしまうし、相手へなにかをきこうとしない。でもどうにかしたい、とのことで、ない知恵絞ってこのような話をしました。そのとき咄嗟に考えたまとまりのない思索ですが、誰かにとって、お役に立てれば幸いです。