地域資源活用促進再考にかかる詳論
Jeudy,Henri-Pierre論文に反論する
「地域のアイデンティティを守るというかけ声の下に,まちおこしが進めば進むほど,地域の外見が似てくるというジレンマが起こっている」。「フランスの場合,まちのアイデンティティを示すシンボルは,教会や城である。これに,水車小屋,古代ローマ遺跡などがワンセットとなって『地域らしさ』を構成する」。「どの地域においても,教会や城が修復され,それがまちのシンボルとして,地域の内外に紹介される。地域の空間が教会や城のような文化遺産によって再編成されているため,教会の建築様式などに地域による相対的な違いはあっても,ある地域の独自性はみえてこない」。このままでは,「フランスのまちはしだいに特色を失って,同じようなスタンダードタイプの空間に再編成されていく」かもしれない[1]。
たとえば,オートマルヌ県では,「行政によるまちおこしの試みは,議員側の意見の食い違いからなかなか進展しない」し,「かつて栄えた産業を再び別のかたちで復活させようという野心は皆無」で,「地域の記憶は単発的に,特定の有志によって保持されるにすぎない」。たしかに,「民衆の歴史を残そうという試みがないわけではない。しかし,地域の村々が積極的に,自らの歴史を記録しようという意志をもっているわけではない。反対に,消えていくものは消えていくという一種の自然淘汰に身を任せている」。「城を訪れる観光客の存在にも,村人は大きな関心はもたない。観光化と村の生活とはまったく別の次元で起こっている出来事」と,村人は捉えていると考えられる[1]。
他方,フランシュ・コンテ地方では,「シアム製鉄所は,20世紀初頭の溶鉱炉を再利用するなど,単なる博物館としてではなく,かつて用いられていた技術そのものを蘇生させ,経済的にも復興を遂げている」。背景は次のとおりである。移民技術者のモロッコ人は,「フランスが失ってしまった『伝統的技能』の資質をもっていたので」,フランス人の「新たに最新技術を身につけた技術者」が「誰もわからなかった古い圧延技術を『再発見』し,現代に甦らせ」た。すなわち,移民は,「フランス人には不可能だったことを可能にした」[1]。
「移民が参加することで,地域の伝統が維持されているのは,多文化主義の地域の経済・文化の振興が両立することを示している」[1]。あるいは,移民(外部)の「まなざし」が「地域らしさ」を「再発見」できる可能性が示唆される。
一方,「地域に根差して,伝統的な調度品の修復を続ける営みは,資本主義的欲望とも博物館学的欲望ともまったく関係がないわけではないが,しかし,これらの欲望と距離を置いている」。「ブリュムレのいす職人は,古いいすの修復(張り替え)と新品を擬古調に装うという2つの仕事をしている。それは,フランス人の生活の中で,重要な『遺産』(patrimoine)である家具を守る仕事なのである。いすの張り替え職人は,地域の中だけでなく,パリでも仕事を多く請け負っている。しかしいす職人の技術や修復されたいすは,再び所有者の元に戻り,それが一般に展示されることはない」。すなわち,「利益をあげようとして,大量の修復をこなすわけではないし,顧客として相手にしているのは地域のブルジョワジー家庭の家具である。いすの修復を観光客にみせたり,『いす博物館』をつくったりすることなど思いもよらないであろう。いす職人に限らず,この地域では,地域の過疎化を食い止めようという意識は薄い。しかし,この無関心が結果的に地域の固有性を維持しているのである。外部の眼を意識したり,外部(たとえば観光客)を導入することが地域のアイデンティティを維持することにはつながらない。それは,地域をある特定のシンボルで表象することで,しかもそれが城や教会のような決まったシンボルであることで,反対に地域らしさを失わせることになってしまうのである」[1]。
本論文著者Jeudy指摘のとおり,無理に「決まったシンボル」によって「地域」を「表象すること」は,結果的に当該地域の没個性化を助長する可能性がある。
しかし,「外部」の「まなざし」が有用であることは,奇しくもJeudy自身によって証明されている。たとえば,「いす職人」は,彼の記述がなければ,ブリュムレにおいて,当該地域を表象するシンボルとして顕在化しなかったと考えられる。すなわち,Jeudy, Henri-Pierreという外部の「まなざし」は,「地域のアイデンティティを維持」することに貢献した,換言すると「地域らしさ」を「再発見」したといえる。
ゆえに,Jeudy指摘は妥当せず,外部の「まなざし」は,「地域らしさ」を「再発見」しうることが傍証された。
初出:2009.12.11.
参考文献:
[1] Jeudy, Henri-Pierre著・荻野昌弘訳「地域の集合的記憶―フランス」,荻野昌弘編『文化遺産の社会学―ルーヴル美術館から原爆ドームまで』新曜社,155-182頁,2002年.