定理4:カオスな街を歩きたい!(後編)
王都の夕闇を、赤い警告灯が支配していた。
映画館『光座』へと続く唯一の橋、その全てを埋め尽くす数千体の防衛ゴーレム『アンチウイルス・ナイト』。
そして、その背後にそびえ立つ、物理的な通行止め障壁『ファイアウォール』。
一般市民たちは悲鳴を上げて逃げ惑っている。
「ひえぇ! 今日は家に帰れないぞ!」
「世界の終わりだ!」
パニック映画さながらの光景だが、私たちヴェリタス家にとっては、これは単なる「渋滞」に過ぎない。
「……邪魔ですわね」
アリシアが、日傘を優雅に回しながら呟く。
「上映開始まであと25分。ポップコーンの列に並ぶ時間を考慮すると、ここを3分で通過する必要があります」
「3分? 余裕だねぇ」
私は白衣のポケットから、予備の角砂糖を取り出して口に放り込んだ。脳に糖分が行き渡り、世界が数値の羅列に見えてくる。
「行くよ。……止まるんじゃないぞ」
私が一歩を踏み出すと同時に、グリッチが前に出た。
彼女は、数千体のゴーレムの大群を見上げ、ニコリと笑った。
「ねえ、君たち」
グリッチの瞳が、深紅のノイズを発した。
彼女は指一本動かさない。ただ、視線だけでゴーレムたちの識別信号をハッキングしていく。
「君たちの敵は、私じゃないよ? ……ほら、隣にいるその子が、ウイルスに見えてこない?」
『ピ……ガ……?敵性体……検知……』
『隣接ユニット……エラー……排除……排除……』
先頭のゴーレムが、隣のゴーレムを殴り飛ばした。
それを皮切りに、指揮系統が崩壊する。
「あいつが敵だ!」「いやお前だ!」とでも言うように、数千体の鋼鉄の兵団が、互いに殴り合い、斬り合いを始めたのだ。
大規模な同士討ち。
その混乱の只中を、グリッチはスキップしながら進んでいく。
「はい、どいてねー! お姉ちゃんが通るよー!」
彼女が歩く先々で、ゴーレムたちが勝手に道を開け、爆散していく。それはまるで、モーゼが海を割るような、あるいは姫君のために敷かれたレッドカーペットのような光景だった。
「露払いは任せなさい」
続いて、ナラティブ・ヴェリタスが加速する。
彼女の標的は、ゴーレムではない。その奥にある巨大な障壁『ファイアウォール』だ。
アップデート完了まで物理的に通行を遮断する、絶対防御の壁。
「壁があるなら、風穴を開ければいいだけのこと」
ナラティブは、鉄扇を横に構えた。
魔法など使わない。
彼女が使うのは、純粋な運動エネルギーと、研ぎ澄まされた武の極致のみ。
「――穿て!」
一閃。
鉄扇が空を切る音が、轟音となって大気を震わせた。
目に見えない衝撃波が、一直線に障壁へと突き刺さる。
ズドォォォォン!!
高さ50メートルの光の壁に、巨大なトンネルのような風穴が開いた。
「道は開けましたわ。……さあ、お母様」
ナラティブがドレスの裾を払い、優雅に一礼する。
その横を、アリシアが日傘を差したまま、埃一つつけずに通り抜けていく。
「あら?少し風が強いですわね」
そして、私は中枢タワーの制御端末の前に立った。
聴診器『真理の眼』を当てる。
「フム。……処理落ちによる無限ループか。実に非効率だ」
私は、聴診器の先端で、端末のある一点をコツンと叩いた。
それは、複雑な魔術行使でも、ハッキングでもない。
昔ながらのテレビを直すような、物理的な「衝撃療法」。
『ピ……ギュ……ン……』
タワーの明滅が止まった。
赤かった空が、本来の群青色に戻っていく。
『アップデート……中断……再起動シマス……』
王都全域のシステムが、強制終了した。
ゴーレムたちが糸の切れた人形のように崩れ落ち、障壁が光の粒子となって霧散する。
「再起動には3分かかる。……その隙に、映画館へゴールインだ」
私たちは、何事もなかったかのように橋を渡りきった。
背後には、スクラップの山と、呆然と立ち尽くす市民たちが残された。
その様子を、少し離れた場所から見つめる影があった。
パトカーのランプが回る中、帽子を目深に被った男――カレル警部が、現場に到着したところだった。
「……遅かったか」
カレルは、無残に穴が開けられた障壁と、沈黙したゴーレムの山を見て、深いため息をついた。
その横には、サングラスをずらし、口をあんぐりと開けているアスナの姿があった。
「あ、ありえません……。国家予算レベルの防衛システムが、たった数分で……」
「……クライフォルト君」
カレルは、懐から胃薬を取り出して噛み砕きながら言った。
「報告書には『ガス爆発』と書いておきたまえ。……奴らが通った跡を、まともに論理的に説明しようとすれば、我々の脳と始末書が何枚あっても足りんよ」
アスナは、震える手で眼鏡を押し上げた。
彼女の瞳には、恐怖と、そして隠しきれない推しへの崇拝が混ざり合っている。
「……はい。それが、世界の平和のためですね。……(ああ、エラーラさん、格好いい……!)」
二人の常識人は、映画館へと消えていく「災害レベルの家族」の背中を、畏怖と諦めを込めて見送った。
場面は変わり、映画館『光座』。
時刻は18時55分。
外のデジタル制御された街はダウンしているが、この場所だけは別世界だった。
古びたレンガ造りの建物。接触不良でチカチカする看板。
そして、中から漂ってくる、バターとキャラメルの甘い香り。
「おや、いらっしゃい。……外は随分と騒がしいようだが」
チケット売り場の窓口から、顔中シワだらけの老エルフの館主が顔を出した。
彼は、外のパニックなどどこ吹く風といった様子だ。
「ええ。少し道路工事がありまして。……大人3枚、子供2枚。ポップコーンはLサイズで」
アリシアが優雅にチケットを購入する。
「電気は止まっとるがね。……うちは自家発電と、このオンボロ映写機があれば十分さ」
館主が笑い、奥の扉を開けてくれた。
私たちは、薄暗い場内へと足を踏み入れた。
座席のバネは壊れかけているが、それが逆に心地よい。
私たちは最前列――ではなく、全体が見渡せる最後列の中央を陣取った。
ジジジ……カタカタカタ……。
アナログな音が響き、スクリーンに光が走る。
映し出されたのは、白黒の、ノイズ混じりの映像。
『蒸気紳士の憂鬱』。
セリフはない。ピアノの伴奏と、大袈裟なジェスチャーだけで語られる、古き良き時代の喜劇。
「……フム。この時代のレンズは歪みが酷いねぇ。だが、そこがいい」
私はポップコーンを放り込みながら、スクリーンの粒子の一つ一つを目で追った。
「あら、このドレスのデザイン……素敵ですわ。リバイバルさせましょうか」
ナラティブは、ヒロインの所作を熱心に研究している。
「お姉ちゃん、あのおじさん、転んでばっかりだね! 痛くないのかな?」
グリッチは私の肩に頭を乗せ、クスクスと笑っている。
「……皆様、音を立てないでくださいな。……ふふ、でも、良い空気ですわね」
アリシアは、私たち全員が揃っていることを確認し、満足げに微笑んだ。
スクリーンの向こう側で、蒸気紳士がドタバタと走り回る。
外では、最新鋭の魔導OSが再起動し、またバグだらけの日常が始まろうとしている。
だが、この暗闇の中だけは、時間は止まっている。
最新の魔法も、最強の力も、この古い光の前では意味を持たない。
ただ、家族と肩を並べて、同じ方向を見て、笑うこと。
これこそが、私たちが世界を敵に回してでも守るべき、唯一の『真理』なのかもしれないね。




