定理4:カオスな街を歩きたい!(前編)
リメイク元
「エラーラ・ヴェリタス」暗黒の魔宮
「ナラティブ・ヴェリタス」英傑主婦の午後
「障害物の値は、こちらの火力が無限大であれば、近似的にゼロとなる」
王都の休日は、蒸気とマナの不協和音から始まる。
新暦108年。魔導産業革命の恩恵と弊害が凝縮されたこの街は、今日も今日とてバグだらけの朝を迎えていた。
「おかあさま。起きてくださいな。本日は『家族サービス』の日ですわよ」
ヴェリタス探偵事務所の寝室に、慈悲深くも絶対的な声が響く。
カーテンを開け放ったのは、我が家の管理者、アリシア・ヴェリタスだ。今日の彼女は、淡い若草色のドレスに白いレースのボンネットを合わせ、貴婦人のような優雅さを漂わせている。
「……むにゃ。アリシア君、あと5分……いや、5世紀ほど寝かせてくれ。昨夜の実験で、空間転移の座標計算が……」
「却下します。本日は貴族街とスラムの境界にある映画館『光座』にて、名作『蒸気紳士の憂鬱』のリバイバル上映がありますの。チケットは既に確保済みです」
その言葉に、布団の私が反応した。
『蒸気紳士の憂鬱』。100年前の無声映画であり、私の大好物だ。
「……行く。着替えよう。3秒で準備する」
「よろしい。ナラティブ、グリッチ、ゴウ君も準備万端ですわ。さあ、参りましょう」
こうして、ヴェリタス家の一行は、久方ぶりの「王都観光」へと繰り出すことになった。
上映時間は19時。それまでの間、私たちはこの混沌としたテーマパークのような街を練り歩くことになる。
最初のスポットは、王都の玄関口『王都中央駅』だ。
赤煉瓦の巨大な駅舎からは、白い蒸気と七色のマナ排煙がモクモクと立ち昇っている。空には巨大な飛行船が係留され、その側面には不安定なホログラム広告が浮かんでいた。
『新発売! 思考入力式タイプライター! ※誤作動による思考漏洩に注意』
ノイズ混じりの広告を見上げながら、私たちは駅前の大通りに立った。
「うわぁ! お姉ちゃん見て! 人がいっぱい! ポリゴン欠けしてる人もいるよ!」
白髪の頭に大きなリボンをつけたグリッチ・オーディナルが、私の腕に抱きつきながらはしゃぐ。
彼女の言う通り、人混みの中にはテクスチャの読み込みが間に合わず、顔がのっぺらぼうになっている通行人がちらほら見受けられる。
「王都のサーバーも限界だねぇ。……さて、ここから次の目的地までは距離がある。魔導乗合馬車を使おうか」
私は駅前の乗り場へ向かった。
しかし、そこには長蛇の列と、絶望的なアナウンスが響いていた。
『お知らせします。本日未明のOSアップデートにより、馬車の馬の脚が8本に増えるバグが発生しております。現在、御者が制御不能のため、全便運休中です』
見れば、停留所の奥で、蜘蛛のように脚が増えた馬が、タップダンスのような奇妙な動きで暴れている。
「……なんという事でしょう。これでは優雅な移動ができませんわ」
アリシアが日傘の下で嘆息する。
「姉さん、あたしが運びましょうか? この程度の馬車なら、担いで走ったほうが早いですわよ?」
漆黒のドレススーツに身を包んだナラティブ・ヴェリタスが、鉄扇を片手に物騒な提案をする。
「却下です。レディが馬車を担いで走るなど、絵面が野蛮すぎます」
「仕方ない。徒歩で行こう。……ゴウ君、ルート計算を頼むよ」
「はい、師匠! 『歯車通り』を経由して『ミスター・マジック』で昼食、その後『市場』を抜けるルートが最短です!」
荷物持ちとして同行していたゴウ・オータム少年が、手元のスレート端末を操作して答える。
私たちは歩き出した。
石畳の道を行くと、次第に景色が変わっていく。
第2のスポット、『歯車通り』。
ここは王都の技術者やマニアが集う、スチームパンクの聖地だ。
道の両側には、大小様々な歯車、配管、魔導管が露出した建物がひしめき合い、油と錆の匂いが充満している。
「素晴らしい……! 見たまえゴウ君! あの店先に積まれている『自律型たわし』! あの無駄に複雑な関節駆動!」
「すごいですね師匠! なんでたわしに二足歩行機能をつけたんでしょう!?」
私とゴウは、ジャンク屋の軒先でガラクタを漁り始めた。
ここには、正規のルートでは流通しない「訳あり品」が山のようにある。
「ねえねえお姉ちゃん。ここの通りの防犯システム、セキュリティホールだらけだよ?」
グリッチが、店の防犯カメラに向かってピースサインをする。
「パスワードが全部『password123』なんだもん。……書き換えちゃおっか?」
「おやめなさいグリッチ。……店主さん、この古代魔導式のトースター、パンが黒炭になる機能しかありませんけれど?」
アリシアは、頑固そうなドワーフの店主相手に値切り交渉を開始していた。
「こ、これは骨董品だ! 1万クレストは下らね
え!」
「あら。わたくしの目利きでは、これはただの燃えるゴミですわ。……500クレストなら引き取って差し上げますけれど?」
「……ひぃッ! も、持ってけ泥棒!」
アリシアの笑顔という名の圧力に屈し、私たちは大量のガラクタを格安で手に入れた。
第3のスポット、昼食会場『ミスター・マジック 王都駅前店』。
アメリカンダイナー風の派手なネオンが輝くドーナツ店だ。
店内は若者たちで賑わい、ジュークボックスからは軽快なジャズが流れている。
「ふぅ。やはり、糖分補給は必須だね」
私はカウンター席に陣取り、新作の『ギャラクシー・グレイズ・ドーナツ』とブラックコーヒーを注文した。
ナラティブはステーキドーナツ……という狂気の商品、グリッチは私の食べ残し、アリシアはサラダドーナツのパン抜き、ゴウはキッズセットだ。
「魔導決済で」
私はスレートを端末にかざした。
『ピーッ! エラー。残高不足、または信用情報に重大な欠陥があります』
店内に無慈悲な警告音が響き渡る。
「……おや? おかしいな。先週の依頼料が入っているはずだが」
「おかあさま。それは先ほど、ジャンク屋での支払いに充てましたわ」
アリシアが冷徹に告げる。
「なっ!? では、私はドーナツを目の前にして指をくわえていろと!?」
その時だった。
隣の席で、新聞を読んでいたサングラスの女性が、バンッ! とテーブルを叩いた。
「……うるさいですね! 警告音が耳障りです!」
彼女は立ち上がり、自分のカードを店員に突き出した。
「この人たちの分も、私が払います! ……さっさと静かにさせてください!」
黒髪のセミロングに、知的なスーツ姿。変装しているつもりだろうが、そのスカートから伸びる立派な竜の尻尾は隠せていない。
アスナ・クライフォルトだ。
「やあ、アスナ君。奇遇だねぇ。非番かい?」
「っ!? 人違いです! 私は……通りすがりの資産家です!」
「そうか。では資産家さん、ご馳走になるよ。……お礼に、私のサイン入りのコースターをあげよう」
「い、いりません! ……ゴミになるので!」
……と言いつつ、彼女はコースターを素早く手帳に挟んだ。
アスナは、顔を真っ赤にしながら自分のドーナツを齧った。
彼女は、休日だというのに、私たちの動向を監視していたに違いない。
ナラティブが、アスナの尻尾を熱っぽい視線で見つめている。
「……リウとは違う、都会的な艶……。デザートにいただきたいわ」
「ひっ!? こっち見ないでください!」
騒がしいランチを終え、私たちは最後の経由地へと向かった。
第4のスポット、『スラム境界の市場』。
ここは貴族街の煌びやかさとは対照的な、混沌としたエネルギーが渦巻く場所だ。
道端では得体の知れない肉が焼かれ、怪しげな露店がひしめき合っている。
「らっしゃい! 今日は新鮮な『空飛ぶサメ』が入ったぞー!」
威勢のいい声が響く。
露店の前で、巨大な包丁を振るっているのは、金髪の狼獣人リウ・ヴァンクロフトだ。彼女の服装は今日も今日とて季節感を無視した露出度で、極太の尻尾がブンブンと振られている。
その横の木箱には、妹のルル・ヴァンクロフトが体育座りで収まり、隙間からカメラを構えている。
「リウ! ここで店を出していたのね!」
ナラティブが駆け寄る。
「おう、ナラティブか!デートか? ……あ、家族連れかあ。なんだ、つまんねーな」
リウは豪快に笑いながら、サメの切り身を焼いて串に刺した。
「食ってけよ! サービスだ!」
「……いただくわ」
ナラティブは、貴族街で買ったばかりの高級なドレスを汚さないように気をつけながら、それでも豪快に串にかぶりついた。
「……んんっ! 野性味あふれる味! この血の滴る感じ、最高よ!」
「だろー? やっぱお前はこっち側の人間だな!」
ナラティブの中で、気高い貴婦人としての人格と、スラム育ちの野良犬としての人格がせめぎ合っている。
ルルのカメラが、そんなナラティブの口元の汚れを執拗にズームアップして記録していた。
「さあ、皆様。そろそろ時間ですわ」
アリシアが懐中時計を確認する。時刻は18時30分。
上映開始まであと30分。ここから『光座』までは、橋を一本渡るだけだ。
「よし、行こうか。……今のところ、王都のバグも可愛いものだ」
私は最後にコーヒーを飲み干し、立ち上がった。
この時までは、平和な休日だったのだ。
そう、この時までは。
突然、王都の空が赤く染まった。
夕焼けではない。
空中に浮かぶ無数の魔導ウィンドウが、一斉に警告色に変わったのだ。
『緊急放送。王都魔導OS、大型アップデート『Ver.109.0』を開始します』
『これより、システム安定化のため、第3区画から第8区画を物理的に封鎖します』
『市民の皆様は、直ちに帰宅してください』
ズズズズズ……!
地響きと共に、私たちの目の前の道――映画館へと続く唯一の橋が、光の粒子に包まれた。
「……なんだって?」
私の目の前で、橋の上に巨大な「壁」が出現した。
高さ50メートルはあるだろうか。赤く明滅するその壁には、『UPDATING... 2%』という絶望的な文字が浮かんでいる。
「ふざけるな! 上映に間に合わないじゃないか!」
「おかあさま、ポップコーンを買う時間も必要ですわ!」
「私、あの映画の予告編が好きなのにー!」
私たちの悲鳴を無視して、壁の手前に魔法陣が展開される。
そこから現れたのは、数千体もの防衛ゴーレム『アンチウイルス・ナイト』だった。
全身を銀色の装甲で覆い、無機質な赤眼を光らせる鋼鉄の兵団が、道を埋め尽くす。
「……通行止めだと言いたいのかい?」
私は白衣を翻し、聴診器『真理の眼』を首にかけた。
休日モードは終了だ。
ここからは、ヴェリタス流の「道案内」の時間だ。
「総員、戦闘準備は不要だ」
私は告げる。
「ただ、歩くよ。……映画の時間に遅れるなんて、論理的に許されないからね」




