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ヴェリタスの最終定理 PART4/飛竜の覚醒   作者: ♡Wan Liyue♡
●第14章:悪の根絶

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定理8:悪の根絶(1)

数時間後。

王都警察本部、特務応接室。

湿っぽい部屋の中で、ぼくと、もう一人の英雄は、パイプ椅子に並んで座っていた。

目の前の長机には、カレル警部から差し入れられた紙コップの珈琲と、ミスター・マジックの新作ドーナツの箱が置かれている。


「……ふぅ。甘いものは、酷使した脳髄に沁みますね。特にこのハニーグレイズの糖衣の厚さ、論理的な完璧さを感じます」


隣で幸せそうに極太の尻尾をバタンバタンと揺らしているのは、青い瞳に細縁の黒眼鏡をかけた、少しだけお腹の出ている竜人の女性。

王都魔導規制局のキャリア官僚、アスナ・クライフォルトさんだ。

カチッとしたスーツに身を包み、いかにもお堅いお役人という風貌だが、ドーナツを頬張るその顔は酷く緩んでいる。


「キミがあのシュピーゲルの空中要塞をドカンってやったアスナさんだよね!すごいよすごいよ!あの質量を物理で叩き落とすなんて、ぼく感動しちゃった!」


ぼくが身を乗り出して力説すると、アスナさんは少し照れたように、油のついた指をハンカチで拭きながら眼鏡の位置を直した。


「いえ、私はただ公務を執行しただけですよ。違法建築物が許可なく王都の空を飛ぶなど、建築基準法と航空法の重大な違反ですからね。適正な手続きに則り、強制排除を行ったまでです。それにしても、あなたは……」


「ぼくはリオン!リオン・ゴルドファング!魔導大学の学者だよ!」


「ああ、エラーラの……ゴホン。ヴェリタス氏のご友人ですね。ファルサス家の御曹司を無傷で制圧するとは、素晴らしい身のこなしでした。おかげで、事後処理の始末書が三枚ほど減りました。王都の市民に代わって、感謝を申し上げます」


アスナさんが「エラーラ」という名を出した瞬間、彼女の胸ポケットからハラリと一枚の写真が落ちた。

それは、白衣姿のエラーラが、探偵事務所でだらしなく珈琲を飲んでいる隠し撮り……いや、非常に鮮明なブロマイドだった。


「あっ!これは違います!監視対象の記録映像の一部であって、決して私が個人的な趣味で収集しているエラーラさんの尊いお姿を収めたコレクションなどでは……!」


アスナさんは顔を真っ赤にして写真を拾い集めた。ぼくはニヤニヤしながら、珈琲を啜る。


「あはは!アスナさんって面白いね!お堅いお役人かと思ってたけど、すっごく話しやすいや!」


「わ、私など大したことはしていません。この街が今日まで持ちこたえたのは、善良に日々を生きる王都の市民たちの、打たれ強さと勤勉さのおかげです。彼らのその日々の営みに対する感謝こそが、我々公務員の原動力ですから」


アスナさんは真面目な顔を取り戻し、姿勢を正した。


「ねえねえ、ぼくたちもう友達だよね!シュピーゲルとレクタを同時に倒した、最強のタッグだもん!」


「……。まあ、共に王都の危機を救った仲ですし、悪い気はしませんが。公務員としては特定の個人と癒着するのは……」


「やったー!じゃあさ、今度ぼくの一族がやってる歌劇団の公演を観に来ない?すっごく楽しい演目なんだ!」


「か、歌劇団ですか。しかし、休日は溜まった書類整理が……。それに、ナンパなら結構です……」


「えー?じゃあ、関係者席の特権で、ミスター・マジックのドーナツも食べ放題にするからさ!珈琲も最高級の豆を挽いてあげる!」


「ど、ドーナツ食べ放題……っ!?」


アスナさんの極太の尻尾が、再び床を激しく叩き始めた。その音は、彼女の強固な公務員の規律が、甘い誘惑の前にガラガラと崩れ去っていく音でもあった。


「そ、そこまで言うなら……魔導規制局の抜き打ち視察という名目で、伺うのもやぶさかではありません。あくまで、劇場の安全基準の確認のためですよ!」


「決まりだね!絶対楽しいから、期待しててよ!」


ぼくは残っていたドーナツを一口で放り込み、最高の笑顔で親指を立てた。


その夜。

貴族街の一角にある、ゴルドファング家の豪奢な自室。

ぼくは窓辺に寄りかかり、雨上がりの王都の夜景を見下ろしていた。

街を照らす魔石灯の光は、地脈のノイズが消えたおかげで、穏やかに輝いている。

遠くからは、蒸気機関車の規則正しい汽笛と、繁華街の賑やかな喧騒が微かに風に乗って聞こえてきた。


「ふふっ。完璧だね」


ぼくは夜風を胸いっぱいに吸い込み、心地よい疲労感と共に呟いた。

十年前からこの国を内側から蝕んでいた、二つの巨大な悪意。権力を握る怪物たちは、今日、この街から完全に消え去ったのだ。

この平和な王都の日常は、きっと明日も明後日も、永遠に続いていくに違いない。

ぼくは大きく背伸びをして、窓枠に置いた冷めた珈琲を一気に飲み干した。

平和な王都の夜は、どこまでも優しく、そして美しく更けていく。

だが、ぼくの知らないところで、世界の歯車は既に静かに狂い始めていた。

ゴルドファング邸の巨大な鉄扉の外。

雨上がりの水たまりに、一人の少女の影が落ちていた。

感情の読み取れない虚無の瞳で、豪奢なゴルドファングの館をじっと見上げている。

彼女はただ、そこに在るだけで、この王都の脆弱なOSに、静かなエラーコードを吐き出し続けていた。



それから一週間後。ぼく、リオン・ゴルドファングは、貴族街とスラムの境界線に降り立った。

目的地はここ、王都魔導規制局の官僚にして、先日の動乱を共に戦い抜いた戦友、アスナ・クライフォルトさんの自宅だ。


「アスナさーん! 迎えにきたよ!リオン君が参上したんだからね!」


ぼくは元気よく、建付けの悪い木製のドアを蹴破る勢いで押し開けた。しかし、ドアを開けた瞬間にぼくの鼻腔を突いたのは、アスナさんの清潔な香りではなく、「あの女」の臭いだった。


「……フム。ノックという物理的なワンクッションを省略し、最短経路で他人のプライバシーを蹂躙する。実に君らしい、非論理的で野蛮なエントリーだねぇ、リオン君」


そこに立っていたのは、煤だらけの白衣を纏い、銀色の髪を無造作に揺らした褐色肌の女性。その青い瞳は、ぼくを憐れむような知的な嘲笑を湛えている。


「……っ!エ、エラーラ・ヴェリタス!なんで、なんで君がここにいるのさ!ここはアスナさんの家でしょ!」


ぼくは腰を抜かし、床に尻餅をついた。ぼくの脳内クロックが一気に跳ね上がり、演算処理が追いつかずに視界が点滅する。あり得ない。あの借金地獄の変人学者が、なぜアスナさんの家にいるんだ。


「前提条件が間違っているよ、リオン君。ここは私の事務所だ。そしてアスナ君は現在、私の妻として、この空間を共有しているのだよ。驚くことなど何もない、ただの既定事項さ」


「つ、妻ァ!?アスナさんが、こんな、こんな朝食の代わりに数式を食べるような変人の奥さんになったっていうの!? ぼくの計算式が根底から崩壊しちゃうよ!」


「ちょっとエラーラ! 外でその呼び方はやめてくださいと何度も言っているでしょう! 私はあくまで、国家の安全を守るための監視任務としてここに潜伏しているのであって、決して、決して個人的な情愛で……!」


奥の部屋から、顔を真っ赤にしたアスナさんが飛び出してきた。細縁の黒眼鏡を指で押し上げ、極太の尻尾をバタンバタンと床に叩きつけている。


「アスナさん!嘘でしょ!エラーラと同棲してるなんて聞いてないよ! ぼくの心拍数が限界突破だよ!」


「あわわ、リオンさん!これは、その、非常に複雑な魔導的な事情と言いますか、論理的な帰結と言いますか……!」


「あら、お客様かしら。本日の紅茶は、特売で仕入れた出がらしの三煎目になりますけれど、よろしいですの?」


キッチンの奥から、金色のウェーブヘアを揺らした絶世の美少女が現れた。アリシア・ヴェリタスだ。


「えっ、誰この綺麗な人! エラーラの隠し子!?妹!?そんな、何年も会わないうちに、君はそんなに進捗を進めていたのかい!?」


「わたくしはエラーラおかあさまの娘、アリシアですわ。以後お見知りおきを」


この事務所、属性が過密すぎて処理能力が足りない! ぼくの獅子獣人としての直感が、ここは危険地帯だと告げている。


「お姉ちゃんお姉ちゃん!新しい被験者が来たの!?とりあえず脳みその回路焼き切っていい!?」


天井のダクトから、白い影が降ってきた。狂気を孕んだ赤目の少女、グリッチ・オーディナルだ。


「やめなさいグリッチ!行儀が悪いわよ!」


黒いドレススーツに身を包んだナラティブが、鋭い手つきで鉄扇を展開し、グリッチの頭を軽く叩いた。


「ナラちゃんの鉄扇……今日も角度が完璧……シャッター速度一万分の一秒でも追いきれない、あたしの魂の拠り所……」


部屋の隅、積み上げられた段ボールの影で、ルル・ヴァンクロフトがカメラを構えてボソボソと呟いている。


「エラーラ先生、昨日の実験で吹き飛んだ回路の修復、完了しました。これでもう爆発は起きないはずです。……あ、おはようございます」


工具箱を抱えた中学生くらいの少年、ゴウが奥から顔を出す。


「な、なんなんだよこの事務所! キャラクターの飽和攻撃じゃないか! まるでバグった魔導プログラムの詰め合わせだよ! ぼく、もう帰ってもいいかな!?」


「逃がさないよ、リオン君。私の家族という名のカオスを前にして背を見せるのかい? それは、私に対する絶対的な敗北宣言だねぇ」


エラーラが『真理の眼』を弄びながら、意地の悪い笑みを浮かべてぼくに歩み寄る。ぼくは立ち上がり、白衣を力強く翻した。


「ふん、言うようになったじゃないか!借金まみれの引きこもり学者が、家族ごっこで満足してるなんて笑っちゃうね!」


ぼくとエラーラは至近距離で睨み合い、空間がバチバチと放電するような熱い火花を散らした。大学時代の、あの狂気に満ちた首席争いの日々が、探偵事務所の中で再点火される。


「まあまあ。二人とも昔からの腐れ縁なんですから、そのくらいにして。せっかくのリオンさんのお誘いなんですから、みんなで行きましょうよ。歌劇なんて、規制局の事務作業で疲れた目には最高のリフレッシュです」


アスナさんが極太の尻尾を揺らして仲裁に入り、彼女の厚意によって、ぼくたちはアリシアが作ったという謎のフリットを強制的に食べさせられることになった。


「リオン君、食事の鉄則だよ。生きている者は、それが草であろうと鉄屑であろうと食わねばならぬ。それが真理だよ」


「……これ、絶対そこらへんの道端で摘んできたやつだよね!?苦い!苦いよエラーラ!」


「緑黄色野菜ですわ、お黙りなさいな。完食しなければ、観劇の許可は出しませんわよ」


アリシアの冷たい宣告に、ぼくは涙目で雑草を噛み締め、アスナ、エラーラ、そして「ゴウ君の知的好奇心を満たすため」と称してついてくることになったゴウ、さらに「ナラちゃんがいない間の事務所の空気感は嫌」という謎の理由で付いてきたルルを伴って、大劇場へと向かった。


王都の中央に鎮座する大劇場は絢爛豪華な建築物だ。外壁を飾る無数の魔石灯が、夜を黄金色に塗りつぶしている。ここはぼくの一族、ゴルドファング家が経営する、いわばぼくのホームグラウンドだ。


「さあさあ、着いたよ! ここが王都で最も『完成された』エンターテインメントの聖地だ! ぼくが用意したのは最前列の中央、役者の吐息まで聞こえるプラチナシートなんだからね!」


ぼくは胸を張り、重厚な装飾が施された正面階段を駆け上がった。背後の面々は、それぞれの反応を見せながら後に続く。


「フム。この建築様式……。ゴルドファング家は、観客の感性を刺激するために地脈の微弱な共振を利用しているのかい? 実に合理的な集客術だねぇ」


エラーラが白衣のポケットに手を突っ込み、建物の構造をデバッグするような目つきで周囲を眺める。彼女にとっては、劇場もまた巨大なプログラムの一部に過ぎないらしい。


「エラーラ先生、あそこの照明の魔力配線を見てください! 魔導変圧器で強引に同調させています」


ゴウが目を輝かせ、手帳に猛烈な勢いでメモを走らせる。ぼくはそんな彼の頭を軽く叩いた。


「ゴウ君、今日は純粋に物語を楽しむんだよ! 観測はエラーラの専売特許だけで十分なんだからさ!」


「あ、ミスター・マジックの劇場限定ドーナツが売っている。キャラメル・シナモン味、これは期間限定の……」


アスナさんの視線が、売店のショーケースに釘付けになる。彼女の極太の尻尾が、期待感でバタンバタンとロビーの絨毯を叩いた。結局、ぼくたちは両手に抱えきれないほどのポップコーンと特大チュロス、そしてアスナさんの「公務上のサンプル」という名目のドーナツを抱えて、ふかふかの特別席に沈み込んだ。


客席の明かりがゆっくりと落ちていった。

重厚なオーケストラの調べが地脈の振動と共に響き渡り、真紅の幕が左右に開く。演目は、十年前の王都を救った名もなき英雄たちの物語。シュピーゲル博士とレクタ・ファルサスの暴走に対し、一人の少女が希望の光となって立ち向かう、この街では誰もが知る歴史の再構成だ。

舞台上にスモークが立ち込め、中央のスポットライトが一点に収束する。

そこで、彼女が姿を現した。


「……ッ!?」


ぼくの隣で、アスナさんがポップコーンの箱を取り落とした。

ゴウが双眼鏡を構えたまま固まり、ルルはシャッターを切る指を止めた。

舞台中央に立っていた主演女優、ヘレナ。

銀色の長い髪、透き通るような肌、そして知性と虚無が同居するその瞳。

そこにいたのは、ぼくのすぐ隣でチュロスを口に運ぼうとしていたエラーラ・ヴェリタスと、瓜二つの容貌を持った少女だった。

舞台上のヘレナは、悲劇のヒロインとしての台詞を吐き出す。

観劇中、ぼくたちの間に会話は一切なかった。

幕が下り、割れんばかりの喝采が劇場を包む中、ぼくたちは逃げるように劇場を後にした。

華やかな余韻などどこにもない。そこにあるのは、論理では解決できない巨大な違和感だけだった。

王都の街角を通り、ヴェリタス探偵事務所へと戻る帰路。

霧雨はいつの間にか本格的な雨に変わり、石畳を冷たく濡らしていた。

ふと、振り返る。

大劇場の関係者入り口の、街灯も届かない暗い路地の奥。

そこに、舞台衣装のままのヘレナが立っていた。

彼女は、ぼくたちの姿を……いや、正確には「ぼく」の背中を、一瞬だけ、鋭く射抜くような瞳で睨みつけた。

そこには舞台で見せた悲劇のヒロインの面影はなく、ただ、冷徹な敵意が宿っていた。

ぼくが息を呑み、声を上げようとしたその瞬間、彼女の姿は雨の向こう側に掻き消えた。

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