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ヴェリタスの最終定理 PART4/飛竜の覚醒   作者: ♡Wan Liyue♡
●第14章:悪の根絶

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定理5:最強のラスボスを倒したい!(5)

十年前。

新暦九十八年。王立大議事堂。

その厳かな円卓の中央に、シュピーゲル博士が立っていた。

彼は王都における「博愛の代名詞」である。彼が心血を注いで導入を勝ち取った『国民皆保険制度』は、富と魔力の再分配という、歴史上最も左翼的な友愛政策であった。

彼の瞳は、常に弱者への慈愛と、論理的な一貫性に裏打ちされた信念を湛えている。


「諸君、我々が直視すべきは財産ではない。今日、魔力医療を受けられずに暖を失った一人の子供の尊厳である!」


シュピーゲルの声は、知的な深みを伴って議場に染み渡った。彼は、他者への無関心がいかに国家という名のシステムを内側から腐敗させるかを説く。

続いて、難民の受け入れ。

更に、奴隷獣人の権利拡大。

彼の語る「平和」は、あまりにも純粋で、あまりにも美しかった。

聴衆は、この聖者のような男が導く未来こそが、王都の停滞を打ち破る唯一の解であると信じて疑わなかった。


だが、その熱狂の最前列で、一人の少年が静かに冷笑を浮かべていた。

レクタ・ファルサス、十二歳。

大臣家系の御曹司であり、王都随一の富豪の血筋。彼はシュピーゲルの「友」として活動を共にしながらも、その弁舌の鋭さは、時に博士本人をも凌駕した。小柄な体に仕立ての良いスーツを纏ったその少年は、王都で最も早熟な「理論の猛禽」であった。


議会が閉会した後、二人はシュピーゲルの書斎で向き合っていた。


「シュピーゲル博士、あなたの博愛は確かに美しい。だが……僕たちが今必要なのは、優しさではなく、牙だ。圧倒的な軍事力による庇護こそが、あなたの愛する国民を守る唯一の手段ではないのか?」


レクタは、珈琲の香りが漂う中で淡々と告げた。彼が提唱するのは、徹底的な軍事強化による「武装した平和」である。その主張は極めて国粋主義的であり、シュピーゲルの売国的な博愛主義とは、磁石の両極のように反発し合っていた。


「レクタ君、軍事という名の暴力的なパッチを当てれば、一時的に処理速度は上がるだろう。だがね、私はこう考える。平和とは、対話による調停によってのみ維持されるべきだ、と」


シュピーゲルは、悲しげに首を振った。彼は本気で平和を希求していた。彼は、難民受け入れや獣人支援は、国家の多様性を高める「正しいアップデート」であると信じていた。一方のレクタもまた、国民の生命財産を守るための盾が必要であるという一点において、揺るぎない愛国心を燃やしていた。

二人の友情は、この「相容れない正義」の衝突の上に成り立っていた。

レクタが軍拡の必要性を叫ぶほど、シュピーゲルの平和主義はその対比として輝きを増し、逆にシュピーゲルが博愛を説くほど、それを現実的な脅威から守るためのレクタの論理が切実さを帯びる。


「博士は甘すぎる。でも、その甘さがこの国には必要なのも理解している。だからこそ……僕はあなたの盾になろう」


明くる日。

王立大議事堂、通称「円環の審判所」では、この都市が抱える致命的なリソース不足を巡り、二人の天才による知的な火花が散っていた。


「シュピーゲル博士。あなたの唱える『分配政策』は、閉鎖された系の中では確かに美しい。しかし、我々がいかに分配を最適化しようとも、分配すべき資源そのものが摩耗し、消失している現実から、目を逸らすべきではない」


レクタの前には、最新の魔導演算機が算出した、王都のエネルギー枯渇予測グラフがホログラムとして浮かび上がっている。


「レクタ君。君の言う理屈は、確かに事実だ。だが、社会という名のOSは、『量』だけで駆動しているわけではない。信頼、互助、そして博愛。これらが機能して初めて、ハードウェアとしての国家は安定を維持できる。君が提唱する軍事強化という名の『強制力』は、他者への不信という致命的なウイルスをシステム全体に蔓延させ、結果として内側からの自己崩壊を招くことになるだろう」


シュピーゲル博士は、眼鏡を押し上げ、柔和ながらも断固とした口調で応酬した。彼の背後には、彼が命を懸けて構築した国民皆保険制度の恩恵を受ける数百万の市民の期待が、目に見えない重力となって控えている。


議会が散会し、冷たい雨が石畳を濡らし始めた頃、二人は大議事堂の裏手の図書室にいた。そこは古い羊皮紙の香りと、地脈の影響を受けない特殊なガス灯の明かりが支配する、沈黙の聖域である。


「……疲れたね。博士。あなたの理想を論破するのは、重力に逆らって岩を押し上げるような苦痛だ」


レクタは、仕立ての良いジャケットを脱ぎ捨て、革張りのソファに深く身を沈めた。その姿は、政治の荒波に揉まれる闘士ではなく、ただの疲れ果てた少年のようであった。


「それは私の方だよ、レクタ君。君の冷徹な正しさを否定するために、私は毎日、自分の心にある『疑念』という名のバグを削除し続けなければならない。我々は、どちらも正しい。そして、どちらも袋小路にいる」


シュピーゲルは珈琲を淹れた。ヴェニゾーラ産の豆の香りが室内に満ちる。二人は政治的な仮面を脱ぎ、一人の「人間」として向き合っていた。


「地脈のラグは、もう、隠しきれないレベルに達している。昨日、中央病院の魔導生命維持装置が数秒間停止した。博士、あなたの保険制度がどれほど優れていても、肝心の魔力が供給されなければ、それはただの死の拘束具になる」


レクタがカップを口に運び、珈琲を啜る。その瞳には、迫り来る「終末」への、痛切なまでの恐怖が宿っていた。


その時だった。

図書室の重い扉が、音もなく開いた。

入ってきたのは、一人の褐色肌の少女だった。年の頃は八歳ほど。粗末な、しかし清潔な白いマントを纏った彼女は、シュピーゲルに保護されている身であった。


「……博士。まだ、お仕事、終わらないの?」


少女の声は小さく、風に消えてしまいそうだった。シュピーゲルは瞬時に柔和な「父」の顔になり、彼女を膝に招き寄せた。


「ああ、ごめんよ。もうすぐ終わる。レクタ君と、少しだけ難しい話をしていたんだ」


レクタもまた、少女に向けて微かな笑みを浮かべた。彼は以前からこの少女を知っている。

彼女の沈黙は、王都の知性が解決できないでいる「世界の不条理」を無言で告発しているようだった。


「レクタさん。……また、怖い顔してる。戦争の、お話し?」


少女の無垢な問いかけが、レクタの胸を刺した。彼は自嘲気味に口角を上げた。


「……いや、違うよ。どうすれば、枯渇しかけた魔力を取り戻して『前へ進められる』か、それを考えていたんだ。でも、僕のやり方は、君を怖がらせてしまうかもしれない」


「私は、博士がいれば、怖くない。博士は、みんなを助けるって、言ってたから」


少女はシュピーゲルの胸に顔を埋めた。シュピーゲルはその小さな頭を愛おしそうに撫でながら、レクタの瞳をじっと見つめた。

沈黙が、書斎を支配した。

テーブルの上の珈琲は底をついていた。


「……明日、国王に『謁見』しよう。レクタ君。新しい『国家戦略』を提示するために」


「ええ。博士。『正義』を、僕たちで証明しましょう」


「……レクタ君。この子を、君に『任せる』よ」


シュピーゲルの声は、氷のように冷徹でありながら、どこか祈るような響きを帯びていた。彼は少女の細い肩をそっと押し、レクタの方へと促した。少女は何も言わず、ただ虚無を湛えた瞳で床を見つめている。


「……わかりました。明日、僕はあなたを殺します。論理の上で、そして国民の感情の上で」


「期待しているよ、友よ」


翌日。王立大議事堂の前庭は、かつてないほどの群衆と、魔導通信各社のスレート端末で埋め尽くされていた。国王が臨席するこの重大な会見において、壇上に立ったのは、王都の至宝と謳われる少年、レクタ・ファルサスであった。

レクタの隣には、あの日と同じ、褐色肌の少女が立っていた。彼女の瞳からは涙が溢れ、その小さな肩は絶望に打ち震えているように見えた。


「……国民の皆さん。そして、陛下。僕は今日、政治を語りに来たのではありません。一人の、守られなかった命の叫びを届けに来たのです」


レクタの声は、魔導拡声器を通じて王都中に響き渡った。彼の言葉は、若さゆえの純粋さと、選民としての高潔さが入り混じった、抗いがたい熱を帯びていた。


「『僕』が保護したこの少女は、南方のヴェニゾーラで、家族を失いました。いえ……『失った』などという生温い言葉では足りない。彼女の目の前で、残忍な敵兵たちは、彼女の父親の喉を切り裂き、母親をゴミのように扱ったのです。彼らは笑っていました。マナという名の資源を独占し、それを守るためなら、無抵抗の民を『デリート』しても構わないと、そう嘯きながら!」


少女が、堰を切ったように泣き崩れた。その痛ましい姿に、群衆の中から啜り泣きが漏れ、次第にそれはヴェニゾーラへの激しい怒りへと変質していった。


「……そして、僕にはどうしても許せない人間がいます」


レクタは、最前列で静かに座っていたシュピーゲル博士を、震える指で指し示した。その瞳には、本物の怒りによく似た、研ぎ澄まされた憎悪が宿っていた。


「シュピーゲル博士! あなたの言う『博愛』とは何ですか! あなたの言う……あなたの『平和』とは、このように無垢な子供が切り裂かれるのを、安全な王都から眺めていることなのですか!あなたは!……あなたが力を否定し、軍拡を拒み続けたから、彼女は家族を殺されたんだ!あなたのような無能な理想主義者がいるから、この世界から悲劇がなくならないんだ!」


レクタは涙を流しながら叫んだ。それは、弱腰な政府と平和主義者たちに向けられた、国民の鬱屈した感情を代弁する一撃であった。

非難を一身に浴びたシュピーゲルは、ゆっくりと立ち上がった。

その瞬間、彼は不敵な、あまりにも悪役然とした笑みを浮かべたのである。


「ハーッハッハッハ!レクタ君!本性を顕にしたか!暴力でしか平和を定義できない君のその幼さこそ、王都の恥だと思わないかね!君はいま、『暴力』の必要生を説いたが、その娘の家族を殺したのは、ヴェニゾーラの『暴力』だろう!」


シュピーゲルのその態度は、激昂する民衆の火に油を注いだ。

議場は罵声の嵐となり、シュピーゲルという名の「平和の象徴」は、瞬く間に「民衆の敵」へと転落していった。

だが、シュピーゲルのその不敵な笑みの裏側を、レクタだけは理解していた。

それは、事前の打ち合わせ通り。

レクタを「正義の騎士」に、自分を「卑怯な偽善者」に仕立て上げるための、完璧な演技であった。

博士は自らの名誉を焼き払うことで、王都に「戦争」を強制させたのである。


数日後。王都は、ヴェニゾーラに対する宣戦を布告した。

名目は「ヴェニゾーラの民の解放」であり、そして「非道な独裁からの救済」であった。国王も、メディアも、そして何より国民の全員が、これが正義のための聖戦であると信じて疑わなかった。シュピーゲルの平和主義は敗北し、若きレクタの掲げる武力による救済が、唯一の正解として承認されたのだ。

空を埋め尽くす王都の魔導艦隊。

その進軍の目的が、ヴェニゾーラの地下に眠る「魔導油田」の完全制圧であることを、熱狂する国民の中で見抜いている者は誰もいなかった。

レクタは、進軍する艦隊の旗艦から、遥か南の砂漠を見つめていた。


「……博士。見ていますか。世界は、あなたの望んだ通り、僕たちを『正義』と呼び始めましたよ」

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