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最強魔導師エラーラの、論理的(バグだらけ)な世界征服  作者: 自殺


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6/10

定理3:お姉ちゃんに会いたい!(後編)

ヴェリタス探偵事務所の照明が復旧し、エアコンが涼やかな風を吐き出した、その直後のことだ。

私がコーヒーメーカーのスイッチを入れた瞬間、空間が悲鳴を上げた。


「……おや? 電圧が不安定だね。アリシア君、ブレーカーを……」


言いかけた私の言葉は、轟音にかき消された。

リビングの中央、お気に入りのペルシャ絨毯の上に、どす黒い「穴」が開く。

そこから溢れ出してきたのは、ただの泥ではない。光を吸い込み、視界に入るだけで脳が拒絶反応を起こすような、絶対的な「虚無」の泥。


『……警告。致命的エラー検出。座標、ヴェリタス探偵事務所』


無機質な機械音声が、脳内に直接響く。

ナラティブが弾かれたように起き上がり、鉄扇を構えた。



「な、何ですのこれ!? 気持ち悪いですわ!」


「下がるんだナラ! それは魔獣じゃない! 『世界修復プログラム』だ!」


私は戦慄した。

それは、世界のバグを自動的に検知し、削除するために現れる、この宇宙の自浄作用そのものだ。

物理攻撃も魔法も通用しない。触れれば、存在ごと「なかったこと」にされる。

先ほど、グリッチが停電を復旧させるために行った「世界への直接干渉」が、あまりにも大規模すぎたため、システムの監視網に引っかかったのだ。


『対象、個体名グリッチ・オーディナル。存在強度が規定値を逸脱。削除シマス』


黒い泥が鎌首をもたげ、グリッチを凝視した。

その泥は、絶望の具現化だ。


「いけません! グリッチさん、逃げて!」


アリシアが叫ぶ。だが、グリッチは動かない。

白い髪を揺らし、赤い瞳でその泥を見つめ、ゆらりと口角を上げた。

彼女の顔にあるのは恐怖ではない。

「あ、ご飯が来た」とでも言うような、無邪気で残酷な歓喜だ。


「……久しぶりだね。また私を殺しに来たの?」


『削除開始』


泥が弾けた。

無数の黒い触手が、槍のようにグリッチへと殺到する。

ナラティブが動いた。彼女は反射的に、グリッチを庇おうと前に出る。


「させませんわッ!」


ナラティブの鉄扇が、触手を薙ぎ払う――はずだった。

だが、鉄扇は泥をすり抜け、空を切った。

物理干渉無効。

ナラティブの武すらも、この世界の理の前では無力な「部外者」でしかない。


「うそ……!? 当たらない!?」


ナラティブが体勢を崩す。

その隙を突き、触手がグリッチの心臓めがけて突き刺さる。


ドスッ!


鈍い音が響き、触手がグリッチの小柄な体を貫通した。

ナラティブが悲鳴を上げる。私も息を呑んだ。

終わった。存在消去だ。あの子が、また――。


「……ねえ」


静かな、しかしひどく底冷えする声が響いた。

貫かれたはずのグリッチが、胸に突き刺さった触手を、素手で掴んでいた。

血は出ていない。

代わりに、傷口からは赤と白のノイズが、火花のように激しく散っている。


「……私のデータ、美味しい?」


グリッチが笑った。

彼女は、胸の触手を引き抜くのではなく、逆に自分の体内へとズルズルと引きずり込み始めた。


『エラー。エラー。対象ノ消去不能。データ逆流』


泥の怪物が、初めて動揺したように震えた。

グリッチの体から、猛烈な真紅の光が溢れ出す。

それは、かつて彼女が「死」の淵から這い上がってきた際に手に入れた、システムすら喰らい尽くすバグの輝きだ。


「昔は痛かったなぁ。怖かったなぁ。……何もできないまま、ゴミみたいに消されちゃった」


グリッチが一歩、前に出る。

黒い泥が、後ずさるように収縮する。

「世界」というシステムが、「グリッチ」という個体に恐怖しているのだ。

彼女はもう、守られるだけの少女ではない。

地獄を燃料に変えて帰還した、最強の捕食者だ。


「でもね、学習したの。消されたくないなら、消す側になればいいって」


グリッチの右手が、獣の爪のように変形した。

実体を持たないはずの「修正プログラム」を、彼女はその爪でガシッと鷲掴みにした。


「捕まえた」


『停止。停止。システム保護モードヘ移行――』


「遅いよ」


グリッチは、大きく口を開けた。

そして、あろうことか、その黒い泥の塊を、頭から齧り付いた。


ガブッ!!


『ピギャアアアアアアアアアア!!』


この世のものとは思えない断末魔が響く。

グリッチは、咀嚼した。

世界の理を。自らを殺そうとした運命を。

バリバリと音を立てて喰らい尽くしていく。


「んー! まずい! 味がしない! 0と1の羅列だね!」


彼女はケラケラと笑いながら、残りの泥を雑巾のように絞り上げ、そして握りつぶした。


パァンッ!!


黒い泥は、白い粒子となって弾け飛び、霧散した。

完全消滅。

かつて彼女を殺した絶対的な死神は、いまや彼女の空腹を満たすことさえできない、ただのジャンクデータとして消化された。


「……ごちそうさまでした!」


グリッチが手を合わせる。

部屋には、再び静寂が戻った。

ナラティブは腰を抜かし、私は開いた口が塞がらない。

これが……グリッチ・オーディナル。

狂気の人。

彼女は、魔法を使っているのでも、戦っているのですらない。

ただ、「自分の邪魔をするもの」を、世界のルールごと書き換えて排除しただけなのだ。

最強の矛とは、武器のことではない。彼女という存在そのものの定義だ。


「お、お母様……。あの子、今、世界を食べましたわ……」


「……フム。論理的に考えて、彼女の胃袋は事象の地平線と直結しているようだねぇ」


グリッチが、満面の笑みで私に振り返る。


「お姉ちゃん!掃除終わったよ!褒めて褒めて!」


彼女は無邪気に抱きついてくる。

その体は、さっきまでの冷たさが嘘のように温かく、そして圧倒的な「質量」に満ちていた。

もう二度と、彼女が消えることはないだろう。

世界そのものが、彼女に降伏したのだから。


「……ああ、凄いよグリッチ。君は、とんでもない助手だ」


私は、震える手で彼女の白髪を撫でた。

その時だった。


「……あらあら。少々、騒がしすぎましてよ?」


キッチンのドアが開き、エプロン姿のアリシアが出てきた。

彼女の手には、お盆に乗った冷たい麦茶がある。

彼女は、惨状を見渡した。

裂けた空間の余波でひっくり返った家具。絨毯に飛び散った白い粒子。そして、へたり込む私たち。

アリシアの笑顔が、スッと消えた。


「……グリッチさん?」


静かな声。

グリッチの体が、ビクリと跳ねた。

さっきまで世界の理を捕食していた怪物が、借りてきた猫のように縮こまる。


「そこのペルシャ絨毯。……先週クリーニングに出したばかりですわよね?」


アリシアが指差したのは、グリッチが泥を握りつぶした際に飛び散った、黒いシミだ。


「あ……えっと……これは、その……世界の敵を倒した名残で……」


グリッチがしどろもどろに言い訳をする。赤い瞳が泳いでいる。

アリシアは、優雅に麦茶をテーブルに置くと、ニッコリと微笑んだ。

その背後に、先ほどの泥の怪物よりも巨大で、禍々しいオーラが立ち昇る。


「世界の敵だろうが、神だろうが、関係ありませんわ。わたくしの管理する家を汚した者は、すべからく『お掃除当番』です」


「ひぃッ!?」


「雑巾掛け100往復。その後、壊れた家具の修繕。……終わるまで、おやつ抜きですわよ?」


アリシアの宣告。

それは、いかなるシステム介入も、バグ利用も通用しない、絶対的な「家庭の掟」だった。


「ご、ごめんなさいアリシアお姉ちゃん! すぐやります! 消さないで! おやつ消さないでぇぇ!」


グリッチは半泣きになりながら、超高速で雑巾掛けを始めた。

世界のルールを書き換える力を持ってしても、アリシアの「おやつ抜き」という決定だけは覆せないのだ。

私は、その光景を呆然と眺めていた。

世界のシステムさえ捕食する最強のバグを、笑顔一つで従える最強の管理者。

このパワーバランスこそが、ヴェリタス家の平和を保っている真理なのかもしれない。

夕暮れ時。

ピカピカになった床の上で、疲れ果てたグリッチが私の膝で丸くなっていた。


「……ねえ、お姉ちゃん」


「ん? どうしたんだい」


私は、隠し持っていたドーナツの欠片を、こっそりと彼女の口に入れてやった。

グリッチはそれをモグモグと食べながら、小さな声で呟いた。


「やっぱり、アリシアお姉ちゃんには勝てないや」


「おや。世界を食い散らかした君が、何を弱気な」


「だってさ……」


グリッチは、キッチンで夕食の支度をするアリシアの背中を見つめた。


「あの泥のオバケは、私を『異物』として消そうとしたけど……。アリシアお姉ちゃんは、私を『家族』として叱ってくれるんだもん」


彼女は、少し照れくさそうに笑った。


「システムは壊せても、愛は壊せないよ。……どんな怪物も、お母さんの前じゃ子供になっちゃうんだ」


グリッチは確信を持って言った。


「だから、アリシアお姉ちゃんが、本当の最強なんだよ」


私はハッとした。

狂気の人である彼女が導き出した、あまりにも人間的で、温かい真理。

そうか。彼女が求めていたのは、「強さ」の証明ではない。「存在を許される場所」だったのだ。

世界からはじき出されたバグである彼女を、当たり前のように叱り、こき使い、そして飯を食わせる。

その「強引な日常」こそが、彼女にとっての最強の救済であり、誰も勝てない最強の力なのだ。


「……フム。その通りだね」


私は、彼女の白い髪を撫でた。

その指には、かつて地獄の底から持ち帰ったはずの銀の指輪が、見えない光を放っているような気がした。


「さあ、ご飯だ。今日はアリシア君特製のハンバーグだよ」


「わーい! 毒見係は任せて!」


グリッチが跳ね起きる。

その笑顔には、もう過去の影はない。

あるのは、騒がしくて愛おしい、現在だけだ。

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