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ヴェリタスの最終定理 PART4/飛竜の覚醒   作者: ♡Wan Liyue♡
●第13章:世界を駆ける者

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定理3:世界を駆ける者(3)

どれほどの時間が経ったのだろうか。

僕の意識は、誰かに激しく肩を揺さぶられる乱暴な感覚と共に、泥沼の底から強制的に浮上させられた。

凍てつく冷気が肺を刺す。

薄く目を開けると、吐く息を白く染めながら大袈裟に手を振る警官の顔が視界に飛び込んできた。


「う、あ……」


喉から漏れた声はひどく掠れていた。


「こんなところで寝ていたら凍え死んでしまうぞ!」


警官は僕の顔を覗き込み、安堵と焦燥の入り混じった声を上げる。


「ここは……」


「北の森の入り口だ。君、名前は? ここがどこか分かるか?」


警官の矢継ぎ早の質問に、僕は首を横に振るしかなかった。

自分が誰なのかすら分からない恐怖よりも先に、奇妙な静けさが僕を支配していた。

僕は無意識のうちに震える手で自分のポケットを探り、そこに押し込まれていた二枚の古びた羊皮紙を見つけた。

身を乗り出す警官の視線を躱すように、僕は一枚目のメモをこっそりと指先で開き、そこに書かれた文字列を網膜に焼き付けた。そして、二枚目のメモを警官に向けてゆっくりと差し出した。


「文字が、書いてあります」


「……なんだこれは。……古代文字じゃないか」


訝しげに眉をひそめる警官に対し、僕は無機質な、感情のない平坦な声で滑らかに読み上げ始めた。


「命の瞬きは、魔導の残滓であり……」


僕の口から紡がれる音の響きに、警官の動きがピタリと止まる。


「我らの魂は、終わらない演算の円卓に過ぎない……」


「な、なんだと!?」


「ならばこの絶望の輪廻を止めるのは、竜の祈りか……」


「……信じられん!古代魔導語を解読できるのか!君、いったい何者なんだ!」


僕の異様な知性と、それに相反する記憶喪失という極端な状況。

それに直面した警官は、僕をただの迷子として処理して後から責任を問われることを恐れたのだろう。

彼は僕の手を引いて、大慌てで王都警察署へと連行した。

警察署の奥深く、埃っぽい書類が山積みになった部屋で待ち受けていたのは、カレル・オータムと呼ばれる恰幅の良い警部だった。


「この少年が古代文字の暗号を解いたと!?」


「はい、カレル警部!一瞥しただけでスラスラと!」


報告を受けたカレル警部は、獲物を見つけた猟犬のように目を血走らせて興奮し、僕の両肩をガシッと力強く掴んだ。


「……君のその頭脳を正しく評価できるのは……この王都にただ一人しかおらん!」


カレル警部は僕の返事を待つこともなく僕の腕を引っ張り、猛烈な勢いで警察署を飛び出した。

カレル警部の大きな背中に隠れるようにして、僕は王都の外れにある古びた獣病院へと連れてこられた。周囲には魔導の光も届かない、ひっそりとした建物だ。

カレル警部が、ドアを壊さんばかりの荒々しい勢いでノックする。


「誰かおるか!」


軋む音を立てて扉が開き、中から現れたのはアリア・クライフォルトという女性だった。

彼女の顔には、消し去ることのできない深い悲しみの痕跡が刻まれているように見えた。


「カレル警部?どうしたんですか。また大きな声を出して……」


奥から、ケンジ・クライフォルトという男性も心配そうに顔を出した。


「動物たちが驚きますよ。もう、少し静かにしてください」


「すまん! だが緊急事態なのだ!」


カレル警部が身を乗り出し、飛沫を飛ばさんばかりの勢いで叫ぶ。


「エラーラ君はおるか!」


「ええ、二階の部屋にいますけど……」


「通してもらうぞ!」


僕たちは獣病院の二階へと続く、軋む階段を駆け上がった。

二階の突き当たりのドアの前に立つと、カレル警部は息を大きく吸い込み、乱暴にそのドアをノックした。


「エラーラ君!おるかね!」


返事を待たずに、カレル警部は部屋に飛び込んだ。

僕も彼の影に隠れるようにして、おずおずと足を踏み入れた。

部屋の中は、床が見えないほどの膨大な書物と、用途の分からない奇妙な魔導器具で埋め尽されていた。そして、その混沌の中央に置かれた豪奢なアンティークの椅子に、一人の女性が気怠そうに深く腰掛けていた。

彼女こそがエラーラ・ヴェリタス。大賢者と呼ばれる女だ。

艶やかな長い黒髪を背中に流し、華奢で美しい指先で分厚い魔導書をパラパラと捲っている。


「君のノックの仕方は相変わらず性急で、ひどく非合理的だねえ。……それで、今日はまたどのような退屈極まりない謎を持ってきたのかな?」


彼女は長い脚を優雅に組み替え、心底つまらなそうに甘いため息をついた。


「いや、今日は事件ではないんだ。……実は、身寄りのない少年を一人、警察で保護しておってな」


エラーラの視線が、初めて僕を捉えた。


「ほう……?」


「北の森の奥深くで、気を失って倒れておるところを我々のパトロール隊が偶然発見したんだ。だが、彼は一切の記憶を失っておってな。ただ、問題はそこではない」


「……もったいぶらないでくれたまえ。私の時間は有限なのだよ」


エラーラは不快そうに眉をひそめ、細い指でペンの軸をくるくると回し始めた。


「彼の知性が、明らかに常軌を逸しておるのだよ。俺の部下が押収品の中から見つけた、長年未解読とされてきた古代魔導語の暗号文を、彼は一瞥しただけで、まるで絵本でも読むかのようにスラスラと解いてしまったんだ」


その瞬間、エラーラは弾かれたように立ち上がった。

彼女は僕の目の前まで、一気に距離を詰めてきた。

珈琲と、古いインクの匂いが混ざった濃厚な香りが僕の鼻腔をくすぐる。

彼女の瞳の奥には異常なまでの知的好奇心と、新しい極上の玩具を見つけた子供のような興奮が渦を巻いていた。


「君……」


エラーラの細い指先が、僕の顎にそっと触れた。


「名は、なんというのかね?」


その問いこそが、鍵だった。

僕の頭の中で、一枚目のメモに記されていたあの言葉が激しくスパークする。

これは、単なる会話の返答ではない。

僕という存在の深淵に掛けられた巨大な錠前を開くための、絶対的な解除コードだ。

名前は、どうしようか。

強者(Tiger)の再起動(Resume)に相応しい名前。

僕は、わずかに伏し目がちに、しかし、誰の耳にもはっきりと届く声で、答えた。


「タイガ・アリゾメ。……それしか、『思い出せません』」


その言葉が僕の唇からこぼれ落ちた瞬間、僕の脳髄を厚く覆っていた分厚い氷の壁が、凄まじい轟音と共に粉々に砕け散った。


──僕は今、『思い出した』。


大賢者エラーラ・ヴェリタスの部屋で、記憶を失った無垢な少年「タイガ」としての僕の生活が始まってから、早くも数週間の月日が流れていた。

分厚い魔導書と旧式の魔導器具の狭間で、タイガとエラーラの間には確固たる「信頼」という名の、ひどく滑稽な絆が生まれていた。

つまり、エラーラは、度し難い愚か者であった。


彼女は、古代魔導言語を瞬時に解読し、彼女の思考の先回りをして難解な資料のページを開いて差し出す僕を、「私の脳の完璧な拡張領域」などと呼んで無防備に寵愛した。

彼女は僕という存在を完全に信頼しきっていたのだ。


そんなある日の午後、獣病院の二階に郵便配達員が重々しい小包を届けてきた。

差出人の名前はない。

エラーラは訝しげな表情で分厚い包装紙を引き裂いた。中から出てきたのは、装丁すらされていない不気味な黒い革の表紙の書物と、古代文字がびっしりと書き込まれた書類の束だった。

僕はエラーラの背後から、その書物と書類を一瞥した。

表紙には何も書かれていない。

書物の表題には「最適化」「エラーラ・ヴェリタス 著」とだけ記されていた。

僕には、それが何の本であり、どのような意味を持つ書類なのか、全く分からなかった。

だが、その黒い革の表紙を見た瞬間だった。僕の脳の奥底で、言葉にならない本能が、絶対的な命令を下した。


「自分の目的は全生命体の抹殺であり、次にすべきことは、エラーラ・ヴェリタスの殺害」


なぜそう思ったのかは分からない。

だが、それが宇宙の真理であるかのように、僕の魂は確信していた。

おそらく、この黒い本は、僕にとっての「最終定理」であり、この書類は、何らかの「最終理論」だ。

すべては、記憶を消す直前の僕が、このタイミングでエラーラの元へ届くように仕組んでいた時限式の配達物だったのだろう。


僕は背後に立ち尽くしたまま、恐るべき真実に気がつき、全身の産毛が逆立つほどの興奮を覚えた。

自分が仕掛けた配達物が届き、それを目にしたことで僕の記憶の一部が蘇った。


ということは。


僕の記憶は、段階的にロックを解除される構造になっているのではないか。

もし、この本が届いたことで記憶が戻ったのだとすれば、僕が「次の行動」を起こしたとき、すなわち大賢者エラーラを殺害したその瞬間、僕の脳内には、さらなる高次元の新たな記憶や、この世界の隠された絶対的な真理が戻ってくる可能性があるのだ。


僕は、大虐殺の計画を確実なものにするため、もう一つの壮大で美しい保険をかけることにした。

僕が万が一、この計画の途中で何らかの不測の事態によって命を落としたとしても、世界が確実に破滅の淵へと向かうための「自動実行プログラム」だ。

僕は王都の地下に張り巡らされた魔導通信網をハッキングした。

そして、王都全域の精神波長をスキャンし、最も「愛」の感情が深く、最も純粋な自己犠牲の精神を持つ一人のエルフの少女を見つけ出した。

僕は、その最も愛が深い少女の魂へ向けて、遠隔で時限式強制魔法の呪いを打ち込んだ。

それは、確実な殺人鬼をこの世に産み落とすための愛のプログラミングだ。

まず、彼女が最も信頼するすべての友人たちが、惨めに惨たらしく事故死するように乱数を調整した。

次に、彼女に無償の愛を注いでいる親が、突如として理由もなく知性を失い、彼女を疎み、汚物のように路地裏へ投げ捨てるように認識阻害の呪式を組み込んだ。

世界中のすべてから拒絶され、石を投げられ、それでもなお愚かにも愛を信じようとする彼女は、呪いの導きによって最後には必ず、この王都で最も論理的で正しい存在である「学」の大賢者、エラーラの元へと縋り付くように誘導されている。

だが、エラーラは論理の怪物だ。愛で訴えかける少女の悲痛な叫びを、エラーラは極めて正しく、論理的に、そして無慈悲に切り捨て、冷酷に裏切るだろう。

その大賢者の絶対的な裏切りこそが、最後の引き金となる。最も愛が深い少女が、この世のすべての愛に絶望し、論理という名の刃で魂を切り刻まれた時、彼女──聖アフェランドラ学園首席のエルフの少女、アリシア・ガバナンス──の愛は完全に反転し、愛で世界を破滅させる最強の殺人鬼へと羽化するのだ。


その呪いのセットを終えた夕暮れ時、僕はエラーラに頼まれた雑用をこなすため、軋む階段を降りて獣病院の一階へと向かった。

待合室では、元騎士団長のアリアと獣医のケンジが、誰もいない診察台の傍らでひどく暗い顔をして話し込んでいた。


「ケンジ……私、やっぱり諦めきれないわ。どうしても、あなたとの子供が欲しいの。私たちの愛の証が欲しいのよ」


アリアの震える声が、消毒液の匂いが漂う部屋に悲しく響く。


「アリア、無理を言ってはいけない。魂は、あの日……完全に封印されてしまったんだ。これ以上の治療法は、この王都のどこを探しても見つからないんだよ」


ケンジが妻の細い肩を抱き寄せ、苦渋に満ちた声で慰める。

僕は完璧なタイミングで悲しげな表情を作り、二人の前に歩み出た。


「あ……。アリアさん、ケンジさん。……ごめんなさい。いや、立ち聞きするつもりはなかったんですが」


僕が声をかけると、二人は弾かれたように顔を上げ、慌てて目尻の涙を拭った。ケンジが僕のために淹れてくれた、香ばしい匂いを立てる温かいコーヒーのカップが、テーブルの上に置かれていた。

僕はそのカップを両手で大切そうに包み込み、ゆっくりと息を吐き出してから、天使のような無垢で澄み切った声で紡いだ。


「子供がいなくても、お二人はこんなに、優しいじゃないですか。……傷ついた動物たちを助けて、記憶のない僕や、気難しいエラーラさんのことも、温かく迎え入れてくれている。特別な奇跡なんて起こらなくても……毎日一緒にご飯を食べて、笑い合える。……そういう、目の前にある『普通』の幸せが大切だと、僕は、思うんです……」


その僕の言葉を聞いた瞬間、二人の瞳から大粒の涙が堰を切ったように溢れ出した。


「タイガ君……ありがとう。本当に、ありがとう。記憶を失って一番辛いはずのあなたに、慰められるなんて……」


アリアが僕の身体を力強く抱きしめ、ケンジもまた、目頭を押さえて僕に深く頭を下げた。


「君の言う通りだ。普通に生きられることの尊さを、君が教えてくれた。タイガ君、君は本当に、私たちの希望の光だよ」


「フム……。タイガは本当に賢く、慈愛に満ちた少年だねえ」


ふと見上げると、階段の踊り場で腕を組んでいたエラーラが、満足げな笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。彼女もまた、僕の吐いた偽善の言葉に深く感心しているのだ。


希望の光だと?


普通の幸せだと?


……救いようのない馬鹿どもめ!


僕は、この三人の度し難いほどの愚かさに、心の底から呆れ果てていた。いま、僕がかけた言葉の真意は、たった一つしかない。


「お前たちには、もう、明日はない」……ということだ。


どれほど平穏を望もうとも、僕がその気になった時、すべては等しく、無価値なチリ芥となる。お前たちの「普通」など、明日には僕の手で完膚なきまでにへし折って、血の海に沈めてやる。


『エラーラ。ソシテ、クライフォルト。アスナド、ナイノダヨ。オマエタチニハ……』


僕は無邪気に微笑み返し、手にしたコーヒーを一気に飲み干した。

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