定理43:人のプライドを守りたい!(前編)
●リメイク元
「エラーラ・ヴェリタス」短編集1 怪奇篇 第6話:上着を脱がない女!
「エラーラ・ヴェリタス」短編集1 怪奇篇 第10話:無敗の男!
「エラーラ・ヴェリタス」短編集1 怪奇篇 第16話:無限の手紙!
「エラーラ・ヴェリタス」短編集1 怪奇篇 第21話:破裂する山!
「エラーラ・ヴェリタス」警備部警護課出動す
「エラーラ・ヴェリタス」復讐の弾丸
「ナラティブ・ヴェリタス」歴史を書き直すもの
「権力という名の矛は、真実という盾の前では、錆びついた鉄屑に等しい」
王都の片隅、蒸気と煤煙の匂いが漂う旧市街に古びた看板を掲げる『ヴェリタス探偵事務所』。
ここ数日、この事務所は奇妙な怪異の駆け込み寺と化していた。ドアベルが鳴らない日はない。しかし、その活気とは裏腹に、事務所の空気は重く沈殿していた。
「……今週の収支報告を見せてもらおうか、アリシア」
最強の魔導師エラーラ・ヴェリタスが、デスクの上でドーナツの粉を払いながら重々しく切り出した。対面に座るアリシア・ヴェリタスは、完璧な笑顔で、一枚の紙を差し出した。
「はい、お母様。結論から申し上げますと、成果は『プライスレス』ですわ」
「……私の辞書において、それは『タダ働き』と同義語だが」
エラーラが眉をひそめる。アリシアは優雅に紅茶を啜りながら、報告を始めた。
「まず、お母様が解決された『不幸の手紙転送事件』。届いたら三日以内に二人に送らないと死ぬという呪いに対し、お母様は宛先をハッキングして、王都中の呪いを全て差出人の住所に転送させましたわね」
「ああ。論理的な解決だ。発生源に集中させることで飽和攻撃となり、差出人は呪いの重みで家ごと潰れた。完璧なデバッグだ」
「ええ。その報酬ですが……差出人が破産したため、ドーナツ無料券三枚でした」
「……私の高度な情報魔術の対価が、砂糖の塊三個分か……」
エラーラがこめかみを押さえる。
「次に、ナラティブさんが解決された『コート怪異事件』。とあるバーで入店時にコートを脱ぎ、退店時に着ないと呪われるという怪異に対し、ナラティブさんは物理的な除霊ではなく、人形用の小さなコートを渡したことで怪異を満足させ、成仏させました」
ソファーで鉄扇の手入れをしていたナラティブ・ヴェリタスが、誇らしげに胸を張る。
「あの怪異は、私が選んだ最新トレンドのドール服を着せたら、あったかい……と言って消えていきましたわ。ファッションセンスの勝利ですわ」
「……報酬は?」
「バーの店主から、ドリンク一杯無料券をいただきましたわ!」
「……原価数十クレストだな」
エラーラのため息が深くなる。
「続いて、グリッチさんが解決された『聴覚反応型魔導怪異』。わずかな音に反応して強力な魔力を放つため、詠唱が必要な魔導師や騎士団が近づけない難敵でしたが……」
足元でジャンクパーツをいじっていたグリッチ・オーディナルが、顔を上げてニシシと笑った。
「簡単だったよお姉ちゃん!思いっきり殴ったら壊れたよ!」
「……物理法則の勝利だね。報酬は?」
「レアメタルが一キロも取れたよ!」
「……換金しても雀の涙だ」
「最後に、私が解決した『無敗の賭博怪異』。勝負に負けたら魂を吸うという怪異に対し、私は自身の『存在消滅』を賭けて、あえて負けました」
アリシアは事もなげに言うが、それは狂気の沙汰だ。
「負けた瞬間に魂を吸おうとした怪異に対し、存在が消滅した相手からは魂を吸えないという論理的パラドックスを突きつけました。怪異は処理落ちして自壊しましたわ」
「……で、報酬は?」
「依頼主からの感謝状一枚です……」
「……」
エラーラは天を仰いだ。全員が天才的な、あるいは狂気的な手腕で怪異を解決しているにも関わらず、手元に残ったのは紙切れとガラクタばかり。借金百五十億クレストは、微動だにしていない。
「おかしい。おかしいおかしいおかしい。私の計算では、今頃は世界征服資金が潤沢に貯まり、私は黄金のドーナツ風呂に入っているはずなのに」
そこへ、ドアベルが鳴った。入ってきたのは、くたびれたトレンチコートを着たカレル・オータム警部だ。
「カレル君か。お金にならない依頼なら、お断りだよ」
「……耳が痛いな。実は、ある科学研究所から妙な依頼が来ている。深夜、無人のラボで勝手に実験が行われているというものだ。報酬は……雀の涙だが……」
「……勝手に行われる実験? そのラボの研究内容は?」
「キメラ細胞の自律的再生だそうだ。王都の認可ギリギリの、かなり際どい研究らしい」
「フム……興味深い。報酬は安くとも、未知のデータはプライスレスだ。引き受けよう」
「いいのか!?」とカレルが喜んだその時、再びドアが勢いよく開いた。
「エラーラさん!緊急事態です!手を貸してください!」
飛び込んできたのは、王都魔導規制局の竜人、アスナ・クライフォルトだ。
「おや、アスナ君。君まで雀の涙案件か?今日はボランティアの日じゃないんだが」
「違います!国家転覆の危機です!失踪したある科学者が、王都の魔導中枢を破壊すると犯行声明を出しました!これを見てください!」
アスナが広げた資料には、不気味な仮面をつけた男の写真と、脅迫文があった。
「報酬は、規制局の特別予算から正規の額が出ます!成功報酬は五百万クレスト!」
「五百万!」
ナラティブとグリッチが色めき立つ。エラーラが考え込む。安くて知的好奇心を満たす事件か、高くて面倒な事件か。あるいは……。その時、部屋の隅でスレート端末を操作していた助手のゴウ・オータムが、眼鏡をキラリと光らせた。
「……あの、師匠。カレル父さんが持ってきた依頼書の研究所、主任研究員がその科学者です」
「なに?」
「そして、そのキメラ細胞の研究は、膨大な魔力を消費します。深夜に勝手に実験を行うには、通常の電源じゃ足りない。つまり、王都の魔導中枢から不正にラインを引く必要があるんです」
一瞬の沈黙。エラーラが、金色の聴診器「真理の眼」を首にかけ、ニヤリと不敵に笑った。
「つまり、カレル君の幽霊騒ぎと、アスナ君のテロ予告は、根っこが同じということだ」
「……ということは?」
ナラティブが期待に満ちた目でエラーラを見る。
「報酬も二倍、ということさ!」
エラーラは白衣を翻して立ち上がった。その瞳は、ドーナツを見つけた時以上に輝いている。
「商談成立だ。行くよ、カレル君、アスナ君。……まずはその科学者を確保する。場所は、その研究所の地下だ!」
捜査は、拍子抜けするほど順調だった。エラーラ魔力の流れを特定し、カレルが裏口をこじ開け、アスナがセキュリティを解除する。最強の魔導師、ベテラン刑事、エリート官僚。この三人が手を組めば、王都に隠れ場所などない。
数時間後、彼らは研究所のさらに下層、廃棄された地下プラントの一室にたどり端いた。
「そこまでだ、動くな!」
カレルが魔導拳銃を構えて踏み込む。薄暗い部屋の奥、モニターの明かりに照らされていたのは、白衣を着た痩せた科学者だった。彼は驚いたように振り返ったが、抵抗する様子はなかった。手には武器すら持っていない。
「……早かったな。さすがは最強の魔導師エラーラ・ヴェリタスだ」
手錠をかけられた科学者は、どこか安堵したような笑みを浮かべていた。あまりにもあっけない幕切れ。
「……なんだか、拍子抜けですね」
アスナが報告書にサインをしながら呟く。だが、本当の事件はここからだった。
『――市民諸君。私が真犯人だ。これより王都への攻撃を開始する』
突如、アスナの持っていた通信端末、そしてゴウのスレート、さらにカレルの無線機から、一斉に不気味な音声が流れ始めた。街頭の魔導スクリーン、ラジオ、あらゆる通信媒体がジャックされ、犯行声明が流れ始めたのだ。画面に映っているのは、不気味な仮面をつけた男。声紋は、今目の前で確保されている科学者と完全に一致する。
「……なっ!?」
アスナが驚愕し、目の前の科学者を見る。科学者は静かに目を閉じていた。
「おい、どういうことだ!お前はここにいるじゃないか!」
カレルが詰め寄る。さらに、アスナの端末に緊急連絡が入る。
『総員に通達!政府はあの科学者に対し、特別懸賞金一億クレストをかけた!直ちに発見し、処分せよ!』
「……処分? 逮捕ではなく?」
エラーラが低い声で呟く。その瞬間、彼女の脳内で、バラバラだったパズルが恐ろしい精度で組み合わさっていく。無人のラボでの実験。あまりにも容易な確保。確保直後のタイミングでの犯行声明。そして、異例の生死を問わない抹殺命令。
「……なるほど」
エラーラは科学者の前にしゃがみ込んだ。その目は、犯人を追い詰める探偵の目ではなく、病巣を見つけた医師の目だった。
「君は、テロリストではない。……君は、被害者だね?」
科学者が目を見開く。エラーラは淡々と、しかし確信を持って告げた。
「君は、この研究所で起きた事故――おそらくはキメラ細胞の暴走事故の隠蔽工作に利用された。君は事故の責任を押し付けられ、口封じのために消されそうになった。だから、君はわざと派手な犯行声明を出して世間の注目を集め、警察に保護されることを選んだんだな?」
アスナが息を飲む。
「じゃあ、あの放送は……?」
「政府のフェイク映像だ。彼を極悪非道なテロリストに仕立て上げ、公然と処刑するための舞台装置さ」
科学者が、膝から崩れ落ち、涙を流して頷いた。
「……あいつらは、失敗作の生物兵器を隠すために、研究所ごと僕を消そうとした。僕は……ただ、この真実を、誰かに知ってほしかっただけなんだ……!」
その時、廃工場の外で、重い足音と魔導兵器の駆動音が響いた。政府直属の特殊部隊だ。彼らはテロリストの処分という絶対の正義を掲げ、ここを完全に包囲している。
「……カレル君、アスナ君。選択の時だ」
エラーラは立ち上がり、ドーナツを一口かじった。
「法に従い、彼を引き渡せば、報酬は手に入る。だが、正義は死ぬ。……あるいは、彼を守り、国家権力と喧嘩をして、真実を暴くか」
カレルは深く吸い込んだ。
「……俺は刑事だ。目の前でホシが泣いてるのを見過ごしちゃ、寝覚めが悪い。それに、俺の親父は弱いものを守れとしか教えてくれなかったんでな」
アスナは制服の襟を正し、決意を込めて口元から小さな炎を漏らした。
「規制局の理念は秩序の維持です。捏造された正義など、秩序とは認めません! 私が、彼の無実を証明します!」
「フム。……なら、答えは一つだ」
エラーラは不敵に笑い、通信機に向かって叫んだ。
「これより、依頼内容を変更する!科学者亡命作戦の開始だ!」
その瞬間、廃工場の壁が爆破された。
「お待たせしましたわ、お母様!」
「お姉ちゃん、遊ぼう!」
「皆様、お怪我はありませんか?」
土煙の中から現れたのは、ナラティブ、グリッチ、アリシア。そしてリウとルルも加わった、最強の布陣だった。




