定理44:人のプライドを守りたい!(後編)
廃工場を包囲していた政府直属の特殊部隊は、突如として壁を物理的に粉砕して現れた第三勢力に、完全に虚を突かれていた。
「な、なんだ貴様らは! 公務執行妨害で即時射殺するぞ!」
指揮官が怒号を飛ばすが、土煙の向こうから響いたのは、楽しげな、しかし獰猛な少女の声だった。
「公務? 笑わせるんじゃないよ! こっちは命がけのお祭りなんだ!」
先陣を切ったのは、金髪のポニーテールをなびかせた狼獣人、リウ・ヴァンクロフトだ。彼女は特殊部隊が展開していた重装盾に対し、助走をつけたドロップキックを正面から叩き込んだ。
盾が飴細工のようにひしゃげ、数人の兵士がボウリングのピンのように宙を舞う。
「ルル、道を開けな!派手にやるよ!」
「……了解。セキュリティ、強制解除」
その背後から、妹分のルル・ヴァンクロフトがスレート端末を掲げる。彼女の指が画面を滑ると同時に、包囲網を形成していた自動迎撃ドローンが一斉に誤作動を起こし、同士討ちを始めた。その混乱の隙を突き、カレルとアリシア、ナラティブの地上部隊が動く。
「そこだ!」
カレルの魔導拳銃が火を噴き、敵の通信アンテナを正確に撃ち抜く。老練な刑事の勘が、敵の連携を寸断していく。
そして、硝煙と銃弾が飛び交う戦場のど真ん中を、まるで午後の散歩でもするかのように優雅に歩く女性がいた。アリシア・ヴェリタスだ。彼女には魔力がない。だからこそ、飛び交う魔導弾の自動追尾に引っかからない。
「ごきげんよう。……道を空けていただけます?」
「な、なんだこの女は……撃て!?」
指揮官が命令するが、その前に黒い旋風が割り込んだ。
「姉さんに指一本触れさせませんわ!」
ナラティブ・ヴェリタスだ。彼女の鉄扇が舞うたびに、重武装の兵士たちが物理法則を無視した軌道で吹き飛んでいく。魔法障壁? そんなものは彼女の鍛え抜かれた筋肉と愛の前では、薄紙一枚の防御力しか持たない。
カレルが背後をカバーし、アリシアが微笑みで敵を怯ませ、ナラティブが物理的に粉砕する。完璧な布陣が、科学者を乗せた魔導車の退路を切り開く。一方、空ではさらに異常な事態が起きていた。
「お姉ちゃん、もっと高く! 敵の反応、三時の方向!」
「無茶言わないでください! 重いんですから! 降りてください!」
竜人本能を解放し、背中に真紅の翼を生やして飛翔するアスナ。その背中には、なんとグリッチがしがみついていた。グリッチはアスナを高性能な爆撃機と認識し、勝手に背中に魔導砲塔を展開している。
「ターゲット・ロック! グリッチ・スペシャル、全弾発射!」
グリッチの放つ誘導ミサイルと、アスナの吐く火炎ブレスが、空中の追撃ヘリを次々と撃墜していく。
「あはは! 最高だよ、ドラゴンのお姉ちゃん! 私たち、最強のコンビだ!」
「私はタクシーじゃありません! ……くっ、でも、悪くない連携です!」
空と陸、二つの戦線が敵を引きつけている間に、私と科学者を乗せた魔導車は、国境へと続く王都地下パイプラインを爆走していた。運転するのはゴウだ。普段の大人しい彼からは想像もできないハンドルさばきで、複雑な地下迷宮を駆け抜ける。
「師匠、追っ手が来ます! 後方から装甲車三台!」
「フム。想定内だ。……科学者君、君の持っている真実のデータ、私に預けてくれるかい?」
助手席の私は、揺れる車内で端末を操作しながら、後部座席の科学者に手を差し出した。
「え? ……でも、このデータが公表されれば、政府は……君たちまで標的に……」
科学者は怯えていた。自分の命よりも、助けてくれた私たちが巻き込まれることを恐れていた。
「勘違いするな。私は正義のためにやるんじゃない」
私はニヤリと笑った。
「私の知的好奇心と、論理的解決のためだ。……それに、君が自力で公表すれば、君は一生告発者として狙われる。だが、私たちがやれば……私は……最強の魔導師だ。政府ごとき、敵に回したところでドーナツの味が変わるわけではない」
科学者は涙を浮かべ、震える手でデータチップを私に渡した。私はそれを自身の端末に接続する。
「ルル、回線借りるよ!」
「……どうぞ。ファイアウォール、全突破。……放送開始」
遠隔地にいるルルのサポートにより、王都中のスクリーンに映っていた偽のテロ予告が砂嵐と共に消え、代わりに私の不敵な顔が大写しになった。
『――市民諸君、そして愚かな政府の役人たちよ。よく聞きたまえ』
私のハスキーな声が、王都中に響き渡る。広場の民衆も、追撃していた兵士たちも、思わず手を止めて画面を見上げた。
『あの科学者は、我々ヴェリタス探偵事務所が確保した。……だが、彼が持っていたのは爆弾ではない。君たちが隠蔽しようとした醜悪な真実だ』
画面が切り替わる。映し出されたのは、研究所でのキメラ細胞の暴走事故、それを隠蔽するために科学者に罪を着せる計画書、そして暗殺命令を下す政府高官の音声データ。
「な、なんだこれは!?」
「政府が……事故を隠していた? 俺たちは騙されていたのか?」
街の人々がざわめき始める。真実は、どんな魔法よりも速く、人々の心に浸透していく。
『さあ、政府の諸君。これでもまだ、彼を撃つか?』
その時、魔導車の前方に、巨大な影が立ちはだかった。国境検問所を守る、政府軍の陸上戦艦だ。主砲が唸りを上げ、魔導車に照準を合わせる。
「……放送を止めろ!さもなくば撃つ!」
スピーカーから警告が響く。ゴウがブレーキを踏み、魔導車は砂煙を上げて停止した。
「師匠! これ以上は無理です!」
「終わりだ……」
科学者が顔を覆う。放送で真実を流しても、物理的な暴力の前では無力なのか。戦艦のハッチが開き、武装した兵士たちが数百人規模で展開する。
「エラーラ・ヴェリタス!国家反逆罪で逮捕する!抵抗すれば即時射殺だ!」
兵士たちの銃口が一斉に向けられる。カレルたちも追いついたが、多勢に無勢だ。絶体絶命。だが、私はゆっくりと車を降りた。その手には杖も、武器も持っていない。ただ、胸元の白衣を正しただけだ。
「……フム。逮捕? 射殺? 私をか?」
私は、数百の銃口の前で、悠然と歩き出した。
「撃て! 撃ち殺せ!」
指揮官が叫ぶ。しかし、兵士たちの指が引き金にかかった瞬間、私は胸元からあるものを取り出し、高らかに掲げた。それは、夕日を反射して黄金に輝く、小さな勲章だった。王家の紋章が刻まれた、世界にたった一つしかない救国の勲章。
「……ッ!?」
指揮官の顔色が、一瞬で蒼白になった。王都の法律において、その紋章を持つ者は王家の代理人と同等の権限を持つ。警察も、軍も、政府高官でさえも、その紋章の持ち主を拘束することは許されない。傷つけることなど、国家への反逆そのものだ。
「総員、撃ち方やめぇぇぇぇッ!!」
指揮官が裏返った声で絶叫する。兵士たちが慌てて銃を下ろす。中には、あまりの恐怖にその場に跪く者さえいた。私は静かに、しかし威圧的に告げた。
「この紋章に傷をつける覚悟がおありかな?」
沈黙。やがて、重々しい音と共に、陸上戦艦が道を譲るように移動した。政府軍の包囲網が開かれたのだ。
「……かっこよすぎですわ、お母様」
「さすがお姉ちゃん!」
ナラティブとグリッチが歓声を上げる。私は振り返り、呆然としている科学者に手招きした。
「さあ、行きなさい。ここから先は自由だ」
科学者は震える足で車を降り、私に駆け寄った。
「君は……最初から、これを?」
「ああ。権力には権力を。論理的な対抗策だろう?」
私はニヤリと笑った。
「ありがとう……。君たちは、僕の命だけじゃなく、科学者としての誇りも守ってくれた」
「礼には及ばないよ。……それに、君の技術は興味深い。いつかまた、平和な学会で会おう」
科学者は深く一礼し、国境の向こうへと消えていった。彼の背中は、出会った時よりもずっと大きく見えた。
数日後、ヴェリタス探偵事務所。
「……フム」
私は、机の上に積み上げられた札束を見つめていた。あの科学者からの個人的な謝礼と、規制局からの捜査協力費という名目の口止め料。合わせて、一億クレスト。
「黒字だ。……圧倒的、黒字だ!」
私が震える手でドーナツを持ち上げる。
「これで借金が減る!さらに新しい実験機材も買える!ついに私の時代が来た!」
「おめでとうございます、お母様!」
「お祝いに高級ステーキを食べに行きますわよ!」
事務所がお祭り騒ぎになる中、ドアが静かに開いた。入ってきたのは、アスナ・クライフォルトだった。その姿は、見るも無残だった。目の下には深いクマがあり、制服はヨレヨレ、背中の翼も力なく垂れ下がっている。
「……あ、アスナ君?どうしたんだ、その死人のような顔は」
アスナは、ふらふらと歩み寄り、私のデスクに分厚い書類の束をドスンと置いた。
「……事後処理です」
「事後処理?」
「はい。今回の件、表向きは政府と探偵事務所の合同極秘作戦として処理しました。……エラーラさんが勝手に紋章を使った件の釈明、メディアへの説明、政府高官への根回し、破壊された施設の賠償交渉……全部、私が一人でやりました」
アスナの目から、光が消えていた。彼女は、私を逮捕させないために、三日間一睡もせずに働き続けたのだ。紋章の力は絶大だが、それを使った後の行政手続きは地獄だったのだ。
「……あ、ありがとう、アスナ君。君のおかげで……」
「エラーラさん……うふふ」
アスナが、私の手をガシッと掴んだ。その手は、高熱を発していた。
「報酬、入りましたよね?……じゃあ、付き合ってください。……私のストレス発散に」
「ス、ストレス発散?」
アスナは、ニッコリと笑った。その笑顔の背後には、怒れるドラゴンの幻影が見えた。
「王都一の高級スパリゾート、貸し切りです。そこで私が満足するまで、エラーラさんには癒やしを提供していただきます。……拒否権は、ありませんよ?」
「えっ? ちょ、待っ……ナラティブ! アリシア! 助け……!」
「行ってらっしゃいませ、お母様! 骨休めしてきてくださいな!」
「お土産よろしくねー!」
家族に見捨てられ、私はズルズルとアスナに引きずられていく。
「これも……これも真理だというのかァァァッ!」
私の悲鳴と、アスナの楽しげな声が、王都の空に響いた。最強魔導師の受難は、まだまだ続く。だが、その結末はきっと、ハッピーエンドに違いない。




