定理17:最強のヴィランを倒したい!(後編)
「……吐き気がするほど『非論理的』だねぇ」
ヴェリタス探偵事務所のデスクで、エラーラはファイルを閉じた。その手は微かに震えていた。
アスナが持ち込んだ資料――それは、地獄の設計図だった。
『ヤスリウサギ』の正体は、女優の娘の「姉」。
彼女は、母親から否定され、矯正施設『秩序と純潔の家』へ送られた。そこは、表向きは奉仕団体だが、実態はカルト的な収容所だった。そして、そこの管理者こそが、若き日の局長だった。
『ハンマーコアラ』の正体は、女優の娘の「妹」。
彼女は、姉が連れ去られた後、母の元から逃げ出し、同様に『秩序と純潔の家』に保護された。
二人は、「秩序」という名の地獄で死んだ。
いや、心だけが殺され、その空っぽになった器に、純粋な「呪い」が充填されたのだ。
「彼女たちは、ただ『母親』に愛されたかっただけだ。だが、その母親は彼女たちを捨て、今度は死んだ娘たちを『怪物』と呼び、自分の名声のために利用しようとしている」
エラーラが立ち上がる。その瞳には、氷のような冷徹さと、溶岩のような怒りが同居していた。
「アスナ君。この資料の裏付けは?」
「完璧です。当時のカルテ、施設の出納帳、および局長と母の署名入り契約書……全て揃っています。これは王都警察のトップがひっくり返る大スキャンダルです」
「上出来だ。カレル君、ゴウ、作戦変更だ。場所は『魔力焼却炉』じゃない。局長が演説を行う、王都中央広場だ」
「広場だと?あそこには何万人もの市民がいるんだぞ! 危険すぎる!」
カレルが叫ぶが、エラーラは白衣を翻し、金色の聴診器を首にかけた。
「だからこそだよ。……最高のステージじゃないか。真実を暴くにはね」
王都中央広場は、熱狂に包めていた。
巨大な特設ステージには、スポットライトを浴びる女優と、それを守るように立つ警察局長の姿があった。
「市民の皆さん!恐れることはありません! 私が、この命に代えても彼女を守り、あの醜い怪物たちを殲滅します!」
局長の演説に、割れんばかりの拍手が送られる。母は涙を拭う仕草で、悲劇のヒロインを完璧に演じていた。
そこへ、地響きが近づく。
群衆が悲鳴を上げて割れる中、二体の怪人――ハンマーコアラとヤスリウサギが現れた。彼女たちは一直線にステージを目指す。その瞳には、母親しか映っていない。
「来たな、化け物め!総員、攻撃開始!」
局長の号令で、配備されていた魔導兵器が一斉に火を噴く。
だが、無駄だった。コアラがハンマーを一振りすれば、重力波が兵器を「平ら」にし、ウサギがヤスリを振るえば、魔力弾そのものが「削り取られて」消滅する。
「……お母さん。……歪んでる」
「……お母さん。……直さなきゃ」
怪人たちの呻き声が響く。それは殺意ではない。壊れた子供が、壊れた親を直そうとする、悲痛な叫びだった。
「ひっ!来ないで!殺して!誰かあいつらを殺してよ!」
母親が本性を露わにして絶叫する。
その時、上空から白い影が降ってきた。
「お姉ちゃんを悲しませるバグは、私が削除するんだからぁ!」
グリッチ・オーディナルだ。彼女は全身の兵装を展開し、ミサイルの雨を降らせながら突撃する。
だが、その瞬間、グリッチのセンサーにノイズが走った。
「え?……エラー?ターゲット、ロックできない……!?」
姉妹の発する「恨みの波動」。それは魔力や電子制御を無効化する、特異なジャミングウェーブだった。
無防備になったグリッチに、コアラのハンマーが迫る。
「……邪魔」
グリッチはボールのように弾き飛ばされ、広場の噴水に頭から突き刺さった。最強の矛が、概念的な拒絶の前に敗北したのだ。
絶望する局長。
もう、誰も止められない。怪人たちが母親の目の前に迫る。
その時、二人の間に、一人の少女が立ちはだかった。
「……そこまでです」
透き通るような声。
純白のドレスを纏った、アリシア・ヴェリタスだった。
彼女には魔力がない。武器もない。ただ、広げた両手と、慈愛に満ちた瞳だけがあった。
「退きなさい!死にたいの!?」
母親が叫ぶが、アリシアは動かない。
怪人たちが、目の前の障害物を排除しようと、凶器を振り上げた。
「……邪魔」
「……削る」
巨大なハンマーと、鋭利なヤスリが、アリシアの華奢な身体に振り下ろされる。
避けない。防御しない。
ドスッという鈍い音と、肉が裂ける音が響いた。
鮮血が舞い、アリシアの白いドレスを赤く染める。
「――っ!」
アリシアが苦悶の表情を浮かべ、膝をつく。
だが、彼女は倒れなかった。
それどころか、血まみれの両手で、二人の怪人の「仮面」に触れたのだ。
「……痛かった、でしょう」
その言葉に、怪人たちの動きがピタリと止まった。
「寒かったでしょう。怖かったでしょう。……もう、いいの。もう、削らなくていいの」
アリシアは魔力を持たない「無能力者」だ。だからこそ、姉妹の放つ「魔力無効化の波動」を素通りし、彼女たちの「魂」に直接触れることができた。
彼女は、自身の痛みを顧みず、化け物と化した二人を抱きしめた。
「私が、あなたの痛みを知っています。私が、あなたたちの『お母さん』になります」
その瞬間、怪人たちの身体から、黒い霧のような瘴気が薄れ始めた。
その隙を見逃すエラーラではない。彼女はすでにステージ脇の機材エリアにいた。
「今だ!グリッチ、予備電源でアンテナを立てろ!ゴウ、回線を開け!」
「了解だよお姉ちゃん!噴水の中から接続!」
「師匠、全チャンネル確保しました!」
エラーラは金色の聴診器「真理の眼」を、アリシアの背中に向けた。二人の怪人の魂が共鳴している、その中心点に。
「フム。この莫大な『恨み』のデータ……すべて、真実として変換させてもらうよ!」
エラーラが高らかに指を鳴らす。
「これが……真理だ!」
刹那、王都中のすべてのスクリーン、魔導端末、および広場の巨大モニターがジャックされた。
映し出されたのは、エラーラが解析した姉妹の記憶。
『秩序と純潔の家』での、凄惨な記憶。
そして、それを笑顔で見下ろす母親と、冷酷に命令を下す局長の姿。
「な、なんだこれは!?」
「でたらめだ! 合成映像だ!」
局長がマイクに向かって叫ぶが、映像には公的な署名と、動かぬ証拠の日付までが刻まれている。
広場の空気が凍りついた。
熱狂は、困惑へ。そして困惑は、怒りへと変わる。
民衆の怒号が、石礫となってステージへ降り注ぐ。
母親は腰を抜かし、局長は逃げ出そうとするが、そこには既にカレル警部と武装した警官隊が待ち構えていた。
「局長。……言い訳は、署でたっぷりと聞こうか。たっぷりとな」
カレルの手錠が、二人の手首にかけられた。王都の英雄とヒロインが、地に落ちた瞬間だった。
広場の中央では、奇跡が起きていた。
アリシアの腕の中で、ハンマーコアラとヤスリウサギの巨大な身体が崩れ落ち、中から二人の小さな少女の霊体が現れたのだ。
傷だらけだった魂は、アリシアの血と涙、およびエラーラの「理解」によって浄化され、白く輝いている。
「……あったかい」
「……これが、おうち?」
少女たちが、アリシアを見上げる。仮面の下にあった顔は、もう泣いていなかった。
「ええ。ここは温かい場所です」
アリシアが微笑む。その背中の傷は、近づいたエラーラの回復魔法によって、見る見るうちに塞がっていた。
「……行く場所は決めたよ」
エラーラが、空間に複雑な幾何学模様のゲートを開いた。
その向こうには、柔らかな日差しと、温かな家庭が見える。論理的に計算された、苦痛の存在しない座標。
「もう、君たちを傷つける『秩序』なんてない。あるのは、美味しいパンケーキと、遊び疲れるまでの自由だけだ」
「……ありがとう、おねえちゃん」
「……ありがとう、おかあさん」
二人の少女は、最後にアリシアとエラーラに手を振り、光の中へと歩き出した。
ゲートが閉じると同時に、空を覆っていた暗雲が消え、美しい夕焼けが王都を照らした。
広場には、誰ひとりとして死者は出なかった。ただ、二つの悲しい魂が救われたという事実だけが残った。
数日後、ヴェリタス探偵事務所。
全身包帯だらけのナラティブが、ソファでふんぞり返りながらリウにリンゴを剥いてもらっている。
「あーん、ですわ、リウ」
「ほらよ。まったく、無茶しやがって。……でも、かっこよかったぞ」
「! ……もう一度言ってくださる?」
「お姉ちゃん、見て見て!私が改造した掃除機、ヤスリ機能付き!」
「グリッチ、それは床が削れるから却下だ……」
平和な日常が戻ってきた事務所で、アリシアが紅茶を淹れる。彼女の怪我は完治していたが、その心には温かい記憶が残っていた。
そこへ、一通の封筒が届いた。
差出人は、王都管理委員会。
「……フム。さて、今回の請求額はいくらかな」
エラーラが覚悟を決めて封を開ける。
そこに入っていたのは、一枚の通知書だった。
「『感謝状及び報奨金通知書』。未解決事件の解決報奨金、五十億クレスト。警察組織内部の汚職摘発による特別感謝金、三十億クレスト。王都市街地防衛協力金、二十億クレスト。しめて、百億クレストの収入。フムフム……って、はああああ?」
エラーラの手から、通知書がひらりと落ちる。
彼女はドーナツを口に運ぶのを忘れ、目を見開いた。
借金百五十億クレストから、一気に百億が返済される。これは、ヴェリタス探偵事務所始まって以来の快挙、いや、異常事態だ。
「……減った。借金が、減った?」
エラーラは震える声で呟き、そしてナラティブと顔を見合わせた。
「姉さん、お母様が壊れましたわ」
「あらあら、あまりのショックで論理回路がショートしたようですわね」
「わーい! これでお姉ちゃんと豪華な結婚式ができるよー!」
グリッチが歓喜の舞を踊る中、エラーラはニヤリと笑った。
「フム。これが真理だ……と言いたいところだが、この金で最新式の魔導実験室を作れば、もっと効率的に世界征服ができるんじゃないか?」
「お母様、それは絶対ダメですわよ! まずは返済! 返済です!」
ナラティブのツッコミが響く中、ヴェリタス探偵事務所は今日も賑やかだ。
少しだけ軽くなった借金と、救われた魂の温もりを胸に、彼女たちの物語は続いていく。




