定理16:ラストバトルに勝ちたい!(前編)
●リメイク元
「エラーラ・ヴェリタス」学園猫奇譚
「エラーラ・ヴェリタス」愛は銀幕を超えて
「ナラティブ・ヴェリタス」姫の遊戯
「野望とは、夢を完遂するために世界というシステムに叩き込む、究極のデバッグ命令である」
王都の朝は、一冊のパンフレットを巡る、非論理的で騒がしい議論から始まった。
ヴェリタス探偵事務所のリビングには、昨日ナラティブとルルが連れ立って観賞してきた映画『時計塔の巨獣』のパンフレットが放り出されていた。
「……信じられませんわ!あんなに素晴らしい造形の怪獣が出ておきながら、予算が尽きたからといって、肝心の格闘シーンをダイジェストで済ませるなんて!脚本を書いた監督は、今すぐあたしの鉄扇で論理的に再教育されるべきですわ!」
ナラティブ・ヴェリタスは、ドレススーツの裾を荒々しく翻し、リビングの真ん中で憤慨していた。彼女の赤い瞳には、物語の不完全さに対する、純粋な、そして激しい怒りが宿っている。
「落ち着きなさい、ナラティブ。お母様の耳に障りますわよ」
アリシア・ヴェリタスが、優雅な手つきで紅茶を注ぎながら、苦笑いを浮かべて嗜めた。彼女の微笑みは、朝の不穏な空気を和らげる唯一の防波堤だった。
「落ち着いていられませんわ、姉さん! あたしは期待していたんですのよ!あの怪獣『キメラ・オルトロス』が、街をなぎ倒し、主役の魔導騎士と泥臭い肉弾戦を繰り広げるのを!それなのに、画面が暗転したと思ったら『三日後』なんてテロップが出て解決しているなんて……これは王都の文化に対するバグですわ!」
「……あ、あの……。ナラちゃん……。あたしも、あれは、納得できない。……もっとこう、ガツンと、物理で殴り合う……シーンが欲しかった……。データの、無駄遣い……」
リビングの隅、山積みのクッションに埋もれていたルル・ヴァンクロフトが、珍しく強い口調で同意した。光のない黒い瞳が、不満げに細められている。彼女の巨体から伸びる極太の尻尾が、不機嫌そうに床を叩いた。
「そうでしょう!ルル!あんたもそう思うでしょう!全く、お母様からも何か言ってやってくださいまし!」
ナラティブに促され、ソファで大量のドーナツの袋に囲まれていたエラーラ・ヴェリタスが、ようやく白衣を揺らして身を起こした。彼女は素顔のまま、一点の曇りもない青い瞳で、リビングに集まった家族たちを見渡した。
「フム。……映画監督の不手際だねぇ。予算管理という名の論理的整合性を欠いた結果、観客の情緒にバグを発生させたわけだ。だが、ナラ君。あのような『没になった情熱』こそが、時に世界を動かす最強の燃料になることもあるのだよ。……例えば、そうだね。私が世界の片隅からルル君を見つけ出してきた時のように」
エラーラは、ドーナツを一口齧り、満足げに鼻を鳴らした。
「リウ君が『生き別れの妹を探してほしい』と、私に願ったあの日。……私はそれを単なる依頼としてではなく、私の『野望』として採用した。仲間の夢を叶え、世界というシステムの欠損を埋めること。……それが私の支配する世界の、あるべき姿だからね。論理的に、ルル君がそこにいないという事実は、私の世界にとっての致命的なエラーだったのだよ」
「……エラーラさん。……あたし、あの時……拾われて……本当によかった。……ここ、ご飯……美味しいから……」
ルルが、少し照れくさそうに自分の極太の尻尾を抱きしめた。
「フフ。私は野望のためなら、地脈の全ログをハッキングすることなど、朝飯前のデバッグに過ぎないよ。……さて、ナラ君。君の『優勝して肉を食べたい』という極めて生物的な野望も、私の野望の一部として受理しよう。……今日はクリスマ・イブ、ゲームの大会だったね?」
エラーラの言葉に、ナラティブの表情がパッと明るくなった。
「そうですわ、お母様!『マジック・バレット・アリーナ(MBA)』、王都カップ予選ですわ! 優勝賞品は、最高級ステーキ肉一年分! あたしの愛機、超近接特化機『ホワイトファング』の拳が、今まさに肉の感触を求めて震えていますの!」
「いいだろう。ルル君を相棒に使いなさい。彼女の動体視力は、私の論理予測をも上回る時がある。……さあ、行ってくれたまえ。肉という名の勝利のコードを、その手に書き込むのだ!」
一同は、ジャンク街『歯車通り』にある魔導アーケード『グリモワール』へと繰り出した。
店内は、電子音とオイルの匂い、そしてゲーマーたちの熱気で満ちている。
「ホワイトファング、出撃! さあ、あたしの尻尾に跪きなさいな!」
ナラティブは、自ら作り上げた愛機「ホワイトファング」の操作レバーを、優雅に、かつ力強く握りしめた。
しかし、現実は甘くない。
「ルル!何をしているの!?敵が左から来ているわよ! 撃ちなさい、撃ち抜きなさい!」
「……無理。……ナラちゃんの尻尾……画面の、半分埋めてる。……何も見えない……。ナラちゃん……邪魔……」
「なっ……!邪魔とはなんですの!この巨大なメカ尻尾こそが、あたしの愛と武の結晶ですわよ!」
ナラティブの「ホワイトファング」への愛が強すぎるあまり、その機体性能は極端に格闘へ振り切られ、巨大な尻尾の当たり判定が、相棒であるルルの射線をことごとく塞いでいたのだ。
ナラティブは単独で突撃し、敵の包囲網の中で袋叩きに遭う。
「どうしてですのーッ!あたしはこんなに美しいのに、どうしてポイントが負けていますの!お母様!あんたのくれた戦略が、一ミリも役に立ちませんわ!」
筐体を叩こうとするナラティブを、エラーラが冷淡に制した。
「フム。……ナラ君、君は勘違いしているね。……君が愛しているのはホワイトファングという『キャラクター』なのかい? それとも、ホワイトファングで勝つという『状況』なのかい?」
「……えっ?」
「君がその巨躯でルルの射線を塞ぐたび、世界は君に『敗北』という解を提示している。……ルル君を見なさい。彼女は、君がどれほど暴れ回ろうとも、君の影に隠れ、君が撃たれるはずの弾丸を、ミリ単位の精度で迎撃し続けている。……彼女は、君の夢を、自分の夢として守っているのだよ」
ナラティブは、隣で震えながら、しかし指先だけは機械のように正確に動かし続けているルルを見た。ルルは、画面の中のホワイトファングが傷つくことを、自分の痛みのようになぞっていた。
「……あたし……。ルル、あんた……」
「……ナラちゃんの機体……綺麗。……あたし、守りたい……。……ナラちゃんが、お肉食べるところ……見たい、から……」
ナラティブは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……そうですわね。あたしとしたことが、三流の独りよがりなプレイをしていましたわ! お母様、あたし、真理に到達しましたわよ!」
ナラティブが覚醒した。
迎えた決勝戦。対戦相手は、プロチームの下部組織の二人組。
「見ろよ、あの変態尻尾ロボ。格闘しかできないなんて、ただの的なんだよ」
その嘲笑を、ルルの冷徹な狙撃が黙らせた。
「……ナラちゃんを、笑った……。……デリート、開始」
ルルの瞳に、深淵のような闇が広がる。
ナラティブの「ホワイトファング」は、もはや単なる狂戦士ではなかった。彼女は巨大なメカ尻尾を盾として、ルルの射線を守るための「動く城塞」へと変貌したのだ。
ズドンッ! ズドンッ!
ルルの放つ魔弾が、ナラティブの影から正確に、かつ無慈悲に敵機を撃ち抜いていく。
「な、なんだ!?どこから撃たれた!?射線が、完全に計算されている!」
「ホワイトファングが……俺たちの動きを、完璧に誘導してやがる!逃げ場がない!」
「これぞ!ヴェリタス家の『管理』と『武』の融合ですわーッ!さあ、トドメですわ、ルル!」
ナラティブが敵の足を止め、ルルの最終奥義――超長距離魔導砲が、戦場を貫いた。
GAME SET。
会場中に、ナラティブとルルの勝利を告げるファンファーレが鳴り響いた。
その夜、王都のクリスマ・イブ。
ヴェリタス探偵事務所のテーブルには、見たこともないような分厚い、最高級のステーキ肉が山のように積み上げられていた。
「さあ! 食べなさい、ルル! 姉さんも! お母様も! これが、あたしたちの野望が勝ち取った、血と脂の真理ですわよ!」
ナラティブが、ナイフとフォークを両手に構え、肉食獣のような笑顔で叫んだ。
「……あ、あーん……。……美味しい……。ナラちゃんの、肉……幸せの、味がする……」
ルルが、ナラティブの膝の上で、幸せそうに頬を緩ませた。彼女の口元には、ソースが少しだけついている。
「お母様、借金は一ミリも減っていませんが、皆さんの栄養状態がこれほど改善されたのは、管理者として喜ばしいことですわ」
アリシアが微笑みながら、肉を小さく切り分け、エラーラの皿に置いた。
エラーラは、肉を頬張りながら、満足げにスレートを眺めていた。
「フム。……やはり、食欲という名のエネルギーは、論理を凌駕するねぇ。……さて、皆。……今夜はたっぷり食べたまえ。明日からは、また新たな『デバッグ』が必要になる予感がしているからね」
エラーラは不敵に笑い、冷めた珈琲を飲み干した。
肉の焼ける香ばしい匂いと、家族の笑い声。
それが、聖なる夜の王都を彩る、唯一の絶対的な真理だった。




