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ヴェリタスの最終定理【完全コメディ小説】  作者: ギデオン・ヴァンツ@週刊コロッセオ記者
シーズン1:日常編

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19/34

定理10:雪山をサバイブしたい!(前編)

●リメイク元

「エラーラ・ヴェリタス」白銀の太陽

「エラーラ・ヴェリタス」絶海の探偵

「判断力の低下は、熱狂的な愛によって相殺される。これが真理だ」


王都から魔導列車と雪上馬車を乗り継ぎ数時間。大陸北部の北都フロストガルドは、物理法則すら凍てつく極寒に支配されていた。

窓の外では猛吹雪が吹き荒れ、風速は三十メートルを超え、氷の粒が散弾のようにロッジの窓ガラスを叩いている。

だが、そのロッジの一角、暖炉の特等席だけは、奇妙な熱源と理論によって支配されていた。


「フム。いいかい、外気温はマイナス三十五度。この過酷な環境下において、人体の基礎代謝におけるカロリー消費率は、通常の約三・五倍にまで跳ね上がるデータがある」


暖炉の前で毛布をミノムシのように巻きつけたエラーラ・ヴェリタスは、ハスキーな声で力説した。その手には湯気を立てるマグカップと、ミスター・マジックの箱。口元はシュガーパウダーで白い。


「つまりだ。私が今、六つ目のハニー・グレーズド・ドーナツに手を伸ばすのは、生物学的に正当な防衛本能であり、極めて論理的な燃料補給なのだよ」


「……お母様。その口の周りの砂糖を拭いてから、それっぽいことを言っていただけます?」


呆れた溜息と共に紅茶を飲んでいるのは、ナラティブ・ヴェリタスだ。

漆黒のスキーウェアをドレスのように着こなし、腰には護身用という名目の凶器である鉄扇が差さっている。雪山のリゾートに似つかわしくない戦う女の気配だ。


「それに、お母様のそれは燃料補給ではなく、単なる廃棄物処理に近い勢いですわ。……ああ、見てくださいまし。姉さんのあの完璧な所作を。あれこそが、ヴェリタス家の良心です」


ナラティブの視線の先には、厨房からワゴンを押してくる金髪の美少女、アリシア・ヴェリタスがいた。

聖アフェランドラ学園の元生徒会長らしい気品を持つ彼女は、この場違いな一家の中で唯一、絵画のような美しさを保っている。


「皆様、お待たせいたしました。地元の根菜を使った特製ポトフが煮えましたわよ。グリッチさんも、暖炉の裏でケーブルを齧るのはやめて、席に着いてくださいな」


「はーい、アリシアお姉ちゃん! でもこれ、旧式の銅線だから味が深くて美味しいんだよ。酸化した被覆の苦味がアクセントで……」


「グリッチさん? ……めッ、ですよ?」


「……はい、ごめんなさい」


最強の狂気を持つグリッチでさえ、アリシアの聖母のような微笑みと絶対的な管理者権限には逆らえない。すごすごと席に着くグリッチを見て、ナラティブは満足げに頷き、猫撫で声を出した。


「姉さん、あたしの分はお肉多めでお願いね。ああっ、姉さんの作るスープの香り……これぞ実家の匂いですわ。この香りだけで、あと三日は遭難しても平気です」


「あらあら、ナラティブさんったら。お行儀よく座っていてくださいな。そんな不吉なことを言っていると、本当に遭難しますよ?」


「あたしは一生、姉さんのスープを飲んで生きていきたい……」


エラーラはその様子を眺めながら、共依存のループ構造だねとドーナツを齧った。

しかし、そんな一家の団欒とは裏腹に、ロッジ全体の空気は重く沈殿していた。


「……まだ見つからないのか」


「ああ。警備隊も全小隊が出動したらしいが、この天気だ。二次遭難が関の山だろう」


他の宿泊客たちの囁き声が聞こえてくる。

事の発端は、今朝方流れたニュースだった。隣国からお忍びで来ていた姫が、この山中で行方不明になったというのだ。

さらに悪いことに、救助に向かった地元の警備隊すら、異常気象とある異変に阻まれて立ち往生している。

その時だ。

ロッジの重厚な扉が、まるで爆薬でも仕掛けられたかのような轟音と共に、外側から蹴破るようにして開かれたのは。


ドォォォォンッ!!


「やーあみんな! 吹雪なんて、肌寒いそよ風みたいなもんだね! 身体が火照って仕方がないよ!」


ドカ雪と共に飛び込んできたのは、冬の概念を覆すような真夏のテンションだった。

先頭に立つのは、狼獣人の女性兵士だ。百八十センチはある屈強な長身に、登山服をパツパツになるまで着込み、豊満な曲線美を見せつけながら豪快に笑う。身体からはサウナ上がりのように白い湯気が立ち上り、その熱気が冷え切った空気を振動させた。


「んもーっ! 兵士さん、飛ばしすぎ! 私の自慢の尻尾が凍っちゃうじゃない! 手入れにどれだけ時間をかけてると思ってるの!」


続いて入ってきたのは、雪豹獣人の偵察員だ。彼女もまたモデルのように引き締まった長身の持ち主。頭からは斑点模様の耳が立ち、腰からは――ナラティブの太ももほどもありそうな――極太の尻尾がブンブンと振り回されている。野性的な瞳はギラギラと輝き、溢れる生命力がロッジの温度を物理的に上昇させた気がした。


「ふ、二人とも、落ち着いてください……宿の中ですよ。あ、マスター、一番度数の高いスピリッツをロックで。身体の中から燃やさないと」


最後に静かに入ってきたのは、狐獣人の地図製作者だ。理知的な眼鏡を曇らせながら、色っぽい手つきで肩の雪を払う。測量服の下から覗く豊かな胸元は、汗ばんで艶やかに光っていた。

この三人が放つ圧倒的な陽のオーラ。それは、死を予感させる吹雪の夜において、あまりにも強烈な生の輝きだった。

客たちは彼女たちの熱量に圧倒され、言葉を失った。


そして、ナラティブ・ヴェリタスは、別の意味で限界を迎えた。


「……姉さん。あたし、高山病にかかったのかもしれません。幻覚が見えますわ」


ナラティブは震える手でカップを鳴らしながら、偵察員の尻尾を指差した。


「あの質量、あの毛並みの光沢……暴力的なまでのモフモフが、すぐ目の前に……ッ! しかも、雪と汗で少し湿って、獣特有の香りが立っている……!」


「ナラティブさん? お顔が真っ赤ですわよ」


「ああっ、埋まりたい! あの極太の尻尾に顔面から突っ込んで、窒息しながら看取られたいですわ! 今すぐあの尻尾を枕にして、永遠の眠りにつきたい……ッ!」


「ナラティブさん、落ち着きなさい。鼻血が出ていますよ。……もう、本当に貴女という人は、どうしてこうも残念なのですか」


アリシアがハンカチでナラティブの顔を拭く中、三人の獣人の背後から、ズシリと重い足音が響いた。

灰色の肌、鋭い背びれ、歴戦の証である義眼。

サメの獣人である、警備隊長だ。防水仕様の重装備に身を包み、鋭い眼光で騒がしいヴェリタス一家を睨みつけた。


「……観光客か。悪いが、今は遊んでいる場合じゃないぞ」


隊長の声は低く重厚で、場を一瞬で静まらせる威厳があった。彼はカウンターに濡れた地図を広げ、兵士たちを手招きする。その表情には焦燥の色が濃く滲んでいた。


「状況は最悪だ。姫様が遭難した山頂付近、磁場が完全に狂っている。山の主が目覚めた影響だ。俺たちの感覚器官じゃ、踏み込んだ瞬間に脳が焼き切れるぞ」


「参ったねえ、隊長。私の鼻も、偵察員の耳も、この嵐じゃ使い物にならないよ。ノイズが酷すぎて、遭難者の声どころか自分の足音さえ聞こえやしない。まるでスピーカーの真ん前で怒鳴り合いをしてるみたいだ」


女性兵士が肩をすくめる。地図製作者も眼鏡の位置を直し、首を振った。


「磁気コンパスも全滅です。針が独楽のように回り続けて止まりません。地形データとも一致しない……空間そのものが歪んでいる可能性があります」


ロッジに絶望的な沈黙が落ちる。地元の英雄であり、雪山のスペシャリストである彼女たちが「お手上げ」だと言うのだ。それは、遭難した姫への事実上の死刑宣告に等しかった。

だが、その空気を読まない音が響いた。

サクッ、という、軽快で小気味よいドーナツをかじる音だ。


「おい、そこの魔術師。何がおかしい」


隊長が鋭く問いかける。背びれが怒りで震え、殺気が膨れ上がる。

しかし、エラーラは悪びれもせず、ドーナツをかじりながら口を開いた。


「いや、実に論理的な判断だよ、隊長。君たちの種族特性――特にその優れた聴覚と嗅覚は、この山頂付近で発生している高濃度の魔力異常と最悪の相性だ」


エラーラは立ち上がり、彼らに歩み寄った。ボロボロの白衣を羽織り、首からは金色の聴診器「真理の眼」を下げている。


「君たちの感覚器は高性能すぎる。例えるなら、繊細なマイクを嵐の中に放り込むようなものだ。無理に進めば感覚過敏で発狂し、最後は仲間同士で殺し合うことになる。私の計算では、全滅率は九十九・八パーセントだ」


「……なんだと? 貴様、我々を愚弄するか」


隊長が激昂し、一歩踏み出す。その巨体から放たれる圧力は凄まじい。女性兵士たちも牙を剥く。

しかし、エラーラは白衣からスレート端末を取り出し、テーブルに放り投げた。

画面には、山頂付近の魔力分布図と、獣人の脳波への影響をシミュレートしたグラフが映し出されていた。


「愚弄? まさか。事実を述べただけだよ。君たちは優秀なハードウェアを持っているが、今のこのバグだらけの環境には対応できない仕様だということさ」


エラーラは不敵に笑い、隊長の目の前に立った。身長差は頭一つ分以上ある。だが、彼女の放つ知性の圧力は引けを取っていなかった。


「取引といこうか、隊長。報酬を半分頂こう。代わりに、捜索の全権を私たちに委譲したまえ。極寒地仕様の装備と、君たちのサポートがあれば十分だ」


「正気か?見たところ、まともに戦えそうなのはそこの黒服の娘くらいだ。あとの二人は子供と……魔力を持たないエルフだと?自殺志願なら他所でやってくれ」


隊長の言葉はもっともだった。プロフェッショナルが撤退する場所に、素人の女性だけのパーティが挑むなど狂気の沙汰だ。

しかし、エラーラはニヤリと笑った。難解な数式の解を見つけた数学者のように。

彼女は聴診器を指で弄びながら、三本の指を立てた。


「フム。君はまだ、我々の仕様を理解していないようだね。いいかい? 我々は、君たちのような正常な生物ではないのだよ」


エラーラは振り返り、自分の家族を紹介するように腕を広げた。


「まず、この磁場に干渉されない無能力という鉄壁の司令塔、アリシア。彼女には魔力がない。故に、魔力嵐の影響を一切受けない。彼女のナビゲートは、どんな嵐の中でも決して狂わないコンパスとなる」


アリシアが、優雅にスカートの裾を摘んで一礼する。


「次に、複雑な精神干渉など筋肉と本能で弾き返す前衛、ナラティブ。彼女の思考回路は愛と物理で構成されている。精神攻撃など、彼女の強固なマザ……いや、家族愛の前には無意味だ」


「お母様、今マザコンって言いかけました? 否定しますわよ! あたしはただ、純粋に家族を愛しているだけです!」


ナラティブが抗議するが、その視線はチラチラと偵察員の尻尾に向いている。


「そして、狂気すら凌駕するバグ、グリッチ。彼女にとって、この程度の異常現象は遊び場に過ぎない」


「えへへ、お姉ちゃんに褒められちゃった! いつでもいけるよ!」


「そして何より――この私、エラーラ・ヴェリタスがいる」


エラーラは隊長を真っ直ぐに見据えた。青い瞳の奥には、冷徹な計算と、それを覆すほどの情熱が渦巻いている。


「論理的に考えて、これ以上の適任者はいないだろう? ……それに、姫を助ければ、君たちの名誉も守られる。相互利益というやつさ。どうだい?」


ロッジの中が静まり返る。

隊長は数秒の間、エラーラを睨みつけた。彼女の言葉に嘘はないか。その瞳に怯えはないか。

やがて、彼は深く息を吐き出し、張り詰めていた肩の力を抜いた。そして、ニヤリと鋸のような歯を見せて笑った。


「……いいだろう、イカれた魔導師。その論理に乗ってやる」


隊長は振り返り、部下たちに怒号を飛ばした。


「お前たち! こいつらに装備を貸してやれ! 倉庫にある一番いいやつだ! ただし、俺たちも同行する。山の中腹までだ。そこから先は、貴様らの論理とやらに任せる!」


「了解だよ、隊長! ……へえ、あんたたち面白いねえ。気に入ったよ!」


女性兵士が豪快に笑い、ナラティブの背中をバシバシと叩く。


「いたっ、痛いですわ! ……でも、その手から伝わる熱量……ああ、なんて素晴らしい……」


ナラティブが恍惚とした表情で女性兵士の手を握り返し、偵察員が「変な子ねえ」と尻尾を振る。

エラーラは聴診器を首にかけ、満足げにドーナツの最後の一欠片を口に放り込んだ。


「準備はいいかい、私の愛すべきバグたち。さあ、デバッグの時間だ」


彼女は白衣を翻し、高らかに宣言した。


「これが真理だ!」

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