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ヴェリタスの最終定理【完全コメディ小説】  作者: ギデオン・ヴァンツ@週刊コロッセオ記者
シーズン1:日常編

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定理9:完璧なステーキを食べたい!(前編)

●リメイク元

「ナラティブ・ヴェリタス」破滅を呼ぶ無知

「ナラティブ・ヴェリタス」球場の男たち

「アリシア・ヴェリタス」重大な嘘と些細な真

「料理とは、エネルギーを丸太のような大雑把な論理で除したものである。これが真理だ」


王都の午後は、地脈Wi-Fiの微かなノイズと、平和という名の退屈に包まれていた。ヴェリタス探偵事務所のキッチンは、今、まさに未曾有の危機に直面していた。


「……おかあさま。わたくし、今日から三日間、聖アフェランドラ学園の同窓会で留守にしますわ。冷蔵庫には作り置きがありますが、決して、……決して、キッチンを実験場にしないでくださいね。もし帰宅して換気扇から未知の色の煙が出ていたら、わたくし、愛を込めて事務所を一つ爆破するかもしれませんわ」


アリシア・ヴェリタスが、絶世の美貌に凍りつくような微笑みを湛えて家を出てから、わずか三時間。

探偵事務所の主、エラーラ・ヴェリタスは、白衣の袖をまくり上げ、不敵な笑みを浮かべてキッチンの中心に立っていた。彼女の瞳には、知的好奇心という名の狂気が宿っている。


「フム……。アリシアがいない今こそ、調理という名の熱力学的実験を、論理的な極致へと導く絶好の機会だねぇ。料理とは要するに、タンパク質の変性とメイラード反応の最適化に過ぎない。私ほどの知性があれば、包丁など使わずとも数式一つで最高のフルコースを記述できるはずだよぉ。アリシアの作り置き?ナンセンスだ。私は、既存の概念を過去のものにする新世代の栄養摂取形態を皿の上に定義してみせるよ」


エラーラは、本来は食材を切るための清潔なまな板の上に、何故か高精度の魔導演算機と、怪しく回転する遠心分離機を設置した。彼女にとって、キッチンは単なる調理場ではなく、不完全な素材を完璧な栄養素へと変換するための小規模な粒子加速器に等しい。


「お、お母様……。あたし、嫌な予感しかしないわ。その手に持っているのは、何?牛肉?それとも、新種の魔導生物の肉片?それ、生きて動いてない?」


ナラティブ・ヴェリタスが、ダイニングの隅で鉄扇を握りしめ、ガタガタと震えながら問いかけた。彼女の隣では、グリッチ・オーディナルが

「お姉ちゃんの初料理!全ての熱伝導プロセスをナノメートル単位で記録するよぉ!これで特許を取れば、借金の三パーセントくらいは返せるかも!」と、センサーの束をフライパンに突き刺して期待に満ちた声を上げている。


「フム、ナラ君。これは王都の市場で仕入れた、極めて標準的な牛肉だよ。だがね、既存の調理法はあまりにも非効率だ。強火で焼く?水で煮る?それは原始人の論理だねぇ。私は今から魔力振動を用いて、肉の細胞膜を破壊せずに中心温度を制御し、さらに魔力的にアミノ酸配列を組み替えて至福という名の信号を脳に直接送り込む、論理的加熱法を実践するよ」


エラーラは、牛肉を特殊な真空パックに詰めると、それを特製の魔導リアクターの中へ放り込んだ。次の瞬間、キッチン全体がキィィィィィィィンという、鼓膜を物理的に抉るような高周波音に包まれた。


「あはは!お姉ちゃん、リアクターの圧力が臨界点を超えてるよぉ!爆発係数が九八パーセントを突破!これ、爆発の衝撃波で肉を叩くつもりだね!最高のエンターテインメントだよぉ!」


「グリッチ!笑ってないで止めなさいよ!あたしたちの夕食が、物理的な破壊エネルギーに変換されようとしているわ!一流のレディが、爆風で焼かれた炭を食べるなんて、あってはならない事態よ!」


ナラティブの悲鳴が響く中、事務所の扉が勢いよく開いた。


「ただいま戻りました!エラーラさん、アリシアさん!今日は規制局の残業を切り上げて、差し入れのドーナツを持って……って、何ですかこの音と、この鼻が曲がりそうなオゾンの匂いは!?有毒ガスの漏洩ですか!?」


現れたのは、王都魔導規制局のアスナ・クライフォルトだった。彼女は眼鏡を曇らせ、鼻を突く電気火花の匂いと、焦げたゴムを煮詰めたような異臭に顔をしかめた。


「おや、アスナ君。いいところに来たねぇ。今、まさに新時代の美食が、既存の料理という概念をデバッグする瞬間だよ。キミも王都の役人なら、歴史の目撃者になる権利を特別に付与してあげようじゃないか」


エラーラが、汗一つかかずに、狂気的な数値を示すリアクターのレバーを力いっぱい引いた。

ボフッ、という、重たい何かが破裂したような音と共に、リアクターから大量の、目に痛いほどの紫色の煙が噴き出した。煙が晴れた後、皿の上に鎮座していたのは、もはや牛肉とは形容し難い、どろどろに溶けて蛍光緑色の光を放つ、脈動するスライム状の物体だった。


「……エラーラ・ヴェリタスさん。……論理的に、いや、物理的に説明してください。これ、何ですか」


アスナの声が、冷徹なまでの静寂を伴って響いた。彼女は竜人の鋭い嗅覚と、魔導規制局で培った不法投棄物に対する豊富な知識で、その物体の危険性を瞬時に分析した。


「フム、アスナ君。見た目は少々、三次元的な形状維持に失敗しているようだが、計算上は完璧な栄養バランスだよ。ビタミン、ミネラル、そして過剰なまでの魔力。これを一口食べれば、キミの残業疲れも分子レベルで分解され、脳が強制的に幸福信号を出力するはずだねぇ。これこそが、未来の食卓の真理だ」


「……言わせていただきます」


アスナが、一歩、エラーラに詰め寄った。彼女の背後の極太の尻尾が、怒りのあまりバチバチと放電し、周囲の空気を勝手に加熱し始める。彼女の青い瞳は、細縁眼鏡の奥で、かつてないほどの怒りの炎を宿していた。


「これは料理ではありません。これは地脈の膿です!魔導安全法、食品衛生法、そして私の個人的な美味しいものへの渇望という名の最高法規に対する、明白な宣戦布告ですわ!そもそも、これ、さっきから動いて私を威嚇してませんか!?」


「おや、アスナ君。味覚という主観的なパラメータに頼るのは、知的な態度とは言えないねぇ。まずはサンプルを摂取し、その化学的な充足感を……」


「食べません!誰が食べるんですか、こんなバイオハザード!エラーラさん、あなた、理論は最強かもしれませんけど、台所に立つ権利に関しては、今すぐ剥奪して差し上げます!あなたの指先には、素材を呪い殺すバグでも住み着いているんですか!?」


アスナのツッコミは、もはや咆哮に近かった。彼女にとって、牛肉という尊いリソースが、エラーラの歪んだ知性によって無残に解体され、不定形な魔力汚染物へと成り果てた事実は、公務員としての、そして何より食への情熱を持つドラゴンとしてのプライドを激しく抉ったのだ。


「フム、アスナ君。キミは少々、伝統という名のバグに固執しすぎているようだねぇ。ならば聞こうか。キミなら、この牛肉であったはずのものから、どのような正解を導き出すというのかね?私の理論が間違っていると証明したいのなら、キミが実演してみせたまえ」


エラーラが、挑発するように、煤けた空の鍋をアスナに差し出した。


「……いいでしょう。そこまで仰るなら、教育して差し上げますわ!私の料理は、規制局の予算案よりも精密で、最高級のドーナツよりも甘美ですのよ!」


アスナは、バサリと規制局の重たいジャケットを脱ぎ捨て、ワイシャツの袖を捲り上げた。その色白の腕には、これから始まる調理という名の聖戦に向けた、並々ならぬ気合がみなぎっていた。


「エラーラさん、あなたは座って、その論理的なお口で黙って私が買ってきたドーナツでも齧っていなさい!私が、本物の加熱調理という名の演算を、あなたの胃袋に直接インストールしてあげますから!」


アスナは、エラーラが広げた怪しげな実験器具や遠心分離機を、片っ端からゴミ袋へと叩き込み、キッチンの主権を武力と、圧倒的な生活能力で掌握した。彼女の瞳には、かつてないほどの情熱と、エラーラのあまりの生活無能力者ぶりに対する深い憐れみが宿っていた。


「ナラティブさん、ルルさん!野菜を洗ってください!泥落としも三次元的に完璧に!グリッチさんは、そのセンサーを温度計として、コンマ一度の誤差も許さず管理しなさい!さあ、始めますわよ、ヴェリタス家の胃袋再建計画を!これこそが、本物の料理ですわ!」


アスナの指揮の下、混沌としていたキッチンが、一転して機能的な調理場へと書き換えられていく。エラーラは、キッチンの隅に追いやられ、ネコを膝に乗せながら、不満げに珈琲を啜った。


「フム……。私の熱力学的アプローチを否定するとは。アスナ君、キミのその自信、後で論理的に粉砕してあげ……モグモグ、あ、このドーナツ、なかなか優秀な糖分補給だねぇ。この適度な弾力が、私の脳の回転を……」


「食べてる場合ですか!見ていてください、これが本物のメイラード反応という名の、物理現象ですわ!」


アスナがフライパンを勢いよく振る。ジュワッ、という、エラーラのリアクターからは決して出なかった、文明の音がキッチンに響き渡った。

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