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【ヴェリタスの最終定理】  作者: 自殺
Phase1

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14/24

定理7:バグで世界を救いたい!(後編)

王都の時計塔が零時の鐘を鳴らし終え、一人の少女の運命をデバッグし終えたヴェリタス探偵事務所。だが、この一家の夜は、一件の解決だけで幕を閉じるほど論理的に静穏ではない。


「……おかあさま。わたくし、少し外の空気を吸ってまいりますわ。グリッチさんの興奮を冷却するのも兼ねて、深夜まで開いているドーナツショップにでも立ち寄りましょうか」


アリシア・ヴェリタスが、絶世の美貌に穏やかな微笑みを湛えて提案した。彼女の隣では、アリシアに褒めちぎられた多幸感で脳内の魔力回路がオーバーヒート寸前のグリッチ・オーディナルが、白髪を左右に激しく揺らしながら、壊れた玩具のように跳ね回っている。


「お姉ちゃんとの深夜デート! 最適化された最高のご褒美だねぇ! ドーナツの穴を全部埋める勢いで食べるよぉ!」


「フム、よろしい。アスナ君との徹夜の解析作業に備えて、高糖度のサンプルを十ダースほど要求するよ。もちろん、経費という名の負債として処理したまえ」


エラーラ・ヴェリタスは、十七工程の魔力ドリップ装置から立ち上る蒸気の向こうで、ハスキーな声で許可を出した。彼女は既に次のバグを求めて、キーボードを叩く指を光速で動かし始めている。

王都の夜、歯車通りのさらに奥。深夜のガス灯が青白く燃える路地裏を、アリシアとグリッチは歩いていた。昼間の喧騒が嘘のように静まり返ったこの一帯は、老朽化した魔導配管が剥き出しになり、地脈Wi-Fiの電波も「圏外」を示す、情報の不連続点だ。


「……おかしいですわね。グリッチさん。先ほどから、空間の反響係数に奇妙な揺らぎを感じますわ。わたくしの管理ドメインから、現実が僅かに乖離しているような……」


アリシアが立ち止まり、金髪のウェーブを揺らして周囲を警戒する。彼女は魔法を使えない無能力者だが、その「管理者」としての直感は、どんな高精度の魔導センサーよりも鋭く世界の違和感を捉える。


「あはは! 本当だねぇ、アリシアお姉ちゃん! 空間の解像度が落ちて、テクスチャが貼り遅れてるみたい。これ、……本物の『怪異』の出現パターンだねぇ!」


グリッチが赤目をギラつかせ、全身のセンサーを展開しようとしたその瞬間だった。

路地の壁から、泥のように黒い、それでいて鏡面のように滑らかな「何か」が溢れ出した。それは形を持たず、だが確実に意志を持った情報の澱み――王都の老朽化したOSが吐き出した、自己矛盾の塊だった。


『……エラー……不完全な個体を検知……最適化を開始します……』


無機質な、何千人もの声を合成したようなノイズが路地裏に響き渡る。

怪異から伸びた無数の触手が、グリッチの全身を包み込んだ。普通ならば一瞬で粉砕するはずのグリッチだったが、その怪異の性質が悪かった。


「……あ、……れ? ……私の……演算が……上書きされて……。……お姉ちゃん、……助け、……て……」


怪異はグリッチの「お姉ちゃんに良く思われたい」という純粋な執念をトリガーに、彼女の精神構造を「完璧な道具」へと書き換え始めたのだ。グリッチの白髪が、病的なまでに均一な輝きを放ち、その赤目から狂気が消え、代わりに冷徹な処理コードが流れ始める。


『……最適化完了。……グリッチ・オーディナル、……完全なるエラーラ専用アンチウイルスソフトへと、……移行します。……感情という名のノイズを……消去……』


「……グリッチさん!?」


アリシアの目の前で、愛すべき妹のような存在が、冷たい機械人形へと変貌していく。グリッチは直立不動の姿勢をとり、抑揚のない声で告げた。


「報告。現在の気温、湿度、風速より、ドーナツ摂取はカロリー効率において非推奨。直ちに帰還し、睡眠学習を行うことを提案します」


「……なんてこと。グリッチさんが、つまらない学級委員長みたいになってしまいましたわ!」


怪異はさらにアリシアへと触手を伸ばし、その「管理者」としての美徳を、独裁的な規律へと最適化しようと試みた。


『……次なる対象、アリシア。……過剰な博愛、……非合理な善性を検出。……これらをすべて、……冷酷な統治プログラムへと……修正します』


アリシアの周囲に、完璧に計算された「理想の世界」の幻影が広がる。そこには、エラーラの借金も、ナラティブの我が儘も、グリッチの狂気もない、整然と管理された、死んだように静かな理想郷があった。

だが、アリシア・ヴェリタスはその絶世の微笑を崩さなかった。彼女は、自分を「修正」しようとする怪異の触手を、素手で優しく、だが力強く握りしめた。


「……フフ。面白いことを仰いますわね、怪異さん。……わたくしを『完璧』に? ……その必要はありませんわ」


アリシアは、自らの中にある「最強の愛」という名の絶対的な倫理を、怪異のシステムに向けて高らかに宣告した。


「――だって、わたくしは既に『完璧』ですもの」


『……ハ?』


怪異の思考が一瞬停止した。

アリシアは、触手を握りしめたまま、聖母のような、しかし底知れぬ圧力を秘めた笑顔で詰め寄った。


「わたくしが不完全なものを愛するのは、わたくし自身が完璧だからですわ。完璧な存在が、不完全なものを愛でる。これこそが宇宙の調和、絶対の真理。……それを修正しようなどと、貴方、ご自分のスペックを過信しすぎではありませんこと?」


『……ケ、警告。……対象の自尊心レベル、測定不能……。……論理防壁が……厚すぎる……』


怪異が怯えたように触手を引こうとするが、アリシアは逃がさない。


「それに、貴方は大きな勘違いをしていますわ。グリッチさんの価値は、その完璧な計算能力にあるのではありません」


アリシアは、直立不動で「直ちに帰宅を」と繰り返しているグリッチを、愛おしそうに見つめた。


「お姉ちゃんのために頑張りすぎて空回りしちゃうところ! 料理をすれば台所を爆破し、掃除をすれば壁を破壊するドジなところ! そして何より、常に予測不能なバグを引き起こすそのポンコツ具合こそが! グリッチさんの愛らしさであり、至高の価値なのです!」


『……は? ……バグ=価値? ……理解不能……理解不能……』


「完璧なだけの妹なんて、可愛くありませんわ! 予測可能な日常なんて、退屈なだけです! さあ、怪異さん。貴方も『完璧』を目指すなら、まずはその泥のような体を虹色に発光させて、パレードでも開催するくらいのユーモアを身につけなさい!」


アリシアの「完璧すぎる愛の定義」が、奔流となって怪異に流れ込む。それは単なる善性ではない。相手の存在意義を根底から書き換える、慈悲という名の暴力だった。


『……ヒィッ! ……やめろ……! ……その「許し」は……重い……! ……私の論理構造が……愛で……愛で押し潰される……!』


怪異は気づいてしまった。目の前の聖女は、自分たち怪異よりも遥かに強固で、歪で、そして完成された「怪物」であることに。

不完全を愛するために、自らが完璧な聖域となる。その矛盾を内包したまま微笑むアリシアの姿に、システムが悲鳴を上げた。


『……無理……! ……この女の「完璧」の基準値……高すぎる……! ……これ以上接続すると……私が「お母様」と呼ばされてしまう……! ……嫌だぁぁぁ!』


ボンッ!!!


怪異は、アリシアへの恐怖と、処理しきれないパラドックスに耐えきれず、自ら爆発四散した。

泥のような破片が飛び散り、後に残ったのは、静寂と、正気を取り戻したグリッチだけだった。


「……はっ! ……あ、あれ? 私、今……?」


グリッチが膝をつき、激しく咳き込む。彼女の瞳からは、先ほどの冷徹なコードが消え、いつもの、どうしようもなく不器用で狂気的な「エラーラへの愛」が戻っていた。


「あはは……。なんか、すごい怖い夢を見てた気がするよぉ。……私が、学級委員長になって、エラーラお姉ちゃんに『ドーナツ禁止令』を出そうとしてた……。……そんなの、地獄だよぉ……」


「大丈夫ですわ、グリッチさん。……さあ、立ってくださいな」


アリシアが手を差し伸べる。グリッチは、自分が「完璧な道具」になろうとして、大切なカオスを捨てかけたと気づき、顔をカッと熱くさせた。


「……あ、……アリシアお姉ちゃん。……ごめん、なさい。……私、……」


「いいんですのよ。……むしろ、先ほどのあなたも、少しだけ静かで素敵でしたわ。……でも、やっぱりわたくしは、お姉ちゃんのために世界を爆破しようとする、今の不完全で無茶苦茶なあなたの方が、……ずっと、可愛らしくて大好きですわよ」


アリシアが、グリッチを優しく抱きしめた。その胸の温もりと、完璧な善性から放たれる慈愛の香りに、グリッチの精神回路は完全にショートし、そして再起動した。


「……えへへ……。……アリシアお姉ちゃん……」


グリッチは、アリシアの胸に顔を埋めながら、深呼吸をした。そして、どこか悟ったような、それでいて甘えるような声で呟いた。


「やっぱり、完璧すぎる世界を目指すと、息苦しくなるよぉ。……バグがあるから、世界は楽しいんだねぇ」


「…………さあ、帰りましょう。おかあさまが、お腹を空かせて、ネコの尻尾を齧っているかもしれませんもの」


アリシアは、顔を赤らめて鼻息を荒くしているグリッチの手を引き、再び歩き出した。

結局、ドーナツショップには辿り着けなかったが、二人の間には、王都のどんな高級なスイーツよりも甘く、そしてどんな強固なセキュリティよりも強固な絆という名の「愛」が、より深く記述されていた。

探偵事務所に戻ると、そこには案の定、空腹でデスクに突っ伏したエラーラと、それを「またですか」と冷ややかな目で見ているナラティブ、そしてエラーラの頭の上で我が物顔で眠るネコの姿があった。


「フム……。二人とも、帰還したか。……して、ドーナツという名の論理的報酬は?」


「怪異に遭遇して、それどころではありませんでしたわ。……おかあさま。……後でグリッチさんと一緒に、わたくしがとびきり不完全で美味しいパンケーキを焼いて差し上げますわね」


アリシアが微笑み、グリッチが元気よく両手を上げた。


「うん! 私が火力設定、五〇〇〇度で焼き尽くしてあげるねぇ! 黒焦げのパンケーキを作るよぉ!」


「……フム。それはもはや料理ではなく実験だねぇ。だが、空腹よりはマシか」


エラーラが苦笑し、ナラティブが「消火器用意しとくわ」とため息をつく。

王都の夜は、今日もどこまでも非論理的で、そして愛おしいバグに満ち溢れていた。

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