或る検察事務官の手記
あれは、僕が検察事務官として働き始め、未だ数年目の出来事だった。殺人事件の勾留中の取り調べで、検察官に同席して供述調書の作成を行っていた時の事だ。
被疑者は三十歳代の女性で、自宅で自分の子供を絞殺したとの事だ。犯行直後、帰宅した被疑者の夫が、異変に気付いて警察に通報したらしい。その時の彼女は、狼狽するでも逃げるでも無く、只々、寝台に横たわる我が子に寄り添っていたと言う。
「私が、『普通』に産んであげられなかったから……。全て私が悪いのです。」
検察官に事件について問われ、発した最初の言葉がそれだった。
被害者である子供は、重度の知的障害児であった。食事や入浴、排泄等の日常の行動全てに、他者からの支援を必要としていた。被疑者である母親が、二十四時間体制で介助をしていたらしい。
母親は結婚当初から、子供を産む事を強要されていたが、なかなか妊娠出来ずに居たのだ。不妊治療の末に授かった子供も、流産や死産続きで諦めかけていた所に、やっと授かったのが今回の被害者だ。
「……本当に嬉しかったのです。やっと……やっと務めを果たせたのだって。」
子供を産む事は、彼女にとって幸福な事だったのだろうか。淡々と取り調べに応じる彼女の横顔を眺め、僕はふとそんな疑問を抱いた。
子供が産まれて直ぐは、夫やその両親達は舞い上がる程の喜び振りだったそうだ。だが、子供が成長するにつれて、何処か『普通』では無い事に気付いた。それは、年々顕著になって表れ、小学校に上がる頃には決定的なものとなっていた。
「食事を与えるだけで、毎回二時間は掛かりました。ずっと付きっ切りで世話をしなければならないので、自分の食事なんて後回しで、冷めてから慌てて掻き込むなんていつもの事です。」
同じ食卓に座る夫は、そんな彼女を手伝おうともせず、先に食事を終えて席を立ってしまうのが常だった。だが、ここ暫くは食卓にすら姿を見せず、彼女の就寝後に帰宅する毎日だったそうだ。
「……女が……他に居たのは解っています。でも、こんな子供しか産めない私は……。」
もう何年も、夫の両親からはそれとなく離婚を薦められていたらしい。夫はそれを知ってか知らずか、次第に彼女を避ける様になっていた。
取り調べも何度目かになり、最初の頃の様な張り詰めた緊張感は薄れていた。彼女とは、時折、雑談をする事も有った。
「あの子はオムレツが大好きで、いつも喜んで食べてくれました。でも、似た様なものだと思うのですが、オムライスは好きでは無くて……。」
時折、思い出した様に被害者との日常を語った。
「事務官さん、貴方は食事についての思い出は有りますか?」
唐突な質問に少し面食らいながらも、僕は幼少期の食卓を思い出した。
「冷えた白飯に、スーパーマーケットの割引惣菜……ですかね。」
そう言いつつ、僕は少しだけ胸の奥が苦しくなった。
「あの……僕、貧乏だったんです。母一人子一人の母子家庭で、仕事で母の帰宅時間はいつも遅くて。保温機能の付いた炊飯器や、電子レンジなんて無くて……。」
眼の奥の方がツンと痺れて来た。
「今は……?」
「少ないですが、毎月仕送りを送っているので、それなりの生活は……。」
「そうでは無くて、今もご一緒に?」
「……いえ、転勤の多い職場ですので、母とは別々で……。就職してからは、未だ一度も……。」
「そうですか。ならば一度、会いに行かれては?きっと、喜んでくれますよ。」
「はい……。」
その年の年末、休暇を利用して久々に実家に帰省した。母親は風邪をひいており、あまり体調が良くなかった様だが、僕が土産で持参した駅弁を嬉しそうに頬張った。電子レンジで温めようと思ったが、母親は未だ電子レンジを購入していない様だった。
数日間の滞在の後、僕は慌ただしく実家を後にした。
「……いってらっしゃい。」
別れ際に母親が言ったこの言葉が、いつまでも脳裏に焼き付いて離れなかった。
その後、母親は風邪を拗らせ、肺炎に罹り入院する事となった。直に良くなるだろうと楽観視をしていたが、予後はあまり良くなかった。年を越したばかりの翌年の春先、母親は静かに息を引き取った。
形だけの葬儀を終え、僕は母親の遺品整理を始めた。忌引き休暇中に全てを終えるのは無理だろうと、僕は日常的に利用していたものだけでも片付ける事にした。母親の通帳が出て来たので、そっと中を確かめてみた。就職してからずっと送り続けていた僕からの仕送りには、一切手を付けていない事が解った。
数年後、件の殺人事件の母親が刑期を終えて出所する頃だと思い、何となく会いに行ってみようかと考えた。そんな時、その母親が刑務所内で自殺をした事を知った。出所まで後一日という日だった。彼女の傍らには、一枚の一筆箋が残されており、其処には『あの子に会いに行きます。』とだけ記されていた。
僕は、雲一つ無い蒼穹を仰いで呟いた。
「いってらっしゃい。」