資源が有ることで こんなの出来ました え?艦種変更ですか
海上護衛艦は1番艦が昭和13年春に進水し、艤装を施され艦隊に引き渡されたのが13年10月。
次いで2番艦が13年12月に引き渡された。
1番艦がタービン主機で2番艦がディーゼル主機だった。
問題は多数出た。
まず、全力運転で振動が出る。16ノット程度なら出ないので解決するまでは速力に制限を設けた。前部機械室から中継で長さのある左舷側スクリューシャフトが暴れるという現象だった。
売りの最新聴音機と探針儀だが、ロッシェル塩素子の寿命が実使用では想定よりも短かった。素子を使ったマイクロフォンは真水中に漬かっており素子の防水と内部の防湿が不十分と思われた。
せっかく調子の良い時間の聴音機だが、ディーゼル主機採用の2番艦では自艦の騒音放射が酷く6ノット程度でないと実用にはならなかった。タービン艦は幾分マシで有る。
これなら従来の聴音機の方がマシだと言われる。
騒音放射対策はエンジンマウントに振動吸収用の防振ゴムをかまし、スクリューシャフトの途中に防振ゴムのカップリングを挟み込んだ。かなり良くなった。
振動は、船体にも原因有るとして現在建造中の艦艇で間に合うものから強度計算をし直した船体になる。5番艦からだった。
マイクロフォンの防水と防湿は試作で丁寧に作るのと量産で大量に作るのとは、やはり精度や作り込みに差が出たらしい。防水ゴムやシール材の変更まで含めて改良をすることになった。
マイクロフォンの防水と防湿は改良型が出現したのが昭和15年春で、早速搭載され良好な結果をもたらした。
このマイクロフォンを使った水中聴音機は九七式水中聴音機として制式化された。聴音結果を可視化しようと試みるも複数種類音源が選別不可能で諦められた。
一方水中探針儀の可視化はPPIスコープの実用化に手間取り、Aスコープでまずは実用化された。九八式水中探針儀である。
探知性能に不満は無いが操作に熟練を要し、耳で判断した方が結果が良いとまで言われる。現場からはPPIスコープの実用化が求められる。
PPIスコープは昭和17年秋に実用化成功。水中探針儀のみならず電探にも採用される。陸軍の電波警戒機にもだ。
一方、護衛艦改め海防艦に積まれた短10センチはその軽量ゆえの取り回しの良さと新型であるだけに高性能で、海軍各種艦艇に搭載すべく量産が始まった。3年式8センチ高角砲の代替と新型艦への搭載である。
阿賀野級に搭載予定だった長8センチは開発中止となり、短10センチを新設計の連装砲架で連装として搭載することになった。重量的に苦しい小型空母へも搭載される。
新艦種護衛艦は、駆逐艦同様軍艦ではない。日本帝国海軍において軍艦という存在は菊の御紋章有る無しで区別できた。
つまり艦長でも、軍艦ではない駆逐艦の艦長は正式には駆逐艦長と呼ばれる。駆逐艦の長である。駆逐艦艦長ではない。
軍艦の長は艦長であった。
削減される旧式艦の中には海防艦を務める旧弩級戦艦や装甲巡洋艦が複数含まれる。それら大型艦の艦長が新しい小型艦の艦長になることは無いのだが、新造艦の艦長になる可能性の有る少佐や大尉だと違ってくる。新しくできる配置が艦長ではなく長なのが問題とされた。
そして艦種変更となった。従来艦種に当て嵌める。旧弩級戦艦や装甲巡洋艦は海防艦として扱われていた。小型でも河川砲艦は菊の御紋章を掲げていた。なら護衛艦程度の大きさでも菊の御紋章は問題なしだろう。
海防艦としてなら扱いが軍艦だった。1000トンをわずかに超える護衛艦が軍艦扱いの海防艦になり菊の御紋章を掲げる。
今度は駆逐艦を始めとする軍艦以外の艦長から文句が出た。俺たちの船にも菊の御紋章を掲げるようにしろと。
結局、海軍艦艇のほとんどに菊の御紋章が掲げられるようになった。さすがに搭載艇や港湾内使用が原則の曳船等は対象外だ。洋上を長時間自力航行可能な艦艇のみと言う条件を付けた。
日本変動(報道各社や出版各社と知識人が現象の名付けに悩み、ただの変動とした)以来、昭和5年から後の景気回復と長期の好景気は技術力向上と生産性向上有ってこそだった。経済成長率が多い年は年率20%を越え平均でも15%近い。昭和13年の国民所得は昭和2年の3倍以上であった。
国民の財布の紐も緩み、購買力は旺盛だ。街中にはフォードやGMが走り回り、イギリス大衆車の他ベンツやロールスロイス等の超高級車も極まれに見かける。オートバイはイギリスのノートンやトライアンフやアメリカのハーレーが多いがBMWやツェンダップさえも見かける。国内自動車メーカーも元気だ。国産オートバイはハレーをライセンス生産している程度だった。東海精機という会社の社長が興味を持っているらしい。
それらが、さらに景気を加速させる。政府は行きすぎないように逆に沈静化を図るほどだ。
海外からの技術導入も多く、またいくつかの国産技術のいくつかが海外で採用された。東北大学などでは研究費が増えたらしい。
全体的に進歩(工業先進国水準に近づく)しているが、特に進歩が著しいのが弱電関連だった。
昭和11年
ドイツ真空管製造メーカーの技術と製品管理を導入。製造歩留まり向上と品質の向上が出来た。品質の向上はノイズの減少に現れ、ラジオの受信性能や通信機の品質が向上した。
昭和12年
塩化ビニルの国内実用化で電線の被覆が天然ゴム系から多くが塩化ビニル系に変わった。絶縁性能の向上はノイズの減少に現れ、ラジオの受信性能や通信機の品質が向上した。耐熱性の向上は電線由来の火災減少にも役立った。
等々、数えれば切りがない。
勿論軍需装備も恩恵を受けている。
昭和14年。横浜沖大観艦式で電探観測を実現。10km先まで観測できた。
九七式水中聴音機と九八式水中探針儀の高性能も技術と品質の向上に裏付けられている。
各種無線通信機の品質が向上。機載無線電話機や携帯野戦無線電話機が実用レベルになる。
次回更新 11月07日 05:00
電線の被覆と言えば、自宅のアンプの電源コードの被覆がひび割れて中の銅線が恥ずかしそうにコンニチワしていました。勿論使用は止めています。
皆さんも電線被覆の劣化や内部断線にはお気を付けて。内部断線すると発熱したりして危険です。動いている機器のコードを持って部分的に熱ければ、部分断線している可能性もあり。