資源が有ることで 奇跡はあるのだよ
西之島の開拓人員は、主に移民帰還者と小作農主体です。
小笠原新島の仮称が取れ西之島となった地に入った調査隊は信じられない思いでいる。何故いきなり出来た島でこれだけ動植物相が揃っているのか。
やはりピカピカ光った伊勢神宮と出雲大社のおかげか。天照大御神様と大国主命様の御意志なのかも知れない。
だが、海外では教会が光ったという話は聞こえてこない。もし光っていれば自慢げに主張するだろう。
調査隊は動植物相を調べる。植生においてはこの緯度で見られる植生だった。動物相はおかしかった。鹿と猪にウサギ、ネズミやリス、イタチなどの小動物はいい。生態系の頂点となる肉食性・雑食性の大型動物は狼しか確認されていない。熊がいない。鳥類は豊富だった。肉食性の猛禽類も確認された。小型の動物は天敵で制御されるだろう。
海岸にはカワウソも確認された。
他に気になるのはヤマビルがいない。マダニはいる。恣意的なものかただ単に忘れただけなのか。
(この研究者は増えた土地は神様が作ってくれた派だった)
ハブもマムシもいる。アオダイショウとヤマカガシもいる。餌となるカエルなども多い。
昆虫は多岐にわたり生息している。
注目したのは、菌類だった。松茸が大量に生えている。勿論赤松の根元だ。椎茸も多い。ナメコも有る。勿論、毒キノコも数多く見つかった。
陸生の動植物だけでは無く、川魚や淡水の貝類も持ち帰り病原体や寄生虫の調査をしなければならない。
全体として調査隊が発見した動植物は、紀伊半島付近から南西諸島の範囲に生息している動植物が多かった。
生物を専門とした調査隊と同時に土壌や地下資源の調査も行われた。平野部の土壌は関東平野のような土壌ではなく濃尾平野の土壌に近かった。また山肌にクロム鉱石が露頭していた。期待が出来た。
全て調査隊が有意義な報告を行ったのは間違いない。
そして、この初期調査の後、未知の病原体等の有害生物が確認されず、本土同等であることが分かると本格的な開拓に乗り出すこととなる。
また金が飛んでいく。沖縄国債の追加発行が決まった。
昭和9年。西暦1934年。
日本国内は西之島開拓と沖縄復興の特需に沸いている。世界はアメリカの株式暴落に始まった恐慌の最中だが、日本・スペイン・ポルトガルは国内開発特需で影響を最低限に留めている。
日本人移民も多数帰ってきて、主に西の島開拓に参加(投入とも言われる)した。帰ってきても故郷に土地は無いが、西之島なら開拓すればある程度の割合で格安購入できた。政府の資金で開拓し、格安で買えるのである。帰ってきた移民以外にも日本全国から集まった。たわけする必要もなくなるので農村などは率先して送り出したようだ。
この開拓特需は世界の経済にも少なからず影響を与えた。海外ではスペイン・ポルトガルが自国で製造していない車両や農業機械や建設用重機械の他、肥料などをヨーロッパやアメリカに発注。日本もまた同様であった。
この開拓特需がなければ大規模な世界恐慌になっていたはずだと経済学者は言う。
日本国内では農業機械の国産化が進み次々と新興メーカーが現れる。農業の大規模化に伴い、それまで個々の農家が管理していた種苗などが管理しきれなくなり、専門の種苗業者が増加した。
この大規模開拓事業をきっかけに地方の地主制度が崩壊を始めた。農村から送り出されるのは小作農の子供ばかりではなく小作農家一家まるごととか、小さな地主は小作人をまとめ上げて自身の農地や山は近隣地主や企業・自治体に売り、率先して開拓事業に参加した例もあった。
自作農でも耕地面積が小さい農家は西之島へと向かう者もいた。近場の空きになった農地を買い取り拡大する例も見られる。
この本土での農家の減少と一人当たり耕作面積の増加は、農地の整理を促し牛馬の投入増加と同時に機械化も進んだ。
だが、新しい時代になじめずに以前のまま続けていく農家は地主・小作・自作問わず貧乏になっていく。そして離散が始まる。地主として残る者からきちんと整理して土地を離れる者。夜逃げ同然に逃散したり文字通りの夜逃げまでいろいろだった。
行き先は都市部か西之島だった。都市部には安価な労働力として、西之島には経験者として迎えられた。
どちらにしても、自主的にやって来た者ではなく食い詰めてきたということで扱いは少々悪かった。
この頃、北海道入植者には西之島とその政策の評判は悪かった。明治維新後、捨てられるように開拓作業に従事させられ、極寒の中孤立無援に近い状態で頑張ってきたのだ。ヒグマとの生存競争では多くの血を流し命を失った。
それが西之島は暑いだけで乳母日傘のように守られ開拓されている。あまりにも対照的だ。
北海道民からの不満の声が上がる。政府は無視できない。北海道からも多くの入植者が西之島に入っている。
北海道支援の強化を図ることとなる。
国内で有用資源多数が発現(発見ではない。文字通り出てきた)した事による社会変化は様々だった。
昭和金融恐慌は将来への期待感から落ち着きを見せ、その資源を基とする国債発行で景気高揚を図った。
国内で新たに発見された無主地となれば国有地である。西之島第一発見者の小笠原住民には説得と金銭の他、将来西之島の土地を分け与えることで合意している。発見者も、さすがに俺の島と言わない分別はあった。
その国有地、沖縄は複雑であるが国有地とした。その代わり沖縄住民や県には将来にわたって税制の優遇や資源から得られた利益を多めに分配することとなった。その利益にはインフラ整備も含まれる。
沖縄は日本でも一番進んだ上下水道設備が整えられる。他にも国立大学を含む各種学校や医療機関が本土都市部以上に整備された。
沖縄で発見された油田ガス田のうち油田の自噴圧力は強くなく、なんとか応急のパイプラインで港湾まで運べる程度の量だった。問題はガス田である。自噴圧力が強いのだ。しかも閉鎖しようとすると他から漏れてくる。とても危険だった。燃やされる過剰噴出ガスの炎は日中でも水平線から目撃された。夜眩しいと沖縄住民からの苦情が厳しい。
天然ガスの圧縮設備を作り本土へと移送する。それでも処理が追いつかないので沖縄全土にパイプラインを敷き、各家庭にガスコンロを設置させる。ガス風呂もだ。沖縄の薪需要がほぼ無くなった。炭の需要も大幅に減る。薪は祭りで少し使うだけ。炭も炭でないと味が出せない料理に使われるだけになってしまう。
本土でもガスの供給過剰が問題になり始める。沖縄同様に天然ガスの使用が大幅に増える。そして、薪炭の需要が激減する。
需要先は沖縄同様になってしまう。
日本全国が降って湧いたガス特需に振り回される。喜んだのはガス関連業界で、泣いたのが林業関係者だった。
政府は山林管理者の採用増で林業関係者を吸収しようとした。山が荒れるのは拙かった。
それで追いつく訳もない。すでに離農者の後を継ぐ人間がいない里山は荒れ始めている。山は10年もすれば荒れ始めるだろう。治水に悪影響がある。熊も人がいなくなれば活動範囲を広げて降りてくるだろう。
しかし、即効性のある手立てはなかった。世間では西之島と沖縄が注目されすぎ、悪影響は小さい問題として無視に近い。
次回更新 11月04日 05:00
薪風呂は自宅に有りました。昭和45年くらいにはガスになりました。田舎の親戚では五右衛門風呂が有り、土砂崩れ危険地帯として立ち退きさせられるまで使っていました。怖いんですよ。下にある板の下は直接火が当たる鉄ですから。
ガス風呂よりも薪風呂のほうが温かい気がするのは気のせいでしょうか。