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無人販売所のスイカ ~写メで臭いは送れない~

作者: 北見晶

 九月ですが、この暑さならスイカネタはまだ大丈夫ですよね?


「ねえ、聞いた? 浮気カップルが事故に遭ったって話」

「えっ、どういうこと?」

「それがね、旦那が単身赴任中に男を引き込んで--」

--曲がり角から聞こえてきた会話に、駒形(こまがた)()(はる)は足を止めた。

 近所に住む園辺(そのべ)聖花(せいか)と、未晴の元旦那である小澤(おざわ)正道(まさみち)が事故に遭ったという話が、こんなに早く広まるとは思わずにいた。眉間にシワが寄る。

 

 今いるのは、未晴の家からも、聖花の住まいからもそれなりに離れた場所。だのに、まさかここでも耳にするとは予想していなかった。

 ちなみに未晴が知ったのは、隣の奥様経由。

 本心から関わりたくなかったので、正道を無視していたのだが、話し手が口舌を踊らせたである。その目が過剰にギラついていなかったのが、せめてもの救いだ。

 面が割れていたり、名前や過去がバレているとは限らないが、変に顔を出したらどうなるかわからない。白状するなら、話のネタにはなりたくない。

 無言で女はその場を後にした。



「スイカ買ってきたんだ」

 未晴が現在住んでいる家に、正道が突撃してきたのは、約二ヶ月前のこと。日曜日の朝、しかも七時前であった。



--二人が離婚したのは三年前のこと。約六年の結婚生活にピリオドを打った。

 籍を入れることは、家族を作り上げる覚悟を持ち、責任を負うこと。妻としてはそのつもりだったら、夫(当時)は違った。

 大国柱としての苦労と義務は拒み、おいしいところだけかっさらおうとする。新婚ホヤホヤでも毎晩毎晩飲みに行き、挙げ句出産にも顔を出さない。産まれたのが双子で大変なのに手伝わない。子供たちのことで相談しても、未晴に丸投げするばかり。

 決定的となったのは、子供たちのために買ってきたスイカを、一人で平らげたことだ。

「別にいいだろう、大袈裟だなぁ」

 使い込んだパンツのゴムさながらに、だらしなく口を緩めて言い放った。 

 直後、未晴の頭に一つの可能性が弾けた。

--こいつはこれからも子供たちのために買ったものを食べておいてバカ面引っ提げるんじゃない? 冗談じゃないわよ! 朝斗(あさと)夜江(よるえ)をないがしろにする父親なんかいらない!

 

 それまでの積み重ねが爆発し、未晴は正道に離婚を突きつけた。

「便利屋にハニートラップしかけられたり、DV捏造されないだけありがたいと思いなさいよ!」

 吠える妻を前に、夫はやけにあっさりと承諾した。

 話し合いには互いの両親も交えたのだが、未晴は少々キナ臭いものを嗅ぎとった。正道は声を荒らげず姿勢揺るがずいたのだが、事の重大さを理解してなさそうだったので。

「これを出されたら離婚なのよ。わかってる?」

 そう尋ねる義理の母に、形だけの旦那は空ッポにしか見えない頭を縦に動かしていた。

 

 こちらをヒステリー女と決めつけ、別れられてせいせいするといった雰囲気なら、まだ落とし所はある。でも、他人へのカウントダウンを切った男の目は、鼻の穴をふくらませて、形だけの妻を見下していた。未練がましくヨリを戻そうとすがってくると曲解しているのか。

 

 そして実家に戻り、両親の言葉に甘え、朝斗と夜江の世話を任せて仕事に励んでいたら、新たなる縁を得た。新居は実の父母からも現義両親からも、程よく離れた場所に建ててくれた。


 閑話休題--



 三和土に足を踏み入れた正道は、図々しくも靴を脱ぎ始めた。それを中断させたのは未晴の現旦那、康彦(やすひこ)である。

 元妻の伴侶を拝んだ元夫はいきり立つが、康彦は動じない。一体なぜ来たのか尋ねた。

 いわく、車を走らせていたら無人販売所があったので、そこで手に入れた。

 確かに正道の右手には、ネットに入ったスイカが提げられていた。

 そこに、七歳になった朝斗と夜江が起きてきたのだが、次の瞬間、泣き出した。

 スイカいや、スイカこわい、いらない、持ってかえって、と。

 これは尋常じゃないと、原因であろう果実を観察する。

 見たところ普通のスイカだが、それは視界に映った。

 傷。

 それだけならただぶつけただけかもしれないが、妙に生々しい。まるで、人間が怪我をしたような見た目だ。

「それ持って帰ってくれる? 悪いけど。どこで買ってきたかもおいしいかもわからないし」

「そもそもなんで離婚した元妻のところにきたんです? 俺たち今日は用があるから、あなたの相手をしている暇はないんですよ。第一俺たち家族の幸せにあなたは必要ありませんし」

 元妻と彼女の伴侶ににべもなく断られ、元夫は舌打ちをして出ていった。

 だが、このあと頭に欠片も浮かばなかった展開が待ち受ける。

  

 

 どういうやり取りを踏んで至ったのかは定かでないが、聖花と会い、男と女の関係に走ったのだ。

 判明したのは強襲から十日ほど過ぎたある日、聖花の家から正道が出てくるのを見てしまったのだ。慌てて隠れてしまい、そんな自分をつい小突いてしまったのは蛇足だが。

 聖花のことは知っている。単身赴任中の旦那がいること、何より他人のものをもらいたがる悪癖を持っていること。

 一回エコバッグから豪快にネギを出して歩いていたら、わけてわけてとねだってきたのだ。これはマズいとこっそり爪を立て、損傷部を披露したら、顔を歪めて「いらな~い」と踵を返して立ち去った。

--何こっちが「どうです?」みたいなこと言った風にしてるのよ! あんたにあげたくてたまらないとでも思ったわけ!?

 心の中で吠えても当然だろう。

 

 それから予防策として、買った品を持って帰る場合、ボロボロの新聞紙にくるみ、薄汚れたエコバッグに入れて、汚い布を蓋代わりにしている。

 幸い作戦は成功し、おねだり女がすり寄ってくることはなくなった。

 以上の出来事を鑑みると、漠然とだが形を成した。

 元妻に追い払われた元夫は園辺家妻に会い、スイカがきっかけでただならぬ縁を得たのだ。

 馬鹿げた妄想は承知だが、体験があるので捨てきれない。聖花は容姿に恵まれているから、果物の一つ二つでイヤンなことに及べたらくれてやるだろう。

 そうに決まっている。正道は100パーセント、未晴より聖花を選ぶ。

 スイカで己が身売らぬにしても、聖花は無節操!

 強引な論理でねじ伏せた女は、引っ掛かりを覚えた。

 元夫が独身のままかどうかは不明だが、聖花はまごうことなく既婚者だ。完全に浮気である。 

 止めねばならぬとは頭では理解している。だが、下手な介入は火の粉が降りかかるのが目に見えている。

 そのため未晴は無視を貫いた。二人ともいい大人。自制心を持たないのが悪い。



 事故騒ぎから二週間後、二人の姿を見なくなった。尻軽女のいた家には、本来の主が。

 聖花の元夫、広光(ひろみつ)だ。

 単身赴任先で妻……すでに“元”がつくが、彼女の不貞行為を知り、迅速に離婚の手続きを行ったそうだ。

 帰還を目にした未晴は、彼のもとを訪れて謝罪した。

 もう少し視野を広く持っておくべきだった。浮気で馬鹿二人が痛い目に遭うのはいいが、“無節操女の旦那”に不要な傷を負わせるなんて……


 広光は鷹揚(おうよう)に許してくれたが、それが未晴の心を無数の針で刺した。ののしられた方が余程マシである。

 うつむいた間男の元妻に、広光は己の疑問を口にしていた。

 なんでも聖花はスイカが嫌いとのこと。だが、サレ夫が自宅に戻ったとき、彼女の口は夏の果実の汁で濡れ、皮がおびただしい量で捨てられていたそうだ。しかも、まるで鉄錆と果実それぞれの匂いから短所を強化した臭気を漂わせて。

 もちろん片づけ、消臭スプレーを撒き、脱臭剤も置いたとのこと。


「あ、ついでにお祓いもしてもらって、盛り塩もやったんですよ。夏は過ぎたけど、この暑さですから。お盆に帰れなかった部分もありますしね」

 口角を上げて添えた広光に、未晴は背筋が寒くなった。

「すみません! わたしあなたの元奥さんがどこでスイカ買ってきたかわからないから、それについては何もいえないんでしゅよ!」

 舌がもつれてしまったことを自覚するも、訂正はできない。

「ああ、入手経路はわかっているから大丈夫です。あなたのせいじゃありませんから。で、あなたもどうです? 塩盛ってみては」

 光のない広光の両眼に気圧されながら、未晴は曖昧に答えておいた。


 自宅に帰るや、駒形家の妻は息をつく。 

 冷静さが脳に押し寄せるや、仕入れた情報と目視した映像が巡る。

 スイカ。おびただしい量の皮。聖花。聖花の家から出てきた正道。

 刹那象れた。広光不在の家で聖花と正道がスイカを貪る様を。

--ちょちょちょ、ちょっと待って!

 未晴の思念はなおも働く。

 そもそも夏の果実自体妙だ。広光の言ったような臭いがするわけない。それ以前に、普通そんな得体のしれないものを食べるか? 

 疑問はふくらむばかり。

 心臓が早鐘を打つ。

--あなたもどうです?

 唐突に広光の言葉がこだまする。

 未晴はスマホを手に取ると、康彦にlainを送った。

 何かをして気をまぎらわせたい。

--現実逃避は承知の上だ。でも眼前をチラつく問題は住宅ローンより大きく、持っている常識を越えている。

 でも、未晴は母だ。子どもたちを不安にはさせられない。

 決意をこめて拳を握る。ガッツポーズをとってみせた。


 「俺からも改めて謝ってくる。だからそう気に病むな」

 帰ってきた康彦に一連の出来事を話すと、頼り甲斐のある台詞が告げられた。

 それだけで、胸裏にこびりついたヘドロが落ちる。

「ありがとう」

 未晴は頬を柔らかく上げた。 

 

 三日後、未晴のもとに実家からの母から電話が来た。

 元夫の両親に伝言を頼まれたとのこと。

 なんでも、彼らにとって息子と呼びたくない馬鹿から、SOSが届いたそうだ。

 話によると、正道と聖花の住まいに広光がやって来たのだが、慰謝料についてあれこれ言われたとのこと。手土産のつもりか持参した天ぷらを、二人はありがたくいただいた。

 だがそれは悪魔の誘惑。貢ぎ物を平らげた似た者夫妻、腹を殴られたような鈍痛と、頭が割れると錯覚する衝撃で蹂躙されているそうだ。

 助けてくれとの要求を受け手は聴かぬフリしたわけだが、性格上元妻に頼む様が容易に想像できる。

 一通り認識した未晴は、康彦に話した。


「天ぷらか……」

 つぶやいた夫の面差しは、ロダンの“考える人”をダブらせる。真剣になるのは同感だが、着眼点に首をかしげてしまう。

「未晴、天ぷらとスイカは食べ合わせが悪いと言われてるんだよ」

「へぇ……」

 初めて知ったが、引っかかる。

 まさか、広光からの手土産を食べたときも、赤い果実を胃に納めていたのか?

 直後、全身から血の気が引いた。なぜかはわからない。まったくわからない。

「……ところで、広光さんに謝りに行ったとき、“お祓いもした”とか、“入手経路はわかってる”って言ったんだよね? あと、聖花さんはスイカが嫌いみたいなことも」

「え、ええ……」

 意識が留守になっていたところに不意打ちを食らったため、正直に応えていた。

「俺、広光さんには訊けなかったんだけど、気になることがあったんだよね。“入手経路”って響きが。普通、どこで買ったかとかもらったとか言うんじゃないかな?」

 確かにうなずける。普通なら、そう、普通なら……

「--わたしね、元夫(あの人)がスイカ持ってきたとき“本当に買ったの?”って訊きたくなったの。だって無人販売所でしょ? 元夫の性格を考えると、そのまま払わずに盗んでいく可能性もあったから」

「もしかしたら聖花さんと二人でやったかもしれないね」

 自らの意見を肯定した康彦に、未晴は首を縦に振ってみせた。

「……で、ちょっと思うんだけど、いくら無人販売所だからって、なくなった品と払ってあったお金が合わなければ、警察に連絡するはずだよね。でも、うちに警察がくることもなかったし、広光さんのところも同じ。スイカを売った人間が処理前提で置いておいたかもしれないけど、広光さんはそこにオカルト的なものを感じ取ったかもしれない」

 夫の唱えた説に、妻は生唾を呑み込む。

 同時に悟る。未晴も逃避していたが、それは感じていたから。康彦も心底信じていると。

 夫は再び口を開け--

 閉じた。

 未晴のスマホが鳴ったため。


 見ると、写メが送られていた。

 正道からだ。

 眉を寄せながらも、中身を確認する。

 スイカ。

 それだけだ。

 赤い果肉のあちこちに、黒い種が散らされている。


--間髪入れず、未晴はトイレに駆け込んだ。

 凄まじい臭いが鼻腔に卒倒したので。

 胃の内容物が逆流する。

 流し終えてから、洗面所でうがいをし、席に戻る。


--写メで臭いは送れない。だが、鮮明に訴えてきた。

 甘ったるさ、鉄錆、腐敗、油……

 それらが渾然一体となって、嗅覚を破壊にかかったのだ。

「……明日、お祓いにいくか」

 康彦の提案に、未晴はただただ頭を上下させる。スマホの電源をしっかり切って。 

 

 



 

 

 ……本当は吸血スイカネタをかましたかったのですが、こんな形になりました。

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