第30話 住むというのはリスクを受け入れること
「KOL……K、O、L……KOL」
父親はその手にスプーンのようなものを持っていた。
そして、それを指さしながら一つの言葉を繰り返していた。
「こ、oぅ……Ko……l、Kol」
俺は父親の発音を聞きながら自分から出る発音を修正し、正しい発音にしていく。
「KOL」
「Kol」
俺は正しく言えるようになった言葉を父親ともう一度繰り返し言い合った。
「SUI!WOUL!!」
そして、新しくスプーンのような物の名前を言えるようになった俺を称賛するように父親は喜びを唱えていた。
「Wぅぉl」
そんな父親の称賛の言葉も真似しようとして直ぐにはできなかった俺の声が部屋に響いた。
父親の名前を知ってから、3日が経過していた。
「WOUL……W、O、U、L……WOUL、WOUL」
「Woぅぉ……おul、Wぉl……Wolぃ……Woul」
「SUI!DVNUIESVMKDV!!」
父親は俺が先ほど真似しようとした言葉を俺へと教えてくれていた。
そして、俺がすぐに言えるようになると、言っていることは分からないが父親が俺を褒めているであろうことは分かった。
「Woul、Woul、Woul」
「WOUL!!」
(んん……この言葉は物が無いからどういう意味かイマイチ分からんな……推測だが、俺を褒める時に使ってたし、称賛や喝采……若しくは喜びの表現とかか?)
俺は父親の賛辞を受けつつも、その思考は言語習得に傾いていた。
俺はこの3日間父親からの言語レッスンを受けていた。
俺に言葉を教えるのはどうやら父親の役目になったらしい。
母親は俺が言語学習を開始したという事実は知っているが、積極的に俺に言葉を教えてくれることはあまりない。
基本的に母親は俺の飯や下の世話をしたら、ある程度のスキンシップした後直ぐに部屋を出ていくのだ。
忙しいのかなんなのか、理由については分からない。
ちなみに、母親の名前については既に母親自身から教えてもらっている。
母親はこれまで通り俺の食事や睡眠、排泄などの生理現象に対応して、父親はそれまで俺と遊ぶのに使っていた時間の大部分を俺に言葉を教える時間にした。
結果的に俺は両親……主に父親から言語を教えてもらうことに成功しているが、成功するまでには様々な葛藤があった。
その葛藤とは、簡単に言えば俺が普通の赤子とは異なる行動をすることで両親から不信感や嫌悪感などの悪感情を抱かれることで、何かしらのデメリットを俺が被るのではないか?という不安に起因するものだ。
そういった不利益を不安視していたから、俺は積極的に言葉を学びにいくことに葛藤した。
しかし、そんなことを考え、危惧するのであれば、普通の赤子が初めて言葉を言い始める8、9か月頃まで待てば良かっただろう。
だが、俺にはリスクを受け入れてでも手に入れたかったメリットがあったからこそ、生後5か月で言語学習を始める決断をしたのだ。
そのメリットとは……
端的に言えば、現状に関する情報だ。
この部屋やこの部屋がある施設……おそらくは家、両親のこと、両親以外の人間、生活の事、今いる場所の地域や国、時代、言語、民族、文化、文明、そして俺自身の事……
そんな一言では表せない様々な情報、それらを手に入れることだ。
だから、言語を学ぶ必要があったのだ。
俺は、この体に産まれてからすぐ、両親の話す言語が俺の知っているものではないことが分かった。
故に、言語を学ぶ必要性が出てくるのと同時に、言語を学ぶことが最重要事項と言っても過言では無いほどの事になったのだ。
そして、それらの情報を手に入れることはメリットの一つでもあると同時に、言語学習を早めに始める決断をするに至った要因を解消するための方法でもある。
その要因とは、不安である。
俺の周囲の文明レベルが低いことは今更言うまでも無いが、俺はそれに危惧に近い不安を抱えているのだ。
人はどこに住んだとしても、何かしらのメリットを享受すると同時に何かしらのリスクを背負わなくてはならない。
例えば、鉱物資源が豊富なことで財政の豊かな地域に暮らしたとしても、鉱山からの公害があったり、その鉱山が火山であれば噴火があったりといったリスクを背負う。
例えば、土地が肥沃で天然資源も豊富な国に住んだとしても、実はその国が複数の帝国主義国家に挟まれていれば、いつ侵略されるのか分からない、というリスクを背負う。
例えば、逆に安寧を求めて侵略国家が近くに存在しない国に住んでも、その国にはどの国家も欲しがらないような荒れた土地や乏しい資源しかなければ、財政的に貧しいというリスクを背負う。
人がどこかに住むというのはそういったリスクを大小問わず受け入れるという事なのだ。
そして、今の俺にはその住む場所を選ぶ権利すら無い。
その上、強制的に住まわされている今の場所に関する知識すら無い。
これではあまりにも情報が無さ過ぎて、現状のリスクを把握することさえできない。
だが、少ないながらも現状のリスクをある程度感じてはいる。
それも悪い方に……
俺の周囲の文明レベルが低いということは、それだけで様々なリスクを持つ上、住んでいる地域にもかなりのリスクがあることになる。
こんな文明レベルの低い暮らしをしているのであれば、周囲に人っ子一人いないような場所に両親と俺は暮らしているか、周りに暮らす人間も同じような文明レベルで暮らしているかの主に二択だろう。
(両親以外の人間を出産時の助産師のようなおばさん以外見たことが無いし、それ以降そのおばさんも見たことがないからなぁ……もしかしたら、両親は自然に帰ろう的な思想家かもな……)
もし、山奥のような場所に暮らしているであれば、土砂崩れや野生動物の脅威といったリスクがある。
そういった地域特有のリスクだけでなく、食糧危機などの周囲の文明レベルでは解決できなさそうな問題やどこに住んだとしても抱えてしまう災害や天災などのリスクまである。
それに、紛争地域や戦争が起こりそうな場所であったりすれば、人災というリスクもあり得る。
どう考えても、リスクが多すぎる。
だから、俺は両親に悪魔憑きだ、とか言われるリスクを受け入れてでも、今の状況を知っていくべきだと思ったのだ。
「MJL……M、J、L、……MJL」
「MJ……M、ず……みjl……Mjl」
俺がそんな思考を巡らせる間、俺と父親の言語レッスンはしっかりと行われていた。
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