人生とはある意味、徒労でしかないものでもあるのだろうか?(私の人生遍歴・瞑想ノートより)
人生とは、人の一生とは、何だと思いますか?
ある時代に、ある国に、
ある両親のもとに生れ落ち、そこでさまざまな生い立ちが形作られ、
あるいは傷つきあるいは安穏と育ち、
いつかそこを巣立っていく。
友が出来あるいは友と悲しい別れがあり、戦乱があり、諍いがあり、
愛があり、恋があり、
失恋があり、仕事に明け暮れ、道楽に埋没し、あるいはギャンブルで破産したり。
宝くじが当たったりあるいはまったく当たらなかったり。
大きな病気をしたり、結婚したり、子供が出来たり出来なかったり、
出来た子が重度の障害児だったり、あるいは出来た子は有名な子役になって金を稼いだり、
ある日とんでもない災難にあったり、左遷させられたり、過労でうつ病になったり、
家を建てたり、車を買ったり、思わず賞をいただいたり、
拾ったかばんを開けてみたら中に1億円入っていたり、
人生にはそれこそ予想もつかないことがいろいろ巻き起こってはある日、ふーっとまた掻き消えていきますね?
わたしの人生でも実にいろんなことがありました。
何の落ち度もないのに人から誹謗中傷のターゲットにされて毎日、胃に穴が開く苦しみにさいなまれたこともありました。
あるいは、思いもしなかった病にふと、襲われて大きな手術もしたこともありました。
幸い。2ヶ月の入院で退院できましたが、
あるいは両親の死も経験させてもらいました。
父は肝硬変で亡くなりました。
母は、父の死後13年生きて、
食道静脈瘤破裂でなくなりました。
火葬場で荼毘に付し、でてきたお骨は、人間てこんなに白い骨になってしまうのかというくらい白い
ひとくれの骨の小山でしかありませんでした。
父の笑顔も母の昔語りももう2度と見られないのです。
悲しいというのにはあまりにもむなしいお骨の姿でしたね。
父母の一生って何だったのでしょう?
尋常高等小学校出てから、現場労働者として働きづめで
ほとんどいっしょうおわってしまった、父。
その父と添い遂げて、5人の子供を育て上げ、
先祖代々の畑を耕した母。
そんな父母も死んでしまえばもうこんな庶民の一生なんて誰一人覚えても居ないでしょう。
思い出しもしないでしょう。
いいいえ、それ以前にこんな父母が一生を送って死んだことなど誰一人しりもしないでしょう。
無名の、庶民の一生なんてこんなもんです。
人生とは何でしょう?
なんか、ほとんど意味もないむなしい一生と見えませんか?
わたしの父母が居ようが居まいが、まったく関係なく世間様は日々動いていくでしょう。
こんな庶民が死のうが生きようが世間には何の関係もありません。
この私とて同様の、まったくの無名の庶民ですから
私が死のうが生きていようがこの世間にはまったくどうでもいいことです。
私が死んだら太陽が西から上がるとでもいうのでしょうか?
あるいは私が死んだら全国民が喪に附すとでも言うのでしょうか?
ありうるはずもありませんね。
こんな虫けらのような庶民の私が死んでも
太陽はなに知らぬげに普段どおりに東から上がって西に沈むだけです。
私が死んでも全国民はまったく意に介さずに普段どおりに生活するだけですね。
いくら庶民でもその一生はそれこそ山あり谷あり、苦難の連続の一生でしょう?
庶民人生でも、そりゃあ、
ドラマもありました。初々しい恋もありました。
感動の出会いもありました。
悲しい別れもありました。
でも誰もそんなこと知りません。
無名の庶民の出会いも感動も恋も、世間の人々にとっては、そんなものどうでも良いからです。
いったい私たち庶民の一生って、何ほどのものなのでしょうか?
本当にどうでもいいものなんでしょうか?
誰も知らない、知りたくもない無名の庶民の一生って。いったい何の意味?があったのでしょう。
私はこう思っています。
今回の転生は、こうした庶民の一生を経験する魂の冒険だったのだと。
おそらく前回の転生人生(過去世)では相当波乱万丈の浮沈人生だったのでしょう。
だから?今回はこうした平凡な庶民人生を、魂は選択したのでしょうか。
どんな平凡な人生にも、あるいは人生におけるどんな平凡な経験にもすべて意味?があります。
あなたの狭い眼力では見えないだけですが、もっと高い観点から見たらわかるのです。
あなたの人生は決して無駄ではありません。
平凡な庶民の人生にもちゃんとした意味が付与されているのです。
なぜならあなたはその人生を全うするよう差し向けられそうしてそのとおりに
その庶民人生を全うできたのですから。
それでOKなのです。
言ってしまえばあなたは庶民人生を送る役割を無事果たし終えて次なる転生に
また旅だって行ったのです。
あなたはカルマの要求する人生の使命をを果たしたのです。
人生は一回きりではありません。
魂の成長と霊の精錬のため、何度でも転生してくるのです。
第一幕が終わっただけです。
これですべてではありません。
もうすぐカルマとリーインカネーションンの第2幕が上がります。
さあ、人生芝居劇場での今度はどんな役でしょうか?
この次の人生劇場でもあなたはその与えられた役をうまく演じるべきです。
こんな役つまらないと言って途中で投げ出しては(つまり自殺しては、)魂の成長に欠陥が生じます。
与えられた役をつべこべ言わずに演じるのです。
それを至高霊もお望みです。
その役の中で最善を尽くしなさい。
それがこの人生という夢幻劇での生きるすべのすべてのゴールデンルールなのですから。