過去前編
神奈川県にあるごく普通の一般家庭に生まれ、友達とボールで遊び回っていた小学4年生の時の俺。そんな俺を変えたのは、たった1つの将棋の対局だった。あのころは将棋と言う物の存在も曖昧でどうゆうルールなのかどうゆうものなのかも分からなかった。でも、近くに住んでいるおじいちゃんが我が家に来ていて、その時にたまたまおじいちゃんがテレビで見ていた将棋の対局を見て、俺は将棋の面白さに心を奪われてしまった。どうしようもなく将棋というものにその対局で心を揺らされてしまったのだ。その対局は当時の名人戦の最終局面で、この対局に勝った方が名人になる対局だった。俺が見た時は挑戦者側が何時間も考えてたった一手打ったところだった。でも、その一手に、たった一手に、心を奪われた。結局その対局はその一手が決め手で挑戦者側が勝利した。その対局を見た俺はとにかく興奮して、じいちゃんにこれはなんて言うゲームなのか?これはどこで売ってるの?とか、とにかく興奮が覚めないうちにめちゃくちゃおじいちゃんに聞きまくった。じいちゃんはそんな俺に対してなんて言ったらいいのか分からなかったみたいだったけど、とりあえず俺が将棋をめちゃくちゃしたいことが伝わったみたいで、家の近くにあった将棋道場に案内してくれた。未だに初めて道場に足を踏み入れた時の感覚は忘れない、俺と同年代の子供たちが目の前の子供や大人や年の差なんか関係なく、真剣に神経を研ぎ澄まして将棋を指していたんだ。そこで俺はおじいちゃんに将棋を教えてもらった。俺はすぐさま将棋の面白さにはまった。その奥深さに、子供が大人に勝つことの出来るゲームの凄さに、俺は取り憑かれるように将棋にのめり込んだ。学校に言っても詰め将棋を解き、家に帰ったらすぐに道場にいる人と対局をする。時間が許す限り、それこそ親が心配するほどだった。でも、そんな親を説得してくれたのはおじいちゃんだった。おじいちゃんは将棋にのめり込んでしまった俺の事を理解してくれた。いつだったかおじいちゃんになんでこんなに将棋にのめり込んでいる俺を守ってくれるのかっ?って聞いたんだ。そしたらおじいちゃんは一言。
「俺にもそんな時代があった。」
それ以上おじいちゃんは何も言わなかったけど、
その時のおじいちゃんの顔からして、周りに理解されなかったことはすぐにわかった。それなのにおじいちゃんは俺を守ってくれるんだってわかって嬉しかった。俺はもっともっと将棋にのめり込んだ。そんなこんなで将棋にのめり込んで2年がたち、俺は
小学6年生となった。どうやら俺は将棋の才能があったようでこの頃から、道場に来る元奨励会3段の人だったり、とかにも勝ち越し出来るぐらい強くなっていた。でも、そんな俺だったが大会には絶対に出なかった。理由は単純に目立ちたくなかったから。俺が将棋を知って道場に来てから、最初の頃は皆俺に将棋が面白いものだって知って欲しいと、色々将棋について親切に教えてくれた。けど、俺が強くなってからは、なにか得体の知れないものを見るかのように俺を見てきた。それはおそらくどんどん将棋が強くなっていく俺のあまりの成長速度に、恐れを抱き出したんだと今になっては分かるが、当時の俺にはそんな皆の表情が怖くて怖くてたまらなかった。でも、そんな時でも対局をしていたら自分が周りからどう見られているかなんて気にならなくなった。そんなことより、一瞬でも1秒でも将棋を指したい。もっともっと強くなりたいって心から思っていた。俺が憧れたあの人のような一手を打ちたいと。そんな時、俺の唯一の理解者だったおじいちゃんが倒れた。病気だった。
おじいちゃんはそんな状態なのに、周りから俺を守ってくれた。俺の事を見守ってくれた。ずっと俺の傍に寄り添ってくれた。俺が病室に行った時にはもうおじいちゃんは寝たきりで、
「わしはもうすぐ死ぬんだなぁー。」
ってまるで自分のことじゃないかのように言うから、俺はおじいちゃんが本当に病気なのか疑いたかった。でも、おじいちゃんの腕に繋がれている無数のチューブがそれを許してくれなかった。どう見ても徐々に痩せていっているおじいちゃんの身体が、俺に現実を突きつけていた。そんな時おじいちゃんが言ったんだ。どこにそんな力が残ってるんだってぐらい強い力で俺の頭を強くワシャワシャ撫で回して、力強い声で、
「お前には才能がある。絶対にプロになれる。
お前にわしの夢を継いで欲しい。わしが誰からも理解されなかった夢を、お前に継いで欲しいんじゃ。」
その時始めて知った。おじいちゃんが昔目指した夢の正体を。その思いの強さを。俺はうなづいた。何度も何度もうなづいた。その姿を見ておじいちゃんは満足したのか小さくうなづいて微笑んで1ミリも動かなくなった。俺の頭を触れているはずのじいちゃんの腕の感触がなぜだかどんどん冷たくなって行ってる気がした。その時はなぜだか、涙が止まらなかった。