第2話・1
デート日和と言っていい夏空が広がっていた。雲ひとつない青空だ。
アキラとミツルの通う高校では一学期の終業式を終え、昨日から夏休みを迎えていた。
その2日後……二人は、人生初のデートに向かったのである。
上野。
上野だ。
ここは上野なのだ。
アキラとミツルのような、埼玉県の東武線ユーザーにとって、がっちりとしたデート言えば、それは上野になるのは当然のことなのだ。
関東圏民ではない方に埼玉県の東武線沿線民が置かれている事情を説明するのは大変難しいのだが、東武線ユーザーにとって東京とは、「越谷レイクタウン」のことであり、「北千住」のことであり、「東京スカイツリー(業平橋)」の事であり、さらにその上位概念としての「上野」のことである。
よく「池袋」なるチンケでゲロの匂いしかしないひなびた土地が、「埼玉県民が思う東京」「池袋は埼玉の植民地」「池袋の郵便番号は3始まり」などとインターネット上でネタにされるが、はっきり言って、違う。
それは西武線ユーザーという、埼玉の中でも数段格式の下がる田舎侍連中(扇谷上杉家)のたわごとであり、埼京線・高崎線ユーザーという、埼玉の中でも権威ばかりありながら実の伴わない没落貴族なふにゃちん共の戯言である。
誇り高き、埼玉県東南地域の東武線ユーザー(三郷、吉川、八潮を除く)にとって、「東京」とは、「上野」なのだ(三郷、吉川、八潮みたいな、大田舎・千葉県に接しているような市は断固除く)。
(なぜあんな退廃都市の三郷や八潮につくばエクスプレスの駅ができたのか、いまだに理解に苦しむ。)
それはさておき、埼玉県民にとって上野は、デートにこれ以上ないほど最適な場所なのだ。
最適な場所なのだ!!!
「あっ……。もう先に、ついてたんだ!」
迷宮のような地下鉄日比谷線の改札を出て、なんとか地上に上がったアキラは、上野公園の階段を上ると、西郷隆盛像の前に先についていたミツルの姿を認めた。
「へへ。……いたよー」
淡いブルーのワンピースに、絵にかいたような麦わら帽子……。同級生が、私服。それだけで、アキラは頭がおかしくなりそうになる。
自分は、この美しい女性に恋をして、そして恋の告白までしたのか……。
そう思い返すと、顔が真っ赤になり、全身がむずむずする。
「……今日、天気いいね」
ミツルは、頭がおかしくなっているアキラに声をかける。
「そうだね。天気すごい天気……。すごい、天気、そう。あ、でも日焼けは」
「大丈夫、わたし、日焼けしにくい体質だから」
「あ、そうなんだ。……ねー。……いい天気。そうだね」
天気の話をしている。
これは、はたしてデートの時に、最適な話題と言えるのだろうか?
もしかして、自分は今、最も退屈な話題をしてしまっているのではないか?
そう思いこみ始めると、アキラはもう何を言っていいのか分からなくなり、固まってしまった。
ミツルはふと、そんなアキラの顔を覗き込む。
アキラの服装は、ユニクロで買った半ソデヤッケに、ボトムは「デニム」ではなく「ジーパン」だ。
半ソデヤッケとは、なにか――。
それは全く分からない。まったくわからないが、アキラの母親が中学時代に買ってきた、迷彩柄の「ヤッケ」を、高校二年生の、異性とのデートで、普通に着てきてしまうような、そんなアキラの服なのだ。「ヤッケ」って本当に、なんなんだ。それは男子を持つお母さんにしか分からない、謎の衣料なのだ。
そしてその顔は、今朝慌てて髭をそったため強めにT字カミソリ刃を押し付けてしまい、鼻の下あたりが赤くなっている。
そんなアキラに、ミツルはにっこり微笑む。
それで、アキラは救われた気持ちになった。
上野、国立科学博物館。
国立、科学、博物館。
俺たちの、科博――である!
こここそが、埼玉に住まう童貞・処女・文系チンチョロチービィたちにとって、最高のデートスポットである。理系はデートに使ってはだめだ。理系がいったらデートにならない、あまりにもガチになってしまい、時を忘れ、一緒に行ったデート相手の事を忘れて竜宮城状態になってしまうだろう。
俺たちの科博は、理系分野にもちょっと興味あるけど結局文系思考しかできない腐れメガネ文系童貞処女奴が、デート位の距離感でいくと、とてもちょうどよいのだ。おすすめのデートスポットである。あなたやパートナーが理系でない限り、絶対に外れない。
そんな国立科博常設展・地球館1Fの、恐竜の骨と人工衛星が共に展示されているスペースをふらりと歩く二人。
宇宙、138億年。
地球、46億年。
人類、700万年。
この世界の歴史が、展示物とともに円形に配置されている。
それらを、透き通るような目で見つめているミツル。
それを見ているアキラ。
この人が……つい4日前。
自衛隊富士演習場地下300メートルのグラウンドで。
世界各国の首脳が集まる前で、
非補給・単独での「武」の能力を測るバトルロワイヤル演習に最後まで勝ち残り、
世界、一位となる国防力を体現した「象徴」となり、
演習後、謎のユーゴスラビア人である少林寺流相撲術師・ラーメンに股間を触られそうになり、
その男はジェット噴射で上半身をぶつけてきて、
あわや、股間を触られ、パンティを脱がされそうになったと思いきや、それは残像で、
ミツルはラーメン氏の背後に回り込むと、背中から抱きかかえ、そのままジャーマンスープレックスの体勢になり、
残った下半身に、抱え込んだ上半身をぶつけ、ラーメン氏をノックダウンさせ、
そのあといろいろと後処理や書類とか簡単な表彰とかを受けたあと、普通に、母親・エンマの車に乗って、帰ってきたんだよなあ……と、アキラは思う。
残像だったんだよなあ。あのパンティは。
アキラがそんな風に4日前のことを回想していると、ミツルは科博の展示の一つを指さした。
「人類が生まれてきて700万年って、……”まだ”、700万年なのかな。それとも、”もう”700万年なのかな」
「こうやって宇宙と一緒に並べられると、短い気もするけど」
「だよねぇ」
「ミツル……ってさ。何なの」
アキラは聞く。
「人間?」
ミツルは展示物を見ながら、応える。
「うん。まあちょっと、萬呼流後継者候補ってだけ」
「まん……え?」
「古武道を、ちょっとねー」
そういうとミツルは、次の展示の区域に足を進めていった。