8話 約束の聖騎士~試された流れ者~
「大丈夫ですか、アルカさん? ——はい、お水どうぞ」
コトッ——。
なんとか力を振り絞り……俺はうっすらと眼を開ける。
ぼんやりと映し出されたのは、揺れる二本の黒髪だった。
両手を後ろ手に組んだメイドが、こちらを覗き込んでいる。
「うぅ……ありがとう、ナツキ——」
眼が覚めた瞬間から、激しい頭痛が収まらない。
ベッドから起き上がるのはもちろん、眼を開けることさえ辛かった。
アテナの肩を借りなければ、こうして一階に降りてくることも出来なかっただろう。
(……ダメだ、頭が割れそうだ。もう少しだけ、ここで休ませてもらおう——)
対面のソファーには、おつうがちょこんと座っている。
その翠眼をじーっと凝らし、テーブルに置かれた紙を見つめている。
ペンが散らばっているのを見るに……どうやら、一人でお絵描きをして遊んでいるようだ。
(馬車に乗ってからの記憶が無いが……宿とはここのことだったのか——)
「もー。お酒弱いんだから、ほどほどにしないとダメだよ」
隣の巫女は、いつもと何ら変わらない。
『二日酔いね。私はならないけど』
朝方——。
起き抜けに一人悶える俺に、アテナはそう答えた。
(……何故、アテナは平気なんだ? 巫女だからなのか——?)
——やっぱり、世の中は不公平だ。
「チャンさんと会うの、明日にしてもらった方がいいんじゃない?」
「ダメだ」
「……そういうとこは、変わらないのね——」
——約束は果たされるもの、当然のことだ。
ましてやチャンも、酒は弱いと言っていた。
きっとこうしている間も、同じように苦しんでいるはずだ。
(チャンが待っている……早く行かなければ——)
「おはようございまーす! 昨晩はお楽しみでしたか?」
やや後方から、爽やかな挨拶が聞こえた。
(……スタークか。すまないが、今はそっとしておいてく——)
「ちょ……はぁぁぁぁぁ!?」
バーンッ!
急にテーブルを叩いたアテナが、ガバッと立ち上がる。
そしてそのまま、視界の端から消えていった。
「あのね! 私とアルは——!」
——背後から、まくし立てるアテナの怒声が聞こえる。
理由はわからないが……どうやら、スタークが詰められているようだ。
(う、うるさい……頭に響く——)
助けてやりたい気持ちはある……が、すまないな。
今日に限っては、巻き込まれるのは御免だ。
「——聞いてんのあんた!? 大体なんなのよ! そのふざけた頭は! 毟られたいの!?」
「ひっ、ひいいぃぃぃ! そ、そんな殺生なぁぁぁ……」
……次だ、次は必ず助けてやる。
だからスターク、ここは黙って毟らせておけ。
どうせどう転んでも、勝てはしないのだからな。
「スタークが送ってくれるって! 良かったねっ」
——ほどなくして、アテナが戻って来た。
まだ頬は少し赤いが、その表情は明るい。
どうやら、ある程度気は済んだらしい。
(しかしそんなことまで捻じ込んで……図々しいヤツめ——)
——とは思いつつも、俺もこんな状態だ。
ここは素直に、お言葉に甘えさせてもらうとしよう。
「そうか、俺からも礼を言っておく。よいしょ……っと」
俺は背もたれを掴み、何とか身体を反転させる。
「すまないな、スター……んんん?」
一瞬……眼を疑ったが、どうやら見間違えでは無いらしい。
「聞いてるんですか!? スタークさん!」
「は、はいぃ……」
床で正座したまま、深く傾くアフロ——。
悠々たる仁王立ちで、メイドがそれを見下ろしている。
どういうわけか、今度はナツキに絞られているようだ。
「大体! スタークさんはいつもいつも——!」
ナツキはぷくっと頬を膨らませたまま、全く収まる気配が無い。
(あんなに小さくなって……なんて残念なヤツなんだ——)
いいヤツだと思ったんだが……まさか、そんなことは無いのか?
「行きましょう、アル」
(……強く生きろよ——)
俺はアテナに手を引かれるまま、そっとその場を後にした。
——馬車の荷台に乗り込んだ俺たちは、向かい合って腰を下ろす。
(……ダメだ、全然頭痛が引かないな——)
俺は眼を閉じ、両手で頭を支える。
「ちらっ……ちらっ……」
(……ん——?)
——顔を上げた先で、アテナと眼が合った。
突き上げられた右手に、何かがキラリと光った気がした。
……どうやら持っているそれについて、何か言って欲しいらしい。
「……眼鏡? 眼が悪かったのか?」
「……」
——何故か一瞬、無言の時間が流れる。
やがてアテナは右手を降ろし、スチャッと眼鏡を掛けてみせた。
「いいえ、変装よ」
……キリっと自信満々な巫女様が、残念でならない。
「……本当にそんなことで、変装になると思っているのか?」
「なっ……! 念には念をよ!」
——そうか、もはや何も言うまい。
「まぁ良く似合ってはいるから、いいんじゃないか」
「えっ……!」
「行きますよ~。はぁ——」
パンッ!
覇気のないスタークの声とほぼ同時に、馬を引く音が鳴り響く。
ガタッ——!
「おっと——」
急な発進のせいか、荷台が大きく揺れ動く。
「ひゃんっ!」
ゴンッ……!
——よろけたアテナが頭を打ち、泣きそうな顔をしている。
自慢の眼鏡も斜めにズレて……さらに残念なことになっている。
「あだー……! ぐぬぬ——!」
巫女様よ……そんな眼でスタークを見るんじゃない。
乙女二人にシバかれた後なんだ、ちなみにお前もその一人——。
もはや虫の息、運転にまで気を利かせる余力も無かったんだろう。
よもや仕返しするほどの度胸があるとも思えないしな。
そして頼んだのは誰なのか、もう一度思い出せ。
——少し走らせると、馬車はすぐ詰め所に着いた。
「ありがとな、スターク」
「へい……ではまた~」
満身創痍のスタークが、来た道をゆっくりと戻っていく。
(……さて、行くか——)
詰め所に入ってすぐ——。
特に探す手間も無く、チャンを見つけることが出来た……が、どうやらお取込み中らしい。
黒装束を纏った男と、何か話をしているようだ。
「私、少し散歩してくる! 後で迎えに来るわねっ」
急にそう言い放った巫女様が、俺の視界からサッと消える。
「ん? ちょ——」
人の間をスルスルと抜け……かろうじて追ったその姿は、すぐに完全に見えなくなった。
(残念な奴ではあるが……まぁ、意外としっかりしているところもある。大丈夫か——)
——視線を戻した先では、二人が頭を下げ合っている。
しばらくその応酬が続き……どうやらお互い、気が済んだらしい。
黒装束の男が、出口に向かって歩き始めた。
「……お、アルカ!」
チャンが声を上げると同時に、黒装束が俺の方を見る。
そのまま隣まで来ると、男はその足を止めた。
「……素敵なお名前ですね。輪廻の加護のあらんことを——」
男は穏やかにそう告げると、そのまま詰め所を出て行った。
(……なんだったんだ?)
「ごめんね、来客で——。待たせちゃったかな?」
寄ってきたチャンが、後ろから声を掛けてきた。
「いや、今来たところだ。俺の方こそ邪魔したか?」
「いやいや。じゃあ早速だが、付いてきてくれ」
俺は言われるままに、チャンの後ろに付いていく。
途中の受付嬢が『ニコッ』と微笑みかけてきたので、俺も軽く頷いて返す。
彼女もチャンやおつうと同じで、美しく緑がかった翠眼だ。
(頭痛がだんだん引いてきたな……チャンは大丈夫か——?)
俺たちは受付を通り過ぎ、奥へ奥へと進んでいく。
——ほどなくして、チャンが立ち止まった。
眼の前には、重たそうな扉がそびえ立っている。
「さぁ、着いたよ」
ギギィ……。
チャンは軽々と扉を開け、中に入っていく。
「ここは——」
——中には、吹き抜けの敷地が拡がっている。
奥の方には、的や藁人形に棒人形——。
端には剣、弓、薙刀、盾……様々な武器や、防具が立てかけてある。
「練兵場か」
「そうだね」
チャンは慣れた様子で兵装を手に取り、やがて敷地の中央付近に立った。
身の丈ほどの大楯に、腰に差したレイピア——。
「その兵装は……【聖騎士】か」
上級職とはいえ……経験上、その実力は個人差が大きかった。
だが聞いたところによると、優秀な【聖騎士】は全く別物だという。
その圧倒的な防御力で、一対一はもちろんのこと……単騎で数百の兵を守り抜く猛者もいるらしい。
幸か不幸か、俺はそのレベルの【聖騎士】には出逢ったことがない。
気づかなかっただけ、かもしれないが——。
「一応ね。——アルカは?」
(【殿】……とは〝職業〟なのか——?)
——わからんな。
自信の無いことを言っても仕方ないか。
「俺は……ただの流れ者だよ」
「そこも、記憶の無いところなのかな」
ガァンッ!
チャンは淡々と喋りながら、大楯を地面に突き立てる。
「スタークがね、アルカは凄く強いって言うから。一度手合わせしてみたくてさ……いいかな?」
(あのアフロめ……余計なことを言いやがって——)
——しかし手合わせと言っても、そんなに簡単に受けれるものでもない。
俺自身〝反逆の牙〟のことは、ほとんどわかっていないんだ。
しかもあの時は、まさに瞬殺……一閃で敵を斬り落とした。
こんな状態で使えば、最悪の結末もあり得る。
かと言って、相手が【聖騎士】では……変に加減しようとすれば、そのまま圧倒されて終わるだろう。
(……さて、どうするか——)
「俺のことは大丈夫だから、本気で来て欲しい。構わないよ、その担いでるやつを使ってもらって」
考え込む俺を見てか、チャンがあっさり核心を突いてくる。
(そこまで聞いているのなら、使わない方が失礼ってもんか——)
……だが万が一のことがあっても、俺を恨まないでくれよ?
悪いのはスタークだ、そういうことにして欲しい。
(まぁ俺にとっても、リベリオンを試すいい機会になるかもしれないしな——)
——実際のところ、そうなる可能性は大いにある。
人は生まれながらにして、扱える魔力の属性は決まっている。
その翠眼は土属性……つまり、基本的には防御に特化しているはずだ。
さらに加えて、 〝部隊の隊長〟にして【聖騎士】など——。
もはやリベリオンを試すのに、これ以上の相手は思いつかないレベルだ。
あとはもうチャンの地力だが……そこはやはり、剣を合わせてみる他ない。
「……わかった。だが俺からも、一つ頼みがある」
「何かな?」
「俺も、どこまで通用するのか試したい。騙されたと思って、出来る限りの最高防御で受けて欲しい」
この言い方で良かった……だろうか?
殺すか、殺されるか——。
ただでさえ俺の〝戦闘〟は、その全てが実戦だった。
誰かと〝手合わせ〟した経験など、ただの一度もない。
故に、加減や寸止めなど……上手くやる自信なんて、これっぽっちもない。
「もちろん、そのつもりだよ」
チャンはそう言うと、掌を地面にあてた。
「《地岩掌壁》」
ゴゴゴゴゴォ……!
チャンの足元に、緑光の魔法陣が展開される。
それに呼応して、壁沿いの地面から次々と岩がせり上がり——。
そのまま円を描くように、場内を覆い尽くした。
「《二重詠唱》」
——背後から急に、女性の声が聞こえた。
(……あれは——)
振り向くと、先ほどの受付嬢が両手を前に突き出している。
そして——。
ゴゴゴゴゴォ……!
先ほどの魔法がもう一周、場内を駆け巡った。
(二重障壁か——)
「突然失礼致しました。このぐらいには警戒しております」
彼女は両手を下ろすと、そう言って深く一礼した。
(ここまでされてしまっては……やはり俺も、全力で応えないとな——)
——俺はチャンの方に向き直り、左腰の〝反逆の牙〟に手を掛ける。
「……わかった、よろしく頼む。 〝リベリオン〟——」
——紫光が漏れ出し、紫煙が立ち込める。
(……やはり間違いない、俺が名を呼ぶことに反応している——)
相手は大楯にレイピア……できればこちらも、両手に武器を持ちたいところだが——。
(——っ!?)
……まただ、まだ何も思い出せていないのに——。
俺のイメージに対して、リベリオンの方から呼応してくれているような感覚だ。
俺はリベリオンを背中で斜めに担ぎ直し、改めて両端に手を掛ける。
「【双剣形態】——、 《舞風》!」
手を掛けた両端を、そのまま上下から引き抜く。
するとイメージ通り——。
紫光を放つ刀剣が一本ずつ、両の持ち手から具現化した。
(今回は……前のより短かく、少々太めだな——)
——だが二刀流であることを考えると、この方が取り回し易そうだ。
背中には、鞘に当たる部分が残っている。
この分なら、まだまだ他の形態もあるだろう。
「聞いてただけじゃよくわからなかったけど……なるほど、こういうことか!」
「す、凄いです……」
——その反応が当然だろう。
なんなら使用者である俺ですら、こうして驚いているわけだが……そこは悟られませんように。
「二日酔いは大丈夫か?」
「ははは。ならないんだ……俺!」
(……お前もか! チャン・K・チャンドラ——!)
腰を落としたチャンに続いて、俺は思い切り踏み込んだ。
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