7話 黒穴より出でし者たち~消え去った極東の島国~
「——ぷは~! おいしかったっ」
——ひととおり食べ終えた巫女様は、いたくご満悦の様子だ。
「ははは。アルカはどうだい? 口に合ったかな?」
「あぁ、ありがとう。美味かった」
俺はチャンに礼を言い、グラスを傾ける。
(たまには……こういうのも、いいもんだな——)
独りじゃない食事に、ちゃんとした料理。
店内の喧騒も、不思議と耳には入らない。
気になることといえば……そうだな、隣の巫女ぐらいだ。
俺がグラスを持つ度に、キッとこちらを睨んでくるからな。
「隊長さん、顔真っ赤だね。あんまりお酒強くないの?」
「そうなんだよ~。好きなんだけど、すぐ酔っちゃってさ。酒乱みたいなのは一切ないけど、眠くなっちゃう」
くるっと振り向いたアテナが、また俺を睨み付ける。
「そうなんだ! なら安心。ほどほどにしてね」
(……なぜ俺を見て言うんだ——)
——だが、言質は取ったぞ。
眠くなる分には、別に問題無いんだな?
「おかわりいいか?」
「……うん、ゆっくりね? ちゃんと味わって?」
「ははは」
俺とアテナのやり取りを見て、チャンが笑っている。
じとーっと刺さる巫女の視線が、いい加減に鬱陶しい。
「ここは特に、アズリア人が多いわね」
アテナがそう言うと、チャンはグラスをコトッと置いた。
そのまま少し間を置いて、バーンとテーブルに突っ伏した。
「いきなりだったよ——。本部からの伝令で、東海岸に部隊を派遣することになってさ。着いてみたら、人がたくさん倒れてたんだ。それも女子供や老人ばかりで……全員気を失ってた」
(東海岸……俺と同じだな——)
——実際にその記憶があるわけじゃないが、ターニャが後にそう言っていた。
男が見当たらない理由はわからないが……まぁとりあえずは、色々と繋がりそうだな。
馬車に乗っていた面子しかり、ナツキの〝男性は珍しい〟という発言しかり——。
「最初は亡命船かと思ったんだ。アズリアが鎖国し、内戦が始まって10年……争いは収まるどころか、激化の一途を辿っていたと聞く。だから例え危険を冒してでも、逃げ出したくなる人も居たのかもしれない——、ってね」
——確かに、そういう人間は居ただろう。
だがチャン、それは不可能なんだ。
アズリアの周辺の海域では、船は一切浮かべない。
所属も国籍も関係無い……問答無用で、全て撃沈されるからだ。
〝死にたくなったら、船を出せ——〟
——故郷の大人たちが、たまに言っていたことだ。
子供の俺にはわからなかったが、今ならその意味がわかる。
国が警戒していたのは、どちらかと言うと他国からの侵攻じゃない。
長く続き過ぎた内戦により、疲弊し切った国力……即ち、国民の流出の方だったんだ。
(……だから尚更、奇跡だと思った。俺が生きて国外に居たことの、それ自体が——)
「だが話を聞いてみると……みんな記憶が無くってね。なぜここに居るのかもわからない、と。でもやはり、口を揃えて海の向こうのアズリア出身だと言う。だけどいくら探しても、近くに船の一隻……ましてや、その残骸すら見当たらなかった」
「……《黒穴》ね——」
黙って聞いていたアテナが、聞いたことのない単語を差し込んできた。
そしてその瞬間、チャンの翠眼がピクっと反応した。
(……ん? 大事なところか——?)
どちらにせよ……このまま黙っていても、話に置いていかれるだけか。
俺もそろそろ、口を挟ませてもらおう。
「なんだ? それは」
——隣の巫女は黙ったまま、どこか遠い眼をしている。
少しして、その唇がゆっくりと開いた。
「あの日……アズリア中の至る所で、無数の〝黒い門〟が発生した。——そこから転送されて来たのよ、アルも」
「……転送? 魔法の類か?」
「いいえ、あれは魔法なんかじゃない。はっきりとした原理はわからないけど……そういうものじゃない」
——もしそれが本当なら、色々と説明はつく。
海岸に船が無かったことも、俺自身のことも。
もちろん、にわかには信じがたい話ではある……が、考えたってわからないしな。
アテナがそうだと言うのなら、きっとそうなんだろう。
チャンは口元に手を当てて、何か考えを巡らせている様子だ。
(まぁ……チャンは仕事柄、そう簡単にもいかないよな——)
「——そこを通過した人たちの記憶が、約二年程失われているということだね。何かの代償か……副作用みたいなものなのかな」
チャンは空になったグラスを掲げて、店員を呼んだ。
そしておかわりを頼むと同時に、俺に眼を合わせる。
(今回はなんとなく……気を遣っている感じじゃないな——)
『もう一杯いくだろう?』と言われているような圧を、うっすらと感じる。
「あっ、ちょっと待ってくれ。アテナ——」
俺はグラスを持って、アテナに声を掛ける。
「……」
——が、反応が無い。
何か考え込んでいるようだが……聞こえていないのか?
(……ええい、ままよ!)
「あっ、俺も同じ物を」
俺は巫女の後ろから手を伸ばし、店員にグラスを渡した。
「その後、記憶のないアズリア人をどれだけ聴取しても……やはり進展が得られず、何もわからないままだった。だからアーレウスは意を決して、 〝触らずの極東〟に調査船団を派遣することにした。……俺も参加したんだ、だけど——」
言葉を詰まらせたチャンの代わりに、その先をアテナが代弁する。
「そこに、アズリア大陸は無かった——」
(……あれは、いつだったか——)
第六師団管理区、郊外——。
俺は普段、専用の駐屯所に隔離されていた。
招集時や緊急時にのみ、ターニャから《遠隔伝心》が飛んで来る。
動物はいくらかその辺に居たが、人も魔獣も見たことが無い。
たまに本部から遣いが来るが、顔を合わせたことは無い。
知らぬ間に来て、物資だけ外に置いていく。
——だが、その日は違っていた。
初めて叩かれた扉の向こうに、ターニャが一人立っていた。
♢♢♢
「——じゃあ作戦は以上だから、よろしく頼むわね」
——なんでわざわざ、こんなところまで来たんだ?
しかも中まで入って来て……作戦説明なんて、いつも伝心で終わりじゃないか。
(……まぁいい。適当に相手して、さっさと帰ってもらおう——)
「あぁ」
なんにせよ、今回も【殿】か。
特に戦術に変更もないし、いつも通りやるだけだ。
「そういえば、あれから何か思い出せたかしら?」
……残念だが、相変わらずだ。
記憶は飛んだまま、何の進展も無い。
「いいや、何も」
ターニャの頬が、少し赤らんでいるように見える。
体調でも悪いのか、はたまた気のせいか——。
「そう。ふふふ——」
「……何がおかしい?」
——聞いてはみたが、正直なところ興味は無い。
用が済んだなら、もう帰ってくれ。
「いいえ、ごめんなさい。極東へ向かった調査船団のことだけど、帰ってきたのよ」
(そういえば……そんな話もあったな——)
——しかし馬鹿げている、鎖国中の国に船団を寄こすなど。
理由や経緯はどうあれ、必ず戦闘になる……どう転んでも、戦争の火種になるだけだ。
どうせその調査自体、機を見た侵略のついでだろう。
「そうか。領土が拡がって良かったな」
10年も閉じこもって、勝手に消耗していったような国だ。
ましてや船団が帰ってきた以上、結果は見えている。
「ふっ——、ふふふっ。あなた頭良いけど、やっぱり冷たいわね。ふふっ」
今日も今日とて……一体何がそんなに楽しいのか、全く理解できない。
お前が吹き出すのを堪えきれないのと同様に、俺もこの嫌悪感を抑えきれそうに無い。
「残念だけど、そうはならなかったみたいよ。無かったんですって。アズリア」
ターニャは帰り支度をしながらも、まだ口を動かしている。
——悪いが、もう限界だ。
視界に入るのはもちろん、その声すらも聞きたくない。
「そうか。内戦なんか起こした国の、成れの果てだな」
「あら、やっぱり冷たい。せっかく教えてあげたのに」
軽く頬を膨らませたターニャが、つまらなそうに背を向ける。
そのまま数歩歩いたところで、ようやく馬に跨った。
(やっと帰ってくれるのか——)
俺は扉に手を掛ける。
「そいつはどうも。では戦場で——」
俺は扉を引き寄せる。
その隙間を縫うように、ターニャがこちらに振り返る。
(……魔女め——)
——実在するとしたら、それはこの女のことだろう。
まるで血でも塗ったかのように、朱く高揚した頬。
いっぱいに潤ませて人を見下す、禍々しい緋眼——。
一見妖艶なようでいて、その正体は獣である。
「まさに世界の——」
——バタンッ。
何かを言いかけた魔女を無視し、俺は扉を閉めた。
♢♢♢
〝アズリアは無かった〟
——特段、気にしてはいなかった。
王家が打ち滅ぼされたとか、焼け野原になったとか……そういうことだと思っていた。
だが、この二人もこう言っている。
やはり本当に、アズリアは丸ごと消えたんだろう。
「実際にこの眼で見てきたのに……まだ信じられないよ——」
——それはチャンだけじゃない、皆同じ気持ちだろう。
どう考えたって、あり得ないことが起きている……いや、あってはならぬことが。
まさに、神の所業と言う他ない。
「「……」」
……そうだとしたなら、この話はここで終わりだ。
誰がどう足掻いたところで、どうすることも出来ないんだからな。
「今日スタークさんが連れてたのって、アズリアからの難民でしょう?」
「そうだね。ウチの区域は、あまりハルメニアからの侵攻がないからさ。最近は魔獣討伐と難民保護が、主な仕事になってるんだよね」
「居場所を……作ってくれているのね——」
「ウチの団長がアズリア人でさ、他の部隊より積極的に保護に回ってるんだ。ずっと前からこっちに居る人だから、多方面に顔も効くしね。先陣切って動いてるんだよ」
——大体のことは、わかった気がする。
新たに生まれた疑問もあるが……それはまた今度でいいか。
チャンが突っ込まなかった以上、たいした話じゃないんだろう。
(しかし……俺はこんなに酒が飲めたのか——)
——まだだ、まだいける気がする。
不思議だ……この苦味すら、むしろ美味しく思えてきた。
(アテナは……気づいていないな? よし、おかわりを——)
「アル、そろそろ失礼しましょう」
「ん? おれはまだ——」
パンッ——。
「ごめんっ、俺がもう限界」
頬を真っ赤に染めたチャンが、申し訳なさそうに両手を合わせた。
「うんうん! お酒はほどほどにしないとねっ」
アテナは何故か嬉しそうに、勢いよく首を縦に振っている。
「ははは。——よし、じゃあ行こうか。会計を済ませてくるから、先に外に出ていてくれ」
立ち上がったチャンのあとに続いて、俺たちも席を立つ。
「ごちそうさまでしたっ! おいしかったですっ」
「ごちそうさま。……楽しかった」
チャンはニコッと笑うと、出口に向けて手を差し出した。
俺たちは前を歩いて、一足先に外に出る。
フワッ——。
「きゃー! きもちーっ」
夜風が抜けて、火照った身体に沁みわたる。
(確かに心地良い……これも、酒のおかげか——)
「お疲れさんでした! 宿まで送りますよ~」
——急に後ろから声がした。
反射的に振り返ると、何かが俺の視界を埋め尽くした。
もっさりとした……鳥の巣のような何かだ。
「……スタークか。待っててくれたのか?」
「はっはっは! 今来たところでっさ!」
(チャンといい、スタークといい……どれだけタイミングがいいんだ? まったく——)
——しかし、さすが自慢のアフロだな。
この夜の闇の中でも、一目で識別できるとは。
しかしその黒眼鏡……前は見えているのか?
その馬車に乗るのは、少々勇気がいるかもしれん。
「明日また詰め所に来て欲しいんだけど……いいかな? 何時でも良いからさ」
——ここまで良くしてもらって、断る道理もないだろう。
何よりチャンの言葉は、何故かこう……スッ、と入ってくる。
「わかった、必ず行く」
チャンに挨拶をして、俺とアテナは荷台に乗り込む。
(……あれ、おかしいな。急に眠く——)
トンッ——。
——俺の肩に、何かやわらかい感触が伝わる。
「……ふふっ、お疲れ様——」
まるで何かに誘われるように、身体が横に倒れていく。
「……すまん、寝る——」
ガタガタッ……ガタッ——。
走り出した馬車の振動が、床から背中に伝わってくる。
「よしよし……頑張ったね——」
——何故か後頭部だけは、ふわふわと浮いているように感じた。
読んで頂きありがとうございます。
「面白い」 「続きが読みたい」
「まぁまぁかな」 「イマイチ」
など、素直なお気持ちで構いませんので、下にある☆☆☆☆☆から評価をして頂けると幸いです。
ブックマークも頂けますと、より一層励みになります。
どうかよろしくお願い致します。