51話 夜中、カウンターに並んで~壊れゆく君、剣の雨を浴びて~
「すっかり暗くなったな」
「そうですねぇ」
地図を頼りに歩いていくと、やがて大通りに出た。
夕焼けの街並みも束の間、もうすっかり日は落ちてしまった。
夕暮れ時ってのは、いつも思っている以上に短く……あっという間に過ぎ去ってしまう。
美しいものがどこか儚く見えるのと、同じことなんだろうか。
「この辺りのはずなんですが……あら? ここって——」
隣を歩くユリが、その足を止めた。
「ん? どうした?」
ユリが見上げている方向に、俺も眼をやる。
「……なるほどな」
ここに至るまでのいくつかのセリフが、俺の脳裏に蘇る——。
『——あー、なにやら『夜はバーをやっておりますので、よろしければ』だそうですっ』
『一つだけ忠告しておいてやる。 〝あまり飲み過ぎるな〟よ』
——初めて来た街だ。
おまけに一度通ったきりの道など、俺は覚えていない。
だがやけに目立つ……その黄色い看板だけは、よく覚えていた。
「……クスッ。結局ここに戻ってきちゃいましたねっ」
「——ははっ、そうだな。行くか」
俺が店に向かって足を進めると、ユリも袖を掴んだまま後を着いてきた。
——中に入ると、店員らしき男が声を掛けてきた。
「いらっしゃいませ。空いているお席へどうぞ」
「ん、そうか——」
別にどこでもいいが……こういう時はどこに座ればいいんだ?
「隊長、あそこに座らないと」
ユリはそう言って、カウンターを指差した。
(あぁ……そういえば、あそこで封書の受け渡しをするんだったな——)
すっかり頭から抜け落ちていた。
やはりユリは頼りになる、傍に居てくれると安心する。
「あぁ、そうだったな」
俺はカウンターに向かおうとする……が、一足先に踏み出したユリが先に辿り着いた。
ユリはそのまま椅子を一つ手前に引き、こちらに振り返る。
「どうぞ、隊長」
「ん、あぁ……ありがとう」
……〝秘書としての立ち振る舞い〟ってやつなのか?
なんにせよ、本当に気の利く女だ。
絶対にいい嫁さんになるのは間違いない、ユリと一緒になる男は幸せ者だ。
(別にどちらがいいというわけではないが……まるで正反対だな、どこかのわがまま娘とは——)
俺が座ったのを確認したユリは『ニコッ』と微笑み、隣の椅子を引いて腰を下ろした。
「ご注文は如何なさいますか?」
カウンターに立つ男が、俺たちに問いかける。
「ん……あー、そうだな——」
——マズいな、眼帯の男に何か指定されたような気がする。
またたらい回しにされることばかりに気を取られて、ちゃんと聞いていなかった。
「こちらの方に〝シュバルトレーゲン〟をくださいな」
(——っ! ナイスだユリ!)
そうだ、確かそんな名前だった!
さすがユリ……これはもしかするともう、この秘書無しの生活は考えられないかもしれない。
「——かしこまりました。 〝奥様〟もご一緒でよろしいですか?」
またか……。
今日はよく間違えられる日だな。
「ははっ、俺たちは——」
「——っ! はいっ、同じ物を」
訂正しようとした俺を遮って、ユリも同じ物を頼んだ。
(ん……? だがユリのことだ。さっきといい、何か考えがあるのか——?)
きっと、そういう設定の方が都合がいいと踏んだんだろう。
ここは合わせておくか。
「かしこまりました。少々お待ちください」
男はそう言って背を向けると、棚に並べられているボトルに手を伸ばした。
「ありがとうな、ユリ——ん?」
どういうわけか——。
ユリは両手で顔を抑えたまま、椅子の下で足をジタバタさせている。
(……なんだ? 酒を飲めるのが嬉しいのか?)
——コトッ。
「お待たせしました。 〝剣の雨〟でございます」
そんなユリの様子を眺めていると、目の前に酒の入ったグラスが置かれた。
男は慣れた手つきで、ユリの前にも同じものを置いた。
「あぁ、ありがとう」
「そちらをお飲みになって、少々お待ちください」
男は深く一礼して、奥の部屋へ消えていった。
(あまり気は進まないが……とりあえず口をつけておくか——)
確か……グラスを合わせるんだったな。
「ユリ……大丈夫か?」
「ひゃんっ! ——あっ、はい! えっ? 何がです?」
ユリは変な声と共に、勢いよくこちらに振り向いた。
そして俺と眼を合わせると、逃げるようにその翠眼を泳がせ始めた。
「ははっ、何やってるんだ。——乾杯」
「はっ、はい! 乾杯……です」
——チンッ。
重なったグラスから、美しい音色が弾ける。
俺とユリは、そのまま同時にグラスを口に運んだ。
「……っ! 美味いな!」
「はい! 凄く美味しいですっ!」
ユリはそのまま、一気に酒を飲み干した。
「ちょ……大丈夫か?」
「はい! 実は私、お酒って初めてで! でもこんなに美味しかったなんて……あーんもうっ、なんで今まで飲まなかったんだろっ」
「そ、そうか……。だが初めてなら、もう少しゆっくり飲んだ方がいいんじゃないか? ほら、この後商談もあることだし——」
「だーいじょうぶですっ! それに酔ったら……隊長が介抱してくださるんでしょう——?」
いつものように、美しい翠眼が下から俺を覗き込む。
だがその口調の節々に……俺の知らないユリがちらついている。
「あ、あぁ。そのつもりだが……なにぶん俺も弱くてだな——。というか、もう酔ってないか?」
……嘘だろ? さすがに早すぎないか?
それだと俺やチャンより弱いことに——。
「〝も〟ってなんですか!? 〝も〟ってぇ~! ユリは大丈夫ですよっ! 店員さーん、おかわりくださーい!」
——確定だ、これはダメなヤツだ。
とりあえず、俺はこれ以上口をつけるのはやめておこう。
(頼むぞ……繋げててくれよ——)
『——ナツキ、聞こえるか? ナツキ——』
『——っ! はいっ、こちらアルカ様のナツキです! どうぞー』
『……ん? まぁいい。今どこに居る?』
『ブランシュルーヴに居ますよ~。乙女会談中ですっ』
取り込み中か——。
だがすまん、今はこちらへの増援が最優先だ。
『そうか。盛り上がってるとこ悪いんだが、今から昼間の店に来れるか?』
『えっ……! もしかして大人なお誘いってヤツですか!? もちろんです! 会談はたった今終了しましたので、すぐに参りますっ! ——あっ、お風呂もバッチリ済ませてありますっ』
……大人? 何を差しているのか皆目見当もつかないが、深く考えるのはやめておこう。
すぐに来てくれるのはありがたいが、風呂まで済ませたあとなのか——。
『本当にすまんな。——あ、必ずチャンを連れて来てくれよ? ではよろしく頼む』
『……えっ? 私一人じゃ? ——あっ! まさかっ!』
『ん? チャンさえ連れて来てくれればあとは何でもいい。とにかく頼んだぞ、なるべく早くな』
俺の場合……久々に酒を飲んだあの日は、最後はそのまま寝てしまったらしい。
仮にユリがそうなった時、チャンが担いで帰るのが一番合理的だろう。
『……わかりました。言い付け通り、即時参ります。もはや全機出撃させますね、正直……抑えきれそうにない猛獣も居ますので——では』
『猛獣……? ちょっ、おい——』
ナツキが呼びかけに応じなくなった。
(切れたか——)
まぁ既に要件は伝えたあとだし、問題はないか。
あとはユリを飲ませ過ぎないように見ておこ——。
「……っ! ユリ、まさかこの短時間で——!」
慣れていないせいか、伝心中はいつも周りが見えなくなる。
今回はその間に……秘書の目の前の空きグラスが、もう二つほど増えていた。
「へぇ~? なんれすかぁ? アルカさまぁ~」
——そのまま溶けてしまいそうなほどの、虚ろな眼。
そして……まるでまだユリ一人だけが、さっきの夕焼けに照らされているかのように——。
その頬は真っ赤に紅らんでいる。
「……ははっ。いや、気持ち良さそうで何よりだ——」
——本能だった。
俺はこの現実から眼を逸らすべく……隣の秘書を視界の中から消し去った。
(くそっ……! 早く来てくれ、チャン——!)
——ガチャッ。
「ん……?」
奥の部屋に続く扉が開き、中から人が出て来た。
そしてそのまま……俺の目の前まで来て、ゆっくりとその身体をこちらに向けた。
(フード……こいつか! だが——)
「ねぇアル、聞いてるの? ねえってばぁ~」
(くっ……もはやこの秘書は、自分を見失っている——!)
頼りのユリはこの有様、でも——。
——そうだよな、いつも頼ってばかりじゃダメだ。
(ここまで散々助けてもらって来たんだ……あとは俺一人でどうにかしてみせる——!)
「ユリ、あれを出せ」
「えぇ~? なんのことぉ?」
「封書だ、眼帯の男に貰ったろう」
「ふうしょ? ふーしょ? ……ちゅーしよ? ——もう、こんなところで。あなたったらぁ。はいどーぞっ、ちゅー……」
なぜか瞳を閉じたユリが、その口を尖らせてこちらに迫ってくる。
「夫婦ごっこはもういい、早く出せ」
「んー」
酒のせいなのか……ユリは一切の迷いなく、当初の夫婦設定を押し通そうとしている。
——だがそこには、明らかな矛盾が生じている。
旦那であるはずの俺の声が、これっぽっちも届いていないのだ。
(まさか……結婚したら変わるタイプか? だがとにかく——)
——こいつはもうダメだ、最悪無理やりにでも奪うしかない。
どこだ……どこにある? 確か胸の辺りに閉まっていたような——。
(フードの女がいつまでここに居るかもわからない……やはりやるしかない!)
「すまん! 勝手に探すぞ!」
——ガバッ!
俺は意を決して、ユリの上着の内側に手を突っ込んだ。
「ちょっ……ああんっ、こんなところで出せだなんて……。でもユリ、ご主人様のためだったら——」
秘書の暴走は依然、留まることを知らない。
(だが短期決戦……いちいち構っている暇はない——!)
意味不明な言葉の刃が、絶え間なく飛んでくる——。
俺はそのすべてを躱し……きれているのかはわからないが、とにかく全力で内側のポケットをまさぐり続ける。
(ここじゃない……! ならここは——あった!)
——ガバッ!
「ああんっ! ……もう、強引なんだか……らぁ——」
やっと限界を迎えたのか……ユリはそのまま倒れ込むように、テーブルに突っ伏した。
「はぁ……はぁ……待たせてすまん、こいつを渡すように言われた」
俺はフードの女に、眼帯の男から預かった封書を手渡した。
女はゆっくりと封を開け、その中身を確認している。
(ここからの展開は聞いていない……面倒なことにならなければいいが——)
——ほどなくして、女が口を開いた。
「わかった。着いてきて——」
そう言ってカウンターから出て来た女は、店の出口の方へ歩き出した。
(……外で話すのか? ユリは——)
「すー、すー……」
——やはりダメだ、とても自分では動けそうにない。
むしろもう夢の世界に行ってしまったようだ。
そして当然、女はこちらの様子など気にすることもなく……そのまま外へと出て行ってしまった。
「ちょ……くそっ」
(アテナもこんな気持ちだったんだろうな……あとで謝ろう)
「ユリ……もうお前は金輪際、俺と一緒に禁酒だ——」
俺はユリの首元と膝下にそれぞれ手を入れて抱え上げ……女の後を追って外に出た。
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