6話 酒と女と、隊長と~はじめての宴に、厄災を添えて~
そのまま奥へ進んでいったスタークが、突き当りのカウンターの前で立ち止まった。
天板の上には、小さく〝受付〟と表記されたボードが置いてある。
「スターク・オブライエン、ただいま帰還しました!」
中に立つ金髪の女性が、スタークに微笑みかける。
「お疲れ様です。こちらにサインを——」
「聞いてくださいよユリさん! 実は街道で——」
——差し出された書類には眼もくれず、スタークがアフロを揺らし始めた。
大げさな身振り手振りで、何かを熱く語っている。
「あらぁ、そうだったんですか……では、こちらにサインを」
受付嬢は興味が無さそうだが、スタークの興奮は収まらない。
(どこに行ってもあしらわれて……ある意味、これも孤独の一種か——?)
「——おっ、お疲れ様スターク。大丈夫だったかな?」
ちょうど奥から出てきた一人の男が、スタークに声を掛けた。
「チャンさん! 大変でしたよ~! でもこの方達のおかげで、なんとか任務達成できました!」
——ここに至るまでの経緯を、スタークが男に説明し始めた。
チャンと呼ばれたその男は、話に興味があるようだ。
一切口を挟もうともせず、黙って『うんうん』と頷いている。
茶髪を編み込んだオールバックは一瞬、厳つさを感じさせる。
だが、その表情は驚くほどにやわらかい。
笑顔を崩さず、細く垂れた翠眼……優しさや穏やかさのようなものが、溢れ出している。
「——てなわけでっさ!」
「なるほどね。お疲れ様」
……どうやら、ひととおり話を聞き終えたらしい。
男はスタークの肩にポンッと手を置くと、身体をゆっくりこちらに向けた。
そしてそのまま数歩歩いて、俺の眼の前で立ち止まる。
「話は聞いたよ。今回の件は、本当にありがとう」
「いや、大したことじゃない。こちらも世話になった」
男が手を差し出して来たので、俺はそれを握り返す。
「申し遅れたね。俺はファミリア13番隊隊長のチャン・K・チャンドラ。この辺り一帯を統括しているんだ」
一連の流れを見るに、この男がスタークの言っていた〝隊長〟で間違いないだろう。
「アルカ・キサラギだ。よろしく」
「良かったらこの後、一杯どうかな? 奢らせてほしい」
(一杯……酒、か——)
アズリア王立軍に入隊した日の夜——。
催された歓迎会で飲んだのが、最初で最後だったな。
皆美味そうに飲んでいたから、俺も口付けてみたんだっけ。
でも……ただただ苦かったんだよな、俺には合わなかった。
身体が一気に熱くなって、瞼もだんだん重くなって……眼が覚めた時にはもう朝だった。
(何がそんなに良いのか、全く理解できなかったな——)
——というわけで、もちろんあまり気は進まない。
だがこうして、初対面の最序盤で『奢らせて欲しい』とまで言わしめるからには……やはり良いものなのだろうか?
(……何にせよ、こんな風に誘われたら断りづらいな——)
——よし、これも経験だな。
今後良好な人間関係を築くために、慣れておくに越したことはないだろう。
「わかった。お言葉に甘えよう」
ガタっ——!
——突然、背後から物音がした。
反射的に振り返った先では、巫女が椅子から転げ落ちそうになっている。
大きく仰け反ったまま静止しているが……その瞳だけは、パチパチと絶えず瞬いる。
「ん? 酒は好きじゃなかったか?」
「い、いや、違うけど——。本当に行くの……?」
「せっかくだからと思ったんだが。何かマズいならやめておくが、どうする?」
アテナは『よいしょ……』と立ち上がると、座っていた椅子をテーブルの下に戻した。
「んー……わかったわ、行きましょう」
(……何か急ぎの用でもあるのか——?)
——まぁ本人が言わないんだ、しつこく問いただすのは野暮だな。
もし何かあるなら、あとで言ってくるだろう。
その時は様子を見て、適当に切り上げれば良いだけの話だ。
「そしたら一時間後に、向かいの酒場に来てくれるかな? 風呂など入りたければ、ここで済ませておくといい。自由に使えるようにしておくよ」
チャンはそう言うと、軽く片手を上げて背を向けた。
「ではお二人とも、オイラも一度失礼します!」
「あぁ、色々とありがとう」
その後を追うように、スタークも奥へ消えていく。
——二人とも、何から何まで良くしてくれるんだな。
頼りの居ない俺たちにとっては、本当にありがたいことだ。
何だか出来過ぎているような気もするが……まさかこの後、壮大な落とし穴でもあるのか?
(さて……何にせよ、時間を潰さないとな——)
「どうするアテナ? 風呂にするか?」
「そうね。私たちも現地集合にしましょう」
「わかった。では後で——」
「一つだけ言っておくわ! お酒のおかわりは必ず私を通すこと! それともう一つ」
(出たな『もう一つ』……もはやお決まりだな——)
「せっかくだし、楽しんでねっ」
「……ん? あぁ」
……会計のことを心配しているのか?
やはり人付き合いってのは、色々と気を遣って大変だな。
だが安心しろ、酒はそもそも好きじゃない。
おかわりなんて以ての外だ、その心配は杞憂に終わる。
——受付嬢に話を通して、俺たちは一旦別れた。
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~一時間後~
——酒場の前に着いたが、チャンもアテナも見当たらない。
二人ともまだ来ていないようだ。
(少し早かったか——?)
壁にもたれかかって、ふと上を見上げる。
今日は雲も少なく、夜空の星がよく見える。
「お待たせ。アル」
少し待っていると、アテナが現れた。
掻き上げたエメラルドグリーンの髪から、ふわっと良い匂いがした。
「じゃあ入りましょうか」
「ん? まだチャンが来てないぞ?」
「んー、多分中に居るかな。行きましょう」
流れるように扉を開けるアテナの後に、俺も慌てて付いて行く。
——中に入ると、店内はほぼ満席。
走り回る店員たちに、笑顔でグラスを掲げる客……と、どこを向いても賑わっている。
アテナはそんな中をズカズカと進みながら、辺りをキョロキョロと見回している。
「あ、居たわよ隊長さん。一番奥の窓際」
アテナの視線の先に、こちらに向かって手を上げるチャンの姿が見える。
(おぉ……本当に居た——)
——辿り着いたテーブルの上には、まだ何も置かれていない。
どうやら、俺たちが来るのを待っていてくれたらしい。
「すまない、待たせたか?」
「大丈夫、今来たところだよ。いつも何飲むか決まってるのかな?」
手渡された酒のメニューに眼を通す……が、やはりな。
当然、俺の知っている単語など無かった。
(くっ……どうする? 名前の響きで決めるか——?)
「決まってますぅ~! アルはこれ! 私はこれで。お料理はお任せします」
横からズイっと入ってきた巫女により、メニューがチャンの方に向けられる。
ここからでは、何を指差しているのかもわからない。
「ははは、了解」
チャンが店員を呼び、慣れた感じで注文を済ませる。
色々頼んでいるが、どれが俺の酒かはわからない。
——少し待つと、それぞれの手元に酒が届けられた。
「では改めて、今回の件は本当にありがとう。そしてこの出逢いに……乾杯!」
口火を切ったチャンに続いて、アテナがグラスをスッと前に出す。
(……ん? そういう作法か——?)
俺も急ぎ、同じようにグラスを前に突き出す。
カァンッ——。
勢いがつきすぎて、二人のグラスに打ち付けるような形になってしまった。
「あっ、すまな——」
(——ん?)
——二人は全く気にする様子もなく、グビグビと酒を飲んでいる。
……そういうことなら、ここは何事もなかったということでよろしいな?
(……よし、俺も飲むか——)
俺は再度真似をして、同じようにグラスを上に傾けようとする……が——。
グッ——。
……何らかの力によって、それは阻まれた。
グラスで狭くなった視界の端に、上から押さえつける手が見える。
(なっ……!)
隣を見ると、巫女が無言で俺を睨みつけている。
俺はゆっくりとグラスを降ろし、そっとテーブルに置いた。
零れた酒が、服とテーブルを少し濡らした。
「いつからアーレウスにいるんだい?」
テーブルを拭いていると、チャンが話し掛けてきた。
「半年前ぐらいかな」
「……てことは厄災組か。なら、アルカも記憶がないんだろう?」
(……〝厄災〟? アルカ〝も〟——?)
「あぁ。目が覚めてからの状況や、周りの話……それらを色々整理すると、大体二年分ぐらいの記憶が飛んでいるようだ」
……ひとまず、記憶については正直に答えた。
知らない単語や引っ掛かる点については、話が止まりそうだからスルーしておく。
「そうか……」
チャンは俺から視線を外し、グラスをコトッとテーブルに置いた。
どこか淋しそうな、悲しそうな……そんな切ない横顔だ。
「みんなそう言うね。こちらの調べでも、大体その計算になった。あの日からたくさんのアズリア人を保護して話を聞いてきたから、そこは信用してもらっていいと思うよ」
(……そうだったのか——)
——どこか頭でも打って、記憶をなくしているんだと思っていた。
あの日……アズリア王立軍から叩き出されて、また一人になって——。
次に目が覚めた時には、見らぬ場所……この国に居た。
混濁するその意識の中で、とりあえず〝生きている〟ということだけがわかった。
だからあの時は、 『あの後また袋叩きにされて島流しにでもあったんだろう』……と、無理矢理補完して終わらせたんだ。
「残酷だよね……皆揃って記憶が無いなんて。なぜか知らない赤子を抱えている大人とか、男女同じ指輪を薬指にはめているのに『こんな人は知らない』ってお互いに言っている人なんかもいたりしてさ——」
ガタっ——!
隣の巫女が、急に立ち上がる。
「ちょ、ちょっとお手洗いに行ってきますわね」
「そこを右に行った奥にあるよ」
アテナはチャンに軽く会釈をし、足早に奥へ消えていく。
(気づいてやれなかったが……もしかして、相当我慢してたのか?)
「ペアじゃないのを見るに、二人の指輪はおしゃれかな?」
「ん? あいつ指輪なんてしてたか? 俺のは……なんだろうな」
——眼が覚めた後、謎に思ったことの一つだ。
俺はこういった物には、全くと言っていいほど興味が無い。
だがチャンの言う通り……俺の左手の薬指には、指輪がはめられていたのだ。
だから恐らく、これも〝厄災〟から二年まで……記憶のない内に手に入れた物なんだろう。
ここまでの話が本当なら、それで説明がつく。
「お待たせしました~!」
店員により、料理が運ばれてきた。
こういうところで食べるのは、それこそ王立軍に入ったばかりの頃以来だ。
やたら美味そうな匂いがする。
「おっ、来た来た。遠慮せず食べてね」
「あぁ、ありがとう」
「あっ店員さん、俺のこれ、おかわりね~。アルカはどうする?」
——そんなつもりはなかったが、結構飲んでいたらしいな。
俺のグラスには、もうほとんど酒が残っていない。
ここで頼まないのは、少しおかしいような気もする……が——。
『お酒のおかわりは必ず私を通すこと!』
(……くそっ、面倒な女め——)
「あー、どうするかな——」
(しばらく経つが……まだ戻って来ないのか——?)
ふと視線をやった先の、柱の影——。
見覚えのある頭が、半分ほど見えている。
少し待っていると、そーっと顔を出した自称巫女様と眼が合った。
「何やってるんだ? 早く戻ってこい」
「う、うん……」
そそそーっと戻ってきたアテナが、ちょこんと隣に座った。
だが座るなり、何故か下を向いてモジモジしている。
「どうした? どこか具合でも悪いのか?」
……そして俺は、おかわりを頼んでいいのか?
「ううん……今、なんのお話?」
ゆっくりと顔を上げるアテナに、チャンが優しく微笑みかける。
「料理が来たから、遠慮せず食べてねってところだよ」
「わぁー! 頂きまーす! ほら! アルも食べよっ」
(なんだ……腹が減ってただけか。紛らわしいヤツめ——)
「そうだな、頂こう。あと酒、おかわりしていい?」
「えっ? うん」
——どうやら巫女様は、ご馳走に夢中のようだ。
あっさりと許可をもらったので、俺は同じ物を頼んだ。
「おっ、アルカは尻に敷かれるタイプなのかな?」
「もー、チャンさんったらー! やめてくださいよぉ〜!」
何故か顔を赤くしたアテナが、チラチラと目線を送ってくる。
「……ん? どういう意味——」
「い、いただきまぁ~すっ」
アテナは強引に話を切り上げると、パクパクと料理を食べ始めた。
「ははは」
(……まぁいいか、チャンも楽しそうだしな——)
——隣の巫女様も、随分と幸せそうな顔をしている。
相当お口に合ったようで、何より。
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