37話 厄災の巫女~世界を六度、壊した女~
「すー……はぁ~——」
もう一度大きく深呼吸したアテナが、両足をグッと抱え込んだ。
さらにひと呼吸置くと、遠く向こうの空に向けていた身体を俺の方に向き直して、その金眼でしっかりと俺を見た。
初めて出逢ったあの日……契約を迫られた時と同じ、真剣な眼だ。
気づくと俺も、アテナの方を向いて座り直していた。
「ある日、突然現れる【獣神】により、アズリアは滅ぼされる。それに連なって発動する〝黒穴〟によって、偶然その時近くに居た人たちはそれに吸い込まれ……アルのように、こうして別の何処かへ飛ばされる。ここまではいい?」
「あぁ。ナツキ、おつう、ユリはもちろんのこと、俺と同じように東海岸に居たアズリア人も〝黒穴〟に吸い込まれてこのアーレウスへ飛ばされた。そしてなぜか記憶が無くなっていた」
「うん。それ自体はいつもと同じ……なんだけど、色々とおかしいの。今回の〝厄災〟には大きく違う点がひとつある」
——いつも? 今回?
どういうことだ? 俺が認知してないだけで……〝厄災〟自体は今までに何度もあったってことなのか?
……だが今は、なるべく余計な口を挟むのはやめておこう。
アテナにも未だ信じられないことがあると言っていた、返って混乱させてしまうかもしれない。
返しはなるべく最小限に、なるべくアテナが喋りやすいように。
「……大きく違う点?」
「厳密に言うと……本来は〝記憶が無くなる〟んじゃなくて、 〝生きていた時間自体が無かったことになる〟って言った方がいいかな」
……結局、さらにわからなくなった。
ただ、 〝黒穴〟を通ることで何かを失っているのは間違いなさそうだ。
「結論から言うとね、今回はその飛ばされる〝場所〟がいつもと違ってた。だから今回は、代わりに〝記憶が無くなってる〟んだと思う」
「飛ばされる場所? ……代わりに?」
「いつもはね、 〝黒穴〟に吸われると、時空を遡って〝666日前〟のあるべき場所へ魂が戻るの。その時、自分が居た場所へ」
「……っ!」
魂が……戻る? 666日前?
そんなことがあり得るのか?
——だがそれが本当なら、 〝生きていた時間自体が無かったことになる〟という話の説明はつく。
記憶が無くなるとか、そういった話ではなくなる。
「だけど今回は……魂が〝過去〟に転移するんじゃなく、肉体ごと〝現在〟の別の場所に転送された。そして目が覚めると、約二年分の記憶が無くなってた。——恐らくこれは、今回〝黒穴〟を通った日から遡って〝666日分〟の記憶なんじゃないかって私は思ってるの」
「なるほど……。何らかの想定外により過去を遡らなかった分、代わりに同じ日数分の記憶を消されてると考えたわけか」
「……うん、多分そういうことだと思う」
——そりゃ『信じてくれないかも』と不安にもなるはずだ。
アテナも、ゆっくり一つずつ言葉を選んでいるのはわかる……だがそれ以上に、話の規模がデカ過ぎる。
とは言っても、相手が俺であればそこはさして問題にはならない。
別に無条件に信じてもいい。
どんなにぶっ飛んだ話であれ、アテナが言うならそうなんだと思うし、そういう前提で今後行動するんで俺は構わない。
ただそういったこととは関係なく、どうしても確認しておきたいことがある。
「……そうか。一つだけ聞いていいか?」
「——うん。」
「『いつも』というのが、どうしても引っ掛かるんだが——」
この際、 【獣神】や〝黒穴〟の理屈はどうでもいい。
だがそもそも、なぜアテナはそんなに客観的な視点でこの事象を語れるんだ?
例え行き先が過去だろうが現在の何処かだろうが、なぜ覚えている?
アテナの記憶も無くなっているはずじゃないのか?
どうしてそんな風に分析することができる?
「……言いたいことはわかるよ。こうして今もずっと私が記憶を無くしてないのは、これの力」
俺の奥にある疑問を察したかのように、アテナは再度その左手をこちらに差し出して見せた。
「……【什宝】か」
「うん。 〝記憶の指輪〟——。戦う力は一切ない。でもこれをつけたまま〝黒穴〟を通ると、記憶は全て引き継がれる。何度やってもそうだった」
なるほど、その【什宝】にはそんな力が……って——。
「何度……やっても?」
確かに『いつも』とは言っていた。
『何度も』というのは別におかしくない。
だが、 『何度やっても』というのは少し変じゃないか?
(まるで、アテナが意図的に何かを——)
足りない情報、足りない頭。
そのすべてをフル回転させながらパンクしそうになる俺の思考回路を遮断するように、アテナがそっと口を開いた。
「二回目までは、気づけなかった。世界が壊れる夢だと思ってたの。おっきい魔獣が現れて、暴れて……黒い穴に吸われてから、目が覚めるまでのことが」
「そりゃ夢だと思うだろうな。俺でもそうなる」
すべてが常識では考えられないことばかりなんだ。
『悪い夢だった』と思い返す以外に、一体何が出来る?
「けど三回目ではっきりとわかった。十五の誕生日に、パパとママからもらったこの指輪が……吸い込まれた〝黒穴〟の中で、ずっと光りを放ってた」
「……そこで普通の指輪じゃないことに気づいたわけか」
さすがにまったく同じ夢……しかも最悪の内容であれば、多少疑う余裕も出てきたということか。
「三回目は、私も皆に話した。けどこんなこと、どれだけ説明しても誰も信じてくれなかった。それで私にだけ記憶があるんだってわかった。——やがて二年後、何も出来ずにまた世界は終わって、 〝黒穴〟に吸われた。それで同じように二年前のある日に戻った。目の前で吸われた人たちは、当然のように記憶がなかった」
周りの反応は別に納得できる、むしろ当然と言えるだろう。
現に俺でさえ、この関係が無く初めて聞けば、同じ反応をすると断言できる。
別にアテナを疑う気持ちはこれっぽっちもない。
だが、それだけの話なんだ。
「四回目の周回からは、世界を回って色々調べた。それでこの【什宝】のことを知ったの。これを四つ集めないと、あの魔獣……【獣神】を討ち滅ぼせないことも。だから探した、けどすべては見つけられなかった。その間に……数えきれないほどの人たちが死んでいった——!」
急にアテナの表情が険しくなった。
(この辺に何か問題があるのか……?)
「死んだら……どうなる? まさか次の周回では——」
「〝黒穴〟に吸われる前に死んだ人は、次の周回にはもう居ない……〝居なかったこと〟になってるの。生まれてない、亡くなった……そういう取ってつけたような色んな理由で、その存在自体を消される。これがどういうことかわかる?」
「……」
居るはずの人間が存在しない……。
だがそれは、残された人たちにとってはそもそもが〝なかった存在〟——。
「そうやって存在する人間が変われば……残された人間の行動や生き方にも少なからず影響が出る。起きるはずのことが起きなかったり、起きないはずのことが起きたりするの。例えばね、前回の周回で戦争に行かなかった人間が次の周回で戦争に行けばどうなると思う?」
アテナの瞳が、少しづつ潤んでいくのがわかる。
「普通に生きていくよりは……純粋に早死にする可能性が高まるだろうな」
「そう、そんな最悪が重なり続けてきた結果、今回の周回の内戦は過去一番に酷いものだった。アズリアの人口は減るばかり。なっちゃんが前に『男性は珍しい』って言ってたのは、恐らく——」
「……徴兵制か」
アズリアでは、内戦終盤は徴兵制が敷かれていた。
アテナの話から推測するに、もともとそういった制度はなかったんだろう。
周回を重ねるごとに、単純に減っていった国民、そして兵士の頭数……だが、そもそも内戦はその二年よりもっと前から始まっていることのため、それ自体が歴史から無くなることはない。
加えて、環境が変わった議会や民衆の大多数の思考に何らかの変化が生じ……以前までの周回とは状況が大きく変わっていってしまったということか。
(なるほど……〝黒穴〟にアズリア人の男が吸われなかった理由、すなわちアーレウスにほとんど男が現れなかった理由は——)
「……もう全部言う。本当はね、この一連の話を信じるかどうかは別として、ただ私を守ってくれた人や、ただ着いて来てくれた人たちもたくさん居たの。けどそのたびに……輪廻教との衝突や【獣神】との戦闘で皆死んでいった……! その人たちはもう戻らない! 私がっ……私が殺したの! 知らなかった! 居なくなるなんて知らなかったの!」
(やはりその大多数は戦場に駆り出されて……死んでいたか——)
その金眼は、今にも零れ落ちそうな涙を瞳いっぱいに溜め込んでいる。
……大体、理解できた気がする。
世界を救うために動いていたはずが、結果たくさんの人間の命を奪う結果になったということか。
それでこの巫女様は相変わらず、独りでその責任を感じているんだ。
「……で、今がその五回目ってことか」
「——もう七回目よ。私にはその資格が……使命があったのに! もう六回も! 世界を壊した!」
「——っ!」
「でもいつもと違うの! 今回は目が覚めた場所が過去じゃなかった! だからもうわかんない! 次なんてないかもしれない! やり直せないかもしれない! だから失敗できないの!」
金の湖は、ついに決壊した。
「私……アーレウスで初めてアルに逢った時、自分のこと何て言ったか覚えてる?」
そんな質問に答えたところで何になる?
今はその涙を拭うのが先なんじゃないのか?
「……巫女だろう」
「ほーんと、恰好つけちゃってさぁ〜。……私、なんて呼ばれてきたと思う? ふふっ、 〝厄災の巫女〟だよ!? 七度周回したその中で……輪廻教に近づけばそう! 私が居ることで街が焼かれればそう! 私はただ——っ!」
決壊したのは、俺の方だった。
何を思ったわけでもない。
気づけばただ、強く抱きしめてしまっていた。
「本当は【巫女】だなんて名乗りたくない! でも戒めとして刻まなきゃって思ったの! 忘れないように、逃げないように……私の使命からも、殺した人の数だって——!」
今にも壊れてしまいそうな、その華奢な身体。
いつもとは違い、大きく声を上げ、泣き喚く巫女。
今この腕を解いたなら、そのまま消えてしまいそうな気さえする。
——誰が望んだわけでもない、忘れていた方が楽なこともある。
そんな中で意図せずただ独り、その運命の十字架を背負わされ……縛られ、抗い続け——。
世界の終わりを、何度も、何度も……その眼で見てきたっていうのか?
それも……たった独りで——?
「終わらせよう……俺が終わらせてやる」
「ひぐっ……うええええん!」
俺が一方的に抱いていただけのその身体から、両腕がきつく俺の背に回される。
「正直……あの時はよくわからないまま、流れで交わした契約だ。俺が生きてていい理由にしただけかもしれない……縋っただけなんだ。だが今、ここからは違う。俺がお前の運命を一緒に背負ってやる」
「ひぐっ……。私だってちゃんと説明しなかった! 巻き込んだだけじゃん! 騙してたって言われても仕方ない!」
「騙されてなんかない!」
「だって私との約束覚えてないじゃん!」
別に今さら、そんなものは関係ない。
だが敢えて言おう、それはお前が俺にいつも言ってきたことだ。
「じゃあ約束はしたんだろう!? 俺は約束を守る男なんじゃないのか!?」
「うっ……! ひぐっ、でもぉ~……!」
あの日お前が俺に言ってくれた言葉を、そのまま返そう。
それがあったから、俺は今もこうして生きていられているんだ。
「もう一人で苦しまなくていい。今度はお前の番だ、俺に縋っていいんだ」
「……っ! ——ばか! ばかあああ! そんな風に優しくされたら、私本当に間違えちゃう! ダメなのに! 止まんなくなっちゃう——!」
優しくしているつもりなんかない。
実のところ……俺は決して、お前のためだけにこうしてるんじゃない。
そんなに綺麗じゃないんだ、俺は。
「もういい、もういいんだ」
俺が『こうありたい』と思っているだけだ。
それに正直な自分で居たいだけなんだ。
お前もそう思っているかもしれない。
だが、俺の方がよっぽど……ズルいかもしれない。
「ごめんね……! ごめんね——!」
ついに言葉を失った巫女様は、観念したように俺の胸に顔を埋めた。
アテナは俺に、生きる意味を与えてくれた。
今度は俺の番だ、お前の歩かされたその道に、ちゃんと意味を与えてやる。
必ずだ——。
ふと顔を上げたその先の、未だ薄曇りのカーテンのさらに奥。
泣き喚くアテナを覗き込むように、遠くの月が少し顔を出していた。
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