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魔王さえいれば  作者: Liu-Ⅱ
第一章 オストドルフ一揆
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大衆酒場の集会

下町の居住区へと続く街路は、ところどころ石畳が欠けて濁った水たまりを作っている。打ち捨てられたごみを野良犬が漁り、衛生状態は良くなさそうだ。


商業区にある居酒屋は冒険者ギルドを兼ねた大店で、あらゆる階層の人間が来店するのに対し、下町の大衆酒場(ビアホール)は近隣の住民が日中の仕事の疲れを癒しに来る。ガラは悪いが気の置けない場所といえた。


アルフレートに案内された大衆酒場(ビアホール)には、狭いながらも立錐の余地がないほどに客が詰めかけている。下町らしく、みな声が大きく、店内は喧騒に包まれていた。騒々しい、と言ってもいいくらいだ。

照明は各テーブルの上に置かれた燭台しかないので、店内は薄暗い。獣脂性のろうそくが黒い煙を吐き出しては、視界を不明瞭にする。ヘルマンの正体がバレる心配はなさそうだ。カウンターにどうにか3人分の場所を確保すると、ハンスは3人分の麦酒(ビール)腸詰(ヴルスト)を注文し、州札を取り出す。


「旦那がたぁ、他所(よそ)からかい?」

「ええ。州札を使うのは初めてです」

「まだ持ってるんなら、硬貨のほうがありがたいんだがね」

「それはまた、どうして?」


店主は仏頂面で魔石越しに州札をのぞき込んでから、3人分の麦酒(ビール)をカウンターの上に供した。フードを目深にかぶったヘルマンは、木製のジョッキをあおると、一息に飲み干す。ニガヨモギの爽やかな風味が口の中に広がり、疲れた身体に心地いい。続けてハンスもジョッキに口をつける。


「これはイケるな」

「旦那、いい飲みっぷりだ」

「もう一杯といきたいところだが、州札じゃまずいかね」

「まずいってこたぁないんですがね。こういう小商いの店で取ったりやったりするのに、いちいち石っころとにらめっこしてたら酒がまずくなるでしょう。それに……」

「それに?」


ハンスが懐から銅貨を取り出して渡すと、店主は二杯目のジョッキを用意しながら、顔を近づけてきた。


「最近、ずいぶん偽札が混じってるってぇ噂だ」

「……偽札?」

「卸市場に仕入れに行ったら、みんなピリピリしてるからおっかねぇのなんの。どだい紙切れなんざ、信用できるかってんだ。……旦那がたは硬貨をお持ちの上客だ、腸詰(ヴルスト)は多めに盛っておくぜ」


固くなった黒パンを皿代わりにしたトレンチャーの上に、茹で上がったばかりで湯気をもうもうとあげる腸詰(ヴルスト)が乗せられて配膳された。ひと嚙みすると肉汁があふれ出てきて、たまらなくうまい。肉体労働者の多い下町ならではの、濃い味付けだ。

使い終わったトレンチャーは、食料として貧困層に施される習わしとなっているので、少しでも味をつけてやろうと、ヘルマンはトレンチャーに肉汁をたっぷりと吸わせている。

腸詰(ヴルスト)に粒立った洋辛子(ゼンフ)をたっぷりと塗りながら、ヘルマンはアルフレートに問い質した。


「偽造はできないんじゃなかったのか?」

「さあて、当方では1枚も確認しておりませんので」


シラを切っているのだろうか


ヘルマンがさらに問いただそうとすると、満員の店内にワッと歓声が上がった。客たちは口々に、ユストゥスだ、ユストゥスが来た、と色めき立っている。


「ユストゥス?」

「今日のお目当てです」


黒い短髪をきっちりと撫でつけた神経質そうな小男が店内に入ってきて、椅子の上に立ち上がった。この男がどうやら一揆の首謀者のようだ。客たちは、ユストゥスと呼ばれた男を見上げてざわめく。

ユストゥスは一言も発しないまま、微動だにしない。やがて全員の眼差しがユストゥスに引き込まれていき、店内に静寂が訪れたその刹那、彼は口を開いた。


「諸君」


厚みがあって、よく通る声だ。店内の奥にいる彼の声が店中に響く。次の言葉を待ちわびる群衆が息を吞む音まで聞こえてきそうだ。


「本日の労働もご苦労に存じる。労働のあとの一杯は格別なものだ。とくにこの店の麦酒(ビール)は昔から評判で、諸君が好むのもよくわかる」


全員が誇らしげな表情で、店主に笑みを向ける。瞬間、カウンターにいるヘルマンも店主の方に顔を向け、顔を背けた。

ユストゥスの咳払いに反応し、全員が再びユストゥスに視線を戻す。テーブルの上の燭台の受け皿は、ろうそくの灯りを拡散するように白く塗られている。椅子の上のユストゥスを足元から照らし、彼のシルエットを鮮やかに描き出した。


「……だが、この一杯にありつくために、我々はどれほどの苦労を強いられているだろうか。どれだけ額に汗しているだろうかッ?」


ゆっくりと語り始めたユストゥスの言葉が、次第に熱を帯びて早口になっていく。


「我々のつくった麦が麦酒(ビール)となり、この口に注がれるまでに、どれほど多くの富が搾取されているのだろうか」


客たちの体温が上がっていく様子が手に取るようにわかる。顔は上気し、体から湯気が噴き出るかのような熱気が、驚くべきスピードで店内に伝染していく。


「かつて我々が戦った三十年戦争を思い出せ。我々は、みずからの身に降りかかった理不尽に対し、みずからの手に剣を取って戦うしかなかった。ひるがえって今の我と我が身を顧みよ! なぜ我らはこのように困窮せねばならないッ!」


そうだ!

方々から合いの手が上がる。口角泡を飛ばし、オーバージェスチャーで訴えかけるユストゥスの演説に、感情を奮い立てられた聴衆の熱が同期していく。


「かかる理不尽は誰によってもたらされたか! 国は我々に何をしてくれたか!」


何もしちゃいない!

聴衆が口々に叫ぶ。

すると、ユストゥスは懐中から州札を取り出し、頭上に掲げた。


「これを見ろ!」


かがんで卓上の燭台を持ち上げ、州札を火に近づける。しばらく芯切りをせずに燃え続けていたせいで、ろうそくの炎が大きくなっていた。州札に火が燃え移り、あっという間に燃え上がると、炭となって中空に舞う。それと同時に、獣脂性のろうそくが黒い煤を噴き上げた。とたんに、おおっという歓声が店内にこだまする。


「これは偽札だ。市場で働く諸君なら、いまどれだけの偽札が市中に出回っているか、ご存じのはずだ。この偽ガネのせいで、どれだけ市場が混乱していることか!」


俺も持っているぞ!

憤った声がそこかしこで上がる。


「だが我々のうちに、誰がこのようなものを作れるというのかッ! 偽ガネで私腹を肥やす姦商・トラウム商会を追求せよ! 州札制度を導入した第二王子ルーカスと代官を断じて許すわけにはいかない!」


聴衆の叫び声は、もはや雄たけびに近い。


「市民にはパンを、オストドルフには名誉を!

 今こそ立ち上がる時だ!

 みずからの手によって生み出した糧を、

 みずからの手に取り戻すために!!

 オストドルフよ、立ち上がれ!!」


割れんばかりの万雷の拍手が鳴り響き、足を踏み鳴らす。店全体がごうごうと唸りをあげ、地震のように揺れている。ユストゥスは両手を高々と上げて拍手に応え、そのまま人混みに姿を隠していった。


ユストゥスは次の演説場所に向かったらしい。

この演説が下町の各所で連日繰り返されているかと思うと、ヘルマンは背筋に寒いものを感じた。

やがてユストゥスの取り巻きが、口々に連絡事項を伝えて回った。連絡事項は合言葉でもあるかのように、人々のあいだで口伝えされていく。


3日後に武器が届く

決行は昼



ヘルマンたち3人は、客の興奮が収まる前に大衆酒場(ビアホール)をあとにした。ヘルマンの顔は紅潮していた。だがそれは、酒場の聴衆とは違った理由からであった。


「あれが指導者です。いかがでしたか?」

「あれは……止まらぬ。止まらぬのではないか、あの勢いは……」

「……かもしれません」

「どうすれば……」


アルフレートは無表情のまま、ヘルマンの横顔をじっと見ていた。ハンスは、アルフレートが何を考えているのか読み取ることができなかった。

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