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魔王さえいれば  作者: Liu-Ⅱ
第一章 オストドルフ一揆
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長くて苦しいこの夜に

「旦那、金目の物は置いていってもらうぜ」


6人の野盗が、四方からヘルマンとハンスを取り囲んでいた。正面の男が距離を詰めてくると、ヘルマンは焚火のそばから薪を1本手に取り、やおら立ち上がる。

右手で薪を一振りすると、ヒュッと空気を切り裂く甲高い音が鳴る。


「野郎、なめやがって!」

「そんなもので俺たちの相手がつとまるってのか!」


野盗たちが色めき立つ。

両手で剣を構えていた正面の野盗は、力を込め、剣のグリップを握り直す。その瞬間、焚火がパチッと音を立てて、炎が大きく立ち上がった。

炎に照らされたヘルマンの表情が、闇に浮かび上がる。


「お、おい待てっ! ……ヘルマン様だ」


正面の男が、野盗の仲間たちに叫んだ。この男が集団のリーダーであろう。布で口元を覆っているせいで声がくぐもって聞こえたが、彼の言い放った言葉に理解が追いついてくると、野盗のあいだに、さざなみのように動揺が走る。

この国で、ヘルマンの名と顔を知らない者はいない。


「私が魔王と戦ったのは、もう15年も昔のことだ。今ならどうか、試してみるかね」


この一言で、野盗たちの戦意は完全に削がれた。絶望にかられた、と言っていい。6人がかりでも熊一頭倒すのに汲々とする野盗ずれに、魔王にさえ立ち向かう男の相手がつとまるはずがなかった。虎の尾を踏んだ野盗たちは、ヘルマンの闘気に気圧され、逃げることすらままならない。どうすればいいか、野盗たちは顔を見合わせるばかりであった。

ヘルマンは正面の野盗を見据え、おもむろに話しかける。


「……ひさしいな、ルドルフ」

「……なぜ俺をその名で呼ぶのです」


野盗は驚きを隠せない様子だった。


「相手と対峙したときに、手汗を気にしてグリップを握り直すのは悪い癖だと教えたはずだ」

「……おみそれしました」


ルドルフと呼ばれた男は口元を覆っていた布を取り、剣を鞘に納めた。サイズが合っていないのか、剣の鍔と鞘がこすれてカチカチと音を立てる。


ルドルフは、かつてはヴァイツェン城の兵士であった。「三十年戦争」の末期に志願して兵になったものの、実戦に出る機会は訪れることがなかった。王都の警備兵となっていたところ、冒険から戻ってきたヘルマンの軍事教練を受ける機会に恵まれたのである。

わずかな期間ではあったが、それでもヘルマンはルドルフのことを覚えていた。それがルドルフにとっては嬉しくもあり、また恥ずかしくもあった。手汗が、さらににじむ。


ヘルマンは、当時のことを思い出していた。

誠実な若者だった。己の手で握った剣を恐れる素直さがあった。武器を振るうことに躊躇を失った我が身を、顧みる機会をくれた。自分は生命を奪うことに、慣れすぎてしまった。だが今のヘルマンは、ひどく年を取った眼差しを向けてきている。


故郷(くに)へ帰った、とは聞いていた」

「不景気で多くの兵が雇止めになったのです」

「……なぜこのようなことを?」

「食うためです。税を取られたら、手元には何も残りません。みな困窮しております」

「そんなにか」

「三十年戦争の折には四分六(しぶろく)だった割合が、戦後に五分となり、今では六分取りです。このままでは餓死するよりほかにありません」


その数字が何を意味するのか、ヘルマンには正確には理解できていない。物心ついたころから命を賭した戦場に身を置いてきたが、“労働”に従事したことはついぞなかった。彼の言い分に理解を示すだけの知識や経験が、戦士ヘルマンには備わっていなかったのだ。ただルドルフの悲痛な声色から、事態の深刻さを類推するしかない。


「空馬に怪我なし、と申します」

「それが追いはぎをしていい理由にはなるまい」


ヘルマンが自嘲を制すと、ルドルフは視線を落とす。


「都市に暮らしていれば、おわかりにならなくても無理はないかと……。それに、俺たちは富を搾取する貴族や豪商しか狙いません」


貴族のなかには「一獲千金を夢見てその日暮しをしていた冒険者が、いまさら地道な生活に戻れず、野盗に身をやつした」と唱える者もいる。

そもそも、この大陸(テラ・メリタ)では、庶民が職業を選ぶような自由はない。農家に生まれれば父祖伝来の田畑を継いで農民となり、手工業者の家に生まれれば職人となる。

“祈る人間”“戦う人間”“働く人間”の社会的区分は、何世代にもわたって受け継がれてきた伝統である。こうした“当たり前”は、階級社会の秩序を維持するために必要な社会通念であった。特権階級の身分を保証する制度こそが、この世界における常識なのである。


ところが魔王が出現すると、それまで地縁や血縁に縛られていた若者たちが次々と冒険者になる道を選んだ。冒険者の生活は死と隣り合わせであったが、そこには確かに自由があったのだ。

現在の冒険者ギルドは規模を縮小し、かつての冒険者人口を支えるだけの雇用を創出できていないが、かといって束の間であれ“戦う人間”としての自由を満喫した人々が、従前の“働く人間”の生活に戻るのは、なかなかに難しい。


貴族たちは、農奴は農地に帰るべきだと考えている。帰農せずに困窮しているのは自己責任だから貧困対策は不要だと、残念なことにその説は、富裕層のあいだでは一定の支持を得ていた。

貧困層と富裕層のあいだには深い断絶が生まれ、貴族や豪商は移動の際には自前で兵を雇ったり、民間警備組合に馬車を護衛させたりするほどに治安は低下していた。

それでも被害は後を絶たない。ルドルフらのような手合いが、引きも切らないのだ。

それまで黙っていた従者ハンスが口を開く。


「義賊を気取るなど……。われらが富貴に見えましたか?」

「……それは食い扶持のある者の道理です!」


かもしれぬ、とヘルマンは言いかけたセリフを飲み込んだ。自分にその言葉を発する資格があるのか、わかりかねた。


「……食うや食わずの我らは、赤子と同じ床で眠るしかないのです」


夫婦が自分の子供を寝かしつけ、同じ床に横たわると、眠っているあいだに子を圧し、朝起きたときには息をしていない事故が起こりうる。

外見上は、偶発的な過失致死、に見えるだろう。

そういう言い訳が、庶民のあいだに用意されていた。人別帳を管理する教会に“不幸な事故”を報告すると、庶民に子を養育したり蘇生費用を支払ったりするだけの余裕がないことを承知している神父たちは、深く追求することはせず、ごく手短に祈りを捧げるだけであった。

望まない子は、両親に選別されているのだ。


ルドルフと他の5人の野盗もまた、自分の子供と“同じ床で眠った”ことがあった。だが、ヘルマンやハンスには、彼の言い回しを理解できるほど、庶民生活の窮状を把握していなかった。


「私はオストドルフに向かう途中だ。其方らの処分はいずれ。……今は行け」

「……お情け感謝いたします」

「言い分を認めたわけではないことは心しておけ」


ルドルフの合図を皮切りに、野盗の集団は闇の中に行方をくらましていった。

四阿(あずまや)の柱に手綱を結ばれた馬が、濡れた瞳でおとなしく主人を見つめている。図太いのか、主人を信頼しているのか。ブルッ、と鼻をひとつ鳴らした。

それを合図に、ハンスの緊張もほぐれていく。


「あれでよろしかったのでしょうか?」

「ふむ……」


許したわけでも、情けをかけたわけでもなかった。ただ、ヘルマンには判断がつかなかった、というのが正確なところであった。

まんじりともしないまま、長くて苦い夜が過ぎていく。

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