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魔王さえいれば  作者: Liu-Ⅱ
第一章 オストドルフ一揆
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大陸の食糧庫

オストファーレン州は大陸(テラ・メリタ)の南東部に位置する。

開けた平野部には肥沃な穀倉地帯が広がり、麦の生産量は大陸随一を誇る。


大陸の食糧庫


それがオストファーレン州につけられた呼び名であった。

その州都がオストドルフである。


ヘルマンとハンス、一騎馬上と徒歩(かち)の主従は朝早くに王都を発つことにした。王都からオストドルフまでは、平時なら徒歩で2日の距離だ。早馬を飛ばせば1日とかからないが、現在は街道が安全な状況とはいえない。

まずは王都とオストドルフの中間に位置する宿場へと向かい、そこで一晩過ごし、翌日オストドルフに到着する予定を立てた。


石壁に包囲された城壁を出ると、緑の芝がどこまでも広がっている。城外には農村が広がり、遠目に民家が点在している。ときおり野生のヒツジや野ウサギが、人を警戒せずに野草を食む姿が確認できた。魔物がいた頃には、ありえなかった光景だ。


石畳が敷設された街道を歩んでいると、ヘルマンはかつての冒険を思い出す。あの頃は、世界の隅々まで旅をした。特措法のおかげで、どこにでも行けた。

思い出は語りつくせないほど多い。あふれる思いが、ヘルマンをいつも以上に寡黙にした。


勇者は、いまどこにいるのだろうか


魔王を退治したあと、勇者の足取りは杳として知れない。

勇者の判断は、いつも正しかった。遅疑逡巡とは無縁で、つねに的確な指示をくれた。勇者とともに戦った日々は、ただ一途に自分の戦いに打ち込めた。

往時を思い返すと、いまでも胸が躍る。



「それにしても一揆とは穏やかじゃないですね」

「うむ」


戦後の経済不況は農村を直撃した。

農業依存度が高い“大陸の食糧庫”は、全土でもっとも痛手を受けた地域といえる。物価高騰の影響で収穫物が売れない。商品作物の輸出も停滞した。

にもかかわらず王政府は、不況を理由に税率を引き上げ、滞納した税のかわりに農作物を収奪する。どれだけ働いても手元には何も残らない。ついには耕作地を放棄して逃散する者も出てくる始末であった。


これが自然災害による凶作であれば、また違ったのかもしれない。しかし、いまや民衆は、この困窮は「国によってもたらされた人災」と認識している。

どこの農村も状況は似たり寄ったりで、各地に救世主を騙る活動家が現れるようになった。王政府は国軍を差し向けては一揆を鎮圧し、自称“救世主”を捕まえて処刑したが、経済不況が解消されない限り問題は解決するものではない。


そこへきて、州都オストドルフでの一揆となると、事態の深刻さは格段に増す。大陸一の農業都市で農民反乱が起これば、これまでの一揆とは比較にならない規模になることが予想された。周辺地域への伝播も懸念される。

なによりも「王都まで徒歩2日」という距離的な近さが脅威だ。組織化された農民集団が王都まで押しかけたら、最悪の場合、国が滅びるだろう。

オストファーレン州は第二王子の所領だが、第一王子が国王代理として介入するのには、そのような危機感があったから、と従者ハンスは推測していた。


ヘルマンとハンスは、いつも騎馬一騎、徒歩(かち)ひとりでどこにでも出向く。そのみすぼらしさを嘲笑する貴族もいるが、ほかの王侯貴族のように大軍を引き連れていたら、相手の警戒心を強めるばかりだ。任務の性質上、相手に強圧的な印象は与えたくない。すでに内々で手打ちとなっていると聞くが、それにしても今回の任務は自分たち主従が適任であるとハンスには思えた。



やがて街道のはるか先に、白亜の山脈が見えてきた。

遠目には冠雪のようにも見えるが、石灰質の色である。この地域では良質な石灰石が採掘される。

石灰石を焼成してから水をかければ生石灰となり、セメントやモルタルなどの建築素材になる。オストファーレン州にとっては麦に次ぐ重要な出荷品目だが、こちらも現在は輸出が伸び悩んでいた。


この大陸(テラ・メリタ)のなかでもオストドルフ市民の識字率は飛びぬけて高い。石灰から白墨(チョーク)をつくり、石板で文字を書き習う習慣が根づいているおかげだろう。

だが、教育水準の高さは一揆を組織化する危険性もはらむ。これもまた、懸念材料といえた。


白亜の山裾を抜けていけば、オストファーレン州の穀倉地帯に入る。収穫期ともなれば、黄金色の麦畑が海原のように視界に広がるが、ヘルマンとハンスはまだ遠巻きに石灰質の“冠雪”を視界にとらえたばかりであった。



陽が傾き始めた頃、街道の脇に、宿場があった野営地が見えてくる。

かつて宿場には、人と馬が常駐していた。前の宿場から荷物が運ばれてくると、積み荷を受け取り、次の宿場まへと送り継いだ。この「宿駅伝馬制」のおかげで、迅速な物流と情報伝達が確保されていたものだが、それも今は昔。冒険者ギルドが物流事業や街道警固から手を引くと、伝馬制の担い手は消え、宿場は荒れはてた。今では壁のない屋根だけの四阿(あずまや)が建つばかりで、旅人はそこで火を焚いてどうにか雨露をしのぐのであった。

だが、旅慣れたヘルマンにとっては、露地でないだけで不満はなかった。


「殿、今日はここで野営としましょう」

「夜は冷える。差し掛けにするか」


ヘルマンは四阿(あずまや)の裏手から、70~80cmほどの生木を拾ってくると、片一方の先端をナイフで削り始めた。削った先端は、30°の角度で地面に突き刺す。そして、生木の上には焚き付けや薪などの木材を差し掛けていき、生木の下に火口を差し入れる。差し掛け型の焚火なら、容易に空気を取り込めるので、燃料となる薪が燃えやすい。差し掛けた生木には水分が多いので、燃焼には時間がかかる。燃えやすい薪と、燃えにくい生木を組み合わせるので、ゆっくりと焚火を維持したいときには、うってつけの焚火方法といえた。


火をつける際には火打石を用いるのが一般的だ。種火を火口(ほくち)へ移したあとは、付火に火を移す。そして焚き付け、薪と燃焼させていき、小さな火を大きな炎へと変えていく。

冒険者ギルドでは、先端に硫黄を塗布した薄い木片を付火として格安で販売しているので、冒険者はこの付火用木片を携行するのが常であった。なかには火炎魔法(イグニス)で焚火を起こす冒険者もいるが、それについてヘルマンは否定的であった。そもそも旅の途中で焚火をするのは体を休めるべき時であり、そのために魔力を消費するのは本末転倒だと考えていたからである。

休む時は休む。できるだけ楽をする。

それが長年の旅で得た教訓であった。野営の支度を従者ハンスに任せきりにはせず、共同で行うのも、合理的なヘルマンらしい仕儀であった。


ヘルマンは火おこしの際に、火打石ではなく着火棒を用いる。着火棒とは、鉄とモナズ石の合金でできた、長さ15cmほどの棒のことである。この着火棒をナイフで軽く削り、火口(ほくち)の上に黒い粉末を落としておく。そして、着火棒とナイフを強くこすり合わせて火花を生じさせれば、すぐに粉末に引火するので、火おこしが格段に楽になる。

ヘルマンはこの着火棒の製法を、かつて勇者一行の仲間だった魔術師から教わった。そこそこ腕のいい錬金術師なら合金を精製するのは難しくないようで、ヘルマンは城下町の錬金術師に鉄とモナズ石を渡し、着火棒をつくらせていた。彼にとっては、お気に入りの道具であった。



陽が暮れるとあたり一面は闇に包まれ、四阿(あずまや)にオレンジ色の光だけが灯る。こういう時に、ヘルマンがかつての冒険の思い出を話してくれるのが、ハンスはたまらなく好きであった。ヘルマンとハンスは焚火の風上で暖を取り、白煙が風下へと流れていく。

パチッ、パチッ、と薪の燃える音のなかに、ヘルマンは何者かの足音が混じるのを感じ取っていた。


5、いや6人か。


「ハンス、今日は来客の予定はあったか?」

「いえ。……招かれざる客のようですね」


身なりの貧しい男たちが四阿(あずまや)を取り囲み、じりじりと距離を詰めてきた。男たちはフードを頭から被っていたり、布で口元を覆っていたりして、素顔を隠している。それぞれの手には、鞘から抜いた剣やマチェットが握られていた。

向かって正面の男が、口を開く。


「旦那、金目の物は置いていってもらうぜ」

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