どうでもいいですけど、知らないことは罪です
誤字、脱字、初歩的ミスのご指摘ありがとうございます。
恐るべし、予測変換の罠w
建国より遅れることわずか20年。国の中でも最古にあたる歴史ある王立学園の卒業式が無事執り行われ、今は生徒会主催による懇親会が学園内のボールルームで行われている。
壁際にしつらえたテーブルには軽食と飲み物が置かれ、本格的な社交界シーズンを前に、交流を深めるグループがテーブルの周りにでき始めつつある。この後、楽団が入りささやかながら舞踏会が行われる手筈になっていた。
そんな中、ひときわ大きな集団の中心に、来月、婚姻の儀を控えたブリントン侯爵の一人娘レディ・エレノアその人がいた。
「エレノア様、婚約指輪を拝見させていただいても?」
「ウエディングドレスはどちらの仕立て屋に頼まれました?」
「ドレスのお色はやはり白ですか?」
これから婚姻を迎える令嬢たちが、お祝いの言葉とともに好奇心からか、不躾とも思える質問を口々に投げかけているものの、当の本人が『今日までは学生として無礼講』を許していたせいでもあった。
「エレノア様、ご婚約者様はどこに━━━━」
その質問が終わらぬうちにストーンウェル公爵家の三男であるアーノルドが男爵令嬢のジュディスを引き連れてエレノアの前に立ちはだかり
「エレノア、親同士の決めた婚約とはいえ、そなたのジュディスに対する目に余る所業の数々には我慢ならない。そのような狭量な者とはやっていくことはできん。今日ここで婚約を破棄させてもらう」
と、声高々に宣誓した。
青天の霹靂。
あまりにも突然のことに、いつもは冷静沈着、取り乱すことのない淑女の鑑であるエレノアが、今はただ呆然とアーノルドを見つめている。
パーティーに参加していた卒業生や関係者も、不意打ちとも言えるアーノルドの言葉に驚きを隠せない。現に口元を隠すことも忘れ、ぽかんと口を開けたままの令嬢や、手に持ったグラスを落とすものさえいたほどだ。
「えっ……それは私たちの婚約のことでございますか?」
やっとの思いでエレノアが答えてみるが、とっさのことで少し声がかすれてしまった。それに気を良くしたのか
「そうだ。そして、新たに我が婚約者になるであろうジュディスに今までの非礼を詫びてほしい」
朗々と告げる彼の表情は自信に満ち溢れ、躊躇いの色一つもなかった。
(アーノルド様は何か勘違いをされていらっしゃる)
事の次第がなんとなくわかってきたエレノアは、一つ大きく息をすると威厳を込めて慇懃無礼にアーノルドに返答した。
「ジュディスさんへの非礼でございますが、残念ながら私には覚えがございません。なぜなら2学年の中頃より、私、隣国へ交換留学しておりましたのをお忘れですか?
ああ、その時はアーノルド様はB組からF組までクラスが下がられたのでございましたね。そのせいで学舎も離れていたのを失念しておりましたわ。
確か、そこでジュディスさんと出会われたそうで。噂には聞いておりましたけれど」
そこで一呼吸置くかのように、フゥっと一つ大きな溜息をつくと先を続けた。
「それよりも、非礼へのお詫びでございますが、今日が最後でございますから私だって言わせていただきます。
もともとあまりいいとは言えませんでしたアーノルド様の婚約者としての私への気遣いですけれど、入学時からは酷くなる一方でしたわね?
婚約者の義務である両家でのお茶会。来ていただいたこともご招待いただいたこともございませんでしたわ。
元は週に一度だったはずが、お勉強がお忙しいとやらで月に一度になりましたのに何の連絡もなく反故にされ続け、それに対するお詫びのお花どころかお手紙すら、とうとう一度もいただけませんでしたわ。
もちろん、そんなアーノルド様ですから誕生日の贈り物どころかカードすら━━
しかも婚約者のある身でありながら顕要な公務や夜会へのエスコートをしていただけなかった私こそ、アーノルド様に”非礼”とやらのお詫びをしていただいてもよろしいのではなくて?」
「それと、婚約破棄の件でございますけど......」
エレノア嬢は声のトーンを変え、手にした扇を打ち鳴らすと静かに話を続けた。
「そんな状況でいくら家同士がきめた婚約関係とはいえ、いいえ、家門のことであるがゆえに維持することは到底できないと、1学年の夏季休暇にはストーンウェル公爵さまへお父様より婚約解消を打診しておりました。
アーノルド様のお父上であるストーンウェル公爵さまから私への態度を改めるようにとの苦言が再三ございましたでしょう?」
その頃には、アーノルドへのお小言は日常茶飯事で、父親、母親は言うに及ばず、長兄、次兄、姉妹までも苦言を呈していたのだった。そのことを思い出してかアーノルドの表情は硬くなる。
「それでも変わるご様子が見られないようでしたので、2学年に上がって間もなく婚約解消になりましたの、ご存知なかったのですか?」
「えっ」
演技ではなく素で驚くその様に、人々は驚愕した。
自身のことでありながら2年近くの間、婚約解消に気づかなかったアーノルド。
当時、公爵子息と侯爵令嬢の婚約の解消は、学園では知らないものがいないほど有名な話であり、憶測が色々と飛び交っていたというのに。
公爵と言う家柄ではあったが三男であり文武両道とは言い難く何の取り柄もなく、あの侯爵令嬢から見限られた男として早々に結婚市場から除外されていたこと、あまり家にも寄り付かず王都にある公爵家のタウンハウスに入り浸りで、学園に来てもジュディスといることの方が多いことを鑑みても、それにしても。である。
「でも、実際に水をかけられたり、教科書が。この前は階段から落ちそうになったのよ」
呆然としているアーノルドの横で場の主導権を取り戻そうとジュディスが叫ぶ。
「ですから、先ほども申し上げている通り隣国へ留学しておりまして、帰国も先週でしたのに?」
「それはアーノルド様とよりを戻したくて誰かに頼んだのよっ!それか、私に嫉妬して────」
エレノアは不憫なものを見るようにジュディスを見つめると、扇で口元を隠しながら告げる。
「婚約破棄はこちらから。お忘れ?それに嫌がらせって......ふふふ、面白いことを。男爵令嬢ごときに侯爵令嬢である私が、何の得がありまして?」
あまりの正論に、異論はない。
アーノルドとジュディスの顔色が悪くなっていく。
まさか大見得を切って告げた婚約破棄が、もう既になされていたとは。
目論見が大きく外れ狼狽えている姿が痛々しくもあった。
(それにしても、ジュディスさんくらい、ご学友から私たちの噂話は聞かなかったのかしら?まあ、でも、同性のご友人は少なそうな人ではあるけれど)
「エレノア、もう話はすんだかな?そろそろ出発の準備をしないと遅れてしまうよ」
いつの間に来ていたのか、隣国の皇太子であるアレクサンドル殿下がエレノアの横に立って手を腕にかけさせていた。彼こそがエレノア嬢の真の婚約者で来月の婚姻の相手でもあった。
外遊で訪れたこの地でエレノア嬢に劇的な一目惚れをし、婚約解消したばかりであるからと消極的な彼女を半ば攫うように自国へ連れ帰った話は、帝国のお芝居になるほど有名で、今でも両国の貴賎問わず乙女の間での語り草になるほどである。
だからこそ、婚約者であったエレノアの現状と婚約解消に気がつかなかったアーノルドへの無知さに人々は驚いたのである。
「き、貴様は誰だ。エレノアとどういう関係があって」
(自分から婚約破棄を言い出したくせに、どういう関係って。しかし、隣国の皇太子もわからないなんて致命的だわ。ほんと相変わらずものを知らない人)
誰かが気を利かせて呼んだのであろう、護衛が数人こちらへ向かっているのが見えたエレノアは
「アーノルド様、いくら今日は無礼講と申しましても限度がございましてよ。ご退席していただきますわ」
「おい、離せっ。話は終わってないぞ」
「やめてよー、髪の毛が乱れちゃう。まだダンスもしていないのに」
「おい、俺が公爵家のものだとわかって━━━━」
「靴が、靴が脱げちゃう」
エレノアに目で促された護衛は、騒ぐ二人の腕をとると有無を言わせず外へと連れ出した。
この後、公爵の家のものが呼ばれ引き渡されるのであろうが、とんだ茶番であった。
「楽団が入り次第、よろしければ殿下と令嬢にファーストダンスをお願いしたいのですがよろしいですか?」
暫くして、前代未聞の珍事を収めようと、生徒会長であるサンドウェル公爵家の嫡男エドモンドが申し訳なさそうな顔をして告げに来た。
元の婚約者の起こしたことなのでエレノアのせいではないと言っても、多少なりとの後ろめたさはあった。物憂げに婚約者を見上げると、優しげに微笑む殿下がエレノアを抱き寄せる。
「うむ。このままではいささか興ざめだ。だが、ゆっくりもしていられないのでな。
エレノア、音楽はないが、いいかな?」
「殿下、仰せのままに」
そのまま滑るようにホールへと踊りだす二人の流れるようなステップと衣擦れの音だけが、静寂の中、ため息とともに響いていた。
まだ、やらかしてると思いますので、ご指摘していただければ幸いです。