第7話 勇者は真実に気付く
僕は草木を掻き分けながら森の中を進む。
トーマスの姿は見えないが、見失うことはない。
恐怖を発散する気配や神経質な声、折れた木々や踏まれた茂み、土の痕跡などを頼りにすれば、自ずと方角は特定できる。
追跡術は魔王討伐の旅で培った技能であった。
その気になれば斥候の真似事もできるが、実際に使う機会はないだろう。
(この方向に進んでいるのか……)
僕は地形を確かめながら移動し続ける。
トーマスは闇雲に逃げているらしい。
この先はひたすら森が続いており、どこにも繋がっていない。
土地勘のない者は、間違いなく遭難するだろう。
トーマスは何か策があって逃げ込んだわけではない。
僕が見失うことを祈って、鬱蒼とした森に飛び込んだはずだ。
その考えは間違っていないものの、今回ばかりは相手が悪かった。
僕はここから何日でも追いかけられる自信がある。
飲まず食わずで休みを取らずに行動できる。
苦痛はあるものの、どうせ死なないのだ。
それらの感覚は無視できる範囲だった。
やがて茂みの向こうにトーマスの背中が見えた。
彼は必死に這い進んでいる。
僕の接近に気付くと、尻餅をついて悲鳴を上げた。
「あ、ひぃっ!?」
情けない声。
大粒の涙も流している。
今にも気絶するのではないか。
そう思ってしまうほどの恐慌状態だった。
僕は両手を振って武器を持っていないことを示す。
少し距離を開けて足を止めると、穏やかな口調で話しかけた。
「どうして逃げるんだい? 気狂い勇者を退治するんじゃなかったのか」
「た、たた、助けてください。命、命だけは何卒……」
トーマスは震える声で懇願する。
体勢を変えた彼は、額を地面に押し付けていた。
抵抗する気はまったくないようだ。
僕は小さく嘆息すると、血でずぶ濡れの髪を掻き上げる。
そして彼の前まで歩み寄って屈んだ。
「トーマス、顔を上げてくれ」
それに対する反応はない。
地面に顔を当てたまま、領主の息子は呪詛のように同じ言葉を繰り返していた。
「死にたくない死にたくない死にたく――」
「トーマス。僕の話を聞いてくれるかな」
僕は彼の髪を掴んで持ち上げた。
土と涙で汚れた顔が露わになる。
充血した目は、びっくりしたように僕を凝視している。
僕は苦笑しながら手を離した。
「命乞いなんてしないでくれよ。僕は勇者なんだから」
そう言いながら立ち上がる。
呆然と見上げてくるトーマスをよそに、僕は語り始めた。
「勇者は人々を救うのが使命だ。世界の期待を背負って、巨悪を討つ。まさに英雄の鑑だと思うし、僕自身も誇らしかった。それなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。皆の犠牲は軽んじながらも、誰もが平和を謳歌している」
最近では、国家間での戦争も多いと聞く。
辺境の墓守である僕の耳にも届くほどだ。
人々は、平和にすら満足できなくなったらしい。
己の欲のために相手を害することを厭わず、武力による侵略を始めた。
今ならば、はっきりと分かる。
魔王とは世界を滅ぼす悪の権化である。
それと同時に、人類の矛先を集めて戦争を抑止する役割を担っていたのだ。