第2話 勇者は村を滅ぼす
鬱蒼とした森の中を、僕はシャベルを引きずりながら歩く。
最低限の舗装を施された道は、草木に侵蝕されつつあった。
半ば獣道と化しているが、歩く分には事欠かない。
向かう先は最寄りの村だ。
傭兵を雇った件について確かめなければいけない。
あの話が本当なら、村人達は墓守の僕を追放しようとした。
墓守が不在となれば墓地は朽ち果てていく。
すなわちそれは、墓荒らしと変わらないのではないか。
そのようなことを依頼したのなら、やはり文句を言った方がいい。
ほどなくして村に到着した。
畑仕事をしていた男が、僕を見てぎょっとした顔になる。
彼は一目散に村の中心部へ走ると、何かを喚き出した。
周囲の村人に僕の来訪を伝えているようだ。
僕は手元のシャベルを見やる。
血と土で汚れていた。
これを引きずっていたせいで驚かせてしまったらしい。
間もなく村中から男達が集結してきた。
立ちふさがる彼らは、剣や弓といった武器を携えている。
鍬や鎌は仕事道具に使っているものだろう。
最前列には杖をつく長老がいた。
彼は白い髭を揺らして発言をする。
「何をしに来た。傭兵達はどうした」
「埋めたよ。口論になったんだ」
「なっ……!?」
長老が絶句する。
他の村人達にも動揺が広がっていた。
僕はシャベルを持ち上げながら話を続ける。
「彼らから聞いた。僕を追い出したいそうだね。詳しい理由を教えてくれるかな」
その途端、長老の目付きが一段と鋭くなった。
僕に対する並々ならぬ警戒心が露わとなっている。
「……言わねば分からないのか?」
「察しが悪くてね」
僕は肩をすくめる。
彼らの言い分も予想はできているが、やはり言葉として聞きたかった。
いきなり傭兵を送り込まれるのは、どうしても納得がいかない。
「ふざけやがって、この気狂いがっ!」
その時、男連中の一人が矢を放った。
浅い軌跡を描いた矢は、真っ直ぐに僕の胸を貫く。
感触からして、見事に心臓を捉えているようだった。
射手の青年は狼狽していた。
決まりが悪そうな顔で俯いている。
今のは脅しのつもりで、当てるつもりはなかったのかもしれない。
「やれやれ、酷いな」
僕は矢を掴んで引き抜く。
すぐに再生が始まって血も止まった。
それを目撃した村人達が、さらに騒然とする。
「傷が一瞬で治った……?」
「あいつは勇者じゃない。魔族だ!」
「殺せ! 今すぐ殺せぇっ!」
罵詈雑言と共に石が飛んできた。
額に当たり、血が滲んで目の横を垂れる。
それを見ても村人達は投石を止めない。
(再生能力だけで、僕を魔族と見なしたのか……)
軽蔑に近い感情を抱くも、それを表には出さない。
言葉で訴えかけたところで、彼らは聞く耳を持たないだろう。
村人達はどうしようもない。
人々を救ったというのに、あろうことか僕を魔族扱いした。
恩を仇で返すような対応である。
やはり魔王殺しは、徹底的に軽んじられているらしい。
彼らの中だと、僕はただの不気味な墓守に過ぎないのだ。
世界を救った勇者ではない。
深い絶望に襲われかけた僕は、しかしすぐに思い直す。
傭兵達とのやり取りで、問題は既に把握していた。
さらに解決策も分かりやすい。
人々の意識に変革をもたらせばいいのだ。
絶望なんて、努力次第でいくらでも拭い去れる。
村人達は、僕を魔族に仕立て上げたいようだ。
それなら喜んで役に徹してみせよう。
彼らもきっと満足してくれる。
僕は小石を跳ね除けながら突進する。
慌てた数人が矢を放つも、そばを掠めるばかりだった。
いや、一本だけ肩に刺さったがどうでもいい。
無視できる程度の痛みである。
僕は近くの村人に狙いを付けると、薙ぎ払うようにシャベルを振るう。
軌道上にいた村人の胴体が真っ二つに割れた。
内臓を漏らした彼らは、慌ててそれらを掻き集める。
そんな彼らを押し退けて、僕はさらにシャベルを往復させる。
反響する鈍い金属音。
殴られて鼻の潰れた村人が、血を流して倒れた。
その首筋にスコップを突き込んで抉る。
村人は大きく痙攣すると、それきり動かなくなった。
「うおおおおっ!」
雄叫びを上げる勇敢な村人が、草刈り用の鎌で反撃を試みた。
無防備に立つだけの僕は、首の前面を切り裂かれた。
血が噴き出して呼吸ができなくなる。
無論、行動には何の支障もない。
僕はシャベルを大振りして鎌を持つ村人の顔面を叩き潰した。
殴り倒したところで首を踏み折って止めを刺す。
死体から鎌を拝借していると、背中をいくつもの痛みが貫いた。
僕は首を回して確かめる。
村人達が、寄ってたかって武器を突き刺していた。
隙だらけな背中を前に、つい攻撃したくなったのだろう。
(逃げればいいのに)
僕は振り向きながら鎌を一閃させる。
何人かの腕や顔や首を通過した。
返り血が顔と外套を濡らし、複数の悲鳴が上がった。
僕は背中の再生音を聞きながらシャベルを振り回す。
避け損ねた村人の頭蓋を粉砕する。
衝撃で飛び出した眼球が宙を舞った。
しかし、そこでついにシャベルが折れる。
土を掘るための部分が根元から割れてしまった。
耐久力の限界が訪れたのだろう。
短時間の酷使を考えれば、当然の結果であった。
武器の破損を好機と見たのか、村人が斬りかかってくる。
その一撃を躱した僕は、残されたシャベルの柄を逆手に持ち替えた。
尖った先端を村人の口内へと沈ませる。
微かな抵抗感を無視して一気に動かすと、突き通す感触が返ってきた。
肉片を付着させた柄の先端が、後頭部から突き出す。
白目を剥いた村人は、うがいのような音を立てて崩れ落ちる。
「……ん?」
新たな標的を探していた僕は異変を察知する。
村人達を掻き分けて近付いてくる大男がいた。
革鎧を身に着けたその男は、禿げ頭である。
頬を走る傷が特徴的だった。
その容姿を僕は知っている。
大男はこの村の用心棒を任せている者だ。
元騎士であり、足腰に怪我をしたとかで引退したらしい。
ただしその膂力と技量は、未だに研鑽を積んでいた。
現役の騎士とも張り得るに違いない。
用心棒は槍と盾を持っていた。
隙の少ない構えを以て、大股でこちらへ近付いてくる。
堅実に強いやり方だ。
正攻法でやり合うには面倒な相手だろう。
用心棒は盾の陰で悪態を吐く、
「ついに狂いやがったか。時間の問題だと思ってはいたが……」
「仕方ないよ。正気ではいられないんだ」
僕はシャベルの柄を握り直して持ち上げる。
そこには、刺さったままの死体がぶら下がっていた。
揺れに合わせて血と脳漿が垂れ落ちる。
渾身の力で柄を振り下ろすと、千切れた死体がすっ飛んだ。
遠心力を乗せて、用心棒を目がけて飛んでいく。
用心棒は盾を持ち上げて衝突を防いだ。
死体が爆発して金属製の盾が陥没する。
よろめく用心棒を見て、僕はそこに跳びかかった。
反応される前に盾を掴むと、横にずらして用心棒の顔を見据える。
驚愕に染まる瞳をシャベルの柄で刺した。
咆哮のような悲鳴が轟く。
暴れる用心棒を押さえ付けて、僕は何度も柄を打ち付けた。
徐々に変形する頭部。
完全に抵抗しなくなるまで、執拗に殴打を浴びせ続ける。
やがて僕は、血肉に塗れた柄を持ち上げた。
シャベルの柄だった物は、大きくひん曲がった金属の棒となった。
亀裂が入って割れそうなそれを、僕は無造作に投げ捨てる。
代わりに用心棒の槍を拾うと、軽く回して弄んでみた。
扱いやすい重心に調整されている。
僕は槍を片手に村人達を見やる。
いつの間にか、彼らはかなりの距離を取っていた。
おまけに一向に近付いて来ようとしない。
不自然な沈黙が彼らの間で蔓延している。
僕がどのような存在なのかを今頃悟ったらしい。
しかしもう遅い。
今更後悔しても、逃がすつもりはなかった。
恐慌する村人達を前に、僕は陰惨な笑みを湛えた。
◆
夕暮れ時の村。
中心部の広場には死体が山積みとなっていた。
いずれも村人達のものだ。
僕が殺して集めたのであった。
逃げ出した者は追っていないが、それなりの数になった。
重労働で少し疲れたものの、死体を放置するつもりはない。
どこかに埋めようと思う。
確か村には共同墓地があったはずだ。
そこを拡張すれば、これだけの数でも収められるだろう。
僕は死体の一つに腰かける。
あれだけうるさかった喧騒は一つもなくなった。
怒声や泣き叫ぶ声も聞こえてこない。
村は随分と静かになった。
外套に染み込んだ血を絞っていると、近くで物音がした。
怪訝に思った僕は、ゆっくりと振り返る。
粗末な小屋の陰に二人の村人がいた。
一方は長身の女で、暗い赤髪をしている。
年齢は二十代前半くらいか。
衣服は薄汚れたワンピースのみで裸足だった。
彼女は怯えた顔でこちらを見ている。
もう一人は、目元に黒い布を巻いた金髪の少女だ。
同じようなワンピースを着る彼女は、不思議そうな顔をしている。
鼻を動かして、口元を嫌そうに曲げた。
血の臭いを嗅いだのだろう。
僕はその二人の姿を傍観した。
顎を撫でつつ、微妙な心境に陥る。
(あの二人か……)
村の人間とは関わらないようにしてきたが、前方の二人のことは知っている。
平凡な村の中でも、彼女達は少し異質な存在だった。
赤髪の女は失語症で喋ることができない。
精神的な要因だと聞いたことがある。
黒布を巻いた少女は盲目だった。
生まれつき視覚が機能していないらしい。
二人は村の所属ではあるものの、他の者達とは事情が異なる。
去年の暮れに、村長が街の奴隷商で購入してきたのだ。
二人は魔術の心得があり、常人に比べて魔力量も多い。
その体質を見込まれて連れて来られたのだった。
村では専ら魔力充填が仕事だった。
照明や魔物避け、火と水の確保など村人の生活を支える役目である。
村に魔術を使える人間は少ないため重宝された。
ただし、扱いはお世辞にも良くなかった。
奴隷という出自もあって、彼女達は道具のように酷使されていた。
僕が知る範囲でも、かなり貧しい暮らしを送っていた。
以前、虐待される姿を何度か目撃したが、気の弱い二人はただ黙って耐えていた。
(なぜまだここにいるんだ?)
僕は当然ながら疑問を抱く。
生き残った村人は、とっくに逃げ去っていた。
彼女達を除くと、残るのは死体だけである。
無視するわけにもいかず、僕は声をかけた。
「何か用かな」
「……っ」
赤髪の女が身を強張らせる。
真っ青な顔で視線をあちこちに巡らせるも、その場から逃げようとはしない。
なんとも矛盾した反応であった。
僕は小さく嘆息する。
歩み寄ろうとはせず、距離を取った状態で二人に提案した。
「君達も村から出て行くといい。必要な物は好きに持っていきなよ。どうせ誰も怒らないから」
村人の大部分が既に死んでいる。
生き残りもとっくに逃げ出している。
ここはもはや廃村だった。
放置された物資は盗み放題だ。
掻き集めればそれなりの財になるだろう。
この地の人間を殺しまくった僕だが、迫害されてきた二人まで狙うつもりはなかった。
彼女達の境遇に同情してしまったのだ。
こちらに対する敵意も感じないし、見逃したいと考えている。
赤髪の女は戸惑っていた。
僕の言葉は聞こえたはずだ。
どうすべきか分からず、困っているらしい。
優柔不断な性格なのかもしれない。
或いは極限状態で冷静さを失っているのか。
一方、盲目の少女がこちらを向いた。
彼女は少し考え込みながら話しかけてくる。
「聞いたことのある声……誰?」
「近くに住む墓守だよ」
僕が答えると、少女は意外そうな顔をした。
好奇心を覗かせる彼女は問いを重ねる。
「墓守さんって、ひょっとして元勇者の?」
「ああ、そうだ」
「どうして村の皆を殺したの?」
少女が素朴な調子で疑問を呈する。
寄り添う赤髪の女は、気まずそうにしていた。
咄嗟に少女の口を塞ごうとして、間に合わなかったようだ。
特に気分を害されることなく、僕は率直な答えを返す。
「侮辱されたんだ。許せなかった」
「そうなんだね」
少女は平然と相槌を打つ。
目の見えない彼女でも、状況は察しているはずだ。
血の臭いにも気付いている。
ところが赤髪の女と違い、動揺が微塵も見られなかった。
まるで世間話でもしているかのようだった。
今度は僕から少女に尋ねる。
「怖くないのかい?」
「うん。意地悪な人ばっかりだったし。ちょっとすっきりしちゃった」
少女は頬を掻いて苦笑する。
それを聞いた僕は、思わず赤髪の女を見た。
彼女は、唇を噛んで目を逸らす。
「……っ」
赤髪の女は険しい様相で逡巡する。
やがて何かを決意したらしく、僕のもとへ歩いてきた。
慎重な足取りはとても緩慢だった。
握手できるくらいの距離で立ち止まると、彼女は口を引き結ぶ。
視線から考えるに、僕の一挙一動を注視しているようだ。
恐怖と緊張で全身が小刻みに震えていた。
少しのことで肩が跳ねる。
どうやら相当に怯えているらしい。
このままでは話が進まないため、僕は両手を上げて無害を主張する。
「殺さないよ。もう落ち着いた」
「……」
赤髪の女はまだ警戒していたが、ゆっくりと僕の手を取った。
そして、手のひらに指で文字を書き始める。
言葉を話せない彼女は、日常的にこうしてやり取りするようだ。
僕は手のひらの感触から伝えたいことを認識する。
『マリーは恐怖を感じない』
女は指を止めて僕を見た。
マリーとは盲目の少女の名だろう。
妙な雰囲気だが、恐怖という感情が欠落しているようだ。
違和感の正体に納得していると、女が再び指を動かす。
『私達に居場所はない。ここに住ませてほしい』
「……本気かい?」
『はい』
赤髪の女は、決意した表情で頷いた。
二人は村人が殺戮された村で暮らすつもりらしい。
なんとも豪胆だった。
居場所がないというのは、本当だろう。
奴隷である彼女達はどこへも行けない。
きっと自力で生活する術を知らないのだと思う。
生まれつき孤児や奴隷といった者は、この世界だと珍しくない。
彼らは住み慣れた場所に留まろうとする。
最悪の選択であるのは、赤髪の女も理解しているはずだ。
それでも居場所が欲しいのだろう。
血みどろの村に縋り付くことになってもいいと考えている。
暫し黙り込んでいた僕は、赤髪の女に言う。
「名前を教えてくれるかな」
『エマ』
彼女は、僕の手のひらにそう書いた。
指を離したエマは、儚げな微笑を浮かべていた。
乾いた風が赤毛を揺らす。
エマの後ろでは、マリーが上機嫌に笑っていた。
屈託のない笑顔だった。
まるで世界の穢れを知らないかのように輝いている。
「…………」
僕は顔を顰める。
重く響くような頭痛を感じたのだ。
それはすぐに治まるも、独特の不快感が尾を引く。
落ち着いたところで僕は二人に告げる。
「ちょうどよかった。留守中に墓地を任せられる人を探していたんだ。よろしく頼むよ」
「墓守さんの仕事ができるの?」
「君達に手伝ってもらいたいと考えている」
「やった、お仕事だ! ありがとう!」
マリーは万歳をしながら歓喜する。
彼女はその場で飛び跳ねた。
夕日で伸びた影も元気に動く。
エマは静かに一礼した。
ここで暮らせることに安堵しているようだ。
他の土地に逃げた方が気楽なはずだが、そうは思わないらしい。
僕は喜ばれることなどしていない。
私情から村人を殺し尽くして、彼らの日常を壊しただけだ。
善行と呼べる要素は、一つとして存在しなかった。
(これが勇者の所業か)
僕は村の惨状を見回して自嘲する。
血染めとなった身体が重たく感じた。
しかし、やってしまったものは仕方ない。
何を思ったところでやり直せるわけではないのだ。
細かいことは考えなくていい。
犠牲と救済は常に表裏一体である。
勇者になってから、僕は何度も痛感してきた。
大量の死者は出たが、目の前の二人は幸福になった。
思わぬ事態には違いないものの、それでいいじゃないか。
僕の身勝手な行動で幸せになれたのなら、とても喜ばしいことだった。
静かな村に夕闇が差す。
もうすぐ夜が訪れる。
腹を撫でると、空腹を感じていた。
久々の感覚である。
死体の山を一瞥した僕は、新たな希望を見い出していた。