魔法少女は今日も引退できない
「あのさ、いい加減に魔法少女辞めたいんだけど」
「ダメだ」
もう何度目か忘れるくらいの陳情を間髪入れずに断ってきた、出会った頃は真新しいウサギのぬいぐるみだったのにスッカリ草臥れてしまった使い魔のトールを楓は恨めしげに睨む。
「何でよ。もう十分貢献したじゃない。10年よ10年。小3の夏からもう10年も魔法少女やってるんですけど」
最近毎日の様に楓が辞めたいと言い出すので、トールも慣れたもので大きく溜息をつくとあざとく首を傾げ瞳をうるりと濡らし、初めて出会った時のように訴えかけるのだった。
「楓しゃんはとっても優秀でしゅので、ずぅっと僕と一緒に戦って地球を守って欲しいんでしゅ」
「いや、今更そんな口調で喋んないでよ。まじ鳥肌立つんですけど。普段私のことお前呼びだし、自分のこと俺って呼んでるくせにやめてよね」
すっかり長い付き合いになってしまった相棒の本性を知っているため、楓の両腕にはぞわりと鳥肌が出てしまう。それを消すように全力で両腕を擦り一刀両断する楓をみて、トールの表情がスッと消えた。先程までのうるうるした瞳が死んだ魚の目をしている。傾げていた首はゆっくり回されてゴキッとぬいぐるみからはとても想像できない年季の入った音が鳴った。
「ったくよぉ、毎日毎日飽きねぇのかよお前。俺は飽きたよこのやり取り。新鮮さがない」
「うるさいわよ。だったらとっとと私を魔法少女から解放してよね。それで、また新鮮な小学生見つければいいじゃない。私なんかよりフレッシュでしょうに」
「うわぁ、お前フレッシュとかおっさんかよ。老けたな」
フンっと鼻で笑うトールはゴロンと横になって片肘をつくと腹を掻いている。
すっかり垂れてしまった両耳が一層気怠さを表しているようである。
「トールのがよっぽどおっさんじゃない。昔はもっと可愛いウサギだったのになぁ。なんか綿のへたり具合がだらしがないんですけど。休日のオヤジみたい」
「オヤジ言うなよ。おにいさまと言え」
どっからどう見てもオヤジにしか見えないトールをジト目で見ていた楓は諦めた様に大きくため息をつくとずっと溜めている不満を嘆き始めた。
「そもそも、こんなに長い間も魔法少女やるつもりなかったし。もう大学生だよ、すぐに就活が始まるんですけど。私は年中無休のお給料も出ない魔法少女なんてブラックな職場じゃなくて、週休二日で福利厚生がしっかりしているホワイト企業に勤めて、毎月ちゃんとお給料もらって年に2回のボーナスで旅行に行きたい」
ぎゅっと拳を握りしめて野望を語る楓をトールはため息混じりに眺める。
「今時そんな優良企業あるのか疑問だけどな。まぁ、よかったじゃねぇか面接で地球規模の社会奉仕を10年やってますってアピールできるぞ。つか、魔法少女だって夢と希望あふれる活動だろうよ」
魔法少女であることを誰にも話せないことをわかっているのに意地悪そうに笑って話すトールに、楓は何度目かわからない怒りが湧いてくる。
「そう言ってトールは小学生の頃の私を唆したんじゃない!確かに可愛い服着て、不思議な力で敵を倒すって楽しいけども。でも魔法少女のことはみんなには内緒にしないといけないし、いつ敵が現れるかわかんないから気を張っちゃうし、戦ってもお金もらえないし、お金もらえないし、お金もらえないじゃん!」
「3回も言うなんて、俗物的だなぁ」
「労働に対価を求めるのは当然でしょう。お給料が欲しい。無賃労働反対」
「魔法少女ってのは秘密裏に地球を救っている崇高な活動なんだぜ」
使い魔のお眼鏡に叶った少女は声をかけて魔法少女にし、一般人に知られることもなく地球を守る為に変身して異空間で敵を倒す。世間の基準でいう労働契約などを結んでいなければ報酬もない。裁判にでも訴えれば勝訴間違いなしの事案である。訴えられないように誰にも話せないようになっているのではないかと考えてしまうくらい真っ黒である。
「私ってさ、ずっと魔法少女してたせいで部活も委員会もバイトもやれてないから、社会的に見たら何もアピールポイントないんだよね。こんな無気力な人間は就活戦争に勝てる気がしない」
「まぁ仮に魔法少女のこと話せたってお前いつも一人で戦ってるから社交性とか協調性皆無だろ。企業的には美味しいやつじゃねぇんだから、問題ねぇよ」
「いや、問題大ありよ!てか、まわりの魔法少女の子達ってみんな小学生なんだもん。話し合わないし、そもそもスキルが違い過ぎて狩場が違うから一緒に行動できる人がいないの!!」
楓は10年近く魔法少女をやっている古参であり、所謂同期と呼ぶことのできた他の魔法少女たちはすでに引退済みであった。皆、中学に上がる前か遅くとも高校に上がる頃には魔法少女を辞めており異空間の中で会うことはなくなっている。代わりに新人なのだろう小学生の魔法少女たちが敵と戦う姿を見かけるが、楓も少女たちも年が離れているので遠巻きに会釈する程度の交流しかしなくなっていた。新人教育なんてものも考えて行ったことものあったのだが楓が高校に上がる頃にはそういうこともしなくなった。せっかく育てても気がつくと異空間に来なくなるからだ。そんな経験をしてしまえば他の魔法少女と交流を持とうなんて考えなくなり、楓と他の魔法少女のスキルの差は広がるばかりであった。
「お前年季あるから他の魔法少女が何人も掛かって倒す奴らを一人で倒せるもんなぁ。でもさ大学でも行動を一緒にできる奴いないんだろ?」
「協調性がなくて友達が出来ないわけじゃないし、話ができる人がいないわけでもないのよ?大学で基本ぼっちなのも魔法少女にいつ呼ばれるのかわかんなくて仕方なく一人でいるからなんだから」
「そんなに魔法少女の活動が大切なら、ずっと魔法少女やれば解決だろ。このまま就職しなくていいじゃん」
トールの指摘も尤もである。魔法少女を辞めたいと言いながらも楓は魔法少女の活動を中心に生活を続けているのだ。楓自身も報酬面以外では魔法少女の活動に対して特に不満があるわけでもなかった。しかし、それが最大の懸念事項であるし引退したい理由でもあった為、残り少ない学生生活を終えた後もこのまま続けるという選択はできない。
「それを世間では無職、もしくはニートと呼ぶのよ!私はちゃんとした生活を送りたいの!!」
「おいおい、お前は貴重な存在なんだぜ?その歳でも魔法少女がやれるんだからな」
「私は辞めたいって言ってるのに、トールが辞めさせてくれないからじゃない」
他の魔法少女たちと交流しないので楓は知らないことなのだが、勤続年数10年というのは平均が4年前後である魔法少女の活動において異例の長さであり伝説級な存在になっている。楓本人は辞め方を知らないし活動も嫌いではないので辞めずにいるだけなのだが、後輩の魔法少女たちの間では異空間で楓の姿を見かけたら今日も無事に生きて帰ってこれると代々噂され守り神扱いされているのは余談である。他の使い魔たちとも交流のあるトールは勿論把握しているのだが、黙っている方が面白いので楓に伝えたことはない。
「おばあちゃんの魔法少女ってのもいいかもなぁ。末長くよろしくな、楓」
「だからもう辞めたいんだってば。てか呼び出しだ!私行かなくちゃ」
疲れたように呟く楓であったが、バッと顔を上げると何か伺うように視線を彷徨わせると立ち上がった。異空間での戦闘が始まるのだ。楓の表情は流石10年も魔法少女として戦っている猛者であり凛とした瞳はなんとも頼もしいかぎりである。トールも慣れたように片手を持ち上げてゆらゆらと降って激励する。
「おぅ。今日も地球の為に働いてくれ」
「応援よりも正当な報酬を切に望むよ。じゃ、いってきます」
労働環境に不満があるからといって、こうして出動の要請があれば魔法少女として戦わないという選択を楓は選ばない。楓が目を瞑ると身体を光が包み込んだ。その光が消えると部屋から楓の姿はいなくなっている。部屋に残ったトールは寝転がったまま天井を眺めていたが、口元をニヤリと歪めるとくつくつ笑い出す。
「俺に辞めたいって話しかける時点でお前が決して魔法少女を忘れることはないんだよなぁ。他の奴らはみんな俺ら使い魔の存在を忘れて魔法少女を辞めていったけど、お前はずっとそうやって意識し続けてさ、本当貴重な存在だよ」
幼い頃に信じていたサンタクロースの存在をある日信じられなくなったように。いつか魔法少女たちは、使い魔をぬいぐるみとしか認識しなくなる。そうなれば魔法少女に変身することも地球の為に戦うこともなくなる。
魔法少女を辞められるのだ。
けれど楓は魔法少女を忘れない。使い魔であるトールを忘れない。
「だからさ、ずっと魔法少女やろうぜ楓。俺、今の生活結構気に入っているんだ」
魔法少女は今日も引退できない。