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ハーレム男の飼い猫

作者: 如月 和

「なぁなぁ、聞いてくれよ。今日ゆーちゃんと服見に行ったんだけどさ、あいつどんな服着ても可愛いんだよなー」


 片田舎にあるアパートの一室。


 ドタバタと靴を脱ぎ散らかし、この部屋に入るや否や今日起きたことを報告してくるこの男は我が輩の飼い主である。


 しかしそんな喜び楽しそうに話す飼い主の話なんて聞く気は更々ない為、適当に尻尾を振り続けながら定位置となっている青いクッションの上で体を丸める。


「そんで明日はみーちゃんと一緒にゲーセンに行くんだけどさ、あいつゲーム好きだからいくら使う羽目になるか……」


 そんな我が輩の反応を見ても話を止めようとしないのは、きっとこれが日常になって久しいからか。


 こんな生活が始まって、果たしてどれ程の日々が過ぎ去ったのか。


 その始まりを思い起こせる光景、それは大学生活が落ち着いた此奴が高校生だった頃、今日のデートの相手でもあったゆーちゃんとの仲むつまじい下校風景だったであろう。


 当時の我が輩はしがない野良猫だった。


 その頃は人の様にものを考えることもなく、ただひたすらに猫の日常を過ごしていた。それが一変したのが、下校中の此奴等に出会ってからだ。


 なかなか食う物が見つからずに困り果てていた我が輩は、目の前を通りかかった二人が食べていたクレープに目を付けた。


 初めて見る物だったけど、それはとても美味しそう匂いで、とても美味しそうな見た目をしていて。


 ただ本能のままに飛びかかってしまった。


 それが不幸の始まりだったのだと、今になってはそう思う。


「あ、そうだ。来週にはくみちゃんと東京へ行く予定もあったんだ。くぅ、バイト増やすしかないかもしれんなぁ」


 その不幸とは、この複数の女性とイチャイチャしている男が原因ではない。


 そう、原因は一緒にいたゆーちゃんこと、ユリア様の方なのだ。


 当時の俺はユリア様の家で執事をしていた。


 古くから続く大地主の家系だけあってその家はとても巨大で、そんな家の掃除を主に行う下っ端の様な存在だったのはまだ憶えている。


 それでも、魔女狩りから逃げ延びた魔女の家系とも聞いてロマンを感じていたし、先輩も優しいから楽しく働いていた。


 主人の命令にはミスなく従い、ユリア様からは着替えを用意させられる程信頼されてもいたっけ。


 あぁ、だから目を付けられたのか。


 そんな俺が掃除に勤しむ頃、クレープを盗ろうとした我が輩の首根っこを掴んだユリア様は、可哀想な野良猫だと言って保護すると男に告げた。


 その時は猫故に特に何も思わなかったが、今思えばその一瞬で計画を立てたのだから、高校生といえど侮れない強かさがあったのだろう。


 当時この男も、その慈愛の精神に心を打たれていた。……様な表情をしていた。


 そして家へと連れて帰られた我が輩を待っていたのが、俺との融合である。


 お嬢様が帰宅されたと先輩から聞いた際、呼び出されていることを聞いた俺は普段足を踏み入れない地下室へと向かった。


 そしてそこで、酷くくしゃみを繰り返すユリア様から小汚い猫を渡されたのだ。


 掃除を任されていたのに唯一、命により足を踏み入れたことはなかったその地下室。


 其処でどんな事が待ち受けているかとドキドキして向かったのに、待っていたのはただの小汚い猫かよ。なんて、がっかりしたのを今でも憶えている。


 そしてこんな埃っぽい地下室に呼ぶから、と心配しながらもそれを受け取った直後、どんな方法かは知らないが俺は猫になっていたと言う訳さ。


 まぁ、猫になったと言うよりも猫の皮を被った人間、と言ったところかな? 目や耳、鼻は人間と同じ感覚で機能しているし、人と同じ様に物を考えることが出来る。


 ただ、自分が猫だった事もはっきりと憶えている為、猫らしく猫である自分の事を我が輩と呼ぶようになったのだ。


 この異常な事態をあっさりと受け入れ、その程度の思考しかせずにのんびりと猫の振りをして日々を過ごしてきた俺の神経は、案外図太かったらしい。


 こう言うのって、何かが起きてから解るもんだと実感したよ。そして、あの女の恐ろしさも。


 自分にされた事と同じく何をしたのかは解らないが、拾ったのは確かにあの女だった筈なのに猫になったと気がついた瞬間には、我が輩はこの男の家の飼い猫となっていた。


 当時は意味が分かんなくて無意味に鳴いて困らせたもんだけど、そのお陰もあって玩具の類は山ほど買って貰えたから良しとしよう。


 いや、本当は良しとしてはいけない事なんだろうけどさ。現状何をしても事態が変わる事はないのだから、もう遊ぶしかなかったんだよなぁ。


『ちょっと聞こえる? あの人は帰ってきたの?』


 そして、不思議な現象はもう一つ。それが男の惚気話に飽き、暇つぶしに回想をしていた頭の中に響く一つの声。


『あの人はちゃんと何事もなく帰ってきたんでしょうね? 誰も連れて帰ってたりはしてないでしょうね? てかなんであんたは何の返事もしてこないのよ! あんたしっかりスパイしなさいよ!』


 そう、俺はスパイをする為にこんな目にあっているのである。


 因みに未だに何故頭の中でユリア様の声が聞こえるのかも、我が輩がスパイとして何をすれば良いのかも教えられていない。


 しかも猫だから当然言葉を発する事が出来ない所為か、頭で念じてもユリア様と会話が出来る気配は全くない。


 この女、どうやら詰めが甘かったらしい。


 てか、あの日からもう数年は経っているのに俺は本当に何も知らないよなぁ。せめて最初に説明くらいしてくれたら良かったのに。


 もしかしてあれか? 素晴らしい作戦を考えたから速攻実行しなきゃ! とかってテンション上がりまくった結果か?


 偉そうなドジっ娘とかさ、個人的に洒落になんない気がするのですが。


 まぁ、それは兎も角この何も知らない状況は何とかして打開しておきたい。それには恐らく、ユリア様が此奴とくっついてくれるのが一番の近道だと我が輩は思う。


 はぁ、結局はスパイを全うせにゃならんのか。


 それならそれで行動あるのみなのだが、一つ気になっている事がある。それは、あの日からこの男が大学へ進学する程の時間が経っているのにも関わらず……。


 あの女、この部屋に一度も来たことがないのだ。


 考えられるのはお互いの身分の差、と言うものであろうか? この部屋は多少広いとは言え、キッチンにトイレ付きのユニットバスがあるだけのワンルーム。


 そこで母親と二人で暮らしているのだから、暮らしぶりは裕福であるとは言えないと思う。


 しかも父親のことを見たことも聞いたこともない為、そこにも何かしらの秘密が隠されているのかもしれない。


 だって、この部屋には仏壇も何もないのだ。


 ならば俺と同じ様に、此奴の親も訳の分からない状況に陥っている可能性もなきにしもあらず。そう考えるのも仕方がない。


 それならなおのこと、ユリア様に会わなきゃ話は始まらないかぁ。


「てかお袋はまだ帰ってきてないのか? お前なんか聞いてない?」


 ん? あれ、そう言えばお袋さんまだ帰ってきてないな。此奴が帰ってきたってことはもう既に外は暗くなっているだろうし、何時もならばパートが終わってテレビでも見ている頃だ。


 え、……もしかしてあのお嬢様、遂になんかしらのアクションを起こしたのか!? ま、まさか家族を手に掛けこの男を手中に収めるつもりだったりするのか!?


 そう我が輩の心に動揺が走った時、部屋中に響く電話の着信を告げる音。直ぐに目の前の男はポケットからスマホを取り出し、軽く操作して耳に当て誰かと話し始めた。


「お、噂をすればお袋から電話だ。もしもーしどうし……、はぁ!? 何だよ急に海外赴任とか、あんたスーパーマーケットのパートだろ!?」


 うん、何その展開。我が輩もパートの海外赴任とか聞いたことない。え、これって現実で起きていることなの?


「スーパーの海外進出って、……いや社員になったのはとりあえずおめでとう。てか、それなら俺の飯とかどうすんだよ! ……親父も単身赴任してんだから俺もって……。今どこにいんの? ……もう海外!?」


 え、ごめん何その急展開。てか父親は普通に単身赴任だっただけかい。……いやいや、問題はそこじゃないって。これさ、あの女の仕業なんじゃね?


 やっぱり此処へ来る為のお膳立てをしたって事じゃないの? 親同士の確執がどうのこうのでなかなか会いに来れないから、この部屋から追い出してしまえ! みたいな。


「くそっ、……はぁ、飯どうすっかなぁ。さっき家まで送ったばかりだけど、ゆーちゃん呼んで作って貰うか? ……いや、そう言やあいつ猫アレルギーだったっけ」


 いやそんな落ちかい!? 何か裏があるかと思い散々予想させておいて、結果ただの猫アレルギーだから来てなかっただけかい!


 そう言えばそうだったよな、あの時も酷くくしゃみをしていたし、何より我が輩を家に持ち帰る最中なんてくしゃみが酷すぎるあまり、この男に持ち帰るのは止めとけと心配されていたくらいだし。


 そっか、あの時此奴はユリア様の慈愛の精神に心を打たれていたんじゃない。もう何も言うまいと達観した風を見せていたのか。


 きっと、言うことを聞かない様な行動は普段からあったんだろうね。うんうん、俺も知ってるよ。着替えを用意してもさ、直ぐお茶を零して汚すから何度も用意する羽目になるんだもん。


 気をつけろよ、なんて声を掛けたとしてもさ、それに対する返事の際にも零すからもうドジを超えてアホなのかと。


 あれ? 思い起こせばあからさまにユリア様ってドジっ娘だったじゃん。なんで俺はその事に気がつかなかったんだろう? ……ちょっと惚れてたからかなぁ。


 零して慌てる姿も可愛かったし、着替えを照れながら受け取るのも可愛かった。そしてお礼にお茶を淹れてくれる優しさよ。……まぁ、その際にも零すんだけどさ。


 でも残念、今回の一件で忠誠心も敬う心も惚れた心もなくなりました。今度その顔見たら引っ掻いてやるからな!


「あ、此奴の飯もどうにかしなきゃか。……何処にあったっけなぁ」


 あ、それなら我が輩知ってますよ。台所のシンク下の戸棚にカリカリした美味しいのが入っているから、それをくれれば解決です。


 時々こっそり漁って食べてはお袋さんに怒られているから、忘れるはずがないんだな。


 あ……、やっべ。さっき小腹が空いたから漁って全部食ってしまったんだ。……俺もユリア様の事は笑えないかもなぁ。


「んー、ちょっと探してみっか。ついでにカップ麺でもありゃ良いんだけど」


 ごめん、お前が出掛けている間に色々漁っていたけど、今この部屋に食べ物の類は一切ないぞ。日持ちするようなものはお袋さんが全て持って行ったからな。


 てか、だから昨日此奴が大学行っている間に荷造りをしていたのか! なんなのあの人、サプライズ好きなの!?


「うっわ、なんもねーよ。冷蔵庫に食材あっても料理出来ねーし、こうなったらコンビニにでも行ってくっかなぁ。……猫の餌も売ってたっけ?」


 そこはスーパーへ行って下さい。近所のあのスーパーにしか、我が輩お気に入りのカリカリは売ってないそうなので。


 はぁ、しっかしなんでこんな急展開が起きてしまうのだろうか。やっぱり俺の時と同じ様に、あのお嬢様が何かしらしたって事なのか?


 俺の時の不思議パワーなら、この程度のことは労せず出来そうな気がしてならないしさ。


「あ、しまった。今日ゆーちゃんにプレゼントしたから金がない。手持ちは明日のゲーセン用だし、バイト代入るのも一週間後。……此奴売れたりしないかな?」


 おい、人の両脇抱えて持ち上げながら物騒なことを言うなよ。確かには我が輩、三毛猫の雄だからそれなりに価値はあると思う。


 でもそんな事されたら、あの女に殺されちゃうかもしれないよ! 


「はぁ、仕方がないか。どうせ明日一緒に出掛けるんだから、みーちゃんに泊まりにきてもらう」


 あ、これ結局殺させる可能性が出てくるパターンだ。止めろよ、絶対に止めろよ! どうせ泊めるならユリア様に……、あいつ猫アレルギーだった!


 なんなのあの女、どうしてこうも自分の首を絞めたがるの? 実はこの男のことを好きでもなんでもないんじゃないの? 本当は会いたくないんじゃないの?


 いや、そうだとしても我が輩は奴に会わなければならない。どうせ最初に被害を被るのはあいつなのだし、何とかユリア様をこの部屋に来させるようにアピールしないと!


 先ずはそうだな。……とりあえず喉でもならしてみるか。ふっ、何かをアピールする際、先ずは注目を集めることが重要なのさ!


「ん? また電話か。おっ、みーちゃんじゃんグッドタイミングぅ」


 バッドタイミングだよこの野郎! おのれみーちゃんめ、この恨みは泊まりに来たら果たしてやるからな。……いやいや、泊まりに来られたら駄目なんだって。


「うん、うん。そう明日行くだろ? 実はお袋が海外行っちゃってさ、ちょっと今から来て飯作ってくんない? ……サンキュー! 今あんま金ないからバイト代入ったら返すよ」


 そして残念ながらバッドエンドである。神様仏様ユリア様、どうかその不思議パワーでこの状況を察して下さい。


 このままだとあれだよ? 両親不在の男と女が一夜を明かすとか、何事もないなんて展開は有り得ないじゃん!


 これが恋愛シミュレーションゲームだったらルート確定したも同然、そして任務を果たせなかった我が輩お役御免。そして更には墓にも入れん。


 ヤバい、まともな結末なんか絶対に迎えない。


 な、なんとかしないと! なんとかしてこの状況を打開……、あれ? ……これって、本当になんとかしないといけないことだったかな?


 よくよく考えてみれば、元凶のユリア様は猫アレルギーだから我が輩と会うことはない。つまりこの部屋から出なければ、一生平穏無事で残りの猫生を過ごせる訳だ。


 そして我が輩、猫として暮らすのもそんなに悪くないと思っている。


 働かなくても餌はくれるし、遊び道具も買ってくれる。今思えば、この生活になんの不自由もないかもしれない。


「あ、それと猫の餌も頼む。うん、適当で良いいってぇ!?」


 こら、大事な食事を適当とか言うなよ。思わずくっせー足の指を噛んでしまったじゃないか。


「いや、ごめんごめんなんでもない。とりあえず何種類か買ってきてくんない? 此奴なんだかグルメっぽい」


 おっ、此奴案外気が利くじゃん。色んな種類があれば、新たな好みも見つかるかもしれないもんな。


 数年一緒にいて初めて、此奴に感謝の気持ちが芽生えたよ。どっちかというと、お袋さんの方がよく面倒見てくれたからなぁ。

 

 あれ? ちょっとこれからの生活が不安になってきた。うーん、みーちゃんとはどんな奴なのだろうか? 出来れば我が輩を可愛がってくれる可愛い人が良いよなぁ。


 キャーキャー良いながら我が輩を抱き上げて抱き締めてさ、そして我が輩は胸の感触を楽しむのだ。


 ぐふふ、尚更これからの生活が楽しみになってきたよ。此奴の周りには沢山の女性がいるみたいだからな。さぞ色々な感触が楽しめる事であろう。


 さぁ、まだ見ぬみーちゃんよ。早くこの部屋に来るが良いさ!


「え? 材料? ……三味線を作る? 何言ってんだ?」


 前言撤回。これからとてつもなくヤベー奴が来そう。冗談だよね? 冗談と言ってよみーちゃん!


「なんか知らんけど食料だけで良いよ。うん、色んな人頼るつもり。へ? ……彼奴等も呼べば良いのか?」


 なに、……彼奴等とな? それはもしや此奴の友人関係、もしくは恋人未満関係の女の子達を呼べという話ではありません?


 てことは、もしかしたらユリア様来訪の可能性も微粒子のレベルであるのではないだろうか!


 だって我が輩を三味線にしようなんて考えるような奴よりも、ドジっ娘のユリア様の方がなん百倍もマシだろうしさ。


 うむ、そうなれば運に頼るだけではきっと足りない。何故ならば、可能性とは自ら創り出すものだからさ! おいこの野郎、絶対に呼べよ? 空気を読んでユリア様を仲間外れになんかすんなよ?


 さぁ、我が輩自慢のこの円らな瞳を見てごらんなさいよ。クリクリで可愛らしいでしょ? 我が輩の言いたい事も、解る気になってくるでしょ?


 飼い主と飼い猫のアイコンタクト、ここに実現させようではないか!


「分かった。じゃあ、……三人くらいに声掛けとくよ。それ以上はこの部屋が狭くなる。あ、ユリアはなしな? 彼奴猫アレルギーだから」


 うん、そりゃ空気読んだらそうなるよねこの良い子ちゃんが! てかお願いだから目を見てよ。女の子との会話に夢中にならないでよ。


「うん? 解った任せるわ。じゃなー。よし、喜べにゃんこよ。飯と美女が沢山来るぞ!」


 うん、嬉しいけど素直に喜べない。


 てかお前もどうなんだよ。折角女の人と二人きりになるチャンスだったんだぞ? それを相手に言われたからって、人を呼ぶのを受け入れんなよ。


 いいか、そこが分かれ道なんだ。相手はちょっとしたテレ隠しで言ってんだから、そこを攻めないと駄目なんだよ。


 などと、かつて女性経験のない現猫が力説しております。


『ちょっと、嫌な予感がしたんだけど本当に大丈夫なの? 私抜きでなんか素敵な事になりそうな感じになってんじゃないの? むぅ、ちょっと運命を操ったのは失敗だったかなぁ』


 そう思うならお前も来いやぁぁぁっ! てかやっぱりお前が原因かよっ!? 魔女の家系だって言うのは本当だったのかよ!?


 てかねぇ、分かっているならなんであんたは実際に自分で動こうってことをしないの? そんなに猫アレルギーが酷いの?


 じゃあなんで猫をスパイにしたんだよ!?


「やっほー! えへへ、呼ばれちゃったから来ちゃったよ! それにもしかしたらと思ってお鍋の材料も買っておいたの! 昨日おばさまが大量の荷物を持って出掛けていったからね、もしかしてって思ってたんだー。うふふっ、丁度良かったよー」


 そしてヤンデレの疑いがある奴がキター!


 なんなの、みーちゃんなんなの? こんなにも早く来るってことはさ、監視でもしていない限り到底無理じゃん。


 このアパートの住人ならば可能だろうけど、我が輩の知る限り年頃の女の子なんて居なかった筈だもん。……我が輩、とても逃げ出したくなってきた。


 偉そうなドジっ娘お嬢様の次は行動力のあるヤンデレとかさ、この男厄介なのに好かれすぎなんじゃない?


 あぁ、こうなるとこの後来るという他の奴らも怖くなってくる。願わくば、暴力的な奴はいないで下さい。


「おーう! 今開けるー。他の皆はー?」

「準備に時間がかかるってー。ふふっ、タイムアタックね」


 なんかすっげー心の声がダダ漏れてんだけど大丈夫なのこの人! 本当に大丈夫? 我が輩邪魔者だって言われて三味線にされちゃわない?


 実はこのヤンデレが暴力要素も持っているとかだったら、我が輩醜聞もなく泣きわめくんだけど。鳴いて近所からの苦情を待つんだけど。


『ああ、心配になってきた。あんたちょっと席外しなさいよ。私も今から行くからちょっと外を彷徨いてなさいよ』


 うん、その手があったね。それなら我が輩も余計な面倒に関わらなくて済みそう。


 今までは有り得なかった役に立ちそうな助言をユリア様から受け、男がドアを開けたタイミングを狙って我が輩、外に飛び出しました。


 その時は数年ぶりに出るお外に、ちょっぴり心が踊っていたりもしました。


「んふっ、駄目じゃないネコちゃんが逃げ出そうとしちゃ。ちゃんとね、私以外の人をひっかいてくれないとねぇ?」


 でも残念! その体は本当に踊るようにぶらぶらと揺れています。なんと言うことでしょう。我が輩はあっさりと、ヤンデレに片手で捕獲されてしまいました。


 あ、でも逃がさないと言いたげに胸に抱えられた際に感じた柔らかな感触。これは最高です。でもヤンデレなんだよなぁ。でも好みの顔だったら許してしまいそう。


 恐る恐る捕獲した主がどんな人物かを確認してみると、片手に買い物袋持ち背中にリュックを背負った見た目活発そうなボーイッシュな女の人。


 結構なタイプである顔をしているけど、しかしその顔は男に見られない角度を保ちながら、酷く笑みに歪んでいた。


 我が輩ちびりそう。あとユリア様、絶対に来ないで下さい。来たらきっと面倒な事になると思う。それはユリア様にとってだけではなく、きっと我が輩にとっても。


 あ、尻尾掴まれた。我が輩、悪いことは何もしてないよ? だからお願い、悪いことをさせようとしないでね!?


「ちょっ、くしゅっ! なんで、くしゅん! あんたが此処にいんのくしゅっ!?」

「あら、ユリアさん。呼ばれてもいないのによく来たねー」


 そして来るのが早すぎるよユリア様! なんなのあんた、瞬間移動とかワープの類でも使えるって言うの? 魔女半端なねぇな!?


 てか猫アレルギーの方も半端なさそう。お得意の魔法とかで治したり出来ないの? ……いや、この人ドジっ娘だから余計ややこしいことになりそうな予感。


 こんな八方塞がりの奴も珍しいよなぁ。


 しかし、改めてそのお顔を拝見すると非常に美しい。その顔ははっきりとした目鼻立ちの美人さんなのだけど、髪をツインテールにするとこでほんの少しの幼さを醸し出している。


 その少女と女性の中間とも言える美しさ可愛らしさは、我が輩がまだ人間だった頃と殆ど変わりはなく、ちょっと涙が溢れそう。


 引っ掻いてやろうと思っていたその顔は、予想以上になくなったと思っていた俺の心の未練を引っ掻いてくれたよこの野郎!


 でもね、それ以上に小便漏れそう。怖いよ、この場に漂う空気が怖いよ! 特にヤンデレさん、お願いだから刺激しないで下さい。


「わ、わたくしゅん! ……私が呼ばれてないってくしゅん! あんたくしゅっ! 何しようとしてたのよはっくしっ!?」

「あらあら、辛そうだねー。さっさと帰れば良いのにねー」


 てかこのヤンデレさん半端ねぇよ。ユリア様が猫アレルギーなのを知っている筈なのに、両手に抱えた我が輩を近付けてやがる。


 ヤンデレでドエスとかさ、普通の奴じゃ手に負えないじゃん。こんなのに好かれるとか、我が輩の飼い主様も業の深いお方だことで……、あれ? 彼奴居ねぇ!?


 あの野郎この状況を放っておいて、一人だけ部屋の中へ入って行きやがったのかよ!? しかも何気にみーちゃんの持ってきていた、食料が入っていたらしい買い物袋も持って行っているし!


 道理で片手で捕獲された筈なのに尻尾を掴まれた筈だよ! 道理で両脇を抱えられている筈だよ!


 くそっ、この図太さがこんな奴らも受け入れられる秘訣と言うことなのか……。


 でも我が輩を置き去りにしたのは絶対に許さないから。後で急所噛んでやる、急所猫も噛むと言う諺を新たに作ってやるからな!


 てか、それよりこの場をどうするか考えなきゃならないかなぁ。だってユリア様、予想以上に辛そうだし。


 一番良いのはやっぱり、我が輩がこの場から去ることだよね。


 それならばちょちょいと我が輩を掴む両手から抜け出し、て。……いや、なんだよこのヤンデレ、握力強すぎじゃない!? 体捻ってもびくともしないんだけど!?


 いやマジでさ、どんだけ思いっ切り捻っても抜け出せねーんだけど! 我が輩の今の姿ってさ、昔あった踊る花の玩具みたいになってない? とても奇妙な動きになってない!?


「ほらほらー、早く帰ればー?」

「くしゅん! い、いやよ! ……はっくし! あんたが帰るまで私くしゅっ! 絶対に帰らないんだからっくしゅん!?」


 ごめんよユリア様、この動きって余計にくしゃみを誘発させている可能性もあるよね。でもね、我が輩もなんとか抜け出そうとしているだけなの。それは解って?


 でも残念、どうやら無理そうであります。駄目な元執事で本当にごめん。でも、怨むならこんな事態を招いたご自分自身でお願いします。


「んー、そっかぁ、帰らないかー。じゃあこの子を抱っこしてお家に入れてくれる? 私、ドア開けないといけないから」


 いやいや、何言ってんのこのヤンデレは!? ドアなんてさ、猫を片手で抱えたままでも開けられるもんでしょ? 来たときに持っていた買い物袋はもうないんだからさ。


 まったく、そんな挑発に乗るような奴なんかいるかっての。


「くしゅん! ……い、いいじゃない。の、望むとこしゅんっ!」


 はい此処にいたー。ユリア様、そう言う属性は我が輩嫌いじゃない。もし漫画とかでその手のキャラがいたら絶対に推すから。


 でもさ、そう言うのを発揮するときは時と場合を考えようね? もっと自分を大事にしてね?


「こいつぅ……」 


 ごめん、そんなに我が輩を睨むなよ。我が輩なんにも悪くないじゃん。


 だってさ、ユリア様に言われなかったら我が輩外に出ようなんて思わなかったもん。だから我が輩は悪くないもんねー!


 あ、ごめんなさい。抱っこするならもう少し優しくお願いします。力が入りすぎていてちょっと痛いです。……あれ? よくよく考えたらもしかして我が輩、逃げるタイミングを逃しちゃってない?


 ユリア様に渡されるその一瞬が、我が輩最大の逃げるタイミングだったんじゃない?


 少し身を捩ってみるけど、挑発に乗ってしまったユリア様は我が輩をけして離そうとはしない。そして、みーちゃんが開けたままにしているドアを潜っていく。


 あかん、逃げ道のドアはみーちゃんに塞がれてしまった。此奴、絶対我が輩をジョーカーとして活用するつもりだ。酷く歪んだ笑みがそれを物語っているよ。


 そしてユリア様は絶対にそれに乗っかる。


 うーん、……これは我が輩お手上げです。もう借りてきた猫の様に大人しくしているので、勝手に修羅場って下さい。


 はぁ。俺が猫になって数年は、本当に穏やかな日常だったのになぁ。こんな日がずっと続いてくれたら良いなって、そう思っていたりもしたのになぁ。


 でも今はさ、心の底からこう思っているよ。愛のストーリーって、突然始まるんだね。


 我が輩これから先、のんびりとした猫生を歩めるのかな? ……確かに感じる温もりをこの全身に受け、ドキドキしながら色んな意味でそう思います。


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