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苦手な方はご注意ください。

古典的テンプレ異世界召喚勇者が世界を救った後には、光があるのではなかったか

作者: 曇天紫苑

 子供のころ、勇者の話をよく聞かされた。


 私の家は人より少し貧乏だった。街の子供なら誰もが持っていた物語の本、それが私の家にはなかった。

 今も昔も、子供が見るのは勇者の話だ。ヒーローとも、もしかすると主人公とも言われる人の物語。時には情けなく、時には面白く、時にはカッコいい。そんな勇者の話が、子供はみな大好きだった。

 でも、私はその本を持っていなかった。

 そんな時、助けてくれたのは兄だ。

 兄は友達から借りた勇者の本を持ってきてくれた。その時の私には文字は読めなかったから、兄が代わりに読んでくれた。

 その時だけは、兄がまるで英雄のように思えた物だった。

 兄は楽しそうに本を読んでいた。時々、読み聞かせるのを忘れてしまう事があるくらいだった。

 悔しくて、私も文字を覚えた。その時には、もう本は家にあったけれど。

 私は勇者の物語が好きだった。周りが少し大人になって、私も少し大人になって、でも、勇者の物語が好きだった。

 毎日の様に読みなおした。勇者が作った学校に通いながら、勇者が考えた数字や文字の勉強をして、そして帰れば勇者の本を開いた。

 時々、魔王の物語も読んだ。兄はこちらの方が好きで、私は勇者の方が好きだった。

 何度も、本当に何度も読み返した。表紙が無くなった時は少し泣いた。でも、また読み返せば涙は無くなった。

 また少し周りが、私が大人になって。勇者の話をしなくなった頃、私はやっぱり読んでいた。読む度に、読む度に思っていた。


 本物の勇者に出会った時、私は何を思うのだろう。そう、思っていた。


+


 本物の勇者なんて、いないのかもしれない。

 そう思ったのは、いつだっただろう。


「こんにちは」剣を軽く引く。「さようなら」


 それだけで人が倒れた。

 倒れた人の姿は、どこか遠い世界の出来事に見える。殺しはしていない。ただ、気絶させただけだった。

 しかし、悪い事をしてしまったかもしれない。罪のあるなしは関係無く、無関係の相手を傷つけるつもりは無かった。これは、仕方のない犠牲だ。

 そのまま放置しておけば、誰かが見つけるだろう。まだ息があるのを確認し、壁際に運ぶ。

 軽く、頭の中だけで謝って、警備の居なくなった扉に近づく。ドアノブに罠は仕掛けられていない。中の様子も、魔法を使えば簡単に判明した。

 屈強そうな見張りに反して、中にはたった一人しかいない。きっと、それで十分だから、なのだろう。

 何年もかけた目的の最後、それがこの中にある。そう思うと、心が弾んだ。自然に鼻歌が溢れだし、そのまま窓へと視線が向かう。


「誰もいない部屋に色はあるのかな。誰も見ていない場所には、場所なんて、あるのかな」


 ただ役者が演じているだけの舞台には、観客のいない世界には、いったい、何の意味があるのだろう。

 ずっと前から考えていた疑問の答えは、今も出ない。きっと死ぬまで出ないだろう。


「私達は、なに?」


 答えはでない。

 答えは、ない。


「あれは、なに?」


 窓の外に広がる世界は、私が小さな頃よりもずっと薄暗かった。

 煉瓦の家々が並ぶ横には、灰色の大きな建物があり、近くでは列車が蒸気を噴いていた。工場からは煙が出て、霧のようだった。

 どれも、私の両親が子供の頃にはなかった物だ。発展した技術の結晶が、何も隠されずに鎮座していた。

 子供の私にとって、剣と魔法が世界の全てだった。だというのに、目の前に広がる世界は、どうにもそれとは遠く見える。

 私がおかしいのか。それとも、別の何かが狂ったのか。それは、分からない。

 ただ、私は扉を開けた。一気に部屋へ飛び込むのではなく、ゆっくりと。

 大きな金属製の扉が音を立てて開き、部屋の様子が目でも分かるようになる。

 少しの本と剣が置かれているだけの、何もない部屋。その奥にいる勇者が、大きな椅子に座って私を出迎えた。


「よく、来たね」


 勇者は派手過ぎず、地味でもない黒の服をまとっていた。黒い髪は無造作に切られていて、とても高い位の立場にいる人間とは思えない。

 良くいえば型破り、悪くいえば、常識外れだ。これが三十年ほど昔であれば、きっとそう言われただろう。


「黒い髪に染めさせたんですか?」


 少ない言葉だったが、勇者はそれを理解した。


「そうだ。周りの髪色を変えれば、俺の髪色が変には見えなくなるだろう?」勇者は意外そうに私を見つめた。「よく知ってるね」

「本で読みました」


 そうだ。彼とは初対面だが、どんな人生を送ったのかは知っている。

 黒い髪、珍しい肌の色。美形とも言えない程度の、そこそこの顔立ち。話で聞くよりも少し年をとっていたけれど、私の知る人だと分かる。


「俺の本を読んだか? 照れるな」

「それは嘘ですか?」

「そう、嘘だ。でも勘違いしないでくれ。昔は本当に照れくさくて、嬉しかったんだ」


 勇者、元勇者は椅子から立ち上がり、こちらへ近づいてくる。

 剣にそっと力を入れた。ただ相対しているだけでも、危険な相手だと体が分かっている。自分の意志とは関係無く、全身が警戒をはじめていた。


「これで二十人目の暗殺者だ」

「しかも女ばっかり?」

「半分は男だった。もちろん、斬ったよ」

「残り十人は生かしたんですか?」

「一人は斬った。毎回毎回、俺の足下にも及ばない連中を送ってきて、まあ、お陰でよく眠れた」


 武器の一つも持たないまま、彼は私をじっと見つめている。人形を見るような、冷たい瞳だ。

 試しに最低限の動きで首筋へ剣を振るった。首に刃が食い込む寸前で止めたが、何の反応もな

 ……いや、反応している。彼は剣の流れを目で追って、指が何かを握る形を作っていた。

 目には何も見えなくとも、そこには剣がある。既に私を間合いへと入れて、いつでも私の首を落とせる姿勢を取っている。

 させるわけには行かない。とっさに彼の手の甲を蹴り上げていた。

 そこに握られていた透明の物は確かに弾き飛ばされ、壁を引き裂いた。そして、裂かれた壁が黒い色に塗られて消し飛び、外の景色が明らかになる。


「どうも、今回はワケが違うらしい」


 景色を見て、勇者は肩を竦めた。

 外に立ちこめていた煙の臭いが部屋に充満して、私達の姿を仄かに隠す。

 それでも、お互いの目はしっかりと見えていた。


「狙う人が多くて、大変そうだね」

「鬱陶しがられるのさ。勇者なんてやってたからかね」

「違う」


 思わず顔を乗り出してしまった。

 確かな隙になっただろうに、私は斬られていない。その事に気づくより早く、声が勝手に溢れ出す。


「あなたは、勇者じゃない」


 勇者、勇者だと言われている人は一瞬だけ目を見開き、細める。

 目元がどこか嬉しそうだった。


「そうだ。俺は勇者じゃない。俺は、ただの地球人だ。少し、まあ、少し強い力を貰っただけの、単なる、普通の。そう、普通の」

「大変そうだね」

「君みたいなのが殺しに来るから困ったな」


 本当に困った様子で、彼は頭を掻いた。命の危機を感じているのかも怪しいくらい、若々しく緩い表情をしている。

 勇者の年齢からすると、五十代か四十代の後半だろうが、やはりそうは見えない若さだ。

 これも、異世界の加護という物なのだろうか。


「そういう評価は嬉しいな。普通の人間扱いしてくれる奴は少ないんだ。普通の人間だと思ってはいるんだろうが、扱いがどうにも」

「凄いと思われているみたい?」

「そうだな。それだよ」


 勇者らしき人は私へ背を向けた。それから煙まみれの世界へ腕を広げて、溜息を一つ。


「確かに、俺は魔王を倒したって功績はあるんだ。冒険も、仲間もいたよ。本を読んだなら知ってるだろう?」

「沢山の女の人もね」


 本で読んだ事を告げると、彼が振り向いた。

 ここに来てはじめて、影の無い笑い顔をしている。


「そう言うな、若かったんだよ、俺も」

「気づかなかった癖に」

「あの時、思い切って女遊びにでも目覚めておけば今みたいにはならなかったと思うか?」

「女として、素直に気持ち悪いと思う」


 顔を押さえて、彼が思い切り笑う。

 喉が枯れるのではないかと思ってしまうくらいに、激しい笑い声だった。

 斬ろうと思えばいつでも、斬れる。ただ、私にはできない。その笑い声には少しずつ絶望が混じり、殺気まで漏れだしていたからだ。


「俺はこの世界が嫌いだ」


 笑いが止まった時、彼は不意に呟いた。


「ああ、最初は、よかったよ。達成感、これから頑張らなきゃな、っていう使命感、俺の知識はこの為にあるって義務感もあった」


 ただ、と彼の声が響く。


「無性に、帰りたくなったんだ」


 とても年齢相応とは思えない、そんな弱々しい声だった。

 この視界に広がる世界は、彼にとってはどんな風に見えているのだろう。少なくとも、私には昔よりも色あせて見えた。


「向こうには未練なんか無かったんだけどな、ただ、向こうの文化が恋しくなった。世界そのものが恋しかった。それからは、地獄だったな」

「ホームシック?」

「嫌な言い方だな。ただ、周りの物が、今までは輝いていたものが急に無価値に思えてきただけだ。何だかんだで俺は夜中にコンビニで肉まんと唐揚げを買い、ついでにネットで注文した商品を受け取る生活を気に入っていたらしい。俺は舞台で踊っていた役者で、ここは劇が終わった後のセットなんじゃないかとすら思った。俺は片づけられるべきだったんだ」


 彼は自分の指を壁に押しつけた。すると、その指は簡単に壁を歪ませて、どんどんとめり込んでいく。

 一瞬で指を引き抜くと、また違う位置へ指を押しつけた。十秒もすれば、壁には数え切れないほどの穴ができて、一部分が崩れ落ちていた。


「帰れないなら、せめて、できるだけ俺の知る世界を再現しようと思った。でも無理だったよ。それが原因で来たのが、君か?」

「その通り」

「そうか。ああ、そうか」


 私の返答を、彼は噛みしめる様に聞き入れている。

 私の気持ちなど全く、少しも理解していないだろうに、彼は私を哀れんでいた。

 きっと、毎日のように他人を哀れみ、助けていたからこそ、この人は勇者と呼ばれたのだろう。本の中の彼と同じ姿は、ほんの少しの喜びを与えてくれる。


「何があった?」

「教える義理はないし、教えたって何か意味があるわけじゃない」

「もしかすると、力になれるかもしれないぞ?」


 命乞いではなく、心からの言葉だった。

 息を吸うのと同じくらい、自然と他人を助ける言葉を吐く。やはり、彼はかつての勇者だ。

 だが、今も勇者というわけではない。


「あなたに助けられて、あなたに感謝して、もしかするとあなたに惚れたりするの?」


 気持ち悪い、と一言で断った。

 自分の気持ちは自分だけの物なのだ。他人に委ねた時点で死んでいるも同じだった。そして、私は助けではなく、自分の満足が欲しいだけだ。

 そんな事を言うと、どうだろう、目の前の人間は深く頷き、私の頭を軽く叩いた。反応できる動きだったが、反撃はしなかった。


「もう俺は勇者じゃないし、物語の主役でもない」


 口元に無理矢理な笑顔を浮かべ、彼は親指を立てる。


「今は、君が主役だ。だが俺を殺せば君もきっと舞台から降りなきゃいけない、何を成し遂げたって後には空虚な物しか残らない。無意味な物さ。特にこの世界はな」

「そうかもしれない」


 空しいだけの瞳が私を貫いている。

 背筋が凍り、緊張が走った。それでも、私の心を貫ける程のものはない。ただ弱く、ただ意味が無いだけの視線だ。ひたすら冷たいが、それだけだ。


「私はやる事を変えたりはしない。あなたは斬る。斬って終わらせる」


 彼は笑っていた。心から安心した風に笑っていた。


「そうだな。なら、早くしてくれ。今までは怖くて死ねないし、死なせてくれない奴らが俺を見張ってたんだが、お前が全員殺してきた、そうだろう?」

「殺してはいないよ。ただ、あなたは殺す」

「ああ、それはいいな。その意志、ラスボスを前にした主人公、って奴。素晴らしいね」


 彼はその場に座り、私が首を切り落とせる位置で姿勢を固定した。

 いつでも良いのか、もう目を瞑って、どうでも良さそうに力を抜いている。あまりにもやりがいと感慨に欠けた姿を見ていると、剣に力が入ってしまう。


「座っていないで剣を取って。魔法を使って。全力で抵抗して。これが私のラストステージだから」


 数歩下がり、彼を待った。

 彼はどうしようもなく残念そうな、捨てられた子犬のような目で私を見つめた。だが、私が首を振って答えると、肩を落として立ち上がった。


「そうか、うん」

「本気できて。感慨深い最後にしたい」

「それは良いけど、負けないでくれよ。言われた通り全力で勝ちに行くが、はっきり言って負けたい。耳も目もとっくに閉じた。口を噤むのは無理だったから、命ごと閉じるつもりだ」


 そう言ったきり、彼の雰囲気が激変する。残念なまでに空虚だった気配は猛毒のようになり、隙が完璧に失せた。どんな手を使っても反撃を受けると容易に想像がついた。

 目には見えない剣なのか、もう何かを握っている。ゆっくりと腕を上げる、ただそれだけの一つ一つの動作が、どんな化け物よりも力強い。

 剣は見えなくとも、その体から溢れるオーラは見える。この都市全てを覆う勢いで、とても死にたがりとは思えない。

 まさに、私の希望通りの全力で振る舞っていた。話で見た通り、いや、それ以上の結果を見せつけていた。


「あなたは」


 目が輝きそうになり、押さえつける。その代わりに口元に笑みを作り込んで、滅多に他人には見せない満面の笑顔を彼へ送った。


「あなたは私の、憧れだった」

「よく、言われるよ」彼は無表情で吐き捨てた。「そしてクソくらえ、だ」


 そして、彼は動く。私を斬る為ではなく、死ぬ為に。

 私もまた、動いた。彼を斬る、のではない。私が納得する為に。






+








 余韻に浸りながら帰ってみれば、家の鍵が壊されていた。

 一気に頭が冷えて、ほぼ全壊してしまった剣を握る。限界だったらしく、剣は崩れ落ちてしまった。

 長年愛用してきた剣だ。柄の彫刻が愛らしく、お気に入りの一品だった。

 地味だが、深い胸の痛みが心を襲った。


「どうしたの?」


 その場で立ち尽くしていると、清楚かつ値段の高そうなドレスを着た令嬢が私の家から顔を出した。


「剣が」

「壊れたの? なんて言うか、酷いわね。あなたも酷い有様だし」


 私の顔につけられた幾つかの傷は、かなり深くまで届いている。血は既に止まったものの、確実に後に残るだろう。

 服は何とか略奪してきたが、体の方は魔法で焼かれ凍らされ電気が流れ木が生え、最後には内側から爆発したりと、回復魔法で強引に治したとはいえ、皮膚の一部が言葉にできない状態になっている。

 確かに、酷い有様だった。ただ、頭は多幸感が広がって、自然に機嫌も良くなってくる。


「何と戦ったのよ。古代のドラゴンとか? 魔王でも復活した?」

「すぐ分かるから、内緒」


 左手の人差し指で口元を押さえた。無意識にやってから、これが、元々はこの世界になかった仕草だと気づいて、幸せが少し削がれる。 


「楽しそうね?」


 彼女のバカにしたような言葉も、祝福の祈りに聞こえた。


「気持ちよかった。今までの人生の集大成が綺麗に収まったら、きっとああいう気持ちになれる」

「私は無理だったけれどね」


 肩を竦め、彼女は乱暴に座り込んだ。軽めの体重でも、人の重さに椅子は軋んだ。

 溜まっていた埃が舞っている。目が良いのは、時に不便だ。


「ずっと掃除をしていないから、そこに座ったら服が汚れるよ」

「汚れ役だったんだし、それくらい許してよ」


 ひらひらと手を振りながら、彼女はテーブルの上に置かれた錠前の残骸を手に取った。

 強引にひきちぎったのだろう、鎖ではなく、鍵穴が二つに裂かれている。それを私に見せつけ、文句を言ってくる。


「強度が不足していたわ。次からはもっと魔力の込められた一流の品を買うこと。安全は無料で配ってくれる物じゃないんだから」

「あなたの元居た場所と違って、水は無料で配ってくれるけど」

「安全はこっちの世界の方がまだお高い買い物になるわよ。ああ、向こうの電子ロックが懐かしい。十八年暮らしたけど、やっぱり便利さはまだまだね」


 そう言いながら、片手で金属の錠前を軽く握りつぶしている。

 誰が素手で鍵を、鍵穴を二つに分けられるだろう。できたとして、誰がそんな事をしようと思うのか。見た目とは裏腹の握力に、思わず口がひきつった。


「いつもいつも、勝手に家へ上がり込むのはやめて」

「鍵が脆いのが悪いんじゃない?」

「素手で鍵を壊して家宅侵入をする令嬢はいないと思う」

「百年に一人くらいいるでしょ、たぶん」


 潰れて小さくなった錠前をゴミ箱へと放り捨て、彼女が顔を机へ押しつけた。けだものの唸り声を出していて、片目だけを私へと向けている。

 

「誰にも見られていない部屋には何もない。誰かに見られているから部屋には物があると思える、なんて言ってたでしょ。あなたの部屋を見ていてあげたんだから、感謝して欲しいくらいよ」

「屁理屈だね」台所に溜まった皿を指さす。「どうせ勝手に入ってくるなら食器を洗っておいて欲しかった」

「私のこの、洗い物なんてしたこともなさそうな素敵な指が食器を洗えると思う?」


 彼女の指は労働を一度も経験した事の無い物だった。白く、傷は一つも無く、丁寧に磨かれた爪が装飾も無しに光っている。

 その癖、拳は鋭く振る舞いに隙がない。地面を殴り込む訓練を毎日こなしているのも知っている。


「あなたの拳は荒いもの。洗い物くらいできる」

「できないわよ。もう十八年以上洗濯すらやらせて貰えない立場なんだから」


 機械に魔力が流れて、人の声が響いた。それは最新の魔導放送機械、ラジオ、とか言うらしい。

 彼女が隠れて購入し、私の部屋へ勝手に置いていった代物だ。音楽や事件の報道が流れてくるが、あまり興味はない。

 道で拾った新聞を開くと中から土が床へ落ちて、彼女はあからさまに顔をしかめた。


「あなたもこっちを楽しめばいいのに。結構ノスタルジックな気分になれて良いものよ?」

「新しい機械の話は分からない」

「私にとってはずっと昔の機械よ。私の知ってる物より機能も少ないし、放送局は一つしかないんだもの。まだまだこんな程度の物じゃ懐かしむくらいしか出来ないわ」


 四角のラジオには触角が付けられている。何かの役に立つわけでもないが、何故か付けられている。

 そんな触角を指でなぞりながら、彼女は報道を聞き入っている。

 黙っていれば高貴かもしれない美貌が、その報道の内容で少し崩れた。誰かが殺害されたと聞こえた時、彼女の表情はついに険しい物へと変わった。


「物騒ね」

「だね」


 適当に流したつもりだったが、声に幸せが乗っていたのは否めない。

 思わず、本棚に置いた一冊へ目が行く。付箋が幾つか貼られた、それなりに汚れた本だ。

 そんな私とラジオを、彼女が何度か見比べた。そして、目を丸くした。


「もしかして、あなたが?」


 彼女は私の顔を見つめ、口元を押さえた。

 その質問に答える気にはならなかった。本棚からその一冊を取り出し、中身を読むフリをする。それだけで、彼女は全てを察するだろう。

 私のそんな態度を、彼女はじっと見つめている。心なしか空気が少し重苦しくなっている気がした。

 自然と剣を握ろうとしたが、生憎と粉々に砕かれていて、持つ事すら不可能だ。彼女と全力で戦うには、やや不安のある状況といえる。

 警戒を深めていると、彼女が疲れきった雰囲気で息を吐いた。


「まさか、あの人まで斬ってくるなんてね。まだまだあなたを見くびっていたみたい」

「本当に気持ちよかった」

「それはもういい」


 うんざりした様子で目を閉じて、彼女は深く息を吸う。

 空気を自分の中でしっかりと取り込み、吐く時にはすっかりと全身を落ち着かせていた。


「でも、終わったのね」

「終わったとは言えない。でも、区切りは区切り。剣もこの通りだし」


 そう、一区切りがついたのだ。少しは肩の力も抜けるという物だ。

 剣が砕けてしまったのだけは残念だけど、それもまた区切りの印に思える。そう思わなければ、悲しくなってしまう。


「私の剣が」

「その、悲壮な表情はやめて」

「剣が」


 お気に入りだったのに、と呟くと、余計に気分が落ち込んだ。特別な品ではないけれど、いつも一緒に居たものだから。

 刃が完全に砕けては、修理も不可能だろう。自分の体よりも丁寧に手入れをしていたのだ、片腕が無くなったのと等しい痛手だ


「分かったから。直してあげるから、そんな顔をするのはやめなさい」

「直せるの?」


 一度だけ頷いて、彼女は私の剣の残骸を手に取った。

 魔法的な何かが素早く発動し、剣の周囲を緑や青の光が覆う。それらは時間を巻き戻すように剣の破片を移動させていき、元の形を作り上げていく。

 ほとんど一瞬の出来事だったけど、私の目は、きっと彼女の目にもその光景は見えていた。


「ほら、完成」


 手渡された剣に触れてみると、完成した剣は前よりも鋭さを増していて、内側から仄かに柔らかな光を放っているのが感じ取れる。


「ついでに魔法もかけておいたけど、駄目だった?」

「駄目じゃない。ありがとう、結婚しよう?」

「あなたが男だったらちょっと心が揺れたかもね。でも、あなたが欲しいのは剣の修理をしてくれる人でしょ」

「どうせあなたは一生結婚できない。列車より早く走ったりお城の柱を素手で叩き折ったり地面を殴ったら爆発するような令嬢と結婚する人はいない」

「だからってあなたと結婚してどうするの。モテない女同士の傷の舐め合いでもあるまいし、あなたこそ素敵な人を見つけなさいよ。私は見つけたわよ」


 自慢げに胸を張っているが、虚勢にしか思えなかった。

 なぜなら、何度会わせるように催促をしても、彼女は首を横に振るからだ。今回も、そうだった。


「あなたの運命の相手に会ってみたい。やっぱり駄目?」

「何度も言ってるでしょ、だめな物はダメ。第一、私だってあなたの殺害対象でしょ、弱みなんて見せられないわ」

「そうだけど」


 そこで誤魔化さないのがあなたね、なんて言っている。少なくとも、私の目では彼女が何を思っているのかは見抜けない。

 どうしても彼女の虚勢を崩してみたくなるが、そこはぐっと我慢する。剣を直した礼として、今日はこれ以上の追求はしない。


「あなたを斬るのは最後。私がおばあちゃんになって、死にそうになったら」


 ほんのりと殺気も漂わせた言葉を、彼女は楽しげに聞き入れた。


「それは、一生友達でいてね、っていう、宣言?」

「その通り。よく分かってるね」

「勝手なのね」

「どう生きても無意味なだけだって、勇者が言ってた。だったら私は勝手にするだけ」


 言葉が自然と浮かび上がってきた。

 あの勇者らしきものの言葉を、私は自分で思う以上に重要な物として見ていたらしい。

 彼の言葉と意志は私に伝播したのだ。こういう事を、何というのだったか。向こうの言葉では、そう、ミーム、とか。


「本当に勝手なんだから」


 頭の底から単語を絞り出せたからか、彼女の話を聞いていなかった。

 どうやら、気づかない間に会話が殆ど終わっていたようだ。

 「話は変わるけど」と彼女が持参した紙袋を手にとって、机の上に置いていた。


「美味しいケーキをお土産にもってきたの。果実が沢山入っていて、堅い生地がサクサクしていて美味しいのをね」

「食べる。ありがとう、ちょうど運動後の甘味が欲しかったところ」


 朝も気合いを入れて生クリームを加工済みの砂糖の塊で挟んだ物を二つ食べた。死ぬほど甘い以外の感想が一つも浮かばなかった。

 しかし、激しい戦闘で甘味が不足している。そこに甘味を置かれれば、猛獣のように心が吠える。


「最低の甘党ね。食事制限とは無縁そうで羨ましいわ」

「あなたも」

「元の世界だと悩みの種だったのよ。ストレス以外じゃ痩せられなかった事が無かったんだもの。ストレス社会だったから太りもしなかったけど」


 そんな話には興味がない。机の上の紙袋だけが、私の救い主に見える。

 中身がケーキだと分かれば気配を感じることができる。それは確かにケーキで、美味しそうで、甘そうで、毒は入っていない。

 昔はこういう嗜好品も少なかったそうだ。その点は、感謝したい。


「良いところのケーキなのよ。あなたの手持ちじゃ買えないくらいの値段」

「胸がきゅんとする話だね」

「時々崩れるわね、あなたって」


 バカにされているのは分かったけど、それよりもケーキが食べたい。食べたい、そう、食べたい。


「でも、条件が一つあるの」

「何」


 なにをいうんだ。食べさせろ。などと、そんな風な顔をしていたのだろうか。

 彼女は少し怯んだ。しかし、すぐに紙袋を私から引き離し、意地悪そうな、そう、本当に意地悪な令嬢のような喜悦に歪んだ表情となった。


「歩きながらでも食べられるタイプの物だし、せっかくだから一緒に歩きましょう? きっとあなたのせいでみんな大混乱している所よ、見にいって、その光景を楽しみながら二人でお茶の時間よ」

「悪趣味」

「子供の血のお風呂に入ってた貴婦人がいるんだもの、野次馬根性の令嬢くらい居ても問題ではないわね」


 開き直った風な彼女を見ていると、面白くなって自然と笑ってしまう。

 私が笑うところを見せるのは、いつぶりだったのか。彼女は驚いて、それからすぐに私を指さして大笑いした。

 とても失礼な女だと思った。








+


 この世界が大嫌いだと勇者は言った。

 私は、この世界は最低だと思っている。

 こうして親しい人と歩く度、私は何度もそう思う。

 左右のどちらを見ても同じような建物が並び、奏者もいないのに音楽が流れ、私達の姿を覆い隠すほどの人間がひしめいている。

 私の横を誰かが通り過ぎた。それは人間ではなく、魔法で作られた生物だった。彼女の隣を誰かが通り過ぎた。それは生物ですらなく、人型のゴーレム……アンドロイド?だった。

 それは何かに指示を出されたようなぎこちない挙動……プログラム?で私達に会釈をし、流れるように去っていく。

 それらも、やはり私の姿を見てすらいない。

 当然だ、彼らは意志を持っていないのだから。

 やせ細った人が倒れている横で、魔導ゴーレムが忙しそうに仕事をしている。

 意志を持たないものが、意志を持つものを上回っている。

 この世界は、魔法が飛び交い魔王と人の戦いが繰り広げられた世界は、とうに終わっている。

 通りにはゴーレムが歩き、絶滅寸前のゴブリンやオークの子供が売りに出されていた。ペットとして、需要が確かにあるそうだ。

 近い内に規制されるそうだが、それが何の慰めになるのか。彼らはもう、一つの人間と戦う魔物ですらない。保護されるべき別の生き物になってしまった。


 ここは、かつてもっと綺麗だったらしい。


 命は命として、魔法は魔法として、剣は剣としてそこにあった。多数の犠牲と悲鳴の上に英雄が立ち、語り継がれる物語を作り上げてきた。

 私にとって、ここは最高の物語の舞台だった。

 だというのに、人は彼らがもたらした物を受け入れた。その結果が、これだ。

 誰がこんな世界を作ったんだろうか。

 勇者か、向こう……異なるどこかからの来訪者か、人か、神か、それとも運命とやらか。いずれにせよ、なんて悪趣味なのだろう。

 ああ、あの勇者は本当に勇者だった。この世は無意味だ。そんな悲観的な一言が、頭から離れない。

 彼の言う通り、終わった舞台は片づけなければいけなかったのだ。今はもう、ただ空虚で無意味な世界でしかない。

 今、この手の中にあるケーキも。文化を、文明を侵略された結果に生まれたものだ。忌々しくも愛おしい。その気持ちは、食べてからもさして変わ


 ……ケーキが美味しくて、どうでもよくなった。

ハーメルンに投稿したものです

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