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領主不在のウェーバー城で、物資を自ら届けてくれたリンゲル国王とその一行に対する歓迎の宴が開催された。
たくさんの負傷者とその世話をする者で、只でさえ人手が少なく、領主不在の中宴を開いている場合ではないと、アルフレッドが苦言を呈していたが、リンゲル国王からも司教を通して宴への出席要請があり、断るに断れない状況になってしまったのである。
そこで、アルフレッド救出の立役者であるスカイレットをアルフレッドがエスコートすることとなり、貴賓であるリンゲル国王の接待役は、リンゲル国王自ら私を指名してきたという。
司教に了承の返事をした瞬間、すっと部屋の気温が下がる。
どこか窓が開いていたかと、腕をさすりながら周囲を見渡すと、宴の開催に浮かれているスカイレットの横で、無表情に私を見つめるアルフレッドと視線がぶつかる。
その冷たい視線に、ああ、そうか、と納得する。
私に貴賓の相手が務まるのかと、あえて圧をかけて試しているのか。
私は、臣下として、主であるアルフレッドに恥はかかせないという意味を込めて深く頷く。
それを見たアルフレッドは、苦虫を潰したような表情をして私からすっと視線を外した。
「アルフレッド。私、ドレスなんて持ってないわ」
「でしたら、腕利きの職人を呼びましょう!宴が始まるまでには一人分くらい出来上がりましょう」
スカイレットのねだるような視線と司教の後押しに、アルフレッドはそうだな、と答える。
「気に入るものを作ってもらうといい」
眩しいくらいの笑顔を浮かべてスカイレットに告げるアルフレッドに、もう何度目かも分からない胸の痛みを感じる。
これまで、アルフレッドがエスコートするのは私しかいなかった。
だから、アルフレッドがドレスを贈るのも私一人。
それが、どんなに幸せなことだったのか。
もう、私だけのアルフレッドではないのだと、現実を突き付けられた気持ちがした。
準備のためにそれぞれが部屋を出ていく中、私の前でアルフレッドが足を止める。
恐る恐る顔を上げる私に、アルフレッドは周囲に聞こえない程の小さな声で呟くと、何事もなかったかのように部屋を後にした。
ーーー
「私の側を離れるな」
あの時、そう私に言ったアルフレッドは、金色のドレスに身を包んで踊るスカイレットをリードしている。
アルフレッドはこちらに背を向けているため、表情は分からないが、スカイレットは頬を薔薇色に染めて、嬉しそうに微笑んでいる。
ーーー「私の側を離れるな」
あれはどういう意味なのか。
側を離れず、ずっとスカイレットとアルフレッドの仲睦まじい様子を見とけと言うのか。
そんなに見せつけなくても、自分の立場は弁えているし、二人の障害として立ちはだかる気もないのに。
アルフレッドの色を纏ったスカイレットをエスコートするアルフレッドと、リンゲル国王にエスコートされる私に、いろんな憶測が飛び交うのも不思議ではない。
「そんな浮かない顔をしてどうされましたか?」
そう声を掛けられはっと顔を上げると、心配そうな顔をした、しかしなぜか無機質で感情の読めない瞳をしたリンゲル国王と視線が交わる。
「申し訳ございません」
接待中に上の空になってしまった大失態に、恥ずかしさで顔が赤くなるのを止める術を、私は知らない。
せめて見えないようにと、顔を俯けて小さく謝罪の言葉を述べるのがやっとだった。
あんなに、任せてとばかりにアルフレッドに応えたくせに、気を抜いた挙げ句こんな粗相をしただなんて、もう大事な仕事は任せてもらえないかもしれない。
いやでも、もう私は社交の場から出て、修道院にでも入った方がいいのだろうか。
そうしたら、アルフレッドとスカイレットが一緒にいるところをこれ以上見なくてすむし、修道院で薬湯を煎じていれば少なからず役には立てるだろうし…。
そんなことを必死に考えていると、頭上からくすり、と小さく笑う声が聞こえる。
「少しお疲れのようですね。これから静かなところで二人で休みましょうか」
え、と顔を上げると、口元は優しい笑みを浮かべているのに、瞳が苛烈な色を放つリンゲル国王が私を見つめていた。
その表情のちぐはぐさに恐ろしさを感じて、私は一歩後ろに下がる。すると、すぐさまリンゲル国王が一歩また間合いを詰め、それを何回か繰り返した後背中に冷たい壁を感じることで、いつの間にか壁際まで追い詰められたことに気づいた。
慌てて周りに視線を向けると、周りは全てリンゲル国の使者に囲われており、誰にも助けを呼べない状況となっていた。
それもそうだ。
圧倒的にソルシード公国の人数は少なく、しかもその少ない人員でアルフレッドを警護しているため、アルフレッドから少し遠ざかるとリンゲル国の陣営に入り込んでしまうのだ。
「ずっとあなたに興味があったんですよ、ティアリーゼ姫。
あなたの婚約者である皇太子殿下は、もはやあなたではない人を見初めたようだね。」
その言葉にギクリと身を強ばらせる。
分かっていたことだが、改めて他人に言われるとまた違う痛みが胸を刺す。
「そんな薄情な男はもう忘れて、私と一緒にリンゲル国へ行こう。きっと、あの皇太子殿下も厄介者の君が消えてくれることを望んでるよ」
「っ!」
そう囁くリンゲル国王の言葉に、首を絞められているかのように息ができなくなる。
「そ、れでも、…っ殿下に消えることを望まれていても、本当にスカイレット様が殿下の運命なのか、殿下が幸せになれるのか、確かめないと私はどこへも行けません!」
そう、私の幸せはアルフレッドの幸せ。
それは、私がアルフレッドの運命ではなくても変わらない、私の思い。
だから…ーーー。
「そこで何をしている」
地を這うような怒りを秘めた低い声が、一気にその場を支配した。
「アル…」
そこには、一切の感情を表情から消し去ったアルフレッドが冷気を纏って立っていた。
リンゲル国王に囲われていた私の腕を引き、自分の側へと寄せたアルフレッドは、冷たい雰囲気そのままに厳しい目でリンゲル国王に視線を向けた。
「リンゲル国王、これが私の婚約者と知っての狼藉か?」
怒れるアルフレッドにリンゲル国王は大袈裟に肩をすくめる。
「おぉ、恐い。興が削がれました。今日のところは引きましょう。姫、先ほどの話前向きに検討してくださいね。後程お迎えに参りますよ」
リンゲル国王からの視線が恐ろしく、思わずアルフレッドの裾を震える手で握りしめる。
体をずらしてリンゲル国王から私を隠すように動いたアルフレッドに、これまでのアルフレッドが帰ってきたような気がして、思わず瞳から涙が溢れる。
「これがあなたの要求に答えることはない。決して」
そう力強く告げるアルフレッドに、意味深に笑みを浮かべると、リンゲル国王は会場を後にした。




