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邂逅Ⅲ 【解答編】

 

 教主奪還作戦が、いよいよ翌日に迫った夜。俺はトーカの部屋に呼び出された。理由に心当たりはなかったが、ちょうどいい。

 俺にも、しておきたい話があったのだ。


「物語は素晴らしい」部屋に入ると、彼女は読んでいたらしい本をパタンと閉じた。「私には短い物語しかないから、特にそう思う」


「……本当に、覚えはないのか? 『日本』に」


 俺はその言葉を、この世界では通じない日本語で(・・・・)発音した。この数日間で、俺は確信しつつあった。

 ――言葉の意味は通じたのか通じなかったのか、トーカは曖昧な笑みを浮かべ、質問には答えなかった。


「今夜は、君の物語を聞かせてくれ。ルカ」


 呼び出した目的が俺の身の上話とは思えない。出鼻をくじかれた感はあったが、俺はトーカに促されるままに、話し始めた。誰かに話したってどうにもならないことは分かっていたが、透花と同じ顔の人間に対して、心を緩めていたのかもしれない。




 俺が生まれついた時の名は、神宮じんぐうルカという。父は神宮桐人きりひと。奴は科学者で、新興宗教の教祖で、そして悪魔のような男だった。「救済」と称し、信者を使って人体実験を行っていたのだ。自分の妻――俺の母親さえも、桐人は利用した。俺も何度か訳の分からないワクチンを打たれた。

 それが「教団」の実態だ。

 俺は施設を飛び出した。身の危険を感じたから、そして、そんな環境に耐えられなかったからだ。その後も随分無茶をしたが、なんとか私立探偵として食っていくことが出来た。

 そうして20年ほどが過ぎた日、俺はある依頼を受けた。忘れもしない。依頼人は金持ちの夫婦。宗教施設にいる娘を連れ戻して欲しいというものだった。

 元々はその夫婦が宗教にハマったのだが、抜け出そうとして娘を人質に取られたということらしい。無茶苦茶だ。

 その宗教団体は、神宮桐人が始めた、あの教団だった。俺は、ある種の使命感に駆られた。この手で教団の息の根を止めるのだと。その時俺は32歳。まだ青臭かった。

 施設の中は酷いもんだった。人がまるで家畜のように檻に入れられているんだ。身体中、斑点や爛れだらけの男が泣いていた。肌や髪、瞳が変色している女が叫んでいた。ほとんど人間の姿をしていない者が呻いていた。まさに地獄だった。

 その時だけは、親父への怒りも、使命感も、俺の中からポッカリと抜け落ちた。俺はひたすら絶望した。気付いたからだ。家を出ずに俺が親父を止めていれば、こんな地獄は生まれなかった。俺は逃げていただけだ。それは、とても恐ろしいことだった。

 依頼はこなした。碧い髪の少女を連れ出し、両親の元へ送り届けた。彼女が透花だった。

 施設は最終的に警察に踏み込まれ、教団の実態は公の知るところになった。世間の反応は過敏とさえ言えるものだった。教団は破滅に追い込まれ、桐人も行方知れずとなった。

 しかし暴徒化した信者のしわざで、橘家が放火に遭った。業火の中で夫妻は焼け死に、娘は死体さえ見つからなかった。俺は自分を責めた。くだらない使命感なんかを抱いて、周りが見えなくなっていたせいだと。最後の最後で、俺は依頼人を守り切れなかった。 

 絶望の淵にいた俺に生きる理由を与えたは、他ならぬ透花だった。

 数日後、俺のもとを透花が訪れた。彼女は奇跡的に助かっていたのだ。透花は自分の身を守るよう俺に命じた。そんな資格は俺には無いと、断った。そしたら、透花は魔法を使ったのだ。比喩でない。あいつは氷のナイフを魔法のように出して、俺の喉元に突き付けた。

 正直、怖くはなかった。本物のナイフでなら何度もそういう経験はあったし、その時は死んでもいいと思っていた。

 だが、気迫に押された。まだたったの18歳だというのに、両親と帰る家を同時に焼かれたというのに、彼女は強かった。

 俺は透花と暮らし始めた。




「そこからの5年間は、本当に充実していた。透花は作家としての才能を見出され、それを支えることに俺も喜びを感じていた」


 俺はあの日、暴徒に襲われてマンションから転落した日までをトーカに語った。彼女は伏し目がちに、じっと耳を傾けていた。

 トーカはしばらく何も言わなかった。俺も、もう話すことはなかった。

 時間の感覚がなくなってきたころ、トーカは静かに口を開いた。


「この数日間で、私は物語の持つ力の片鱗を垣間見た気がする。それは想像力がもたらす力だ。これほどまでに人の心に訴えかけるものを、私は知らない。

 今の国に必要なものだろう。一辺倒の教義だけでは、成し得ぬことだ。

 一方で、私はこうも思う。その力は諸刃の剣。想像の力は時に、その人にとって重い鎖の如き枷にもなる――」


 俺は、話が核心に近づいたのを感じた。


「君は、私が別の世界の人間、いや、『透花』本人だと思っているな?」

「ああ」


 その通りだった。俺は最初、透花のルーツがこの世界にあるのではと考えた。だが、透花に生き写しのトーカに会って、俺は考えを改めた。ただし、俺が会いたいと願う、23歳の透花とは違う。

 トーカは、18歳の透花ではないのか?




「さて――こういう仮説はどうだ。橘家が放火に遭った時に透花はこの世界へ飛ばされてきた。その時、彼女は記憶を失ったんだ。そして神殿の森で目覚めた。

 彼女は聖都へ向かう中で、俺同様に絶大な氷の魔力を得た。そして現在に至る」

「それだと時間軸がずれているぞ」

「そんなもの、世界が違えば意味はない」


 トーカは興味深そうに笑って、俺の仮説の後を引き継いだ。


「するとこういうことか。私は近いうちに『元の世界』へ戻って、5年前の君をナイフで脅迫すると……ふふ」


 彼女は、可笑しそうに微笑んだ。


「失礼、馬鹿にしたわけじゃないんだ。そういう未来なら、どんなに良いだろうと、仕様のないことを考えただけだ。君の妻になれるのは幸せなことだろう」


 トーカはしばらく薄笑いを続けていたが、不意に真顔になった。「だがそれはあり得ない」


「どうしてだ」

「君の仮説だと私は元々この世界の人間ではないということになるが、それだと説明のつかないことがある。それは我々と、君との違いだ」


 そう言ってトーカは、手首からバイタルボード・・・・・・・を展開した。……え。


「この世界の人間はみな、生まれた時からバイタルボードを持っている」


 ……すっかり見落としていた。俺の頭の中で、パズルのピースが嵌まるように違和感が解消されていった。そうだ、トーカは俺達と対面した時、自らを18歳だと言った。記憶喪失の人間が、なぜ年齢を覚えている? 答えは簡単だ。バイタルボードには年齢も表示される。

 さらに、先日聞いた話。トーカは神殿の森で目覚めた後、真っ暗な森の中を「手首の明かりで」進んだと言った。あれはバイタルボードのことだったのか。

 そんな、せっかく会えたと思ったのに――なんて落胆する気持ちは、しかし、俺の胸に湧き起ったりしなかった。むしろ安心しているといってもよかった。心のどこかでは、仮説の破綻に気付いていたのかもしれない。それは妥協に過ぎないのだと。トーカは別人なのだと。

 俺は急に疲れを覚えていた。椅子から立ちがる。


「もう遅い。休んでもいいか」

「待ってくれ、ルカ」


 トーカも立ち上がった。何かを決意したような、力強い表情だった。


「ルカ、私は君の鎖を断ち切ってやりたいのだ。私を――透花の代わりだとは、思えないだろうか?」


 心臓を掴まれたような思いがした。思わず目を伏せる。「どうして俺なんかを」


「分からない。だが君を見ていると、堪らなくなる。何故だか無性に守りたい気持ちになるんだ。瞳の奥に見え隠れする絶望の影が、私を冷静でいられなくする。


 お前が好きだ、ルカ」


 俺はその時の彼女がどんな表情をしていたのか、知らない。ついに最後まで、彼女の顔から目を背けたままだったからだ。


 部屋に戻る途中で俺は自問した。明日、この世界の運命が決まる。だが、俺はそのことを、本当に大事なことだと考えているのだろうか?


 いや、余計な思考は止めよう。ガーディスの独裁を覆し、教主に会う。会って転移の話を聞き出す。教主が知っていなかったとしても、他を当たればいい。


 俺はなんとしてでも、元の世界に帰る。なんとしてもだ。




 翌朝、今度はトーカが俺の部屋を訪れた。背後に武装した兵士を大勢引き連れて。


「勇者の名を騙る罪人よ。教主様の名において、貴様を処刑する」






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