邂逅Ⅰ
「ルカ様! 見えてきましたよ!」
土竜の姫・アリーシアが進行方向を指差した。強い風に煽られてフードが翻る。
「あれが聖都です。空路だとあっという間でしたね」
見ると地平線近くに、巨大な中世風の都市の姿があった。城壁が周りを囲み、中心部には城が見えている。リョーコがおずおずと尋ねてきた。
「旦那、どうします? そろそろですか?」
「ああ。降ろしてくれ」
教会の飛行船の攻撃を退けた後も、俺達は人攫いの船に乗っていた。もちろん檻なんかには入っていない。
ハーピィ達にはやはり事情があった。教会で強い権力を持つガーディスという司教に、人攫いを命じられていたというのだ。家族を人質に取られて。
完全に信じたわけではなかったが、彼女達はそこまで悪人にも見えなかった。俺は教会の所業に不快感を覚えていたし、空路なら土竜の追跡を完全に断てる。なによりアリスが許した。
こうして俺達は聖都に辿り着いた。
一旦船を近くの森に下ろしたが、問題は山積みだった。どうやって聖都内に入るのか、また、なんの対策もなく入っても大丈夫か。リョーコが教えてくれたのだが、聖徒の周囲は1キロにわたって、土に特殊な処理を施されているのだという。これでは土竜であるアリスは力を発揮できないし、まだ魔法を操り切れていない俺が彼女を守り切れる自信もなかった。
だがそれらは全て、否応なしに解決した。地上に降りてすぐ、大勢の教会兵士に包囲されたからだ。
聖都の中は、かなりの人で賑わっていた。いや、人だけではない。肌の色が違うのはもちろんのこと、獣の耳が付いたものや、エルフ、ドワーフ、様々な種族がいた。石畳に、石造りの家々。通りの両側には商店のテントがずらりと並び、売り主はみな威勢のいい声を張り上げている。
透花に見せてやれば泣いて喜ぶような、まさに異世界という光景だった。これが、縄でつながれ周りを兵士に囲まれていなければ、良い観光になっただろうか。
いや、アリスはこんな状態でも深く被ったフードの下で目を輝かせ、きょろきょろとあたりを見回している。形だけアリスの腰縄を掴んでいるエルフの女兵士も、やや苦笑しているように見えた。
確かに俺達は捕縛されていた。形式上は。
あの時、地上で待ち構えていた兵士たちの中から、リーダー格らしい騎士が進み出てこう言ったのだ。
「土竜の姫ですね。お待ちしておりました」
俺は違和感を抱いた。敵にしては、丁寧な対応ではないか。アリスは声に緊張を滲ませながらも、騎士に真っすぐ正対して、
「司教ガーディス様の命令ですか」
その名は、リョーコ達に人攫いを命じていたという人間のものだった。もし奴の手下ならば、ハーピィと奴隷達だけでも逃がす心づもりなのだ。俺はいつでも魔法を出せるように意識を集中させた。まだ出力調整は覚束ないが、何とかするしかない。
が、騎士の返答は思いもよらないものだった。
「我々は氷の聖騎士の配下。詳しく申し上げる時間はありませんが、あなた方の味方です」
一瞬の沈黙が訪れた。アリスの顔は窺えないが、その声は落ち着いていた。もしかして……。俺は騎士の意図が見えた気がした。
アリスも同じ考えに至ったようだ。
「いいでしょう。司教の目を欺くのですね?」
「もうご存知でしたか。恐れ入ります、姫。
シル、丁重にして差し上げろ」
1人の兵士が近付いてきて、俺たちに縄をかけた。だが、すぐにほどけるような結び方だった。教会も一枚岩ではなかったのだ。
街を抜けて、俺たちは城近くの屋敷へと案内された。邸内に入ると、すぐに縄はほどいてくれた。アリスはフードを「ぷはあ」と言いながら脱いで、付き添っていた女兵士に街のあれこれを問い始めた。やれやれ、好奇心の塊だな。
俺も詳しく事情を聞こうと、先ほどの騎士に近寄った、その瞬間。懐かしい感覚が蘇った。あの家の書斎で、彼女が冷えた缶ビールを、俺の頬にいたずらっぽく突き付けてくる、あの感覚。
この遠い世界で、会えるはずのない人の存在を、強く感じたのだ。
「……透花?」
俺は、空気を切り裂きながら飛来した物体を風の魔法で砕いた。一瞬遅れて、頬に冷たい破片が張り付く。氷の礫?
氷が飛んできた方向に顔を向ける。建物の入り口に、1つの影――。
「あはは、やはり止められたか! 凄まじい魔力だ」
「だ、団長! 何をなさるのです!」
その人物は、屋敷の中からゆっくりと現れた。俺はその姿に釘付けになる。彼女が歩くたびに、碧く長い髪が揺れた。
「透花!」
それは、ずっと会いたいと願っていた妻の姿だった。
「トウカ? それだと簡易名のようだが、いや、試すような真似をしてすまなかった。
私はトーカ。聖騎士の1人で、ここの団長を務めている」
俺たちは屋敷の応接間に案内された。詰所も兼ねているらしく、屋敷内には兵士が大勢いた。部屋も、華美な装飾を排除した、実用的で簡素なつくりだ。
テーブルの向かいに座ったトーカが口を開いた。
「先程の扱い、誠に失礼をした、土竜の姫・アリーシア殿下よ。ああしなければ、あなた方は司教派に捕らえられていた」
「かまいません、トーカさん。私も氷の聖騎士様にお会いできて光栄です」
俺は自分の思い違いを認めていた。確かに、彼女は透花ではない。よく見れば、醸し出す雰囲気の違いに気付けるはずだ。
何というか、少し若い。聞く勇気は無いがいくつだろうか。
「それより、アリスでいいですよ、というか若くてびっくりしました! おいくつですか!?」
うお、こいつ恐れを知らんな。やけにはしゃいでいるが、俺に初めて出会った時の反応といい、王女のくせにミーハーなのかもしれない。
「はは……18だからそんなに若くもないよ。で、そちらは?」
「このお方は、伝説の勇者・ルーク様――」
「じゃなくて、ただの『ルカ』だ」
アリスが目を輝かせて語りだそうとしたので、俺は遮って、経緯をかいつまんで述べた。俺がこの世界の人間ではないことや、なぜか道中で強い魔法の力に目覚めてしまったことも。
「ふむ、貴殿がこことは異なる世界の人間であるにも関わらず、強大な魔力を持つに至った理由か……。そのような話は聞いたことがないな。やはりルカ殿は伝説の――」
「だから違うって」
「はは! すまん。それも非常に興味深い話ではあるが、まずは本題に入らせてもらう。
アリス、実は開戦を避けたいのは、我々も同じだ。それは教主様の御意志でもある」
トーカの話は、それこそ興味深いものだった。教主は、地上を治める教会という組織のトップだ。その人物は国の象徴的な存在で、実際の統治は数人の司教が合議で行っている。
しかし近年、急速にそのうちの一人であるガーディス司教が強い権力を持ち、政治を牛耳っているという。その政策が、何故か土竜を目の敵にするようなものばかりなのだ。地揺れは土竜の仕業だという風説を広めさせり、土竜に戦いを仕掛けたり……。
そんな状況に対して軍を司る聖騎士達が手をこまねいているのは、ガーディスが教主を半ば幽閉し、実質的な人質としているからだ。
「私は、教主様の密命を受けている。土竜の姫と接触し、戦争を未然に食い止めること、そして、堕落した司教を追放することだ」
トーカはアリスに向かって真剣な眼差しで話し続けた。
「聖騎士の間でも、開戦については意見が分かれていた。だが先日、『功を急いだ聖騎士が土竜の姫を討伐した』という情報を得てな。奴隷船ごと撃ち落としたと聞いたが、真偽を確かめるため偵察部隊を送ったのだ」
教会の船を炎で追い払った時のことか。相手の生死も確かめずに、しかも反撃を許しておきながら、手柄を吹聴するとは。間抜けなやつがいたものだ。
「神は我らに味方した。これで司教の悪事を暴くことができるだろう。力を貸してはくれまいか」
俺とアリスは視線を交わした後、力強く頷いた。アリスは戦争を避けるために、俺は囚われの教主から元の世界へ戻る手がかりについて聞き出すために。
そして、このトーカとの邂逅が、物語を加速させたのだ。