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少女の願いⅠ

 

 遠い昔、かの地では伝説の勇者が存在した。

 今日に繁栄している人間、獣人、竜族、その他多くの種族がまだ別たれる前。厄災が世界を襲った。厄災は7日間で世界を覆いつくし、おびただしい数の生命が失われた。

 その時、勇者が現れた。勇者は厄災に立ち向かい、世界は破滅を免れた。

 平和な世を見届けると、勇者は永い眠りについた。再び世界が危機にまみえる事があれば、必ず立ち向かわんと言い残して……。




「よし、これで行く! やっぱ王道が一番!」


 芝居がかった低音で原稿の冒頭を音読していた透花は、一転していつもの幼い声で宣言し、「てなわけで、本日のお仕事終了!」俺に飛びついてきた。柔らかい頬が押し当てられる。

 俺は咳ばらいをして、年下の妻のおでこを指でチョンと突っついた。


「こらこら。いいのか、『先生』」


 彼女は橘透花、23歳。新進気鋭の売れっ子ラノベ作家だ。俺は彼女の夫で、橘ルカ。今年で38歳になる。主業の傍ら、透花の秘書もやっている。暮らし始めた頃には、まさかこんな幸せな関係を築けるとは思ってもみなかった。彼女は、俺の冷え切った心を温めてくれた。


「固いこと言ってると、せっかくの良いおっさんが台無しだよ?」

「それ褒めてないよな」


 緑がかった青色の髪をくしゃくしゃと掻き回すと、透花はわーきゃーと悲鳴を上げ、


「おのれルカくんめ、食らえー!」


 ぬるくなっていた缶ビールに手を伸ばし、俺の頬にくっつけてきた。


「つ……冷たいって」


 悪戯っぽく笑う透花から缶を受け取って、グビリと飲みほした。やっぱり冷えた(・・・)ビールは上手いな。


「旦那様の名前はダーリン〜」


 透花が妙なメロディーを機嫌良く口ずさみ始めた。俺は彼女の華奢な身体に腕を回したまま、頭の中でスケジュールを広げる。確かに、締め切りまでには余裕がある。しばらくの沈黙の後、俺と透花は唇を合わせて――。

 ぐらり。


「わ」


 本棚がカタカタと音を立てた。透花を覆い隠すように抱きしめる。揺れはしばらく続いて、やがて収まった。蛍光灯の紐だけが取り残されたように揺れている。


「……びっくりした」

「ああ」


 震度4はあっただろうか。地震大国・日本に住んでいる以上は仕方ないのかもしれないが、タイミングというものがあるだろう。良いところだったのに。

 仕切り直そうと思ったのだが、揺れのせいで、脳内に埋ずもれていた記憶が顔を出したようだった。


「ちくしょう、忘れてた」

「なにを-?」

「切らしてただろ。そこのコンビニで買ってくる」


 透花は察したようだった。あ、ありがと、と頬を赤らめる。暮らし始めて5年になるが、たまに不意打ちのように初々しい部分が顔を出すのだ、うちの奥様は。


「じゃあルカくん、先にシャワー浴びてるね」

「おう」


 ジーパンの尻ポケットに財布を突っ込んで、ベッドから立ち上がる。部屋を出る前に、もう一度透花と口づけを交わした。

 夜の町は、すっかり静まり返っていた。生まれ故郷を離れて各地を転々としてきたが、ようやくこの田舎町に落ち着いた。ここは住むには丁度いい。さっきの話ではないが、子供だっていずれは――。

 階段の踊り場で、サラリーマンらしき男がうずくまっていた。具合悪そうにお腹の辺りを押さえている。


「おいあんた、大丈夫かい?」


 嫌な予感がした。急いで駆け寄ると、案の定、男はばね仕掛けのような勢いで襲いかかってきた。目は血走り、口の端からは涎がはみ出している。

 男が突き出したナイフをかわし、手首をひねり挙げる。軽い金属音が階段を転げ落ちていった。


「やっぱり、嫌な予感には従うに限るな。

 おい、どこの差し金だ」


 私立探偵だった頃に恨みは山ほど買っている。透花に限って大丈夫だとは思うが、一応様子を見に戻るか。

 そう呑気に考えていたら、ごきっ、と嫌な感触がした。おいマジかよ。男は肩が外れたまま、凄まじい力で俺を跳ね飛ばそうとしてきた。慌てて押さえこみにかかる。

 ここまでヤバい薬となると……もしかして「教団」か!

 昔の嫌な記憶が蘇りかけた時、足が地面から浮いた。下から突き上げるような衝撃に見舞われたのだ。地震! さっきよりも大きい――。

 気付いたら、俺は空中へ放り出されていた。真っ暗な空が、視界に広がる。ここは7階だ。まず助からない。

 いや、そんなのはダメだ。すぐに帰らないと。あいつが待っている。俺は絶対に家に帰るんだ。透花の待つ家へ! 透花――!

『ルカくん!』

 聞こえるはずのない声が響いたかと思うと、あっという間に俺の意識は途切れたのだった。




 次に目が覚めた時、俺は森の中で横たわっていた。


「ここは……」


 眩しさに目を細める。もう昼か。俺は、どうしてこんな所で寝ている。それに今、何かがおかしかった気がするが、頭が働かない。


 起き上がってみると、辺りは一面の木々。寝ていた場所には、上質そうな絨毯が敷かれていた。見たことのない模様だ。

 とりあえず身体は動くようだが、知らない場所だった。マンションの階段から落ちて、ここまで連れて来られた? だが拘束はされていない。こんな時間まで放っておいたのも解せない。そもそも、あんな高さから落ちて無傷でいられるものなのか。

 俺は死んだのか?


「あ、お目覚めになったんですね」


 背後から声。飛び退くと、フードを被った子供が立っていた。幼稚園児くらいの女の子だ。こんな子供を差し向けるような外道など、「あいつら」以外考えられない。


「お前、『教団』の――」


 しかし俺は、続きを口にできなかった。俺は今、何と言った?


「? 私が、勇者様をここまで連れて来たんですよ。今の神殿は危ないですから」


 絨毯を敷いたのもこの少女か。いや、そんなことよりも。

 少女の言葉は、俺が全く知らない言語だった。それにも関わらず、信じられないことだが、俺はその言語の意味を理解できていたのだ。

 あまつさえ、自分でも無意識にその言語を使っていた。言おうとしたことが勝手に変換されていたらしい。さっきからの違和感の正体はこれだった。

 また妙な薬かワクチンを打たれたのか?


「お前は何者だ」


 やはり自然体で話すと、この知らない言語になる。というか、さっき何て言った。神殿? 勇者だと?

 しかし少女は質問には答えなかった。


「説明は後です。追っ手が来るので、早く離れないと――」


 ひゅっ。

 鋭い音が耳を掠めた。一瞬遅れて、近くの樹皮が弾け飛んだ。考えるよりも先に身を伏せる。狙撃?


「ええ、嘘!? どこまで追いかけてくるの!?」


 少女の視線の先を見て、俺は唖然とした。何の冗談だ……。

 そこにいたのは、茶色の巨人。3メートルはあろうかという体躯は、ゴツゴツした鎧で固められている。ゴーレムと呼ばれる土人形だった。透花のラノベにも良く登場する。


「――」


 少女が呪文の様な言葉を唱えた。対応する言葉を挙げるなら、「(ニードル)」? その瞬間、地面から無数の針が伸びていってゴーレムを襲う。だが鎧に阻まれ、先端は脆く崩れた。あれは土が伸びて出来たものなのか。


「跳びますよ!」

「なに?」


 少女は俺を抱えると、木の上へ軽々と跳躍した。なんて力だ。それにあの土。まるで魔法だ。

 次の瞬間、俺達のいた地面が弾け、細い煙が上がった。さっきのはこれか。熱光線だろう。

 その時フードがめくれて、少女の顔が露わになった。俺は思わず息を呑む。

 俺を枝に残し、彼女は再び地面へ降りた。片手を地に付け、また呪文を叫ぶ。


(クエイク)!」


 今度は大地が揺れた。振り落とされないよう、必死で枝を掴む。地面が割れ、ゴーレムは体勢を崩した。少女はその隙を逃さず、土の針を足掛かりにして飛ぶようなスピードで間合いを詰めた。


「安らかに眠りなさい――あなたの役目は終わったの」


 少女がゴーレムの額に木の枝を突き立てると、瞳から光が失われた。あたりが静けさに包まれる。


「……なんだよ今の」


 そこで、俺も気を抜いてしまった。不安定な枝の上にいることも忘れて。

 また俺は、地面に落下した。したたか腰を打つ。


「だ、大丈夫ですか、勇者様!?」

「ああ。ありがとう」


 この痛みでは、くたばった訳でもあるまい。俺は、現実を受け入れ始めていた。

 見たことのない森。知らない言語。勇者。ゴーレム。魔法……。

 透花の秘書をやって、予備知識があったからまだ冷静でいられるんだろう。つまり、ありえないことだが――


「異世界転移?」


 日本語のままで呟いた言葉に、目の前の少女は首を傾げた。同時に、フードの下に隠れていた二本のつのも傾ぐ。

 これが土竜の少女、アリーシアとの出会いだった。






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