決着
その日の晩は満月だった。深夜の零時を過ぎた頃には全ての原罪者が絶滅した。日本だけではなく、全世界から姿を消したのだ。全ては羽柴朱朔の宣言していた通りである。バベルは地表を隅々まで汚染し、再び文明を塵に変えた。この戦争の終止符は、一つの歴史の終止符でもあった。
――――インダルジェンスは世界に勝利した。
風音とありさは走り続けた疲れを癒すため、錆びたベンチに腰を降ろしながら星空を眺めていた。二人の目の前には、ブランコや滑り台の残骸らしきものが転がっている。おそらく、ここは公園の跡地なのだろう。遠方から、一機の航空機が近づいてきた。それはゆっくりと下降し、大きな物音を立てながら風音たちの側に着陸する。この機体は反逆の会の航空機だ。
機体の出入り口が開き、ミステリアスな雰囲気を醸す美男子が姿を現した。二人はこの男をよく知っている。彼は羽柴朱朔――――世界への復讐を成し遂げた男だ。朱朔は風音たちの方へと歩み寄り、話を切り出した。
「こんばんは、風音さん。いかがお過ごしでしたか」
「人が死んでいくところを何度も目にしたよ。はっきり言って、気が狂いそうだった」
「思ったより冷静ですね。僕はあなたに殺される覚悟を持った上でここに来たのですが……」
どうやら、命知らずはありさだけではないらしい。彼も死を恐れない辺り、反逆の会には危険を冒すことをためらわない人間が多いのだろう。一方で、反逆の会と対立してきた風音もまた自らの命を賭す性分だ。今この場には三人の命知らずがいるが、敵への殺意を抱いていない者は一人だけだ。
「アンタを殺したところで、平和な日常は戻ってこねぇだろ」
それが風音の言い分である。復讐心を晴らすためだけの殺生は、彼女にとっては無益な殺生に他ならないらしい。それは復讐のためだけに全地上の文明を滅ぼした男にとって、あまりにも理解に苦しむ考え方だった。朱朔は柔らかな微笑みを浮かべつつ、彼女への質問を続けていく。
「確かに、僕を殺しても失われた命は蘇りません。しかし、それはあなたが僕を殺さなかった場合でも同じことです。あなたは僕を憎んでいるのでしょう。怒りや憎しみから解放されたいとは思わないのですか」
「オレたちは全員同じだ。原罪者もインダルジェンスも、アンタもオレも、遥か大昔の先人の被害者だろ。そして、その共通の敵はとっくの昔に死んだんだ。もう、誰にもどうすることも出来ねぇよ」
「原因と責任を混同していませんか。たとえ先人に原因があったとしても、僕や原罪者にも責任は付きまとうはずですよ」
曲がりなりにも、彼は己の行動を是とはしていないようだ。反省の色があるか否かは別として、この男には責任の伴うようなことをしたという最低限の自覚があった。風音の目に映る彼は、まるで許されることを拒んでいるかのようだった。守りたいと思っていた世界を奪われた以上、少女の気が晴れることはないだろう。しかしお人好しな彼女は、この期に及んでもなお相手を許してしまうのだ。
「悪いな……オレは難しい話は嫌いだ。それに、オレはこれまで数えきれないほどの感染者をこの手で殺してきたんだ。アイツらには話が通じないし、そうするしかなかったからだ。けど、アンタは話が通じるはずだ。だから、オレはアンタを殺さねぇよ」
「やはり、僕にはあなたという人間が皆目理解できません。結局、あなたは原罪者に復讐せず、僕にも復讐しませんでしたね。教えていただけませんか……あなたは誰と敵対し、誰のために戦ってきたのかを」
「そんなこと、オレがいちいち考えてきたように見えるか? オレは……正しくありたいという欲望だけは人一倍持て余しておきながら、正しい選択を考えられるようなオツムや余裕なんかまるで持ち合わせちゃいねぇ……そういう煮え切れねぇ奴なんだよ」
己を善人だと思っていないのは、朱朔だけではない。風音もまた、自分が正義になりきれない存在であることを自覚していた。
朱朔は少しだけ間を置き、囁くような声でこう言った。
「世の中に、正しい選択を考えられる人間はいません。己の選択を後悔する人間と、後悔しない人間がいるだけですよ」
いつの時代も、選択を迫られる状況とは酷なものだ。それを理解していた彼も、実は一人で悩んでいたのかも知れない。その真相は依然として闇の中だが、彼の言葉が風音にとって暖かいものであったことだけは確かだ。
「やっぱり、アンタを殺さなくて正解だったな。アンタは世界をメチャクチャにしちまったけど、それでもただの人間だ。ほとんど無人の惑星と化しちまった地球上じゃ、アンタは数少ない温もりの一つだよ」
「僕がクーデターを起こさなければ、世界には七十億の温もりがあったのでしょうね」
「そうかもな。正直、オレは人間という醜い生き物が大っ嫌いだったけど……その多くが失われた今は、アイツらが掛け替えのない存在だったんだってことに気づかされたよ」
彼女の言葉には、数多の感情が入り混じっていた。その内容物は、彼女自身にも把握しきれない。心がオーバフローするような感傷に浸りつつ、風音は夜風に吹かれていた。




