約束
あの病原体は宇宙船が撃ち落とされた直後に宇宙から飛来してきたため、誰もがあの騒動は機械の要塞の仕業だろうとにらんでいた。病原体は恐らく人類が宇宙の果てを目指したことによって撒かれたことから、バベルの塔の物語を彷彿とさせるとされ「バベル」と命名された。同時に、遠く離れた銀河に漂っていたかの要塞は、地球にバベルを送り込んできたことから「バベルの塔」と呼ばれるようになった。
そして今日――――風音たちの通う学校は、バベルの感染を恐れて臨時休校となった。思わぬ休日を勝ち取った風音は上機嫌で笑顔を浮かべ、電源ボタンと接続端子のスロットだけが備わっている小さな板を手に取った。
この板の正式名称はポータブル・プロジェクター――――この時代において最も世に普及している通信端末であり、端的に言えばスマートフォンのような役割を持つデバイスである。多くのユーザーは、この端末をポープロと呼ぶ。
風音が電源ボタンを押すと同時に、空中にはホログラムのような画面が映し出された。それを指先で直接操作しつつ、彼女はトークアプリを開いた。もちろん、彼女の話し相手が由奈であることは言うまでもない。
『起きてるか?』
『zzz』
『よし、起きてるな』
『うん』
時刻は朝の八時頃だった。すでに、由奈は冗談を言えるくらいには目を覚ましていたようだ。風音は苦笑いをしつつも、彼女との会話を続ける。
『せっかくの休みなのに表を歩けないなんて、ちょっと損した気分だよな』
『そう? クラス一同が全員暇なおかげで、クラスで一番のイケメンくんと一日中おしゃべり出来るじゃん』
『イケメンの連絡先を持ってるなんて、由奈はモテるんだな』
『そのモテる女とやらを今もこうして独り占めしているイケメンくんには負けるよ』
『おい、もしかしてオレのことを言ってるのか?』
このように、風音は時に中性的な容姿をからかわれることがある。この手の冗談を言われ慣れていることもあり、彼女はただただ呆れていた。一方で、由奈は朝方であるにも関わらず相変わらず活気に満ち溢れている。
『当たり前でしょ。ちゃんと自覚を持たないと、無意識のうちに女関係で修羅場になるよ。子供を堕ろすとか堕ろさないとかでさ』
『ありえねーだろ。そもそもオレに金玉はねーよ』
『わかんないよ? 案外、風音に抱かれた子とかが心の妊娠をしちゃうかも知れないじゃん』
『心の妊娠ってなんだよ。キモすぎだろ』
身の毛がよだつような言葉に対し、風音は引きつったような笑みを浮かべた。しばらくは他愛のない話が続いたが、ここで由奈は真剣な話を持ち出した。
『ところで、真面目な話があるんだけど良いかな?』
『なんだ?』
急に文体の雰囲気を変えた彼女を前に、風音は少し身構えていた。二人は親友同士であるがゆえに、真面目な相談もできる仲なのだ。
『もし私が化け物になったら、風音はどうする?』
実現しないとは言い切れない話だ。自分たちが死と隣り合わせであるという現実を突き付けられ、風音は生唾を飲んだ。彼女は数秒ほど固まっていたが、おもむろにポープロを操作する指を動かし始めた。
『誰にも見つからねー場所に連れて行って、猟師とか軍隊に殺されねーように守ってやるよ。もちろん、バベルに感染したお前に近づけばオレも化け物になるかも知れないけど、それでもお前を守る意志だけは絶対に曲げねーから』
これが風音の答えだ。例え世界を敵に回すことになろうと、彼女は由奈を守るつもりでいるようだ。しかし、それは由奈の望む答えではない。
『それは嬉しいな。でも、私は化け物として生きるのは嫌なんだ。だから、もし私が化け物になったら、その時は見殺しにして欲しい』
それが彼女の望みだ。
『わかったよ。とりあえず、その日が来ねーことを祈るわ』
『ありがとう。できれば、風音には私が死ぬところを遠くから見ていて欲しいな』
『そんなところ、直視できるわけねーだろ』
『無理にとは言わないよ。でも、私が化け物として殺されたら、誰も私を鈴木由奈として認識してくれないじゃん。だから、風音には私の死に立ち会ってもらって、私の鈴木由奈としての死を認識しておいて欲しいんだ』
『わかった。それが親友の頼みなら、オレはそうするよ』
この日、風音は由奈が化け物になった際にその結末を見届けることを約束した。




