声しかしらない
顔も名も知らぬ相手に、ただひたすら焦がれる心をなんと呼ぶものか。
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始まりは全くの偶然だった。
とある王国のとある侯爵家に、使用人として仕える一人の子爵家嫡男がいた。
先の日に齢十七を迎えたその男、名をジュリオ・イオ・ポータザムという。
当番制の夜勤を終えた彼は、一度使用人棟へと戻り身を清めた後、裏門から静かに屋敷を抜け出した。
遠い田舎の領地をのんびりと治める故郷の、その素朴な味を求めて、ジュリオは時おりこうして秘密裏に平民街の食堂へと赴くのだ。
何くれと大らかな辺境と違い、多様な貴族家の集う王都において、仮にも子爵家の跡継ぎが通うには、少々ばかり体裁の悪い行き先である。
ゆえに、彼はあえて表通りを避け、高い塀に囲まれた細道を選び歩いていた。
その途中、ジュリオが珍しくも足を止めたのは、ある歌声を耳に留めたからである。
それは、朝という時間帯にそぐわぬ、穏やかで慈愛に満ちた乙女の子守唄。
ここがロナイェッテ伯爵家の敷地に面する路地であることを考えれば、可能性が高いのは屋敷に従事する侍女であろうかと、彼は音を追って閉じた瞼の奥で思考する。
吟遊詩人や歌劇役者のような突出した上手さはないが、奏でられる彼女の声は不思議とジュリオの心に深く染み入った。
さながら降り注ぐ癒しのような、そんな歌に、彼は本来の目的すら意識の彼方に置き去りにして、やがては迎えるであろう終わりの時まで、じっとその場に立ち続けていた。
この日を境に、ジュリオの外出頻度は歴然とした差をもって上昇することとなる。
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とある王国のとある伯爵家にて、その長女として生を受けた一人の女がいた。
名を、アルレイシア・ウェス・ロナイェッテという。
別段突出した特徴もない極々ありふれた令嬢である彼女は現在、己の父の同派閥であるドバラネドラ侯爵家の夜会に招かれ、その会場をあてどなくさ迷っていた。
ロナイェッテ伯爵は男児に恵まれず、齢十六になるアルレイシアと、その三つ年下の妹パオラの両名のみしか子が存在しないため、未だ男尊女卑の著しい貴族社会の中で主家の存続を望むのならば、婿取りが必須とされている。
彼女はそんな自家の跡取りに相応しい男性を探すためとして、デビュタントを果たした二年前より現在まで、父の指示で数多くの夜会に出席させられていた。
とはいえ、それは実の娘を己が駒と認識し命令するようなものではなく、単純に、添いたいと想うような相手を彼女自身で見つけられるように、という親心からくるものである。
ロナイェッテ卿は、貴族筋には珍しい子煩悩な父親だった。
必要なこととはいえ、どちらかといえば内気な性格であるアルレイシアは、他家の娘たちのように積極的に男性に向かっていくような気概も持てず、さらに彼女に声をかけてくれるような奇特な令息たちの中にもこれといった感情を抱くことができず、ただただ無為と思われる時ばかりを過ごしてしまっている。
優しい父の意向に沿えない自分自身の不甲斐なさに落胆しながら、アルレイシアはその罪悪感から逃れるようにして、ベランダのひとつへと足を進めた。
夜の空気に当たって、陰鬱な方向にばかり行きかけている気分を僅かでも変えられればと思ったのだ。
ほんのひとつ扉を越えただけで、会場の喧騒がまるで夢の世界から起き出す時のように、ぼんやりと遠のいていく。
小さく息を吐き、彼女は人目につかぬ位置で手すりに軽く身を寄せた。
はしたないことだと分かってはいたが、今は心と身体の疲れが勝った。
闇より来訪する風が、ドレスから露出したアルレイシアの白い肌を無感情に撫で冷ましていく。
そのままボンヤリと朧に浮かぶ夜月を眺めていると、ふと、どこからかとても馴染みのある歌が彼女の耳に届いてきた。
アルレイシアが屋敷で妹にせがまれてよく歌っている、王国民ならば誰もが知る古い古い子守唄だ。
おそらく男性のものであろう低く艶のあるその音色に意識を寄せれば、なぜか彼女は唐突に心臓を掴まれでもしたかのような、不可思議な錯覚に襲われてしまう。
声に誘われるようにして手すりから身を乗り出し、階下の庭園を伺うも、そこには人影ひとつ見当たらない。
どこか近接の廊下や部屋の、開け放たれた窓からでも零れ落ちているのだろうか、と考えて、アルレイシアは視線をあちこち忙しなく動かし続ける。
けれど、必死の捜索空しく、夜の闇に溶けて混ざりそうな優しくも色めいた歌声は、それからすぐに聞こえなくなってしまった。
果たして歌の主はドバラネドラ家の縁者か、それとも夜会の参加者か。
素性も知れぬ男を相手に彼女自身なぜそこまでと困惑しながらも、アルレイシアはあの一夜の声を求めて侯爵家の招待を最優先に受け入れるようになる。
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もしも、かの歌が伯爵家のご令嬢によるものならば、あるいは今夜この屋敷を彼女が訪れるということも有りうるのだろうか。
そんな想像を頭に巡らせながら、ジュリオは社交シーズン始まって以来の、もう何度目か数えることすら嫌になる夜会の準備作業に追われていた。
基本的に裏方仕事がメインの彼であるので、その仮定が現実のものとなったところで、声の主と遭遇する可能性など皆無に等しいのは本人も理解している。
まぁ、ごくごく稀に給仕係に回されることもあるが、その例外はあくまで不慮の事態が起こった際の非常時対応というものでしかない。
それでも、そんなもしもを考えるだけで、ジュリオの気分は自然と向上した。
実際には、ロナイェッテの侍女か、夫人か、令嬢か、家庭教師か、はたまた彼の想定し得ない他の誰かなのか。
初めて彼女の歌を心に受けたあの日から、早くも数ヶ月が経過してしまった現在まで、その正体は何ひとつとして明らかになってはいない。
ジュリオにも子守唄の乙女について知りたく思う感情はあるのだが、反面、この件については自身の内に秘めておきたいという思いも抱いており、それが伯爵家の情報を求める際の妨げになってしまっていた。
あるいは、彼は現実を知ることによって、夢が破れてしまうのを無意識に怖れていたのかもしれない。
そもそもジュリオの家格と釣り合う相手など、ロナイェッテには存在しないのだ。
夫人は言わずもがな、令嬢たちは辺境の子爵家程度の身では高嶺の花もはなはだしい。
また、仮に彼より数段身分の低い侍女を己の妾にしたとして、わざわざ何もない田舎に拘束させるのも気が引けたし、立場を弁えぬ者として周囲から責めを負うであろう乙女を、それでも確実に幸福にしてやれると言えるだけの自信も甲斐性もジュリオは持ち合わせていなかった。
ついでに、未だ空白の妻の座へと、いずれ据えられるはずの女性に対しても、不誠実かつ無礼な話であろう。
焦がれる気持ちがないといえば嘘になるが、それでも彼は現状に盲目であれるような男では……叶わぬ夢に溺れることのできるような男ではなかった。
大陸内でも特に長いと有名な王国の夜会であるので、それに伴って、使用人にも定期的な休息時間が与えられたり、職務によっては半ばで勤めを交代したりといったことが行われる。
これが普段からギリギリの人数で回しているような、ジュリオの実家のごとき弱小貴族であるならば、過剰な労働を強制されることもあるのかもしれないが、彼の勤める侯爵家においては、雇い入れている者の数は、むしろ余りあるといって差し支えないレベルだ。
常の通りに使用人頭から休憩を言い渡され、配給された賄い料理を手にジュリオは足早に現場を離れていく。
姦しい中での食事が苦手な彼は、同僚の集う休憩所を利用することなく、いつも適当な空き場所を探して館内をウロついていた。
使用人専用の薄暗い廊下を進みながら、無意識に例の歌を口ずさむジュリオ。
もちろん、いくら休憩中だからといって、夜会の開かれている屋敷内でとてもではないが推奨されるような行為ではない。
ただ、基本的には職務に忠実なジュリオでも、さすがに連日の追加業務で心身共に緊張状態が続いた後の気を抜いた瞬間には、不覚を取ることもあるというものだ。
彼が十代の若人であることを考慮すれば、まだまだ失敗などしない方がおかしい年齢でもある。
だからこそ、ジュリオは知る由もなかった。
それが奇跡的な偶然でもって子守唄の乙女と称する件の女性に聴かれており、彼女もまた、その声の持ち主を朧夜の君と名付け探し出そうとしているなどという事実を……。
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あの夜から数えて、すでに両手でも足りないほどドバラネドラ家を訪れていたアルレイシアだったが、末だ目的の人物を発見するには至っていなかった。
たった一度だけ、会場内で彼のものと思わしき声を聞いたような気がした日もあったが、結局、どれだけ長時間居座り歩き回ったところで二度は聞こえなかったことを考えれば、そもそもが彼女の思い違いであった可能性も高い。
けれど、幾度ムダ足を踏もうと、朧夜の君を探すことを諦めるという選択肢は、アルレイシアの中には存在しなかった。
彼女自身、彼にこうも執着する理由が分かっているわけではない。
また、実際に会って何がしたいのかすら、アルレイシアは考えていない。
唯一事情を話した妹には、とっくの昔に呆れられてしまっている。
それでも、今は見ず知らずの彼を追う以外のことを、彼女の心がさせてくれるとは思えなかった。
しかし、そうした日々を過ごす内にいつしか社交シーズンが終わりを迎えてしまっても、結論、アルレイシアが朧夜の君の正体を突き止めることは適わなかった。
さすがに次のシーズンまで今年のように彼を探すためだけに使ってしまっては、ただでさえあれだけ夜会に出席していながら、男の気配を全く漂わせない娘にヤキモキしているらしい両親を、またいたずらに案じさせることになりかねない。
それはいくらアルレイシアでも避けたかった。
そうした訳合で、あの歌との邂逅から一年という時をかけて、彼女はようやく彼を忘れようと決意したのである。
が、運命とはどうにも気まぐれなもので、朧夜の君の捜索を断念してから最初の、妹のデビュタントに付き合い参加した王城の夜会で、本当に偶然に偶然が重なり合った結果、アルレイシアはついにジュリオと出会ってしまった。
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そもそも、子爵家の跡取りであるジュリオがなぜ王都の侯爵家で使用人として働いていたのかといえば、これもまた、そのための勉強のひとつであるからだった。
王都から遠く離れた辺境の地にこもっているようでは、貴族間で暗黙の了解とされているような行為も学ぶ機会はなく、出席必須のパーティーなどで空気を読んだ発言ができずに敬遠されるようになるかもしれない。
いくら田舎領主といえど、それでは貴族生活は立ちゆかない。
ゆえに、まだ失敗の許されやすく、意識の凝り固まっていない若人のうちに、こうして高位貴族の屋敷に勤めることで、自然と都会での立ち回り方を覚えさせようとしているのだ。
また、そういった学びの一面のみでなく、場合によっては休みを利用し、子爵令息として相応の夜会に参加するなどして、婚約者と成りうる女性を探しても良いとされていた。
出会いの数は、当然のことながら辺境の比ではないだろうから。
さらに、彼の実家に限っていえば、無駄に子沢山なポータザム郷であるからして、食い扶持が一人減った上で、その給金から少なくない仕送りを受けられるともなれば、もはや何も言うことなどなかった。
現実とは、かくも世知辛いものなのである。
そんなジュリオも十八となり、そろそろ職を辞して故郷で本格的な跡目教育でも始めようかという頃合いに入った。
だからこそ、彼は社交シーズン開幕の場となる、王城で行われる最大級の夜会に、侯爵家の使用人としてではなく、子爵令息ジュリオ・イオ・ポータザムとして参加していたのだ。
遠い辺境からはるばる来都した父と共に、次代の領主として、親交ある貴族たちへと挨拶回りをするジュリオ。
いよいよ声も枯れようかという頃合に、ようやく主立った者たちへの顔見せも終わり、彼は一人、喧騒から離れようと外の庭園へ向かった。
よくよく逢い引きに使われていると噂の薔薇園を避け、特に見所もないが視界が広く人気のあまりない場所の腰掛けに身を落ち着ける。
疲れから閉じそうになる瞼を何とか制御しながら、ふと脳裏によぎるのは、やはり子守唄の乙女のことだ。
あと数日後には父と共にポータザムの地へ帰郷を果たす予定となっているジュリオは、今後、もはや二度とは聴けぬであろう彼女の歌を想う。
思考の内で幾度と耳にしたソレを反芻すれば、いつしか僅かに彼の口が開いていた。
「怖れることはありません、夜の帳は天の慈悲。
おねむりなさい、愛し子よ。月はあなたを包むでしょう」
「願いましょう、やさしき夜を。大地はすべてを許すでしょう」
重なる歌声に、ジュリオは目を見開いて振り返る。
記憶の中のメロディと寸分違わぬその音を追って。
そして、息をのむ。
信じられないような思いで映した彼の視界の先に、柔らかな夕焼け色のドレスを纏った、かぐわしき妙齢の女性が一人、静かに佇んでいた。
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穏やかな姉と反対に、妹のパオラは快活で好奇心旺盛な娘だった。
初めての夜会だというのに、彼女はあっという間に空気に馴染んで、同じくデビュタントを迎えた少女らと煌びやかな会場をあちらこちらと楽しんでいる。
そんな妹の姿を遠目に見守りながら、アルレイシアはグラスを片手に壁の花と化していた。
止めなければと思いつつも、彼女の耳は無意識に飛び交う声を拾っていく。
それに気付いて、音を振り払うように小さく首を振るという動作を、もう何度も繰り返していた。
ふと思考を戻せば、妹が幾人かの少年少女らと連れ立って、庭園へ向かう姿が目に入る。
ハッとして、アルレイシアは早足で彼らを追いかけた。
例え水を差すようでも、密会の場として暗黙の了解となっている薔薇園には近付かないよう、姉として忠告しておくべきだと思ったからだ。
中には知っている者もいるかもしれないが、未だ年若く男女間の駆け引きに疎いはずの彼らであれば、正しく意味を理解できていない可能性だって低くはない。
妹たちが踏み込むには、あそこはまだ早すぎる世界だ、と彼女は焦りと共にヒールを鳴らす。
もっとも、内気な性質のアルレイシア自身にしても、そういった方面の話について詳しいとは言い難いのだが……。
しかし、急ぐ、といったところで貴族令嬢がまさか駆けるわけにもいかないので、庭園にたどり着いた頃には、彼女はすっかりパオラの姿を見失ってしまっていた。
一人ならばいざ知らず、集団で行動しているので早々無体を働かれるということはないかもしれないが、だからといって、教育に悪い現場に立ち会わせてしまうのも可哀相であるし、覗き見てしまったソレに対して彼らが軽率にも横槍を入れるような真似をすれば、相手によっては大きな問題に発展しかねない。
まず薔薇園を優先して探すべきかとも思うアルレイシアだが、危険度でいえば、相応に年頃かつ独りの彼女の方が高く、すぐに足を踏み出すことができなかった。
そうして逡巡している内に、まさにその薔薇園の方角から、どこか慌てたような様子でパオラたちが戻って来る。
それを見て、すでに問題が起こってしまった後かと、アルレイシアは血の気の引く思いがした。
いくら自身の決断力のなさを悔やんでも、事が過ぎてしまった今となっては、もう遅い。
距離が縮まることで姉の存在に気付いたパオラが、集団から離れて近寄ってくる。
妙に興奮したような雰囲気の彼女が言うには、薔薇園に入る直前で妖艶な貴婦人に引き留められ、今から行こうとしているソコがどういう場所かを丁寧に教えてもらい、揃って顔を真っ赤にして引き返してきた、ということらしい。
とんでもなく美貌の女性だったと、どこかズレた感想を漏らす妹に、大きく安堵の息を吐くアルレイシア。
名は聞きそびれてしまったとのことだが、パオラたちを無事に帰してくれた親切な貴婦人に対し、彼女は心の底から深く深く感謝した。
その後、改めて庭園を周る際の注意事項や見所を説明して、アルレイシアは小さく手を振る可愛い妹を見送った。
そんなこんなで、ほんの十数分の間にかなりの精神力を消耗してしまった彼女は、どこか休憩のできそうな場所を求めて、パオラたちとはまた別の方角へ、ゆっくりと歩き出す。
その先で、よもやアレだけ探して見つからず仕舞いであった朧夜の君の正体を知ることになろうなどとは、思いもせずに……。
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あぁ、ダメだ、とジュリオは思う。
彼女の装いを見ればその正体は明らかで……けれど、もはや身分差ごときで止められるほど、彼の衝動は生易しいものではなかった。
心の泉から愛しいという感情が無限に湧き出で、冷静であろうとする思考を端から狂わせていく。
たった今、出逢ったばかりの相手だというのに、末だ言葉すらまともに交わしてはいないのに、すでに離れがたいとはどういうことか。
そして、一目で分かった。
事情など知る由もないが、彼女もまた、ジュリオを探していたのだと。
かけるべき言葉が見つからず、ただ熱い視線を送り続ける。
それを受けて、令嬢は薄っすらと頬を紅潮させ瞳を潤ませつつ、やがて彼に震える声を投げかけてきた。
「あ、あの……わ、私、ずっと、お会い……したくて……」
当然ながら、告げられた言葉に対する心当たりなど、ジュリオにはない。
だが、そのような些事を気に掛けることは、もはや不要のものであるように思えた。
「貴女に、触れる許可を……いただけませんか……」
発言の前に一瞬だけ彼がきつく顔を顰めたのは、果たして、諦めのためか、決意のためか。
ゆるく伸ばされた彼の右腕を追って、彼女が視線を下方に移す。
ジュリオとしては、手を軽く重ねるだけでも充分に贅沢で、そして幸福なことだろうと思っていたのだが、次いで、令嬢が無言で上げた白く細い二本の腕は、気が付けば彼の身体を包み込んでいた。
驚いたのは一瞬で、抱き返したのは無意識だった。
そうした彼女のことを、はしたないとは思わない。
むしろ、こうすることが自然だと、あるべき形だったのだと、ジュリオの心が歓喜していた。
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ただひとつ、歌声だけを頼りに焦がれ続けたジュリオとアルレイシア。
邂逅を果たした今もまだ、彼らは互いの名すら知りはしない。
それでも…………。
確かに二人は、その身の全てで愛し合っていた。
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「アルレイシア。
長女のお前が何もあのように辺境の子爵家などに嫁がずとも、家格のつり合う婿のあてなどいくらでも……」
「親不孝な娘で申し訳ありません、お父様。
けれど、私はどうしてもジュリオ様が……いいえ、ジュリオ様でなければダメなのです。
どうか、お願い致します」
渋る父へ、アルレイシアは凛とした態度で深く頭を下げた。
小さな頃から大人しく、両親の言葉に逆らったことなどない従順な娘が、こうも真っ向から反してくるとは、とロナイェッテ卿は小さく唸る。
いくら嫁いだ先での苦労が目に見えているとはいえ、ここまでの決意を見せられては、我が子を愛する父としては、かける言葉も見つからない。
妹のパオラと違い、心を内に閉じ込めがちな娘だからこそ、手元に置いて、何くれと気を回してやるつもりでいたのだが……それが今や、この通りである。
「せめて、その男を婿に取ることは出来ないのか。
確か、ポータザム子爵には、他に二人ほど男児がいたはずだろう」
「それが、上の弟君は昨年すでに懇意であった男爵家へ婿入りされておりまして……。
末の弟君は、剣術に関しては天賦の才をお持ちとのことなのですが、学術の方は、その、伺ったお話では……三桁の乗算すら危うい、と」
「そうか……」
「はい」
ガックリと肩を落とすロナイェッテ卿。
貴族の義務だと言って、別の男との婚姻を強硬してしまうことは、けして不可能ではない。
が、問題のない相手であったとはいえ自身も恋愛結婚を果たしている卿からすれば、好意のない異性を一方的に押し付けようという気にもなれなかった。
「もう、いい加減に観念なさいな、アナタ」
「お姉様の代わりに私がいくらでも良い婿を連れて参ります、と、もう何度も申し上げておりますのに。
それとも、お父様は私のような娘が選ぶ男性は信用できないとおっしゃるのかしら?」
「い、いや……それは……」
何より、彼の妻も、次女のパオラも、アルレイシアが遠く辺境へ嫁ぐことに反対どころか、諸手を挙げて賛成している有り様なのだ。
だからこそ、こうして単独、説得という名の駄々こねを重ねているわけだが、愛を得た娘を前に、その効果は言わずもがな、というものであった。
「……お父様」
「くぅっ」
当然、最終的に折れたのはロナイェッテ卿である。
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こうして、ジュリオとアルレイシアの二人は、数ヶ月の準備期間を経て、八方無事に夫婦として結ばれた。
後にポータザムを継いだジュリオは、領地経営に勤しむ傍ら、妻となった彼女を生涯変わらず溺愛し続けていたという。
また、その妻、アルレイシアも、過ごしてきた環境の違いもあり全く苦労をしなかったということは有り得ないが、それでも健気に最愛の夫を支え続け、なぜか新しく家族となった者たちや使用人や果ては領民に至るまで、やたらめったら愛されながら、幸福の内にその生涯を終えた。
互いの歌声に誘われ結ばれたジュリオとアルレイシア。
いうなれば二人は、そう…………きっと、運命の恋をしたのだろう。
おわり
その後の小話↓
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