10.黒幕
「こちらです! 急いでください!」
「この方向は……公園のようですね。街の住人に被害は?」
「運よく人のいない時間帯でしたので被害の報告は受けていません」
兵士の案内で魔物が現れた現場へと急ぐ。街中ということで住人達のことが心配になったが、まだ報告がないということで少し安心できた。だが問題の根本が解決したわけではない。
「……あ、あそこです!」
「あれはオーガ? いや、上位種かもしれません」
「オーガ!」
名前だけは書物で読んで知っている魔物の名前に、こんな状況でありながらも好奇心が湧く。テッドが相手にしているのは屈強な男、だがその男の様相は人間とは思えなかった。
著しく盛り上がった筋肉は赤黒く変色し、まさに鋼のような印象を強く与える。顔は険しく睨み付けるような面持ち、目は真っ赤に充血、というよりも血の色に染まっていると表現したほうがしっくりくるだろう。だが何よりもその額から生えている一本の突起だろう。まさしく角だった。
「テッドさん、優勢ですね」
「ええ、元々素質はありましたから。ですがあのオーガ、どこか不自然です。本来ならばもっと動きにキレがあると思うのですが……」
先生曰く、オーガ本来の動きが無いという。そもそも僕にはオーガの動きというものがよく分からないのでどう判断したものか戸惑ってしまうが。
「オーガはその強靭な肉体を駆使して戦います。それゆえに我々人間の常識を逸脱した身体能力を保有しています。ですが……あのオーガはどこか我々に近いものがあるように見えるのです」
「あ、あの、実は……」
先生の言葉に案内役の兵士が動揺を見せながら話し始めた。そしてその内容は先生も僕も衝撃を隠せなくなるほどの内容だった。
「人間がオーガに?」
「は、はい。突然苦しみだして、その直後にあのような姿に……」
「何故そうなったのかということはこの際置いておきましょう。ですがおかげであの動きにも納得がいきます。本人が無意識のうちに人間としての枷にとらわれているのでしょう、ですがそれならば十分対処可能です」
身体は魔物になったが、人間としての深層意識のようなものが魔物としての身体の本来の能力を発揮させていないということだろう。いくら身体能力が魔物のものでもその動きが人間のものでしかないのであれば、十分対処できるということか。
「先生! ここは俺に任せてください!」
先生に気付いたテッドがオーガの豪腕の一振りを屈んで躱すと、大きく飛び退いて距離を取って叫んだ。それを聞いて先生は大きく頷いている。
確かにテッドの動きは素人の僕の目でもオーガと十分に渡り合っている。しかもテッドにはまだどこか余裕があるようにも見える。奥の手があるのかもしれない。
「これで決着だ! 秘技影斬り!」
テッドが両手に持った短剣を交差するように構えると、姿勢を低くして技名を叫ぶ。と、突然その姿が掻き消え、オーガの影から漆黒の何かが飛び出す。それはオーガの身体の周りを高速で移動し、その度にオーガの身体からどす黒い血飛沫があがる。傷は見る見るうちにその数を増やしていった。
「あれは闇属性魔法の一つ、影渡りを応用した技でしょうな。身体強化による敏捷性の上昇と絡めたいい攻撃です」
影渡りは闇属性魔法の一つで、視認した影と影を移動できるというものだ。これにより近距離ならば全く音を立てることなく移動できる。魔法の一種だけあって、魔力を敏感に探知できる者であれば魔力の動きで感づくことができる。だがたとえ魔力感知で気付くことができたとしても、テッドのように敏捷性を大幅に上昇させていれば即座に対処されることも少ないだろう。
そんなことを考えているうちにオーガの傷は全身に広がり、そしてついにはその太い首が大きく切り裂かれ、傷口から大量の血が噴き出した。オーガはしばらく棒立ちになっていたが、その巨体をゆっくりと傾け、仰向けに倒れていった。倒れたまま全く動く気配を見せないので、これで完全決着だろう。
「これで終わりだ……」
『面白かったよ! 人間にしてはやるじゃない!』
ぱちぱちと手をたたきながら、場違いなほどに明るい声で少年が現れた。見た目は十歳くらいの子供だが、その異様な姿が決してただの子供ではないことを証明していた。その体に纏う独特の空気、特にその瞳に宿る濁った闇はおぞましさすら感じさせた。
【アルト様、アレは人間ではありません】
アオイの警告は僕の感じたことが間違っていないことを証明してくれた。少年はいびつな笑みを崩さないまま、オーガの死体の元へとやってきた。
『やっぱりこんな出来損ないじゃ大した結果は出せないねっ!』
少年がその細い足をオーガの頭に乗せると、軽々と踏み砕いた。決して力を入れているように見えなかったが、熟しすぎた果実を踏みつぶしたかのようにオーガの頭は破裂して内容物をまき散らした。
『君たち強いね! 御褒美に僕を愉しませる権利をあげよう。いや、これは義務だね。この僕を愉しませなければならないという義務だよ』
少年は歪な笑顔をさらに歪めて、大げさな身振りで僕たちに向かって言った。ここにいる皆はもう誰もこの少年が人間ではないことを理解した。そして先ほどのオーガよりはるかに強力な力の持ち主であろうということも。
『僕はオーガを統べる者、下々の者は王たる僕を愉しませる義務があるんだよ。さあ僕を愉しませてよ!』
少年が纏う空気がより濃密さを増し、その瞳に宿した闇が深くなる。皆が息を飲んで見守る中、少年は次第にその姿を変えていった。
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