9.ハイオーガ
襲撃者たちから得た情報により、一団を率いていた首領が公園に潜んでいるということが判明した。そして辺境伯から首領の捕縛ないしは抹殺の命を受けたテッドは配下を率いて公園へと急行していた。あれほどの手駒を使う首領、どれほどの実力を秘めているのか想像もつかない。
しかも潜んでいるのが公園というのが問題だった。スクーアの街が出来る以前からあったその公園は子供たちが遊ぶ憩いの場なのだ。そんな場所で戦闘にでもなればどれだけ被害が広がるだろうか。
「いた、きっとあいつだ!」
公園で石に腰かけているのはどこにでもいそうな男。そしてその男のそばに一人の少年が立っていた。テッドはすぐさま配下に止まるように指示を出した。
「まずい、今仕掛けてあの子供を巻き込む可能性がある以上、迂闊に手を出せん」
少年はその男が手を伸ばせばすぐに届くところにいる。いかにテッドが闇属性魔法の隠蔽を使えるといっても、攻撃する際には隠蔽を解かねばならない。そのほんのわずかな時間で男は少年を人質にとることができる。もしこれが意図してのことだとすれば、この男の計略はどこまで見据えているのかと、テッドは背筋に冷たいものが伝わるのを感じた。
と、突然男が苦しみだした。その苦しみ方は尋常ではなく、衣服を引きちぎり胸を掻きむしる。その強さに爪は剥がれ、指先から激しく流血しているがそんなことも気づかないくらいに苦しんでいる。
「な、なんだ?」
テッドの配下の一人が思わずつぶやく。男の身体が大きくなりはじめたのだ。厳密にいえば、全身の筋肉が膨張を始めていた。だがそれはぶくぶくと脂肪太りしているのではなく、大きく盛り上がっているのは紛れもなく筋肉だった。やや離れた場所からでもはっきりと視認できるそれは、まるで鋼のような筋肉だった。
そして男の顔にも変化が訪れる。その口は大きく裂け、犬歯が鋭く伸びて牙となる。最早そこには先ほどまでの男の面影はどこにもなかった。
「……オーガ」
誰かが漏らしたその言葉は誰もすぐに信じることができなかった。人間がオーガに変わるなど前例がない。元々オーガが化けていたのかとも考えたが、テッドはその考えをすぐに払拭した。そもそもオーガが人間に化ける必要性がどこにあるのか。
オーガはその強靭な肉体にものを言わせて戦う魔物だ。あまり知られていないことだが、オーガの魔力は強大だ。その強大な魔力を無意識のうちに身体強化に回すことでたの追随を許さない鋼の如き肉体を作り上げている。噂ではオーガの上位種には魔法を使いこなす個体もあるらしい。
「あの子供は……良かった、逃げたか。お前ら、気合いれろ! あいつをここで食い止めるぞ!」
オーガの上位種に少数のチームで挑むなど自殺行為に等しい。だがテッドには引けない理由がある。
「辺境伯から与えられた仕事も満足にこなせないようでは先生に顔向けできない」
彼が師と仰ぐバーゼルは数々の死線を潜り抜けた結果、Sランクという高みに上り詰めたのだ。もし自分がこの死線を潜り抜けることができれば、バーゼルも見直してくれるかもしれない。そんな思いがテッドの震える手足に力を与え、身体を動かす。無謀な戦いに向けて……
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『人間ってやっぱり面白い!』
少年は少し離れた場所からテッド達の戦いぶりを見ていた。彼はオーガになった男に何か特別なことをした訳ではない。ただ男が手にした魔道具の力を解放させただけだ。
魔道具は『洗脳の首飾り』といった。装着した者に他者を洗脳する能力を与えるというもので、通常は魔族でもごく一部の者しか身に着けることが許されない。もし不適格な者がそれを使い続ければ、反動を受けて負の魔力の浸食を受けてしまう。
『まさかオーガ、それもハイオーガになるなんてさ』
ハイオーガはオーガの上位種である。負の魔力の浸食は、浸食を受けた者がどのように変化していくのか誰にもわからない。だが元々負の感情をため込んでいる者ほど強い魔物に変化することが多い。
『これは掘り出し物だったかな? でもあの人間もなかなかやるね、ハイオーガと互角に渡り合ってるよ』
その言葉通り、テッドはハイオーガと互角に戦っていた。ハイオーガの繰り出す豪腕を搔い潜り、小さいながらも的確にダメージを与えている。だがそれは薄氷の上を歩くようなものだ。豪腕の一撃は、一発でも貰ってしまえば状況はいとも簡単に最悪の方向へと舵を切るだろう。
『もしあの人間があいつに勝ったなら……僕が相手してあげてもいいかな』
少年は愉しそうに笑う。だがそれは見た者を恐怖に陥れるかのようなおぞましいものだった。その瞳の奥には、どこまでも暗い闇が広がっていたからである。まるで足を踏み入れた者を引きずり込む底なし沼のように。
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