7.首領
「ふむ、こやつらが仕掛けてきた連中か」
「アルト殿、お疲れ様でした」
襲撃者たちは皆、涙やら涎やらいろいろな液体を流しながら悶絶していた。中には粗相をしてしまった者もいるようだが、それは見ないことにしよう。既に戦意喪失している彼らをやや戸惑いの目で見ながら、どこか引いたような雰囲気で声をかけてくる辺境伯と先生。
「まだ屋敷のあちこちにいます」
「わかっておる。お前が無力化してくれたおかげで屋敷の者でも対処できるだろう。今連行するように指示を出したところじゃ」
数分もすると屋敷の使用人たちが小さめの荷車に載せて集まってきた。さすがに二十名超ということで屋敷の外、中庭に集められることになった。未だに悶絶している彼らにはもう誰かを害そうという気力もないようだ。
「ひ……ひふ……」
「ひふほ……」
きっと「水をくれ」と言っているんだろう。辛いというものがこれほどの苦痛を生むなど誰が信じようか。そもそも香辛料は大変貴重なのでこんな使い方をする者はいない。
【彼らの苦悶はきちんとした理由があります】
(理由? どんな?)
突然アオイが話しかけてきた。彼らのこの惨状には理由があるらしい。いや、あの攻撃がここまで効果を発揮している理由と言ったほうがいいのか。
【彼らは自決の為の猛毒を自らの奥歯に仕込んでいます。そのために元々あった自らの奥歯を抜歯していますが、そのために彼らは魔法的治療を施していません】
(魔法的治療?)
【はい、抜歯に魔法的治療を使うとどうなるか、アルト様もかつて書物で読んだことがあるのでは?】
ああ、そういうことか。抜歯は確かに苦痛だが、治癒魔法で容易に対処することができる。もし治癒魔法で抜歯に対応しようとすればどうなるか。
再び歯が生えてくるのだ。
歯が生えてくるということは、せっかく抜いたことが無駄に終わってしまう。それでは何のために苦痛に耐えて抜歯したのか全く意味がない。なので彼らは皆魔法的治療をせずに自然治癒に任せているということだろう。
自然治癒には時間がかかる。さらに完全に無傷で元通りになることは極まれである。ましてや自決用の偽物の奥歯などという異物があればさらに歪に修復していく。
そのうえ彼らの練度もまたアダになったと言えるだろう。もし何もせずに自然治癒に任せていれば違っただろうが、常に厳しい訓練で歯を食いしばることを必然としている彼らが奥歯にかけている負担は決して小さいものではない。それが偽物の奥歯であれば猶更というものだ。
(つまり……しみるんだね)
【ええ、あれだけの刺激物がそこに入り込めば……この有様です】
歯の痛みというものは巨躯の大男ですら赤子の如く泣き叫ぶという壮絶なものらしい。なので少し痛みが生じた時点で皆治癒魔法をかけて修復してしまうそうだ。
「この状況も納得か。彼らが苦しむのは当然のことなんだね」
これから彼らはルーインと共に魔法尋問をされることになるそうだ。ルーインのように眠らされているわけではないが、ここまで悶絶しているのであれば抵抗されることもないだろう。今回の黒幕の正体が明らかになるのはもうすくだろう。それよりも置いてきたオルディアが心配だ、早く戻って遊んであげよう。
**********
「ち、まさか全滅とはな。となればもうここに用はない、早々に引き上げるとするか。新たな手駒を育てて雇い主を探すのは骨が折れるが仕方ない」
スクーアの街の中央にある公園、子供たちが遊ぶ泉のそばの石に座る男は誰に語り掛けることもなくつぶやく。実はこの男、暗殺集団を率いていた男である。自らは直接手を下すことなく手駒を使うという手段で裏仕事を専門に請け負う男である。しかもそんな卑劣な男でありながら、その下には忠誠を誓う部下がなぜか集まってくる。まるで何か特殊な力が働いているかのように集まった彼らは、失敗した際の自決すら抵抗なく受け入れるという異常さだ。
「だが……この魔道具があればすぐに……」
男の首には小さな首飾りがある。ペンダント状のそれは鮮血のような鮮やかな赤を帯びていた。その形状は涙のようで、まるで血の涙と表現できるものだった。
とある行商人から手に入れたものだが、これを使えばどんな者でも自分の支配下におくことができた。そのおかげで男は簡単に他人を使い捨てにできたのだ。
『ああ、こんなところにあったのか。悪いけど返してくれる? それは君のような愚物が使うべきものじゃないんだよね』
突然男に話しかける声がする。その声は少年のもの、そちらのほうを見ればまさに少年が男に話しかけていた。だがその異質さにすぐに気付いた。
今まで騒々しいくらいだった子供たちの声がまったく聞こえない。それどころか公園には誰もいなくなっていた。
「お前、誰だ?」
『口の聞き方に気を付けなよ、僕はそれの所有者、君が行商人を殺して手に入れたそれは僕が然るべき者に使わせるはずだったんだ。おかげでぼくの遊びが台無しだよ』
あくまで口調は子供のそれ、しかしその言葉の奥にある何かに男が気付くことは無い。元はただの盗賊あがりの男にそこまで知る力は持ち合わせていないのだ。
『だけどここまで負の感情が溜まるなんて、少しは評価してあげてもいいかな。君、任務に失敗したんでしょ、ご褒美に……君に力をあげよう』
「な、なにを……ぐああああ!」
突然悶絶しはじめる男。その身体は筋肉が膨張しはじめ、盛り上がった筋肉は衣服を引き裂く。それはまさに人間が別の何かに変わっていく瞬間だった。
『それなりに使えるようになったみたいだね。じゃあ思いっきりやっちゃいなよ。こんな切り崩しは面倒くさいから嫌なんだけど、まだ目立つ訳にはいかないしね。ヘドンの奴、人間如きに倒されてくれたおかげでこんな面倒なことしなくちゃならなくなったよ。……でもヘドンを倒したってヤツには興味があるかな?』
男が持っていた首飾りをその手で弄んでいた少年は、変貌した男を興味無さそうな目で見ながらつぶやく。見た目は純真そうな少年、だがほかの者が見れば彼がまったく異質の存在であると瞬時に理解できるだろう。
その瞳の奥にあったものは漆黒。生者が持つべき命の輝きなどまったく存在していないそこにはただただ嗜虐の濃密な黒い闇だけが占めていた。
読んでいただいてありがとうございます。