6.激……?
辺境伯の屋敷に接近する複数の人影。距離も速度も、性別も年齢も見た目も全く統一性のない者たちだったが、その素性はとある貴族の子飼いの暗殺集団だった。
「目的はわかっているな? ルーイン及び関係者の暗殺だ」
「そこには辺境伯も?」
「当然含まれる。皆殺しにしろとのお達しだ」
「我らにかかれば容易いこと」
「油断するな。屋敷にはルーインを殺さずに捕らえた者もいるらしい。そいつの情報が一切ないのが不安だ。心してかかれ」
リーダーらしき男が仲間の気を引き締めると、人影は一斉に散り、各々屋敷を目指して加速していった。その手に必殺の得物を携えて。
襲撃者は全員同時に屋敷へとたどり着くと、それぞれ窓や扉の状態を確かめ始めた。昼間ではあるが、ハチ騒動のせいで戸締りされていた。だが彼らに動揺の色はまったく見られなかった。
微塵の躊躇いも見せずに窓や扉を蹴破ると、その身体を屋敷の中へと滑り込ませていった。ここまではいつも通り、そしていつも通りの仕事をして雇い主からいつも通りの報酬を貰う。そう、いつもと同じ簡単な仕事のはずだった。それがたとえ五王家の一角、ガルシアーノの懐刀とまで言われている辺境伯が相手だとしても。そんな彼らが屋敷に入って見たものは、天井から伸びる無数の触手らしきものだった。
「な、なんだこれは!」
天井から無数に下がるそれは彼らの経験にも知識にも存在しないものだった。触手はぬらぬらと怪しく光を反射し、彼らが躱そうとする身体の動きによる僅かな風圧で不規則かつ予測不可能な動きを見せる。勢いよく身体を滑り込ませていた彼らにそれを回避することなどできるはずもなかった。
リーダー格の男が周囲を見回せば、仲間たちが絡めとられて身動きが取れなくなっていた。触手らしきものはよく見れば非常に薄いリボンのようなもので、強引に引きはがすことは可能なように思われた。だが問題はその数だった。たとえ単体の強度がそれほどではないとしても、それが無数にあるとなれば状況は変わってくる。さらに全身に纏わりついた無数のソレには毒が仕込んであったらしく、徐々に身体の自由が奪われ始めた。
「ちッ、失敗か。だが無様な姿は晒さん」
リーダーの小さな呟きに皆が頷く。彼らは暗殺を生業とするべく鍛え上げられた専門集団、万が一にも失敗したときの対処もまた仕込まれていた。
それは服毒。奥歯に仕込まれた即死性の高い猛毒を自ら飲み込むことで情報を一切漏らすことなく終わらせる最終手段。だがその毒はそう簡単に使うことはできない。その毒は通常生活では割れることがないよう、かなりの強度を持つ材質のカプセルのようなものに入っている。大きく口を開け、勢いをつけて噛み締めることでようやく破壊されて毒が出てくる。
「させませんよ。『ごぜんにじのそーす』」
突如聞こえた声のほうを見れば、奇妙な仮面をつけた子供がいた。その声から察するに少年のようであったが、うっすらと纏う独特の空気に百戦練磨の彼らもこれからなにが起こるのか全く理解できなかった。
奥歯を嚙み砕こうと大きく開けた口の中に何か液状のものが生まれた。口の中という、完全無防備な場所に現れたそれの正体を彼らが理解することはなかった。
理解するよりも早く、正体不明の衝撃が彼らを襲う。口内を襲う衝撃はあたかも鋭利な刃物で突かれているようにも、焼け火箸を突っ込まれたようにも思えた。ただ大きく開けた口を勢いよく閉じ、その勢いで奥歯を噛み砕くだけですべてが終わる、ただそれだけで一切の手掛かりを残さずに自決することができる。だがたったそれだけのことが出来なかった。
口内を荒れ狂う苦痛の嵐は口を閉ざすことを拒否させ、暑さに苦しむ野良犬のようにだらしなく舌を出して涎を溢れさせる。涙が止めどなく溢れ、鼻水がだらだらと流れつづける。しかし苦痛はまったく収まる気配を見せない。
苦痛に悶絶する彼らの無様な姿を、仮面の少年はただ無言で見つめていた。
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「……すごいことになってるんだけど」
【これでもまだスコヴィル値九十万です。まだまだ序の口です】
「オルディアを連れてこなくて正解だったね」
アオイが用意してくれた仮面のようなものをつけて襲撃者たちの姿を見ている。オルディアを待機させるというアオイの判断は正しかった。あの触手のようなものはオルディアの毛に絡みつき苦痛でしかないだろう。アオイの言うスコヴィルというものが何なのかはわからないが。
【スコヴィルは辛さを表す単位です】
「辛さ? 辛いの、あれ。毒みたいに見えるけど」
【すべて天然素材を使用していますので基本的には無害です】
この襲撃者たちは過酷な鍛錬を重ねてきたのだろう、だが果たして口の中、辛さに耐える訓練をしてきているのだろうか。この惨状を見る限りそのようなことはしてきていないと思うが。
悶え苦しみながら、あたかも女神の救いを求めるようにその手で虚空を掴むような仕草をする襲撃者たち。だがその手が女神の差し伸べる手を掴むことはない。彼らは涙や鼻汁や涎に塗れ、全身汗だくになって悶絶しているのだ。きっと女神も彼らのような者たちとはお近づきになりたくないだろう。
先日、知人にデスソースなるものをいただきました。
その衝撃に突き動かされてしまいました。
ちなみに午前2時というのは一番最初の商品名だそうです。
読んでいただいてありがとうございます。