4.切り札
「このバカモンが! 何をやっておる!」
執務室内に老人のものとは思えない怒号が響く。空気がびりびりと震え、庭園で遊んでいた小鳥たちが一斉に飛び立つ。一体どこからこんなに大きな声が出せるのだろうかと不思議に思う。
「貴様には紛れ込んだ不穏分子の排除を命じたはずだろう? なのに何故罪人護送をしている者を襲う!」
「し、しかし、先生と行動を共にしているなんてうらやま……いえ、きっと何か思惑があるに決まっています!」
テッドの奴、本音が出たな。テッドはかなり先生に心酔しているようで、ここに来るまでの間に如何に先生が素晴らしいかを力説していた。その内容は……先生が道中ずっと真っ赤な顔で俯いていたので先生の名誉と精神のために僕の心にしまっておこう。
そして今いる場所は領主の館の執務室、つまりはマディソン辺境伯領を治める豪傑、バーンズ=マディソンその人の部屋だ。さらには先ほどの大声を出した本人の部屋でもある。
テッドに連れられて領主の館に来た僕たちだったが、先生が事の次第を辺境伯に説明すると途端に辺境伯の顔色が変わり、そして今に至っているという訳だ。
「何を言っておるか! 元S級冒険者バーゼルとFランク冒険者アルト、この二名に対しての指名依頼書が正式に発効されておる! この二人のギルドカードも正式なものだ! 裏取りも済んでいるのでこの二人の素性は間違いない!」
「で、ですが……」
「お前は下がっていろ。入り込んだネズミはまだまだ多い、その駆除をしなければ事は辺境だけでは済まされん。お前もその重要な一因を担っていることを忘れるな」
「はい、申し訳ありませんでした」
辺境伯に諭されてようやくテッドは引き下がった。小さく一礼すると執務室を出てゆく。どこか納得いかない表情を見せていたが、流石にあそこまで言われて私情を優先させるようなことはないだろう。
「見苦しいところを見せて申し訳ない。奴は腕は立つんだが【宵闇】絡みになると我を忘れる傾向があってな」
「素質はあるのですが、精神鍛錬が不十分です。こういう仕事に就くには私情を捨てる覚悟が必須です」
「それは理解しているが、闇属性魔法に特化した者で腕の立つ者は少なくてな。あいつはあれでもAランク昇格間近なんだが」
「ギルドのランクは当てになりませんよ。認定する支部によって基準も違いますし、意外と本質を見抜けていないこともありますから」
先生が僕をちらりと見て言う。確かにルーインのような非道な者でも実力があれば高ランクになることができる。しかしサリタさんやダウニングさんも同じAランクだ。少なくとも僕はルーインがサリタさんたちと同等だとは思わない。
「そうだな、それはお前がすぐ近くで見てきたことだろう。それから……」
辺境伯は視線を先生から僕へと移す。懐かしいものを見るような、どこか温かみのある目だった。
「やはりお前はアルフレッドなのだな。あの一件以来、お前に関する情報がまったく出てこなくなったので心配していた。あの見栄っ張りで小心者のフリッツが早まった真似をしたのではないかとな。だがこちらも辺境を預かる身、問題が出ていない子爵領に簡単に首を突っ込むわけにもいかん。お前には申し訳なかったが、はっきりとした事実が出てこない限りこちらも動けんのだ」
そう言いながら頭を下げる辺境伯。どうやら僕の素性はもうバレているようだ。なのでここで否定しても意味がないだろう。
「はい、あの一件以来ですね」
「ニックから連絡は貰っていた。だがこう言ってはお前には辛いだろうが、メイビア領程度で後継争いがあったところで我々は動けん。いや、動く必要がないとも言える。メイビア領がどうなろうとも辺境に大きな動きはないからな」
かなりきつい言い方ではあるが、僕はそれを否定するつもりはない。メイビア領が辺境に対して大きな発言力を持つならまだしも、曾祖父の武勲に縋っているだけの状況ではいてもいなくても関係ない。もし後継がいなくてもどこかの貴族家に併合されておしまいだ。辺境伯は統治する側の考えを言っているだけで、おそらく複数の領主を纏める大領主であれば当然の考え方だろう。
「いえ、それはわかっています。ですが僕はもう何とも思っていません。今はつまらないしがらみから解放されてようやく自由になれたんです。アルフレッドはもう死んだことになっていますので、今の僕はただのアルトです」
「そうか、そう言ってもらえるとこちらも気が休まる。色々と騒動に巻き込まれているようだな」
「僕はそんなこと望んでいないんですが」
そう言うと辺境伯はほっと一息ついて表情を緩めた。辺境伯は大多数の貴族や権力者のような魔法偏重主義ではない。むしろ実務をどれだけこなせるかで判断している。魔力が少なく、魔法も初歩の初歩しかできないニックおじさんが領主として認められているのはそのためだ。たとえ魔法属性に適性がなくても、それ以外のところで十分に実力を発揮できればそれで良しという考え方なので、フリッツを始めとしたメイビア家の魔法第一主義を良く思っていなかったのだろう」
「話は変わるが……ルーインを捕縛したのはお前だろう? サリタ女史からの使い魔が届けた文書にはそう書いてあったが、一体どうやったんだ? 詳しく教えてくれんか?」
来た。最も心配していた質問が来た。ここで召喚のことを話すべきだろうか。ニックおじさんや先生、それにサリタさんの信頼が厚い人とはいえ、僕の使う召喚はあまりにも異質で常識の範疇から外れている。それを受け入れてもらえるかどうかわからない。
「どうしてもそれを明かさなければいけませんか? できれば秘匿しておきたいんですが」
「出来んな、これは領主命令だ」
「でも僕は冒険者ですよ? 冒険者は原則としてどこの国にも属さないはずでは?」
「そんなものは匙加減でどうにもなる。場合によっては強硬手段も辞さん」
確かに領主としてはルーイン程の相手を殺さずに捕縛した力を見過ごすことはできないのだろう。Aランク冒険者を無力化できるほどの力の正体を知りたくなるのは当然と言えば当然だ。だが冒険者というものは国や領主というものの力に護られることがないかわりに強制力もない。犯罪を犯した場合は別だが、辺境伯の言葉をそのまま理解すれば、何か些細なことを犯罪に仕立て上げて無理矢理にでも聞き出そうということだろう。さて、どうしたものか……
【アルト様、サリタさんの言葉を覚えていますか?】
(え? ああ、確か野良犬がどうとか)
突然アオイの声が頭に響く。確かに別れ際にそんなことを言っていたが、それが今何の役に立つというのだろうか。野良犬のことなど今話しても意味がないと思うんだが。
【サリタさんの考えが私の思い通りなら、あの言葉はここで使うべきです】
(わかった、使ってみよう)
「で、どうなんだ? 話すのか?」
僕が黙ってしまったので苛々しているのか、辺境伯の言葉が次第に荒くなってきた。先生は心配そうに僕たちのやり取りを見ているだけだ。仮にも相手は辺境伯、権力の恐ろしさを知っている先生は迂闊に動けないようだ。つまり、自分の力で何とかしなければならないということか。
「あ、あの、サリタさんから伝言を預かっています」
「ん? なんだ? 言いたいことがあるならさっさと言え」
「えっと、『野良犬に噛まれた傷は大丈夫か?』とのことでしたが」
「ふん! それがどう……し……た……」
サリタさんに言われた通りのことを言った途端、辺境伯の言葉が尻すぼみに小さくなり、最後には黙り込んしまった。その顔色は真っ赤になったり真っ青になったりを繰り返している。その急激な変化にこちらが心配してしまいそうだ。
【アルト様、私の言う通りに返事してください】
「な、なぁ、サリタ女史は他に何か言っていなかったか?」
「まぁ色々と」
「どんなことを言っていた?」
「ただ……サリタさんはとても愉しそうでした」
「……悪かった、お前のことはもう深く詮索しない。あの人がそこまで話すほど肩入れしているのならばその力を悪用することは無いだろう。だから……そのことは他言無用だぞ? 絶対だぞ?」
必死な形相で口止めする辺境伯に少々引いてしまった。先生は俯いて身体を震わせて笑いを堪えているようだが、僕はそんなに面白いことを言ったのだろうか。それにアオイの思った通りのことって……
【いずれお話します。アルト様にはまだ早いと思われますので】
アオイもそう言うだけで相手にしてくれない。確かにこの場は切り抜けられたようだが、置いてきぼりにされたようで少々寂しい気分だ。
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