7.本の覚醒
まだ行きます!本日一話目!
「な、なんだこいつら……ぎゃあぁぁ!」
「あっちいけ! 来るな! ぐあぁぁ!」
商人さんや御者さん、盗賊の人たちに向かって黒い何かが飛びかかっていく。小柄な大人くらいの大きさのそれは逃げ惑う彼らに容赦なく襲い掛かる。僕は痛む背中の傷に苦しみながらもその存在を思い出していた。
「ブラッディウルフ……」
この地域で時折大発生する狼の魔物。ウルフ種の中でも凶暴で、大きな群れを作って狩りをするのが特徴。その性格は凶暴極まり、血の匂いを求めて集団で移動する。血を流している生き物なら仲間でも捕食対象にしてしまうという。常に一匹の獲物に数匹から数十匹で襲い掛かるので、大きな群れに遭遇した場合は上級冒険者でも逃げることを最優先するとされている。
そんな魔物の大群がこの場に雪崩込んできている。きっと僕の血の匂いに反応してやってきたんだろう。十数人いた盗賊たちはあっという間に倒されて動かなくなっていくと、すぐさま所々からくちゃくちゃと肉を咀嚼する音がしはじめる。悲鳴はどんどん小さくなっていき、やがて周囲は咀嚼音しかしなくなった。
僕は魔物の正体に気づいてすぐに馬車の荷台に戻り、積荷で入口を塞いだ。これでしばらくは大丈夫だと思う。盗賊たちで満足してこの場を去ってくれることを期待しているけど、さっき見た限りではブラッディウルフの数は百を超えているかもしれない。当然ながら十数人の盗賊を平らげたくらいで満足するとは思えない。
それに僕の背中からは出血が続いている。この血の匂いにあいつらが気づかないはずがないし、出血のせいで意識がもうろうとしてきている。このままいけば間違いなく死んでしまう。せっかく地獄のような家から逃げ出してきたのに、こんなところで魔物の餌になって死ぬなんて絶対に嫌だ。もっともっと世界を見てみたい。
【あなたは死にたくないのですね】
突然、頭の中に感情のこもっていない女性のような声が響いた。いきなり何を言っているんだろうか。死にたくないに決まってるのに、こんな場面でわかりきったことを訊かないでほしい。
【あなたは力が欲しいですか】
今この場を切り抜けられるだけの力が欲しいのは確かだ。だから今すぐに力がほしい。どんな力でもいい。無能の僕でも使える力がほしい。
【あなたはその力で……家族に復讐しますか】
復讐……確かに家族には虐げられたし、命を狙われた恨みもある。でもここで復讐を考えたら……たぶん僕は一生そのことを抱えて生きていくしかない。そんな状態で世界を見て回るなんてできるはずがない。
それならば復讐なんてどうでもいい。あんな家族への復讐に比べたら、この世界のいろんなことを見て回るほうが僕にははるかに魅力的だ。いったいどれほどの感激があるのか考えただけで家族のことなんて忘れ去ってしまうほどに。
【意志の清廉度を確認。特定のマイナス感情の保有、安全なレベルであることを確認。あなたの魔力により私を起動可能です】
起動? 一体何を? 朦朧とした意識の中でそんなことを考えていると、鞄の中から青い本が飛び出してきた。本は昼間だというのに月明かりのような透明感のある青い光を放っていた。そして何も書かれていなかった装丁にはっきりと文字が浮かんでいた。
「星の……書?」
【はい、私は太古の昔に滅んだ星の叡智の一部をしたためた書です。私に内蔵された知識を託せるだけの力を持つ者を探して長い年月彷徨ってきました。そしてあなたをみつけたのです。無垢なる力を持つ者、何色にも染まらぬ純然たる力を持つ者。さあ私に名を、そして我が主となってください】
「名前を?」
【はい、それで私の機能を解放できます。あなたの力となるべくサポートすることができます】
名前といっても本だしなぁ……普通の名前じゃダメかもしれないし。青い本……アオイなんてどうかな。
「じゃあ君のことは『アオイ』と呼ぶことにするよ」
【アオイ……葵……懐かしい響きです。あなたと出会えてよかった。我が名はアオイ、我が力はあなたの為に、我が主よ】
本が一層強い光を放つと同時に、僕の身体からごっそりと何かが抜き取られる感覚があった。これって大丈夫?
【御心配なく、あなたの魔力の一部を起動のために使用させていただきました。あなたほどの魔力量がなければ私を視認することすらできないでしょう】
そうか……僕に膨大な魔力量があったから君と出会うことができたのか。でもとりあえずは今この状況を打破しないと先には進めない。
【では現状を打破する方法を検索します。対象の殲滅を希望しますか?】
殲滅……ブラッディウルフは確かに危険な魔物だし、放っておくことはできないけどどうやって倒す? 並大抵の攻撃じゃ数の暴力に屈してしまう。
【検索……該当するものがありました。表示されたキーワードを唱えてください】
「キーワード? 一体どうなるの?」
【あなたの魔力を用いて私に内蔵されている知識を顕現させます】
知識を顕現? 魔力を使って? それはもしかして『召喚』のことか?
【そう捉えていただいてほぼ問題ありません】
召喚というのは属性魔法の一種として存在している。魔力を大量に捧げて、その属性を司る精霊を顕現させて力を行使してもらう方法だと魔法書に書いてあった。でもそれに必要な魔力量は人間数人で対応できるものではなく、基本的には儀式魔法という考え方が強い。
【ただし顕現させるのは完全にこの世界とは異なる星の知識によるもの、そしてそれはあなたにしか使えない。いわばあなたのオリジナルと言っても過言ではありません】
本からの思念のようなものが説明してくれる。まずはこの状況を打破するためにも、本が選んだ方法を使ってみよう。すると本が勝手に開いてページが捲られる。指定されたページの中央には大きくこんな言葉が記されていた。
『みわくのはんなま』
意味がわからない。これが何を示しているんだろうか。この状況を覆すことができるのがこれだとは到底信じられない。だがいまは藁にでも縋りたいところであり、盗賊たちを平らげたブラッディウルフたちが僕の血の匂いに気づいて襲い掛かってきていた。
入口は積荷で塞いであるが、ブラッディウルフがしきりに体当たりをしているので木箱が軋んでいる。壊れるのは時間の問題だ。
「もういい、ここまで来たら信じるしかない! 出でよ『みわくのはんなま』!」
再び僕の身体から魔力が抜き取られる感覚。ということは召喚が成功したと考えていいのか?
ぼと……ぼと……ぼとぼとぼと……
馬車の荷台の幌の部分に何かが落ちる音がする。音の強さからそんなに大きなものではなさそうだし、当たった音も重さを感じない。だがその数は相当なものだ。
と、不意にブラッディウルフの体当たりが止まった。と同時にそこかしこで聞こえる摩擦音。一体何が起こっているのかさっぱりわからない。数分待ったがこちらへの攻撃が再開される様子もないし、おそるおそる木箱を少しどけて隙間から外の様子をうかがった。そして繰り広げられている光景に自分の目を疑った。
百頭以上いるであろうブラッディウルフの大群の全てが地面に寝転がってだらしなく腹を見せ、しきりに背中、特に首のあたりを地面にこすりつけている。獰猛な魔物が無邪気に遊ぶ飼い犬のようだ。
【どうですか? これが私の持つ叡智とあなたの魔力が起こした奇跡です。ほんの一端ではありますが】
どこか自信に満ち溢れたアオイの言葉が僕の頭の中に静かに響いていた。
まだまだ行く!